2025. 9. 20
第3節では、英語の音声が明確且つ明瞭に発音されることが強調されている。冒頭、英語の子音体系について次のような記述がある。
voiced and voiceless consonants stand over against each other in neat symmetry, and they are, as a rule, clearly and precisely pronounced.
有声・無声子音は整った対称性を成すように互いに対立しており、原則として明瞭・正確に発音される。
Jespersen 曰く、英語には、デンマーク語に多く見られるような子音ともわたり音(vowel-glide)ともつかない音(e.g. hade, hage, livlig)は見られない。ただし母音が後続しない /r/ は、南イングランドでは母音のように発音されるか(e.g. here)或いは発音されない(e.g. hart)。 また、英語の子音は周囲の母音からの影響を受けにくい。現に英語には、ロシア語に優美な印象をもたらす口蓋化(palatalization)は見られない。また母音体系についても、二重母音化(dipthongization)は見られるものの(e.g. ale, whole, eel, who)、英語の母音は周囲の音声環境からは独立している。Jespersen は以上を以て、英語は歴史を通じて音声構造をより明瞭にしてきたと見ている。
なるほどデンマーク語の hade, hage, livlig の発音は非常に興味深いが、英語音声学は /j/, /w/ をわたり音(glide)と認める。/j/ と /w/ は、「その発音のために音声器官が一定の調音位置をとり続けるのではなくて、前者は [i]、後者は [u] の長音位置の近くから後続母音の調音位置へと移行するのが特徴で」(寺澤 2002: 286)、まさに [i] や [u] から後続母音に「わたる」音である。
また口蓋化(硬口蓋音化(牧野 2005: 21))についても、「調音の際に前舌面が硬口蓋に向かって [j] の場合のように持ち上がること」(寺澤 2002: 464)を指すが、現代英語では keep の [k] に実際に見られる。なお、英語史的には「OE 期[=古英語期]に [k] [g] が、隣接する [i] [e] [e:] などの前舌母音の影響で口蓋化し、[k] → [tʃ] [g] → [j] となった」(同前)という経緯がある。例えば、cild (child), ceorl (churl), rice (kingdom), gif (if), geong (young), weg (way) などの例がある。今回 Jespersen が議論の俎上に出しているのは現代英語であるが、それにしても keep のような例は無視できない。
以上から考えれば、Jespersen の「英語の音声は明確且つ明瞭に発音される」という主張は、あくまで共時的に他言語と比較したり通時的に英語の過去の段階と比較したりして初めてその真偽が明らかになると捉えるのが妥当であろう。
参考文献
Jespersen, Otto. Growth and Structure of the English Language. 10th ed. Oxford: OUP, 1997[1905].
牧野武彦『日本人のための英語音声学レッスン』東京: 大修館書店、2005年。
寺澤芳雄(編)『英語学要語辞典』東京: 研究社、2002年。