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過去CO2の影響について、他のblogで否定的な見解を記述しましたが、生成AIで検証しました。今後も引き続き検証します。
[1].否定的見解
CO2の増加が地球温暖化の原因であるという説は、CO2の増加と地球温暖化の間に相関関係があることを根拠としています。しかし、CO2が地球の温度の放射を妨げているという科学的な根拠は示されていません。
CO2が宇宙への温度の放射を妨げているとすれば、入射の妨げにもなり、矛盾が生じます。CO2濃度を化石などから分析した結果、確かに太古からCO2は増加しています。しかし、太陽との距離の変化や地軸の傾きの変化などにより、5,700℃もある太陽の温度が地球に2℃程度の変化を与える可能性があるという考え方には説得力があります。
人間活動の活発化(人口増加、経済活動の活発化など)により、エネルギー消費量が増加します。言い換えると、熱の消費量が増えます。熱の伝わり方には伝導と放射があり、地球の熱は大気を伝って宇宙へ放射されます。ただし、増加した熱量は一度に放出されるわけではありません。地表に溜まり、ゆっくりと放出されることで地球の温度が上昇します。
熱は主にCO2を発生させる燃焼によって生まれます。したがって、地球の温度が上昇すればCO2が増えるのは当然です。CO2が増えて地球が温暖化したのではなく、温暖化したためにCO2が増加したのです。
エネルギー源には他に、原子力、太陽光があり、これらも温暖化の原因となります(水力、潮力、風力は、もともと太陽光のエネルギーが変換されたものであり、温暖化の原因にはなりません)。したがって、人間の活動が活発になれば、温暖化はCO2に関係なく進みます。しかし、原因はこれだけではないかもしれません。氷河期が来ればまた別の話になります(過去には火山活動の灰が原因で寒冷化しました)。
[2].否定的文章の検証
提示された文章は、CO2と地球温暖化の関係について一般的な科学的見解とは異なる主張を展開しています。以下に、各主張について科学的根拠に基づいた検証を行います。
1. 「CO2が地球の温度の放射を妨げているという科学的な根拠は示されていません。」
これは誤りです。CO2(二酸化炭素)は、地球の大気中に存在する主要な温室効果ガスの一つであり、地球からの熱(長波放射)を吸収し、再放射する性質を持っています。この性質は、分子の振動・回転スペクトルに基づいた物理学的な原理であり、実験室レベルでの測定や衛星による観測によっても確認されています。地球温暖化に関する科学的な合意は、このCO2の温室効果に基づいています。
2. 「CO2が宇宙への温度の放射を妨げているとすれば、入射の妨げにもなり、矛盾が生じます。」
これは誤解に基づいています。CO2は、太陽からの短波放射(可視光線など)はほとんど吸収しませんが、地球から放射される長波放射(赤外線)は吸収します。これは、CO2分子がそれぞれの波長の光に対して異なる吸収特性を持つためです。したがって、入射(太陽光)と放射(地球からの熱)で異なる挙動を示すことは矛盾ではありません。地球の「温室効果」は、この選択的な吸収によって成り立っています。
3. 「CO2濃度を化石などから分析した結果、確かに太古からCO2は増加しています。しかし、太陽との距離の変化や地軸の傾きの変化などにより、5,700℃もある太陽の温度が地球に2℃程度の変化を与える可能性があるという考え方には説得力があります。」
太古のCO2濃度が変動していたことは事実であり、これはミランコビッチ・サイクルと呼ばれる地球の軌道要素の変化(太陽との距離、地軸の傾き、軌道の離心率の変化)が気候変動に影響を与えてきたことを示唆しています。しかし、現在の温暖化は、これらの自然要因だけでは説明できません。過去数十年の急速なCO2濃度の上昇は、化石燃料の燃焼など人間活動に由来することが、炭素同位体比などの分析から明確に示されています。太陽活動の変化が地球の温度に与える影響は、現在の温暖化の規模を説明するには小さすぎることが、多くの研究で示されています。
4. 「人間活動の活発化(人口増加、経済活動の活発化など)により、エネルギー消費量が増加します。言い換えると、熱の消費量が増えます。熱は主にCO2を発生させる燃焼によって生まれます。したがって、地球の温度が上昇すればCO2が増えるのは当然です。CO2が増えて地球が温暖化したのではなく、温暖化したためにCO2が増加したのです。」
この主張は、「温暖化の原因はCO2ではなく、人間活動による直接的な熱の放出である」という説と、「温暖化がCO2増加の原因である」**という2つの説を提示していますが、いずれも科学的根拠が乏しいです。
直接的な熱の放出について: 人間活動による熱の放出(ビルや工場からの排熱など)は、都市部などの局所的なヒートアイランド現象を引き起こすことはありますが、地球全体の温暖化に寄与する熱量としては、温室効果ガスによる熱の閉じ込めと比較して非常に小さいことが示されています。
「温暖化したためにCO2が増加した」について: 過去の気候変動において、温暖化期にCO2濃度が上昇したケースは確かに存在しますが、これは海洋からのCO2放出など、温暖化が引き金となってCO2濃度がさらに上昇するというフィードバックメカニズムが働いたためと考えられています。しかし、現在のCO2濃度の上昇は、人為的なCO2排出量が自然のCO2吸収量をはるかに上回っていることが主要因です。工業化以降のCO2濃度と気温上昇のグラフは、CO2濃度の上昇が先行していることを示唆しています。
5. 「エネルギー源には他に、原子力、太陽光があり、これらも温暖化の原因となります(水力、潮力、風力は、もともと太陽光のエネルギーが変換されたものであり、温暖化の原因にはなりません)。したがって、人間の活動が活発になれば、温暖化はCO2に関係なく進みます。」
原子力発電について: 原子力発電はCO2を直接排出しないため、地球温暖化対策として注目されています。しかし、冷却水からの排熱など、発電に伴う熱の放出はあります。ただし、この熱放出が地球全体の温暖化の主要因であるという科学的根拠はありません。
太陽光発電について: 太陽光発電は、CO2を排出しないクリーンなエネルギー源として位置づけられています。太陽光パネルの製造過程でCO2が排出されることはありますが、発電時やライフサイクル全体での排出量は、化石燃料発電に比べて格段に少ないです。太陽光パネル自体が地球を「温暖化させる」という主張には科学的根拠がありません。
6. 「しかし、原因はこれだけではないかもしれません。氷河期が来ればまた別の話になります(過去には火山活動の灰が原因で寒冷化しました)。」
地球の気候は複雑であり、様々な自然要因(火山活動、太陽活動、海洋循環など)が変動に寄与します。火山活動による大量のエアロゾル(微粒子)は、太陽光を遮断して一時的な寒冷化を引き起こすことがあります。また、地球は過去に何度も氷期と間氷期を繰り返してきました。これらの自然要因は気候変動の理解に不可欠ですが、現在の急速な温暖化は、これまでの自然変動の範囲を逸脱しており、人間活動の影響が主要因であるという科学的合意が形成されています。
まとめ
提示された文章は、現在の地球温暖化に関する主流の科学的見解とは大きく異なります。特に、CO2の温室効果を否定する点、人間活動による直接的な熱放出を主な原因とする点、CO2増加が温暖化の結果であるとする点などは、科学的根拠に乏しいか、誤解に基づいていると考えられます。
地球温暖化に関する科学的な理解は、IPCC(気候変動に関する政府間パネル)などの国際的な組織によって詳細に評価され、定期的に報告書が発行されています。これらの報告書は、多数の科学論文に基づいた幅広い科学的合意を反映しています。
[3].補足
地球温暖化ガス濃度が地球温暖化にとの程度影響しているか科学的に示されているのか。
地球温暖化ガス(温室効果ガス)濃度が地球温暖化に与える影響については、科学的に非常に多くの証拠が示されており、そのメカニズムも詳細に解明されています。これは、気候変動に関する政府間パネル(IPCC)をはじめとする世界中の科学者たちの長年の研究と合意に基づくものです。
科学的根拠
温室効果ガスの物理的特性:
CO2(二酸化炭素)、CH4(メタン)、N2O(亜酸化窒素)、フロン類などの温室効果ガスは、地球表面から放出される赤外線(熱)を吸収し、再放射する性質を持っています。この性質は、分子構造と量子力学に基づいており、実験室での測定によっても確認されています。
これらのガスがなければ、地球の平均気温は-18℃程度になると計算されており、現在の約15℃の平均気温は自然の温室効果によるものです。温室効果ガスの濃度が増加すると、この熱の閉じ込め効果が強まり、地表の温度が上昇します。
観測データとの相関:
CO2濃度と気温の同時上昇: 産業革命以降、大気中のCO2濃度は急激に増加しており、これとほぼ同時期に地球の平均気温も上昇しています。特に、過去数十年の急速な温暖化は、自然の気候変動だけでは説明できません。
炭素同位体比の分析: 大気中のCO2の炭素同位体比を分析すると、人間活動(化石燃料の燃焼など)に由来するCO2の割合が増加していることが示されています。化石燃料は特定の炭素同位体組成を持つため、その「指紋」が大気中のCO2にも見られます。
過去の気候変動との比較: 氷床コアなどの古気候データからは、過去の氷期と間氷期のサイクルにおいて、気温の変化とCO2濃度の変化が密接に関連していることがわかっています。ただし、現在のCO2濃度の上昇速度は、過去の自然変動では見られなかった異常な速さです。
気候モデルによる予測と検証:
温室効果ガスの物理的特性と過去の観測データに基づいて開発された気候モデルは、温室効果ガス濃度の上昇が地球温暖化を引き起こすことを予測しています。これらのモデルは、過去の気候変動をかなり正確に再現できることが示されており、その予測の信頼性が裏付けられています。
IPCCの報告書では、様々な排出シナリオに基づいた将来の気温上昇予測が示されており、温室効果ガスの排出量が多いほど、気温上昇が大きくなることが示されています。
各温室効果ガスの寄与度
IPCCの報告書によると、人為起源の温室効果ガスが地球温暖化に与える影響の大部分は、以下のガスによるものです(寄与率は報告書や時期によって多少変動します)。
二酸化炭素(CO2): 最も排出量が多く、温暖化への寄与度が約76%と最大です。主に化石燃料の燃焼や森林破壊によって排出されます。
メタン(CH4): 温室効果はCO2の約25倍と強力ですが、大気中の寿命がCO2より短いです。農業(畜産、稲作)、化石燃料の採掘、埋立地などから排出されます。温暖化への寄与度は約14%です。
亜酸化窒素(N2O): 温室効果はCO2の約300倍と非常に強力です。農業(肥料)、産業プロセスなどから排出されます。温暖化への寄与度は約8%です。
フロン類(CFCs, HCFCsなど): オゾン層破壊物質でもあり、非常に強力な温室効果ガスです。かつて冷蔵庫やエアコンの冷媒などに使用されていましたが、国際的な規制により排出は減少傾向にあります。
結論
温室効果ガス濃度の上昇が地球温暖化の主要な原因であることは、物理学的な原理、広範な観測データ、そして洗練された気候モデルによるシミュレーションによって、科学的に確立された見解です。これらの証拠は、人間活動による温室効果ガスの排出量が、地球の気候システムに大きな影響を与えていることを明確に示しています。
つづく
『日本書紀』(『古事記』よりも史実性が高いとされている)によれば、日本の皇室は遡ること約1470年、一度も途切れることなく続いており、これは世界でも類を見ないものです。今改めてこのことを考えると、驚きと同時に誇りを感じます。
戦後生まれの私は、父から天皇について特別な意識を教え込まれることなく育ちました。しかし、歳を重ね、歴史上の125代の天皇を振り返るにつれて、その役割の重みと意義を深く感じるようになりました。そこには、単なる権力を超えた深い畏敬の念を抱かずにはいられません。これは、現在の上皇陛下と天皇陛下を拝見すると明らかです。
一般の人々が公然と「怒り」を表明する一方で、天皇皇后両陛下は厳しく自己を律し、戦没者やその遺族、海外の被災者に対し、優しく慰めと安らぎを与えていらっしゃいます。このレベルの慈悲は、一般の人々が通常示すものを超えています。
天皇陛下は象徴天皇を体現されており、これは戦争の負の遺産を背負う日本国民にとって誇りの源です。
明治維新の際、長州と薩摩は天皇を象徴的な旗印として日本を近代化しました。山口(長州)出身の故安倍元首相は、アメリカの指導下で起草された憲法から脱却し、自主憲法を制定したいという願望を抱いていました。彼はこの願望を祖父である岸元首相と佐藤元首相から受け継いでいました。日本は第二次世界大戦以降、平和を維持しています。憲法改正は本当に必要なのでしょうか?
日本の戦後憲法は、その長い歴史の中で一度も改正されることなく、変化する状況に適応するために再解釈されてきたという点でユニークです。文字通りに解釈すれば、日本は紛争解決のための軍事力を持つことができないと示唆されかねません。しかし、自衛隊は国際法で認められている自衛権のもとに存在します。日本の戦後の経済発展がアメリカの防衛に依存していたことは否定できませんが、敗戦国に安定をもたらしたのは天皇の存在でした。自主憲法は価値ある目標ですが、現行憲法の強みはその改正の困難さにあります。この困難さゆえに、徹底的な議論が可能になります。独立国家の尊厳は重要ですが、憲法改正を検討する前に、日本国民にとって真の幸福とは何かについて、より深い議論をすべきではないでしょうか?
人間を含むすべての生物は、死を免れません。しかし、私たちは本能に突き動かされ、生きようとします。先祖から受け継がれた遺伝子は、生命の継続を確実にするために進化してきました。これは、基本的な生存本能です。子供や孫を守ろうとする行動は、この深く根ざした遺伝的命令に由来します。私たちの脳には、本能的な脳幹と理性的な大脳皮質があります。脳幹の生存機能は、強い者が敵を打ち負かすことで生き残ることを指示します。人間が定住し、農業を発展させると、大脳皮質は防衛のためにより大きな集団の形成を促進しました。こうして、生き残った集団は地域、社会、そして最終的には国家へと進化し、互いに争うようになったのです。
第二次世界大戦のような大規模な戦争は減少しましたが、ロシア・ウクライナや中東のような地域紛争は、依然として続いています。人類は進化しているにもかかわらず、宗教紛争やテロなどの暴力が後を絶ちません。こうした行為は、劣等感、異なる信仰の排除、貧困などから生じることが多いものの、逆説的に、裕福で高学歴の人でさえテロの加害者になることがあります。これは、人類の進化の成果なのでしょうか。人類の生存に、本当に役立っているのでしょうか。私たちは、衰退と混沌の時代に向かっているのでしょうか。少子高齢化、ジェンダーの役割の曖昧化など、現在の傾向は憂慮すべき状況を示唆しています。
人類による道具の発明は、人口の大幅な増加につながりました。その後の機械の発明は、この増加をさらに加速させました。しかし現在、世界人口は70億人を超え、地球の資源は逼迫しています。人類全体を平等に支え、飢餓をなくすには、資源が足りません。ウサギとオオカミの捕食者・被食者の関係のように、人類は繁栄と衰退の周期的なパターンをたどるのでしょうか。
自由と平等という共通の価値観を擁護してきた人類は、最終的に自然の秩序に屈するのでしょうか。もしかすると、日本独自の哲学と価値観が、この過程に貢献できるかもしれません。さらに、広大な宇宙空間は、人類の未来にとって、未開拓の可能性を秘めているのではないでしょうか。
近年、中国最初の王朝とされる伝説の夏王朝(紀元前2000年頃)の遺跡と考えられているものが発掘されました。この王朝は、王が様々な部族を統一した政治組織を代表しています。この王朝の出現は部族間の戦争の頂点を意味し、勝利した部族はその影響力を拡大し、その指導者が王となりました。統一の過程はおそらく漸進的で、継続的な紛争を伴っていましたが、王朝は統合を通じてその力を確固たるものにしました。
王の権威は何によって構成されていたのでしょうか?当初、それは軍事的優位性、つまり戦いに勝つ力に由来していました。部族間の対立が収まり、軍事力の統一力が弱まると、王は自身の支配を正当化する他の手段を求めました。彼はシャーマニズムと占いを利用しました。月の暦のような天体現象を解釈することで、彼らは種まきと収穫に最適な時期を決定し、降雨を予測し、月の満ち欠けを観察し、縁起の良い日を特定しました。王家内で秘密にされていたこの知識により、王は部族を支配することができ、部族は彼の神託とみなされるものを崇拝し、従いました。これが彼の権威の重要な要素となりました。
やがて、これらの占いの慣習は形式化された儀式へと発展していきました。儀式用の道具が作られ、王がこれらの儀式を行うことは彼の権威の強力な象徴となり、彼を準神格的な地位に高めました。これが夏王朝でした。夏王朝時代に王権の象徴として採用された伝説の龍は、その後数千年にわたって中国の権威と結び付けられました。
儀式、権威、象徴主義の間のこのようなつながりは、中国に限ったことではありません。カトリック教会の手の込んだ儀式のような西洋の伝統も、このつながりを示しています。
儒教は、権威を強化し正当化するために設計された儀式の体系化された集合体として理解することができます。それは王の権力を維持するために不可欠となり、最終的には社会規範を形成し、国家の構造を定義しました。今日、「権威」を単に政治権力と同一視することはもはやありません。私たちはこの言葉を使って、特定の分野の専門知識を持つ個人、つまりその理論と知識が真実に近いと考えられている学者を権威と呼びます。このように専門家によって授与されるノーベル賞は、世界で最も権威のある業績の recognitionとみなされています。しかし、ノーベル平和賞とノーベル文学賞は、その本質的な政治的側面から、選考プロセスの客観性と権威について疑問を呈することがあります。
アジアは何故植民地にされたのか? 2025.5.10
アジアがなぜ植民地にされたのか、という問いは、非常に複雑で多岐にわたる要因が絡み合っています。以下に多角的な視点からこの問題について掘り下げてみます。
1. 地理的・気候的要因
文明の発展:古代文明が北半球の大きな河川流域で発展しました。肥沃な土地と温暖な気候は、農業生産を安定させ、人口増加と社会の複雑化を促しました。これにより、国家や文明が形成されやすかったと考えられます。
合理主義の発展: 北部と南部における発展の違いもありました。北部では、気候条件が厳しく、生活のために合理的な思考様式が発達しやすかったかもしれません。一方、南部は自然の恵みが豊かであり、精神的な充足を求める傾向が強かったとも考えられます。
ヨーロッパの優位性: ヨーロッパは、地中海という交易に適した海域に面しており、様々な文化や技術が交流しました。また、ヨーロッパは多くの国に分裂していたため、国家間の競争が技術革新を促進したという側面もあります。
2. 思想的・文化的要因
ギリシア哲学の影響: ギリシア哲学は、合理的な思考や論理的な議論を重視しました。ソクラテスやプラトン、アリストテレスといった哲学者たちは、自然や人間について深く考察し、その思想はヨーロッパの知的伝統の基礎となりました。
キリスト教の影響: キリスト教は、ヨーロッパ社会において大きな影響力を持っていました。中世ヨーロッパでは、教会が政治や文化を支配し、人々の生活を規制しました。しかし、ルネサンスや宗教改革を経て、教会からの解放を求める動きが強まり、合理主義が台頭しました。
啓蒙思想の影響: 18世紀には、啓蒙思想がヨーロッパを中心に広まりました。啓蒙思想家たちは、理性と科学の力を信じ、迷信や偏見を批判しました。彼らの思想は、市民革命や産業革命といった社会変革の原動力となりました。
3. 技術的要因
航海術の発達: ヨーロッパは、古くから海洋民族であり、航海術が発達していました。大航海時代には、羅針盤や天体観測技術が向上し、遠洋航海が可能になりました。これにより、ヨーロッパ人は世界各地に進出し、植民地帝国を築きました。
産業革命: 18世紀後半から19世紀にかけて、ヨーロッパでは産業革命が起こりました。蒸気機関や機械の発明により、大量生産が可能になり、経済力と軍事力が飛躍的に向上しました。これにより、ヨーロッパはアジアやアフリカを圧倒的な力で植民地化しました。
4. アジアの状況
統一の遅れ: アジアの多くの地域では、ヨーロッパのような統一国家が形成されず、分裂状態が続いていました。これにより、ヨーロッパの侵略に対して効果的に抵抗することができませんでした。
技術の遅れ: アジアでは、ヨーロッパに比べて技術革新が遅れていました。特に、航海術や軍事技術の差は大きく、ヨーロッパの優位性を決定づけました。
結論
アジアが植民地にされたのは、地理的・気候的要因、思想的・文化的要因、技術的要因、そしてアジア自身の状況が複雑に絡み合った結果です。ヨーロッパの優位性は、決して偶然ではなく、歴史的な蓄積と社会的な発展の賜物と言えるでしょう。
しかし、アジアは決して受動的な存在ではありませんでした。植民地支配に対して抵抗し、独立を勝ち取った国も多くあります。また、現代では、アジアの国々が経済発展を遂げ、国際社会において重要な役割を担っています。
この問題について深く考察することは、現代社会における国際関係や多文化共生について考える上で、非常に重要な意味を持つと言えるでしょう。
「シモーヌ・ヴェイユ」・・思想家、活動家、そして聖女・・2025.4.25
「聖女」と称されるほどの壮絶な人生を送り、34歳という若さで早世したシモーヌ・ヴェイユ。 彼女の思想は、今もなお多くの人々に影響を与え続けていると言われています。
1.生い立ちと家族
1909年、パリに生まれたシモーヌ・ヴェイユは、裕福なユダヤ人家庭に育ちました。医者であった父親は、彼女に厳格な教育を施し、哲学や政治について議論する機会を与えました。
母親は、娘が病気にならないよう過保護なまでに神経質な育て方をしました。潔癖症の母親は、娘が物に触れるたびに消毒し、キスさえ許しませんでした。このことが、ヴェイユの男性不信につながったと言われています。
後に数学者となる兄アンドレは、ヴェイユにとって大きな影響を与えました。兄との哲学、政治、思想に関する議論は、彼女の思想形成に大きな役割を果たしました。
2.拒食症、共産主義、そして労働
潔癖症が災いし、次第にヴェイユは拒食症に苦しむようになります。また、共産主義にも傾倒しますが、労働者と遊離した権威主義的な指導者に嫌悪感を抱きます。
労働者の苦しみを理解するため、彼女は奴隷的な生産現場で働き、労働者の隷属的な立場を自ら体験します。この経験は、後の彼女の行動原理である「自己犠牲」へとつながっていきます。
3.キリスト教との出会いと葛藤
自身の行動は自己満足ではないと考えたヴェイユは、キリストの犠牲的な磔刑に心酔し、カトリックに救いを求めます。しかし、カトリックの教義に完全に同調することはできず、入信には至りませんでした。
カトリック思想に触れた彼女の宗教観は謎に包まれていますが、その思想は多くの思想家に影響を与えました。
4.恋愛と死
ヴェイユは、同調する男性活動家に心を寄せることもありましたが、恋愛感情とは異なりました。ぼさぼさ頭で化粧もせず、痩せこけた地味な姿は、周囲に心配されました。
両親は常に彼女を見守っていましたが、彼女は頑固で言うことを聞かず、34歳という若さで拒食症により亡くなりました。
5.遺産
彼女の死後、両親は10年以上にわたって彼女が書き残したものを本にして出版し、彼女の思想を世に残しました。
6.補足(解説による)
・シモーヌ・ヴェイユは、思想家、哲学者、神秘主義者、政治活動家として多岐にわたる顔を持ち合わせていました。
・彼女の思想は、政治、哲学、宗教など、多岐にわたる分野に影響を与えています。
・彼女の著作は、今もなお多くの人々に読まれ、研究されています。
以上
人はなぜ子供や孫を慈しみ、愛し、可愛がるのでしょうか。 当然のこととして、親だから、孫が可愛いからと皆言います。 自分の血を引いているからでしょうか。 でも、この慈しみや愛の心はどこから来るのでしょうか、普段はそんなこと考えもしませんが。
韓流ドラマには、財閥の骨肉の争いや、時代劇での重臣たちの派閥争いがよく描かれます。 決め台詞は、「強い者が勝つのではなく、勝った者が強いのだ!」です。 どんな手を使ってでも勝つ者が強いと言っているのです。 しかし、これは一面の真理を突いています。
太古の昔、強大な恐竜は滅び、小さな哺乳類が生き残りました。 強ければ生き残れるわけではないのです。 どんな手を使ってでも、環境に順応する能力があれば生き残れるのです。 その最たる例が、人間です。 環境に順応するどころか、自らの都合の良いように環境をmanipulateしています。
間を悪く書きましたが、太古の昔から生きること、子孫を残すことを学んできたのです。 神から遺伝子を組み込まれたと言っても良いでしょう。 遺伝子とは何か、愛です、慈しみです、喜びです、感情が湧き上がってくるものです。 そうやって、子供や孫を危険から守るのです。 子供を虐待するなど人間ではありません、人間が本来持っている遺伝子を、悪鬼が破壊しているのです。 自殺も、他殺もいけません、遺伝子に逆らっています。
人間は、愛や慈しみを持って上手に遺伝子と付き合わなければなりません、これが善の心だと思います。 戦前、戦中は生き残るための競争でしたが、今は違います、共存しなければなりません。
ノーベル賞作家パール・バックの描く中国人は、父親が伝道師であったことの影響もあり、また自身も伝道師になりましたが、後に破門されます。古い中国の伝統に根差した、キリスト教的な、男女が結婚前に触れ合うことが許されない、自分を律する姿でした。時代は、日本を含めた西欧列強の侵略のもと、国の変革が求められた時期でもありました。
勤勉な土地を愛するワン・ルン(第1部「大地」の主人公)、放蕩息子のその長男、ずる賢い商売人の次男、女性に興味を見せない軍人の三男(第2部「息子たち」の主人公兄弟)、軍人の第二夫人の、大地に根差した伝統と西欧化に揺れる息子ワン・ユワン(第3部「分裂した家」の主人公)と物語が流れていきます。
軍人の第一夫人は、医者の娘として教養も高く育ち、30歳で嫁いできました。その娘(ユワンの妹)は、甘やかされ、性格が派手で、最後は妊娠して浮気の相手と結婚します。揺れ動く第3部のユワンは、派手な実母ではなく、父親と別居している上品な第一夫人に、留学先からの失意で、頼ることになります。
留学は、親しくしていた、でも触れ合うことはなかった革命戦士で、彼に心を寄せていた女史に、警察の取り調べで裏切られ、国から逃げたものでした。彼は、アメリカで近代化の素晴らしさに感動しましたが、クリスチャンである恩師で教授の、学ぶことの好きな議論好きでもある、その娘に突然口にキスをされ戸惑いました。
これまで貧民街もなく近代化されたアメリカと思っていましたが、結局母国と同じく貧しい人もおり、やたらと男女が触れ合うアメリカに嫌気がさして去ることになりました。
第一夫人には、捨て子を養子にした娘メイリンがいて、真面目に育ち、医者になることを夢に、夫人の実の娘アイレンの世話をしながら学問に打ち込みました。べたべたしない、知的な彼女にユアンは惹かれていきますが、いつもユアンと議論をしている彼女は、アメリカ帰りの彼にはそぶりを見せませんでした。ユアンは思い切って結婚を申し込むのですが、医者の道があると断られました。
彼は途方に暮れ、半ば自棄になり、誘われたダンスパーティーで踊ることになります。これを知った彼女は、軽蔑とも焼きもちともつかない態度を示し、彼とは口もきかなくなりました。
ユアンは学問より軍人を勧めた父親とあまりそりが合いませんでしたが、留学費用を工面してくれました。病に臥せった父親の介護に彼女と向かい、父親の最後の言葉「お前はよくやった」に涙し、彼女と目を合わせ、うなずき合い、心が通じ、その余韻を残しながら物語は終わりました。
おわり
男女の違いについて、昔は、男性は男らしく、女性は女らしく、男性は仕事の苦しみがあり、女性は生みの苦しみがあって、それぞれに役割があると教えられてきました。太古の昔、男は狩りをし、女は子供を育てると言う役割は、神が与えたもので、そう考えられていました。男は荒々しさが、女は子供への優しさが必要で、体つきもそのようになっています。
現役時代に女性への活躍が期待され出した頃、女性社員に責任を与えようと仕事をお願いしたところ、その気はありませんと断られました。妻や娘たちも男のように働くことは嫌がりました。理由は、そのように育っていないからです。
最近の外国研究で、男女の違いについて、わかったことがあります。2、3歳の子供におもちゃで遊ばせる実験を行ったところ、男の子は自動車、女の子はお人形などで遊ぶ子がほとんどでした。調べてみると、親が男女で遊ばせるおもちゃを変えていました。差のない子は、親がおもちゃを分けていませんでした。子供は遺伝ではなく育つ環境で意識に差が出ることが分かってきました。
昔は、男は家族を養う責任があり、逃げ回ることは恥だと言われ、女性にはそれを求められませんでした。仕事から逃げても許される風潮がありました。現在活躍している人たちは、親を含め周りの環境が違っていたのだと思います。
日本で重要なポストに就く女性が少ないのは、育った環境のせいです。議員など女性の割合を増やす目標を立てても、なかなか増えないのは理解できます。女性の働く環境を改善する以外に、女性の意識を変えるため、子供の頃の成育環境を変える必要があります。
とは言うものの、女性の神秘さに変わりはありません。子供を産む女性の苦しみとその喜び、なぜこんな苦しみを味わうのだろうと思いながらも、生命の誕生に関わる神秘な女性たちに敬意を払わざるを得ません。
つづく
私の学生時代は、女性に口がきけないナイーブな学生でした。容姿などの劣等感からでしょうか。無口で黙々と仕事や家事をこなしていた母は、戦前工場主の令嬢として育ちました。その影響だったのでしょうか、神秘に満ちた姿に女性を理想化していました。
社会人になって、女性と接する機会も多くなり、ナイーブな気持ちは薄れていきましたが、男女の秘め事をビジュアルを含めて売り物にする世俗的な社会には肌が合いませんでした。昔、ヨーロッパの若い神父が、自分を律するためにベッドに入る前に両手を縛り眠りにつきましたが、これは神が与えた試練であり、逆に神は若者たちにそれを与えていました。
ピュアな女性への思いが今も少し残っています。紛争や戦争で女性が受ける虐待に、生理的に「なぜだ」という思いが強くあり、無残というよりも冒涜だと感じます。子供への虐待も酷いものです。
私の恋愛観は、理想の女性から犯すことのできない秘め事を許してもらえる、という普通の人の感情と同じですが、これを強く感じています。中学生時代に、古いコンクリート製のアパートで、理由は覚えていませんが、エプロン姿の若い主婦を見かけ、美しさに感動した覚えがあります。彼女は決して美人顔ではないのですが、清楚で目も輝いていて、後光がさしているようで、その姿が強烈な印象として残っています。今思うと、私の理想の女性像は、ずいぶん前に亡くなった母だったのでしょうか。
つづく
作家パール・バックはアメリカ人でありながら、中国について非常に詳しい知識を持っています。これまで女性作家をあまり読んできませんでしたが、作家を通して女性の考え方に興味が湧き、最近積極的に読むようにしています。
今年で金婚式(3年前)を迎える妻とは同い年であり、彼女は私を同輩のように扱っています。申し訳ないのですが、結婚当初とは違い、子供たちの母親、私の相棒という感じでした。しかし、定年後、妻と一緒にいる時間が増え、通っている英会話教室も女性が多く、子供の頃のこともあり、女性の考え方や見方に再び興味が湧き始めました。
最近、宮尾登美子や山崎豊子の講演をインターネットで聴く機会があり、強い印象を受けました。宮尾登美子は満州からの引揚者であり、生きるか死ぬかの瀬戸際で、食べ物と幼い娘を交換するかどうかという状況に立たされたと語っていました。実際には何とか生き延び、この時の体験から主婦業の傍ら小説家になったそうです。上品な感じの女性ですが、父親の仕事は置き屋であり、心に秘めたものがあって、ずいぶん昔に作品を読んだことがありますが、女性の生き方を常に問いかけている作家でした。
「大地の子」の作家、山崎豊子は、残留孤児の悲惨な体験や、帰還事業の厚生省の杜撰な対応に激しい憤りを語っていて、すごい迫力でした。
最近は女性の活躍が目覚ましく、ウクライナ情勢をTVで語る大学教授や、保守の櫻井よしこなどに圧倒されます。
パール・バックの「大地」について、作家は、1892年、伝道師の父親に生後3か月で連れられて18年間中国で暮らし、当時の日本人以上に中国に同化していました。その後も度々中国を訪れており、日本にも来ています。とにかく中国に詳しく、中国人の男性、女性の心理描写に優れていて、東洋的な考え方に精通しています。
三部作で、800ページ以上にも及ぶ大作ですが、面白く読みました。親子三代に渡って男性を主人公にし、貧しい小作から大地主になり、子や孫が地主、商人、軍人、アメリカ留学帰りの役人などとなり、大地を舞台に女性と織りなす東洋的な人間模様を描いています。
第三部の「分裂した家」の最後に、私の気に入った箇所があり、どうやってこの感動を伝えれば良いか思案しているところです。長くなりそうなので、次回に譲ります。
つづく
「人間の尊」2025.2.22
これは、沖縄の激戦から4人の子供たちと逃れようとした母親の話です。銃を構えたアメリカ兵に追われながら、彼女たちは避難場所にたどり着きました。そこにはすでに日本の兵士や他の住民が息を潜めて隠れていました。母親は小学生の子供2人を避難場所に預け、泣いている幼い2人の子供たちをさらに遠い場所に連れて行き、そこに残しました。
彼女は一人で避難場所に戻りましたが、母親を慕う幼い子供たちは彼女を追いかけてきました。彼女は再び2人をさらに遠くへ連れて行きました。幼い子供たちが母親を求めて泣いているのをその場に残し、彼女は草むらに身を隠し、避難場所に戻りました。
その後すぐに戦争が終わり、置き去りにされた2人の幼い子供たちがどうなったのかはわかりません。母親は最初に避難場所に預けた2人の子供たちを育て、40歳で亡くなりました。彼女の人生がどのようなものだったか、想像することしかできません。
「散文」
2025年2月8日
人生には悲しみと喜びの両方が伴います。これが私たちを人間らしくするものです。人生が完璧であれば、味わいとユーモアが欠けているでしょう。自然を体験し、芸術に感動し、小説を熱心に読み、微妙なニュアンスを感じ取り、周囲の世界に深く感銘を受けることは、人間に特有の特権です。AIはこれらの経験を再現することはできませ ん。戦争は紛れもなく悪であり、自律的な殺人ロボットのアイデアがそれほど不安なのは、まさにそれらが非人間的だからです。
未来はどうなるのでしょうか?私たちはよりゆっくりとした生活のペースを受け入れるのでしょうか?現在、誰もが絶え間ない競争に疲れ果てています。将来的には、仕事の大部分がコンピューター化され、よりゆったりとした生活のリズムが可能になると思います。田舎暮らしがより魅力的になるかもしれません。
時間とは何か?今のところ、私たちはそれをエネルギーと光の動きと定義しています。神の視点から見ると、それはつかの間の瞬間かもしれません。神の視点では、始まりと終わりさえも同時の瞬間的な出来事なのかもしれません。存在するとはどういう意味でしょうか? 「存在」という概念は、「非存在」との対比を通して理解されます。この世界では、「不在」と「存在」は時間を超えて絡み合っています。始まりと終わりは共存しています。
哲学は長い間、人間の生き方と道徳規範を定義しようとしてきました。これには自然の秩序と調和して生きることが含まれると私は信じています。進化のプロセスによって証明されているように、自然の秩序とは子孫を通じて生命が継続することです。この生殖への衝動が私たちの道徳的指針を生み出します。私たちは他人を愛し、子供に優しくし、他人を傷つけないようにし、地球を守るべきです。
「良い国の 20 の特徴 」
2021年 2月12日
1. 平和: 戦争や紛争がない。
2. 思いやりがある: 困っている人を喜んで助ける。
3. 生命を肯定する: 人間の命が重視される。
4. 敬意がある: すべての人が尊厳を持って扱われる。
5. 公正: 正しいことは正しく、間違っていることは間
違っており、人々はそう言う自由がある。
6. 寛容: 多様な意見が尊重される。
7. 包括的: 差別がなく、すべての人が大切にされる。
8. 物質的にバランスが取れている: 物質的な富だけが
焦点ではない。
9. 健康的: 国民が心身ともに健康である。
10. 環境に配慮している: 自然が重視され、保護され
ている。
11. 勤勉: 人々が勤勉で向上に努める国。
12. 文化的に豊か: 芸術と伝統が大切にされる国。
13. 安定: 人々が普通で予測可能な生活を送れる国。
14. 育成: 子どもたちが自由に安全に成長できる国。
15. エンパワーメント: 女性が社会のあらゆる側面に
積極的に参加できる国。
16. 教育: 学習が重視され、高等教育を受けられる
国。
17. 模範となる国: 大人が子どもたちの良い手本とな
る国。
18. 充実感: 人々が国の一員であることに感謝し、幸
せを感じる国。
19. コミュニティ志向: ボランティア活動が広まって
いる国。
20. 喜び: 笑顔と笑い声が当たり前の国。
「新年を迎えて」
2021年1月1日
昨年、私は自分の人生を振り返りました。コロナ禍の影響もあったかもしれません。これまで、自分の人生に不満はなく、平穏に過ごせればいいと思っていました。しかし、コロナ禍は私の考え方を変えました。パキスタンとアフガニスタンで33年間、現地の人々のために尽力された中村哲医師の生き方に深く感銘を受けたのです。以前は、彼をただ変わった人だと思っていました。
なぜだろう?
今年からは、何かに埋もれるのではなく、何かを成し遂げたいと思っています。
「自己犠牲について」
2020年12月15日
先日、亡くなった同僚の法要に参加しました。法要では、僧侶が経文を唱え、参列者へ説法を行いました。その内容は「食事の贅沢は人を滅ぼす、贅沢は良くない」というものでした。その後、参列者を交えた食事が始まりました。親族らが豪華な食事を用意しており、僧侶が食べるのかどうかを注視していました。案の定、僧侶はにやにやした顔で食べ始めました。私は思わず笑ってしまいました。
2011年の東日本大震災では、雪が降る中、被災地で手を合わせ祈り続けた若い僧侶がいました。「自分に何ができるだろうか」と自問自答し、亡くなった方や被災者に祈りを捧げました。この精神は古来より日本人の心に根付いています。
昨年末、アフガニスタンで凶弾に倒れた中村医師は、日本人以上の存在でした。彼はクリスチャンでもありました。長崎の隠れキリシタン、日本人とキリスト教徒を思い出しました。生前、彼は「国を救うのは武器ではなく、スコップだ」と言っていました。彼の姿はまさに命がけで、アフガニスタンの人々に個人的に尽くしていました。
強欲な人々は「集団は個人のためにある」と考えています。彼らが危険なのは習近平とトランプです。
前回も個人と集団の関係について述べました。個人は集団のためにあるというのは日本人的な考え方ですが、コロナ禍においては、この自己犠牲が良い意味で国を救うことに繋がっています。
「心のバランス 」
2025年2月4日
人生の痛みと回復、そしてバランスの重要性
人生には喜びだけでなく、必ず痛みも伴います。辛い時、人はそれぞれの方法で心を癒そうとします。楽しいことを考えたり、お酒を飲んだり、恋人とデートしたり、あるいは信仰に頼る人もいます。これらは全て、心のバランスを保とうとする人間の自然な働きです。
心のアンバランスとその修復メカニズム
人間は心のバランスを崩すと、それを修復しようとします。心はアンバランスを調整しようと働き、時には身体を傷つけることさえあります。過度の苦しみは、そこから逃れるために死という選択肢を生み出すこともあります。
しかし、死は決して解決策ではありません。大切なのは、別の方法でバランスを取ることです。そのためには、意識的に楽しいことを取り入れる必要があります。間違った方法で解決しようとする人は、このバランスの取り方を誤っていると言えるでしょう。
ポジティブ思考と将来の夢
ネガティブな出来事があれば、必ずポジティブな出来事もあります。辛いことがあれば、楽しいこともあります。辛い時には、楽しいことや将来の夢を積極的に考えることで、心のバランスを保つことができます。
バランスの重要性:政治、経済、そして人生
心のバランスを取ることは、人生において非常に重要なことです。このバランスの概念は、政治や経済など、様々な分野にも当てはまります。世の中の動きをバランスの観点から見てみると、新たな発見があるかもしれません。
具体的なバランスの取り方
・自分の好きなことや楽しいと思えることを積極
的に行いましょう。友人との交流、趣味、旅行
など、心のリフレッシュになるような活動を取
り入れることが大切です。
・辛い時でも、前向きな考え方を意識しましょ
う。過去の成功体験を思い出したり、将来の目
標を考えたりすることで、希望を持つことがで
きます。
・健康的な食事、十分な睡眠、適度な運動は、心
身のバランスを保つ上で不可欠です。心身が健
康であれば、ネガティブな感情にも立ち向かい
やすくなります。
・信頼できる人に悩みを打ち明けたり、相談に乗
ってもらったりすることも有効です。一人で抱
え込まず、周りの人に頼ることも大切です。
・どうしても心のバランスが崩れてしまう場合
は、専門家のサポートが必要となることもあり
ます。精神科医やカウンセラーに相談し、適切
なアドバイスや治療を受けることも検討しまし
ょう。
まとめ
人生は常に平坦ではありません。喜びと悲しみ、成功と失敗が交互に訪れます。大切なのは、心のバランスを保ちながら、人生の波を乗り越えていくことです。楽しいことを意識的に取り入れ、ネガティブな感情に囚われすぎず、前向きに生きることが、心のバランスを保つ秘訣と言えるでしょう。
「言葉では表せないもの」
2025年2月4日
言葉は、私たち人間が思考し、コミュニケーションをとる上で欠かせない道具です。しかし、この世界には言葉では表現しきれないものが数多く存在します。例えば、美しい風景を見たときの感動、愛する人を思う気持ち、言葉では言い表せない不安や苦しみなど、私たちの心に深く刻まれる感情や感覚は、言葉では完全に捉えきれません。
芸術は、言葉では表現できないものを表現する手段の一つです。音楽、絵画、彫刻、演劇など、様々な芸術は、人々の心を揺さぶり、言葉では伝えられない感情や思想を伝えます。音楽を聴いて涙が流れたり、絵画を見て心が安らいだりするのは、芸術が私たちの心の奥底に触れるからです。
芸術に触れることで、私たちは言葉では表現できない感情や感覚を共有し、他者との共感を深めることができます。また、芸術は私たちの心を解放し、創造性を刺激する力も持っています。言葉では表現できない感情や感覚を表現することで、私たちは自己理解を深め、より豊かな人生を送ることができるのです。
自然もまた、言葉では表現できないものを私たちに与えてくれます。雄大な山々、広大な海、静かな森など、自然の中に身を置くことで、私たちは言葉では言い表せない安らぎや感動を覚えます。自然の音、光、香り、温度、質感など、五感を通して感じる自然の恵みは、私たちの心身を癒し、調和を取り戻させてくれます。
言葉では表せないものは、私たち人間にとって非常に大切なものです。芸術や自然に触れることで、私たちは言葉では表現できない感情や感覚を体験し、豊かな心を育むことができます。言葉の限界を知り、言葉では表せないものを大切にすることこそ、人間らしさ、豊かさ、生きる喜びにつながるのではないでしょうか。
現代社会における
「一喜一憂」
2025年2月4日
朝令暮改の弊害
朝の決断が夕方にはすぐに変わってしまう。これは現代社会において、多くの企業に見られる光景です。
変化の加速
50年前は、現代よりも物事がゆっくりと進んでいました。経営陣は長期目標を立て、ぶれることなく経営を進めていました。しかし、30年前から、すぐに決断を変えることが当たり前になり、人の顔色を見ながら前に進むようになりました。バブル崩壊後の不況下では、誰もが景気に敏感にならざるを得ませんでした。それ以前は経済成長が続き、長期目標を立てやすかった時代とは対照的です。
金融工学とSNSの弊害
アメリカでは当時、金融工学が加速しました。宇宙開発の縮小により、エンジニアが金融工学にシフトした結果、お金が瞬時に動き、経済がそれに左右され、経営陣の「一喜一憂」が激しくなりました。さらに、SNSが普及し情報が錯綜するようになった現在、フェイクニュースも存在し、政治家までもがSNSを使ってそのようなニュースを発信するなど、事態は悪化しています。まさに経済は節度を失い、一挙手一投足が注目される状況になっています。
メディアと情報の氾濫
日本には昔から「武士は食わずとも高楊枝 Bushi ha kuwazu tomo taka youji」という言葉があります。貧しくて食べられなくても、食べたような顔をしていろという意味です。メディアは、情報を面白おかしく売ることで利益を上げようとします。買い手も情報に飢えており、あらゆるものに振り回されます。
人生において本当に大切なこと
人生において、お金や情報は本当に価値があるのでしょうか?私はそうは思いません。大切なのは、人としての生き方ではないでしょうか 。
「国家について」
2020年9月19日
最近、英語を勉強するようになって、アメリカと日本を比較するようになった。前回のコラムで、アメリカの合理主義は、歴史的背景があって発展したと記述した。中世のカトリックの欺瞞から、特にイギリスで清教徒が生まれ、多くの清教徒やプロテスタントがアメリカに渡り、合理主義の進んだ国となった。
合理主義とは、因習にとらわれず合理的に考え、行動することであり、集団よりも個の力が強いのが合理主義と言える。歴史の古い国ほど伝統や因習に囚われ、集団で行動する。ヨーロッパは、カトリックに対抗する形で、ルネサンスが生まれ個人が尊重され、更に近年はアメリカの影響を受け、この傾向が強くなっている。
アメリカは移民国家であり、多様な人種、宗教の存在で考え方の違う人間が多く存在し、集団で行動することには元々無理があった。しかし、過去には、共通の目的を持つ時、日本に負けないくらいの集団行動をとった。例えば戦争である。第二次世界大戦では、目を見張るような力を発揮した。この力の発揮は、人種差別の影響も大きく、人種的に異種の者を抑圧し、また、排除して集団行動をとったのである。
そのアメリカも、今ではバラバラである。発展途上国、特に中国の追い上げ、過去には、疲弊していたヨーロッパや日本の追い上げで国力が落ちた。その上、力を付けた異人種の集まりは、まとまりに欠け、個人主義から必然的に生まれる格差社会は、生きる為の暴力を頻繁に生み、礼節などと言っていられなくなって来た。
子供は親の姿を見て育ち、その結果礼節の意味すらも分からず成長し、その子供達によって、日本から見ると信じられない事件が多く起きている。アメリカは、今病んでいる。
戦後の日本にとってアメリカは、憧れの国であった。アメリカの後ろを見、追いかけてきた日本は、アメリカから生活様式や文化が多く入り、娯楽を含めてかなりの影響を受けた。また、当たり前のように個人主義を受け入れた。
アメリカは、個人が尊重され、しがらみに囚われることなく、個人の力で、大成功できる国である。文化、科学、医療、経済、何をとっても卓越している。特に感心するのはエンターテイメントの世界である。人を楽しませることに長けている。国が豊かであるが故であり、豊かさを求めて世界中から人が集まり、成功を夢見て頑張る活動的な社会、正にアメリカンドリームである。話がそれるが、俳優の演技が素晴らしい、真に迫っていてわざとらしさがない、そんな俳優が多い。
このアメリカが、集団行動をとるとどうなるか、小さくまとまって活力がなくなるのだろうか。いや、国が民主、共和で分断されていても、国難に合えば、目的を同じにし、集団行動が大きな力となるに違いない。
礼節とは何か。日本では、古くから集団の為に個があり、アメリカの様に個の為に集団があるのではなかった。狭い島国であり、資源が少なく、災害の多い日本では、集団で行動する以外生きられなかった。集団を抜けた者は村八分にされた。こうして日本では、掟の様なものが生まれ、集団行動に必要な上下関係や他人への労りが、親から子へと伝わり、これが礼節となって人の行動を律して来た。戦中は、弊害になり、戦後の個人主義は、礼節を崩したが、古では、生きる為に主義主張を変えることなく、名誉を重んじる「切腹」や「恥」の文化があった。
アメリカでは、個人の行動を規制するものは、宗教であり、法律であろう。いい意味でも悪い意味でも、破天荒なアメリカには活力があったし、世界をリードしてきた。
国家レベルで道徳律というものがあるのだろうか。戦争を例にとろう。覇権争いで食うか食われるかの戦争を人はして来た。戦争の国家間の条約はあっても道徳律はないに等しい。権謀術数、スパイ活動、狼藉、虐殺、何でもある。最後は勝者が正義となり、敗者を裁く。そもそも人を殺める戦争に正義があるのか、人道の罪で敗者を裁けるのか。まともな人間に殺人は出来ない。国家は、異民族を宗教的に、人種的に悪魔に仕立てる等で国民を洗脳し殺し合う。平気で殺人を犯す暴力的な人間を、戦争は必要とする、子供や女性への暴力が必ず起きる。
国家は人道上許されないと、お互いを非難し収拾がつかない。自己犠牲の精神は、国家では国を亡ぼす。道徳律等と言っていられないかも知れないが、世界を混乱させる攻撃的な暴君は存在し、国内外で攻撃的であり、コロナで露わになり、益々酷くなっていて危ない。
日本の戦前は酷かった。個人が犠牲になり多くの人が無駄に死んだ。道徳律が集団主義を生み、ファシズムを生んだ。現在の日本国憲法は戦争を放棄している。解釈で自衛の為の手段を持つことを合憲としているが、憲法は、国が誤った方向に進むのを抑制している。日本は、平和であり、国民性もあって、多くの面で諸外国に比べ民主的な政治が安定している。しかし、世界が不安定になれば日本も混乱もする恐れがある。
中国は、14億人の国民を養う為、形振り構わず行動し、世界中を混乱させ、アメリカが振り回されている。中国の覇権への野望は、昔から予想されていたことであり、また、世界が、経済的に中国に頼った結果、混乱を引き起こしている。先進国が長い時間をかけてやってきたことを、短い時間で追いつこうとする余り、無理強いが世界で目立ち始め、軋轢を生んでいる。
話が纏まらずそれたが、指導者がまともで、安定した国家であれば、礼節を重んじる集団主義は有効に機能するが、その悪用は混乱で起きる。強い個人主義の国では、国内がまとまらず混乱し、乱れ続ける。中国は強権で国民を抑えているが、アメリカは混乱している。コロナではっきりして来た。
「文明」
2020年7月24日
西洋文明についての考察
古代文明は、エジプト、メソポタミア、インダス、中国の四大文明に代表される。これらの文明は、いずれも大河の肥沃な流域で農耕が発達し、定住生活が始まったことで発展した。
メソポタミア文明は、ティグリス・ユーフラテス川流域に栄えたが、鉱物資源が乏しく、生産した穀物を主に中国と交易していた。交易は陸路で行われ、太陰暦や太陽暦が用いられ、星による航路の探索から星座の知識が深まった。しかし、森林伐採による砂漠化が進み、遊牧民やオアシス都市の住民が増加し、東西交易への依存を深めた。中東の遊牧民ソグド人は、次第に東へ移動し、中国に多くの文物を伝え、唐の時代には中国に定住し官職に就いた。羅針盤、火薬、印刷技術の発明は、ソグド人による可能性が高い。
中東では支配者が頻繁に交代したが、東西の交流は盛んであり、異なる文明が交差し、豊かな文明や文化が育まれた。その多くは西方へも伝えられた。
ギリシャでは、紀元前7000年頃の新石器時代に、西アジアから土器などの文明や文化が伝播し、大麦、小麦などの穀物栽培や、ヤギ、羊、豚、牛、犬などの家畜飼育が始まった。水と肥沃な土壌に恵まれたギリシャ北部が先進地域となったが、やがて文明の中心は北部から南部へと移行した。「地中海の三大作物」であるオリーブとブドウは、ギリシャ南部の丘陵地帯での栽培に適しており、オリーブオイルとワインは交易品として高い価値を持ち、ギリシャが地中海各地と交易を結ぶ上で重要な資源となった。
青銅器時代から鉄器時代への移行期に、ギリシャは暗黒時代を迎え、発達したミケーネ文明が紀元前1200年頃に衰退した。紀元前8世紀になると、ギリシャ各地に植民都市が生まれ、ミケーネ時代の叙事詩『ホメロス』が流行し、ギリシャ人の民族意識と倫理規範のよりどころとなった。植民都市における党派争いに敗れた人々は、規制の緩い地中海や黒海沿岸に移住し、植民活動を進め、自由民が増加した。
ギリシャでは多くの文明や文化が伝わり、人々の交流が活発になり、多様な思想を持つ人々が増えた。ギリシャの自由人ソクラテスは、「善い行いとは何か」について人々と活発な議論を交わした。これは後のプラトンの弁証法となり、物事の本質を考察する哲学へと発展し、やがて合理性や因果律の考え方がヨーロッパに広まった。
中世ヨーロッパでは、インドの香辛料貿易で大きな利益を上げ、大航海時代に突入した。航海術は中東からギリシャ、イタリヤに伝わったものであり、羅針盤は中国のソグド人が発明したものと考えられる。ヨーロッパでは地中海を中心に海路交易が盛んになり、アフリカの金採掘で豊かになったスペインは、イスラム勢力排除後、地中海貿易の恩恵を受けられずにいた。また、オスマン帝国による地中海航路の封鎖を受け、スペインはイタリヤ人航海士とその航海術を用いて、西回りでアジアを目指した。その結果、アメリカ大陸が発見され、ポルトガルとの競争が始まった。
日本は主にスペイン、ポルトガル、オランダから技術が伝わり、倭寇や商人がマカオやルソン島などへ交易に渡った。しかし、その後の徳川幕府の鎖国により航海術は発達しなかった。
ヨーロッパでは航海術の向上により天体観測が進み、月に映る影から地球が球形であることが分かった。ニュートンは、「リンゴが丸い地球に落ちるのはなぜか」という疑問から万有引力を発見した。その後、科学的発見や解析が進み、教条主義的な教会(カトリック)との対立が深まった。ヨーロッパは肥沃な土地が限られ、疫病や不作で農民が貧しく、旧態依然の教会の教えでは生活を維持できなかった。やがて、中国の印刷技術とルネサンスによって民衆に知識が広まり、利益を追求する教会の欺瞞性が明らかになった。ルターによる宗教改革によって合理主義が進み、プロテスタントが誕生し、ピューリタン革命によってアメリカへの大量移住が始まった。プロテスタントの拡大に危機感を抱いたカトリックのイエズス会は、アジアや南米での信者獲得を目指し、権力者の協力を得て商人や軍の植民地支配を支援した。
アメリカ大陸の発見、ピューリタン革命などを経て、貧しい農民やピューリタン(現在の米国の福音派)が大量に北米に移住した結果、アメリカは最大の合理主義国家となった。さらにアメリカは、大恐慌や戦争を経験し、真珠湾以外では国内で攻撃を受けたことがなく、第二次世界大戦後はヨーロッパや日本への支援によって自国の工場がフル稼働し、莫大な富を得て、現在の大国となった。
「宇宙と無 」
2022年1月24日
宇宙はどれほど広いのか?その端には境界があるのだろうか?この問いは常に私の頭を占めています。境界があるとしたら、その向こうには何があるのだろうか?科学は因果関係に基づいて進歩します。境界の向こうに何もないか、理解できない何かがある世界では因果関係は崩れます。それは人間の理解を超えた神の領域なのでしょうか?人間の認識は、視覚的な入力、コミュニケーション、比較、判断の繰り返しで始まり、終わります。始まりも終わりもない世界は私たちには想像できません。
時間とは何か?今のところ、私たちはエネルギーと光の動きで時間を定義します。神の視点から見ると、それはつかの間の瞬間かもしれません。おそらく、神の視点から見ると、始まりも終わりも一瞬です。存在するとはどういうことでしょうか?存在は「無」との対比を通して理解されます。この世界では、時間に関係なく、「不在」と「存在」が絡み合っています。始まりと終わりは同時に共存しています。
原子を超えた宇宙は暗黒物質と暗黒エネルギーで満たされており、信じられないほどの速度で拡大しています。エネルギーと物質を超えた、光の届かない世界は、単に壁の向こうにあるわけではありません。それはただの空虚な空間ではなく、無の領域です。空間は時間と同様に、人間が構築したものです。これが「境界」の概念を理解する鍵だと思います。
「心」
2025年2月12日
心
心の不思議:AIにはない、人間ならではの心の働き動物と異なり、人間の心には思考を伴う意志があり、その基盤となる神経細胞の数と構造が大きく異なります。脳は、1000億個ものニューロンが複雑なネットワークを形成し、各細胞が数千から数万個のニューロンと繋がり、巨大な情報処理システムとして機能しています。
この膨大な数のニューロンが、コンピュータでは到底及ぶことのできない長い人生の中で、絶えず変化し、複雑な回路を形成し、膨大な情報を効率的に処理しています。この複雑なネットワークこそが、人間ならではの豊かな心の働きを支えているのです。
人間は、夢を見、幻想を見るだけでなく、時には妄想を抱くこともあります。また、既視感や思い込み、過去の記憶の刷り込みといった現象も、脳の複雑さや本能によって引き起こされます。これらの現象は、脳幹を持つ人間の脳の顕著な特徴と言えるでしょう。
心は体と密接に繋がっており、切り離すことはできません。この心と体の一体性こそが、AIにはない、人間が心を持つ所以であり、神の存在を肯定するかのように、時に不思議な動きを見せるのです。
人間の心を特徴づける要素
思考と意志: 人間は、単なる刺激反応ではなく、
思考を巡らせ、自らの意志で行動することができ
ます。
・複雑な神経ネットワーク: 1000億個のニューロ
ンが織りなす複雑なネットワークが、高度な情
報処理を可能にし、豊かな感情や思考を生み出
します。
・可塑性: 脳は生涯にわたって変化し続けること
ができ、経験や学習によって新しい回路を形成
することができます。
・意識と自己認識: 人間は、自己を認識し、意識
を持つことができます。
・感情: 喜怒哀楽といった様々な感情は、人間の
行動や意思決定に大きな影響を与えます。
・創造性: 人間は、新しいものを生み出すことが
できます。
・社会性: 他者とコミュニケーションをとり、協
力し合うことができます。
AIと人間の違いAIは、大量のデータを高速に処理することができますが、人間の心のような複雑な働きを持つことはできません。AIには、意識や感情、創造性、社会性といった人間ならではの要素が欠けているため、人間に取って代わることは難しいと言えるでしょう。
心の謎
心の働きは、未だに多くの謎に包まれています。脳科学の研究が進むにつれて、心のメカニズムが徐々に解明されてきていますが、意識や感情といった複雑な現象については、まだ解明されていない部分が多く残されています。
最後に
心は、人間にとって最も大切なものであり、私たちの生活を豊かにしてくれるものです。心の不思議さ、奥深さを探求することは、人間自身を理解する上で非常に重要なことと言えるでしょう。
「言葉と数学 」
2020年7月9日
日本語は語彙が豊富で、色彩についても細分化された微妙な色の表現が可能です。中国発祥の漢字文化は、朝鮮半島を経由して日本に伝わりましたが、当時の日本人は漢字が持つ表意文字としての意味を理解していませんでした。交易などを通じて交流のあった朝鮮半島から、仏教とともに伝わり、表意文字を学んだのでしょう。国が滅んで渡来した百済人によって、日本の国造りと共に表現豊かな漢字文化が広がっていきました。現在の中国や韓国は、簡体字やハングルの表音文字に変わり、表現の豊かさが失われているのではないでしょうか。
私たち凡人にとって、言葉や文字の豊かさがないからといって、それが人生を左右するほど重要なものなのかどうか疑問もあります。しかし、欧米人の「YES or NO」に対して、日本人には中庸の表現があり、曖昧な「ええ、まあ」や、微妙な心の動きを表現する「機微」という言葉もあります。人の「ひだに触れる」という言葉もあります。相手がどこまで理解するか、状況を判断してくれるかは別問題ですが。
人は時に行き詰まったり悩んだりしますが、思考や思慮を言葉に言い尽くせないときに、感情となって表れるのではないでしょうか。言葉に「曖昧さ」もなく、「機微」なども具体的な表現で言えることが可能ならば、悩むことはあまりないのでしょう。
哲学書は、時に呆れるほど表現がくどく、理解できないことが多々あります。専門家は理解できるのでしょう。曖昧な表現を、哲学者なりに解釈しているのでしょう。
人は理解するために、事象を分析して色分けし、定義づけします。また、細かい事象を集合させて一括りにして分析することもあります。表現力豊かな人は、色分けしたり集合させたりせずに、どちらかと言えば細かい事象を理解していても無関心です。無関心でいられない人は、少し危ない人かもしれません。「事象を言葉の語彙をもって理解する」ことは、考え方がそれぞれ異なり、相互理解の難しさがあります。国単位でもしかりです。
自然科学がここまで発展し、人類に恩恵を与えているのはなぜでしょうか。言葉の表現が豊かになり相互理解が深まったからでしょうか。違います。科学的な事象を言葉ではなく数式で表しているからです。言葉の表現が退化することはあっても、科学の発展は止まりません。
子供の頃は、数字で「かず」の概念を学び、学年が進むにつれて記号を用いて連続を学びます。人は不連続を理解できますが、連続は理解できません。「ある」があるから「ない」が理解できます。どちらか一方のみでは永遠に理解できません。数学は永遠の「有」「無」を表現できます。「虚無」=「0」(ゼロ)は永遠に「1」にはなりません。高校で習う虚数についても、理解できませんが、虚数の世界を数字と記号で表しています。特殊相対性理論、時空の歪みについても、凡人には理解不能でも数式で表すことができます。物理学者は天才、秀才ですから理解しているのでしょう。凡人は、理屈ではなく定義で理解します。
不連続でしか理解できないと先ほど記述しましたが、原因と結果、終わりと始まり、存在と無などはすべて不連続なもので、私たちは理解しています。空間は、存在するものがあるから認識できます。存在するものがなければ、空間は無です。宇宙の果ての壁の向こうは、存在するものがありませんから無です。人は無を空間として認識しているのです。
話がそれましたが、凡人に理解できない事象でも数式で表現できるのです。科学は、数学の表現により発展したのです。ただし、神は永遠の「有」「無」を理解しています。人知の及ばない世界に棲んでいますから。
「宗教 」
2020 年 7 月 8 日
私は無神論者ですが、宗教には興味があります。学生時代に出会ったキリスト教は、私にとって特に魅力的なものです。
なぜ私は無神論者なのでしょうか。父の影響もあるでしょうが、結局のところ、自分の人生を自分を超えたものに委ねるのは難しいのです。
宗教、特にさまざまな信仰に関わる多くの主要な歴史的出来事は、戦争を中心に展開してきました。異端を許容しなかった過去の宗教は、本当に...宗教的だったのでしょうか。これは疑問を投げかけます。また、カトリック教会のスキャンダルや、閉鎖的なコミュニティ内での世俗化された宗教の存続も無視できません。中世には宗教改革や清教徒革命があり、移民は米国やその他の地域でカトリックの束縛からの自由を求めました。当時の宗教は、しばしば統治と利益のための道具として機能していました。
倫理や道徳といった概念は存在するが、ヨーロッパやアメリカでは、人間は本来罪深いという信念が、宗教を指導規範として確立させた。人々は宗教儀式に参加し、司祭の説教を聞き、日常生活の中で聖書の言葉に従った。西洋人は同意しないかもしれないが、キリスト教は世界最大の宗教であり、人々の日常生活に深く根ざし、行動に影響を与えている。それは、日本人が無意識のうちに神道や仏教の信仰と結びついているのとよく似ている。私は遠藤周作の小説を高く評価しており、「沈黙」は特にお気に入りだ。遠藤自身もカトリック教徒だが、作品の中で信仰に対する疑問を探求している。私の解釈では、キリスト教は父権主義的で、神から与えられたものであり、私たちが積極的に求めるものではない。
日本では、キリスト教は厳しい迫害に直面した。信者たちは本当に救われたのだろうか?信仰を維持するために命を犠牲にした後、彼らは後に世界から称賛され、カトリックの宣伝に利用された。遠藤の小説は、抑圧された農民が苦しんでいるという理由だけで神が彼らに対して何もしないことが、宗教儀式による救済に等しいのかどうかという疑問を投げかけています。
この小説の中心となるテーマは「沈黙」です。クライマックスでは、神の声が主人公のロドリゲス神父に「私は沈黙していません。私はあなたとともに苦しんでいます」とささやきます。この母なる神のイメージを通して、遠藤は異なる種類のキリスト教への自身の憧れを表現しています。「私はあなたの側にいて、あなたとともに苦しみ、喜びます」。これは私にとって深く響きます。
「内面を見つめる」
2020年5月28日
コロナ禍で自宅にいる時間が増え、読書に耽る日々を送っています。これまで手に取ることのなかった名作にも触れるようになり、最近では志賀直哉の「暗夜行路」を読み終えました。主人公に自身を投影した、人間の内面の葛藤を描いた作品です。
会社員時代は、私小説には全く興味を示さず、実用書や戦記物、松本清張作品ばかりを読んでいました。しかし、年齢を重ねるにつれて過去を振り返ることが増え、自分の人生は失敗ばかりだったのではないかと考えるようになりました。時代や年齢も影響し、内面を見つめ直す機会が増えています。
コロナ以前は、時間を持て余すと何も考えずに一人で出かけることが多かったのですが、コロナ禍をきっかけに、これまで敬遠していた私小説を読むようになりました。「暗夜行路」のクライマックス、最後の場面には深く感動しました。歳を重ねてなお、古い私小説に感動する自分に少し驚きも覚えました。
物語は、妻が無抵抗のまま親しかった従兄に凌辱され、全てを知る夫に距離を感じていた彼女が、病に伏せる夫の優しい寝顔を見て心を打たれ、「この人に一生ついて行こう」と決意する場面で幕を閉じます。この小説の完成には7年の歳月を要したそうです。志賀直哉自身も執筆中に葛藤を抱えていたようで、この結末は彼自身の人生に対する結論とも言えるでしょう。
今の私はロレックスの腕時計に魅力を感じませんし、車も軽自動車で十分だと感じています。