2025. 11. 10
本節では'[W]hy did not Anglo-Saxons adopt more of the ready-made Latin or Greek words[?]'(アングロサクソン人が既成のラテン・ギリシア語を借用しなかったのはなぜか?)という問いに取り組む。この問いに直接的に答えている部分をまず訳してみよう。
One of the reasons seems obviously to be that people then did not know so much Latin as they learnt later, so that these learned words, if introduced, would not have been understood.
理由の一つは明らかに、人々が当時、後の時代ほどラテン語に通じていなかったからである。したがって、そうした学識的な語が仮に導入されたとしても人々には理解されなかったであろう。
アングロ・サクソン人がラテン語に精通していない背景には、まずケルト語のように、ラテン語を話す人々と英語を話す人々がイギリスで交わることがなかった。さらに、ラテン語は現れるのは基本的に書きことばだったということがある。(cf. 40. アングロ・サクソン人のラテン語の「言語的感性」)
ところで興味深いのは、Jespersen が本節を以下のような形で結んでいることである。
It is not, then, the Old English system of utilizing the vernacular stock of words, but the modern system of neglecting the native and borrowing from a foreign vocabulary that has to be accounted for as something out of the natural state of things.
したがって、自然の状態から逸脱したものとして説明を要するのは、本来語を活用する古英語の体系ではなく、むしろ本来語を顧みず外国語の語彙を借用する現代英語の体系である。
Jespersen に言わせてみれば、古英語のように自前の本来語要素を使った派生・複合によって語彙を拡大することこそ自然的である。実際、ギリシア語は知的・芸術的活動の発展に合わせて、自語要素によって抽象的・科学的な用語を造語していったのである。従ってむしろ、本来語を利用した造語ではなく借用に頼る現代的な方策の方が、不自然且つ説明を要するのである。この意味で言えば我々は「古英語に借用が少ないのはなぜ?」ではなく、「現代英語に借用が多いのはなぜ?」と問うべきなのかもしれない。
参考文献
Jespersen, Otto. Growth and Structure of the English Language. 10th ed. Oxford: OUP, 1997[1905].