2025. 9. 30
英語の「男性性」は形態論にも現れている。具体的には、英語は指小辞(diminutive)の数が他言語に比べて少ないという。指小辞とは「一般に「小」、比喩的に「親愛」を表す接辞(affix)」(寺澤 2002: 190f.)のことである。Jespersen による同様の指摘がある箇所を直接引いておこう。なお、ここでの接続詞 how は動詞の目的語となる節を導き、接続詞 that に相当する訳をあてると良いと思われる(e.g. They kept telling me how everyone was against them. 「彼らはみんなに反対されていることを私に言い続けた」)(『ジーニアス英和辞典』(第5版))。
It is worth observing, for instance, how few diminutives the language has and how sparingly it uses them.
例えば次のことは述べるに値する。即ちその言語(=英語)が指小辞をほとんど持たないこと、そしてわずかしか用いないことだ。
実際、イタリア語では -ino (ragazzino「少年」, fratellino「兄弟」), -ina (donnina「女の子」), -etto (giovinett「若い人」), -etta (oretta「一か月」), -ello, -ella (asinello「ロバの子」, storiella「小話」)といった風に指小辞が多用される。同じ状況は、ドイツ語・オランダ語・ロシア語・ハンガリー語・バスク語でも見られる。指小辞は無邪気さ、子供っぽさ、温和さと結び付けられるが故、こうした言語は「女性的」な性質を備えている。
一方で英語については、指小辞の使用はあまり見られず「男性的」である。現に、-let は小さな器官を表現したい博物学者が用いているが(e.g. budlet「小さな芽」, bladlet「小さな葉」, conelet「小さな球果」, dulblet「小さな球根」, leaflet「小葉」, fruitlet「小果」, featherlet「小さな羽」)、ここ100年の歴史しか持たない。-kin や -ling (e.g. princekin, princeling「ちっぽけな王子」)もあまり頻繁には用いられないし小ささや親愛よりも軽蔑や嘲りを表す。-y や -ie (e.g. Billy, Dicky, auntie, birdie)は他言語の指小辞と同様小ささや親愛を表すが、子供が使用したり子供に話しかける大人が使ったりするのみである。また、-y や -ie は英語というよりスコットランド語だとも指摘されている。
ところで本文とほとんど関係ないが、ハンガリー語のことを Jespersen が Magyar /ˈmaɡjɑː/ と言っていた。最初は「?」となったが、辞書を引いてみると「①マジャール人②マジャール(ハンガリー)語」とあった。なるほど、ハンガリー人が自分たちのことを「マジャール人」と呼ぶというのはかつて高校の世界史の授業で習った気がする。
参考文献
南出康世(編集主幹)『ジーニアス英和辞典』第5版、東京: 大修館書店、2014年。
Jespersen, Otto. Growth and Structure of the English Language. 10th ed. Oxford: OUP, 1997[1905].
寺澤芳雄(編)『英語学要語辞典』東京: 研究社、2002年。