研究論文集

2019年3月から順次公表

藤實久美子「京都版『太政官日誌』初号と大坂売り捌きについて 付棚倉藩主阿部家官版日誌の受領記事」

要旨

いずれの書籍であっても発刊までには諸段階がある。これを前提にして、京都版『太政官日誌』初号の出版許可申請・

「彫刻」許可と請書提出・原稿下げ渡し・「彫刻」という完成までの各日程を確認し、つぎに京都版『太政官日誌』の大

坂売り捌きの開始時期を推定した。最後に京都版『太政官日誌』『行在所日誌』は定価非表示であったことから生じた、

大坂裁判所の疑義と本屋仲間行事の対応を述べて、初期官版日誌の未成熟な部分を照射する。[PDF] (2019年12月修正版)


藤實久美子「翻刻 書林書留(慶応義塾大学図書館所蔵)」

要旨

「書林書留」は、浅倉屋久兵衛所蔵本を、大正6年(1917)10月1日に慶応義塾大学図書館が書写したものである。浅倉屋本は関東大震災で罹災した可能性が高く、孤本である。主たる内容年代は慶応3年(1867)9月から明治2年(1869)12月である。長尾正憲「明治二年の出版条例成立と福沢諭吉」『福沢屋諭吉の研究』思文閣出版、1988年)に考察がある。弥吉光長『未刊史料による日本出版文化』第8巻-幕末明治出版史料-(ゆまに書房、1993年)に所収されていないことから、今回、全文を翻刻する。(PDF

松沢 裕作「戊辰戦争期越後への法令伝達と官版日誌」

要旨

本稿では、四條男爵家文書中の「京師ヨリ御布告書控」を素材として、慶応4年5月から10月にかけて、新潟裁判所総督ないし柏崎県知事・越後府知事として、北越戦争の戦線直後で占領地行政を担当した四條隆平が、どのような法令と官版日誌を受領していたかを明らかにした。その結果、個別の布告と並んで官版日誌類が定期的に送付されていたことが明らかとなった。日誌の送付は四條の要請によるものであり、占領地行政上の必要によるものであったと考えられる。 [ PDF ]


寺島宏貴「中信地方の家・行政文書としての『太政官日誌』―長野県立歴史館所蔵本より―」

要旨

長野県立歴史館(千曲市)には家文書、行政文書の両方に『太政官日誌』の所蔵がみられる。清水家文書(大町市)では、「御日誌」の表題を持つ江戸版に信州上田の売弘め書肆による仕入印がみられ、維新期における政治的な事柄を含む清水家の活動の中で蓄積された点が窺えた。行政文書では、慶応 4 年~明治 8 年分の後表紙に木曽支配所・筑摩県といった組織名が含まれ、戊辰戦中・戦後と連続しつつ異なった性質を付与されての管理が看取された。 [ PDF ]

山田英明 「越後国東頸城郡松代村関谷家旧蔵の太政官日誌1号1冊本について」

要旨

京都版東久世公系統に属する本史料群には、京都版特有のルビの少なさを補うように随所に読み仮名などが書き込まれている。そこからは記事の種別や大小を問わず丹念に太政官日誌が読み込まれていたこと、また東北地方における戦闘の終結と軍夫として従軍していた村人の帰還ともに書き込みが減少していくことから、同地域における太政官日誌受容が戊辰戦争に関する情報の収集を主たる目的とするものであったことが浮びあがってくる。[PDF]

山口順子「『太政官日誌』長門聚珍版は何処に~萩蔵版局末期の情報環境に求めて 」

要旨

尾佐竹猛がかつて異本の一つとして提示した長門聚珍版の『太政官日誌』は存在するのか。10年来の共同調査で確認できてこなかった長門聚珍版について、長州藩末期から山口県政への転換期の情報環境とともにその版行の可能性を考察した。[PDF]

山口順子「官版日誌類の刊行-戊辰戦争期の禁裏御所受領記録を元にした考察」

要旨

国立公文書館内閣文庫所蔵「日々申送帳」は、禁裏御所の執次(とりつぎ)による執務日録であり、太政官から受領し他の御所に触れた『太政官日誌』をはじめとする官版日誌類について記している。この史料を中心として、京都で発刊された『太政官日誌』と、江戸・東京で刊行の各日誌類の並行した刊行状況、そして、明治2年再幸に伴う東京への太政官移転と『太政官日誌』刊行の関係を考察した。[PDF]