2025. 10. 30
本節は短いので、全て訳出してしまおう。
It is worth noting that most of these loans were short words that tallied perfectly well with the native words and were easily inflected and treated in every respect like these; the composition of the longest of them ercebiscop, was felt quite naturally as a native one. Such long words as discipul or capitul, or as exorcista and acolitus, which are also found, never became popular words; and anachoreta only became popular when it had been shortened to the convenient ancor.
重要なので指摘しておくと、これらの借用語の大半は短い語であり、本来語と完璧にうまく調和し、簡単に屈折させられたし、本来語とどこまでも同様に扱われた。中でも最長の ercebiscop の語形成は本来語のようにすっかり自然な感じがしたのである。discipul や capitul、或いは exorcita とか acolitus というのも見つかるけれども、こうした長い語は決して一般的な語にはならなかった。また、anachoreta は簡便な ancor に短縮された時に一般的になったにすぎない。
なるほど Jespersen は、初期のラテン借用語は形態的長さが短いものが多く本来語に同化しやすかったと考えているようだ。また、これは古英語期に複合語の生産が盛んだったことを念頭に置いていると推測するが、ercebiscop は英語の語形成として自然という見方も提示している。
思うに、形態的に長い語を拒むというのは、当時のアングロ・サクソン人がまだラテン語に馴染んでいなかったということを背景に持つ(或いはそれを示す)のではなかろうか。古英語では複合語形成は盛んだったから、彼らが単に語が形態的に長いことに抵抗を覚えることはなかろう。一方、彼らが ex- という形態素とか、あるいは capitul は capitulate とか captain とかと共通の形態素を持っているとか、そういったラテン語への「言語的感性」(必ずしも学問的ではなく、現代英語話者のように英語に含まれるラテン借用語に触れることでボトムアップ的に形成される感性)がまだ高くなかったと思われる。そうした彼らが形態的に長いラテン借用語へ抵抗感を覚えるというのはなるほど共感できる。
参考文献
Jespersen, Otto. Growth and Structure of the English Language. 10th ed. Oxford: OUP, 1997[1905].