知念大地「たましいと」
※2021年11月3日(水・祝)に開催した「vol.3 空間の変容をきく」での朗読テキストより
※2021年11月3日(水・祝)に開催した「vol.3 空間の変容をきく」での朗読テキストより
たましいと
今日はある場所にいった。京都・久美浜の。そこの息子さんが第二次世界対戦(1945年)に日米が地上戦を繰り広げた沖縄戦で亡くなっている事を知った。亡くなった場所は沖縄の浦添・宜野湾あたりと書いてあった。そこは小学校から高校までを過ごした僕の地元だった。
沖縄戦では、宜野湾にある嘉数高台、浦添にある前田、が最初のし烈な激戦地となった。
青年が木箱に爆弾を抱え、アメリカ軍の戦車の下に飛び込む決死作戦を初めに行った場所でもある。
その場所で、踊ったり慰霊碑を拭いたりした日々が僕にはあって、だからその場所はこころの中に今もある場所だった。
宜野湾にある嘉数高台には京都から来た人たちを弔う石碑があり、そこで踊った事も悲しい思い出、忘れられない思い出として、僕の中にある。
かれが亡くなった場所で踊った僕が、歳月をへて、京都久美浜の彼の母屋で踊る。
さらさらと風かふいた。
身体の中に埋まっていた粒子が、今、家に帰還した。そう感じた。
鳥が鳴いた。静かに。
柱をさする。もう、誰もいない。みんな、いない。
風も粒になって、小さなこどものたましいが、唯、ちりちり音を立てる。
そこには淋しさや悔しさはない。やさしい風だけが、どこへもいかず在り続ける。
永遠に落ちない小さな線香花火のように。
僕はその後海が見える場所に車を停めた。踊った家からすぐだ。
かれとともに音をきいた。
ちゃぷん、こぽん
音がする
何気ない音
だけど、一緒にきいていた。
ふと気がつくと、かれに思いを馳せ海にきたであろ母親になっていた。
僕は、彼女とかれをからだの中で
なんとか結びあわせたいと思った。
その仕方がわからなかった。
だから、今度は彼女と海をきいていた。
ふいに暗闇に線がひかれ、ぽつんとまぶたがひらかれ、今が出現した。
僕の目の前は、かれと彼女でてきていた。
目の前は、既にわかいをしていた。
そのようなものを、僕は眺めた。
そしてそれらは、僕を
ほんとうに苦しいとき
たったひとりの僕を、いつも抱き締めてきた、と思った。
ともに いきているのだ、と、感じた。
淋しさが消える場所に、いつも、結び目がある
*