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イマヌエル・カントは、18世紀のドイツを代表する哲学者であり、西洋哲学史上最も重要な人物の一人です。彼の思想は、認識論、倫理学、美学など、多岐にわたる分野に大きな影響を与えました。
カントの生涯
1724年、プロイセン王国(現在のロシア領カリーニングラード)のケーニヒスベルクで生まれる。
ケーニヒスベルク大学で哲学、神学、数学、自然科学などを学ぶ。
大学卒業後、家庭教師や大学講師として生計を立てる。
1770年、ケーニヒスベルク大学の論理学・形而上学教授に就任。
1804年、ケーニヒスベルクで死去。
カントの主な業績
批判哲学: カントは、人間の理性の限界を明らかにし、認識論における「コペルニクス的転回」と呼ばれる画期的な理論を展開しました。
純粋理性批判: 人間の認識能力を分析し、経験と理性の関係について考察しました。
実践理性批判: 道徳の基礎を考察し、「定言命法」と呼ばれる普遍的な道徳法則を提唱しました。
判断力批判: 美や目的論について考察し、美学や自然哲学に貢献しました。
カントの思想のポイント
認識論: カントは、人間の認識は、経験と理性の両方によって成り立つと考えました。私たちは、感覚を通して経験を受け取り、理性の枠組みを通してそれを解釈することで、世界を認識します。
倫理学: カントは、道徳は、結果ではなく、行為の動機によって判断されるべきだと考えました。私たちは、義務感に基づいて行動するとき、道徳的に正しい行為をしていると言えます。
美学: カントは、美は、主観的な感情であると同時に、普遍的な判断の根拠を持つと考えました。私たちは、美しいものを鑑賞するとき、個人的な好みに基づくだけでなく、他者と共有できる客観的な基準にも基づいて判断します。
カントの哲学の影響
カントの哲学は、その後の西洋哲学に多大な影響を与えました。彼の思想は、ドイツ観念論、現象学、実存主義など、さまざまな哲学運動の源泉となりました。また、現代の倫理学や政治哲学においても、カントの思想は重要な役割を果たしています。
モニターに映るテレビカメラの無限後退
モニターにテレビカメラを向ける現象は、「無限後退 (infinite regress)」の一例です。カメラがモニターを捉え、そのモニターの中にさらにカメラとモニターが映り込むという、理論上は永遠に続くかのように見える連鎖です。
しかし現実にはこの連鎖は無限には続きません。その理由はいくつか考えられます。
物理的な限界: 鏡の反射率が100%ではないため、反射のたびに光の強度が減衰します。また、テレビカメラのセンサーの感度にも限界があり、微弱な光は捉えきれません。
光学的な限界: 光の回折現象や、モニターのわずかな歪みなどによって、無限に鮮明な像を生成することはできません。
原子レベルの限界: 最終的には、物質が原子で構成されているという限界があります原子レベルで完璧なモニターを作ることはできません。つまり、ある一点からそれ以上は細分化できない物理的な限界に達するため、無限の繰り返しは止まります。
この現象は、私たちの数学的な概念(無限)が、必ずしも現実の物理的な世界にそのまま当てはまるとは限らないことを示唆しています。人間の数理的な理解は、あくまで概念的な枠組みであり、現実世界には常に物理的な制約が伴います。
宇宙の果てと人間の理解の限界
この「人間の数理的な理解の限界」という考え方は、宇宙の果てという壮大なテーマにも通じます。
現在の宇宙論では、宇宙に「果て」があるという考え方と、「果てがない(無限に広がっている、あるいは閉じているが境界がない)」という考え方があります。
観測可能な宇宙の果て: 私たちが光速の限界によって観測できる範囲には限界があります。これは宇宙の年齢と光速によって決まる「観測可能な宇宙 (observable universe)」と呼ばれる範囲で、その外側がどうなっているかは現在のところ直接観測することはできません。この意味で、人類が全滅するかもしれないほど遠い宇宙の果てを探すことは、現在の技術と物理法則の制約の中では確かに不可能です。
宇宙全体の果て: 観測可能な宇宙の外側がどうなっているか、宇宙全体にそもそも「果て」があるのかどうかは、まだわかっていません。宇宙が有限でありながら境界がない(例えば、球の表面のように)という可能性や、無限に広がっているという可能性など、様々な理論が存在します。
何十億光年も先の宇宙の果てを探すという行為は、たとえそれが可能であったとしても、人類の生存時間スケールからすると途方もない時間とリソースを必要とします。この点において、物理的な到達不可能性と、それに基づく人間の理解の限界があると言えます。
まとめ
モンターの現象も宇宙の果ても、私たちの知的な好奇心を刺激し、数学的な概念と物理的な現実の間の関係性について深く考えさせられます。無限という概念は数学的に非常に強力ですが、現実世界では常に物理的な制約や条件によって限定されます。
宇宙の果てに到達することは現在の物理法則では不可能ですが、それでも私たちは観測や理論構築を通して、宇宙の姿やその根源的な法則の理解を深めようと努力し続けています。
この考察は、人類の知識や理解には常に限界があることを示唆すると同時に、その限界の中でいかに知を探求していくかという、科学と哲学の根本的な問いを投げかけているのではないでしょうか。
現代哲学は、20世紀以降の哲学の潮流を指し、多岐にわたる分野と多様な思想家によって構成されています。主要な潮流とテーマを紹介します。
1. 主要な潮流
・分析哲学
o 言語分析を通じて哲学的な問題を解明しようとする潮流です。
o 論理実証主義、日常言語学派、理想言語学派などに分かれます。
o 英米圏を中心に発展しました。
・現象学
o 意識の構造や経験のあり方を探求する潮流です。
o フッサールによって創始され、ハイデガー、サルトル、メルロ=ポンティなどに影響を与えました。
o ヨーロッパ大陸を中心に発展しました。
・実存主義
o 人間の存在の根本的なあり方や自由、責任などを追求する潮流です。
o キルケゴール、ハイデガー、サルトルなどが代表的な思想家です。
o ヨーロッパ大陸を中心に発展しました。
・構造主義/ポスト構造主義
o 言語や文化の構造を分析し、その背後にある意味の体系を探求する潮流です。
o ソシュール、レヴィ=ストロース、フーコー、デリダなどが代表的な思想家です。
o ヨーロッパ大陸を中心に発展しました。
・プラグマティズム
o 物事の意義や価値を、その実用性や結果に基づいて判断する潮流です。
o パース、ジェームズ、デューイなどが代表的な思想家です。
o アメリカを中心に発展しました。
2.主要なテーマ
・言語
o 言語と現実の関係、言語の意味、言語の限界などが重要なテーマです。
o 分析哲学や構造主義において特に重視されます。
・意識
o 意識の構造、意識と身体の関係、意識の起源などが探求されます。
o 現象学や心の哲学において重要なテーマです。
・存在
o 人間の存在の意味、存在と時間、存在と無などが問われます。
o 実存主義や現象学において中心的なテーマです。
・社会/政治
o 社会の構造、権力、正義、倫理などが議論されます。
o フランクフルト学派、政治哲学、倫理学などで活発な議論が行われています。
・科学/技術
o 科学の発展がもたらす影響、技術と人間の関係などが議論されます。
o 科学哲学、技術哲学などで活発な議論が行われています。
3. 現代哲学の特徴
・多様性:多岐にわたる分野と多様な思想家が存在し、様々な視点から哲学的な問題が探求されています。
・学際性:哲学と他の学問分野(社会学、心理学、言語学、科学など)との境界が曖昧になり、学際的な研究が進んでいます。
・応用性:哲学的な思考が、現実社会の問題解決や倫理的な判断に役立てられることが期待されています。
ドゥニ・ディドロ(Denis Diderot, 1713-1784)は、18世紀フランスの代表的な啓蒙思想家、哲学者、作家、美術批評家です。彼の生涯と業績は、フランス革命前のアンシャン・レジーム下の思想・文化に多大な影響を与えました。
主な業績と役割
ディドロの最もよく知られた業績は、ジャン・ル・ロン・ダランベールと共に『百科全書(アンシクロペディ)』を編集・刊行したことです。
『百科全書』の編纂: 1751年から1772年まで約20年以上の歳月をかけて、本巻17巻、図巻11巻、補巻その他7巻という膨大な規模で刊行されました。これは、当時の科学、技術、哲学、芸術などあらゆる分野の知識を集大成し、体系化しようとする画期的な試みでした。ディドロ自身も多岐にわたる項目を執筆し、経験論的合理主義に基づいた科学的批判精神を鼓吹し、キリスト教の退廃や旧体制の弊害を批判しました。この事業は官憲の弾圧や検閲にも直面しましたが、多くの協力者を得て完遂され、啓蒙思想の普及に大きく貢献しました。
哲学思想
ディドロの思想は、経験的合理主義に基づいた機械論的唯物論の立場を特徴とします。
唯物論: 彼は徹底した唯物論者であり、「人間は物質である」という命題を出発点に、物質から思考への繋がりを探求しました。初期は理神論的な立場をとることもありましたが、後に無神論へと転向しました。
「関係」と「連鎖」の思想: 自然界のすべてが連鎖していると捉え、個々の存在ではなく、それらを結びつける「関係」を重視しました。この「連鎖」の思想は、『百科全書』における知の体系化という彼の事業とも深く結びついています。
美的感覚
美についても、絶対的な美を定義するのではなく、関係性を捉える個人の感覚に美の基礎があると考えました。
多彩な顔と作品
ディドロは『百科全書』の編集者という顔だけでなく、多岐にわたる分野で活躍しました。
文学作品:
『ラモーの甥』: 対話形式の奇妙な小説で、旧体制に寄生しつつもそれを批判する人物と哲学者の対話を通して、当時の社会や人間の本質を探求しています。
『修道女』: 修道院での悲劇を描いた小説。
『運命論者ジャックとその主人』: 運命論を巡る主人と従者の対話を通して、人間の自由意志や社会の矛盾を考察する作品。
『ブーガンヴィル航海記補遺』: 異文化との接触を通して文明社会を批判する作品。
演劇: 戯曲も手がけました(例: 『私生児』)。
美術批評: 友人グリムの依頼で「サロン批評」を22年間にわたり書き続け、近代的な絵画批評のジャンルを確立しました。彼の絵画批評は、スタンダールやボードレールなど後世の作家にも大きな影響を与えました。
科学: 自然科学に関する著作も残しています。
影響
ディドロは、その膨大な知識と多岐にわたる活動を通して、当時のフランス社会、ひいてはヨーロッパ全体の啓蒙思想の発展に決定的な影響を与えました。彼の思想は、フランス革命を思想的に準備した啓蒙思想家の代表者として位置づけられています。
ディドロは、単なる知識の集積に留まらず、知を批判的に捉え、既存の権威や慣習に疑問を投げかけることで、新しい時代の扉を開いた「哲学者」でした。
その13
§7 帝国主義と社会主義革命の時代の哲学思想
哲学の一般的特色
19世紀末から20世紀初頭、資本主義国は帝国主義段階へ移行。反動化したブルジョア哲学は、認識論主義と生の哲学の分裂を継続。
現象学派
新カント派に加え、現象学派が誕生。代表はフッセル。主観的な「体験の流れ」を重視し、真理の場をそこに求める主観的観念論を展開。
ベルグソン
フランスのベルグソンは、科学批判から独自の「生の哲学」を展開。意識や直観を重視し、純粋持続である時間を直観することに真の哲学的認識が成立すると説く。
ドイツの実存主義
ドイツではハイデッガーとヤスパースが実存主義を展開。ハイデッガーは、人間存在の有限性に着目し、不安からの脱出を死の自覚に求める。ヤスパースは、人間存在の自由を根源とし、自己を「在らしめる」決断の必要性を説く。ドイツの実存哲学は、第一次大戦後のインテリゲンツィアの気分を理論的に表現したものであった。
フランスの実存主義
第二次大戦後、サルトルがフランスで実存主義を開花。ニヒリズムを伴う人間存在の無意味さを受け継ぎつつ、自由の連帯性を主張。平和運動や民族独立運動への参加に繋がった。
アメリカの哲学思想
独立戦争前夜から直後にかけて、フランクリン、ジェファソン、ペインらが啓蒙思想を牽引。19世紀前半には超越主義が成立。後半には、ロイスの絶対的観念論とパース、ジェームズのプラグマティズムが成立。プラグマティズムは、観念の有効性を真理とみなし、人間認識を環境への適応と捉える。帝国主義時代には、デューイがプラグマティズムを継承。
新実在論
20世紀初頭、イギリスでホワイトヘッドとラッセルが新実在論を提唱。客観主義を唱え、哲学と自然科学の協同を説くが、見解は動揺的。アメリカでは、新実在論の影響で批判的実在論が生まれた。
論理実証主義
英米で論理実証主義が流行。哲学の任務を言語分析とし、分析哲学を自称。記号論理学重視派と日常言語学派が存在。プラグマティズム、新実在論、論理実証主義は相互に影響しあいながら発展。
ブルジョア哲学の一般的特色
帝国主義時代のブルジョア哲学は多様な見解を持つが、マルクス主義哲学への反対という共通点を持つ。マルクス主義哲学に対抗するために様々なヴァリエーションを生み出したと見ることができる。
ロシアにおけるマルクス主義哲学
19世紀末、ブレハーノフによってマルクス主義がロシアに導入され、レーニンによって労働運動と結びつけられました。1905年の革命失敗後、マルクス主義から唯物論哲学を取り除く動きに対し、レーニンは「唯物論と経験批判論」を著し、認識論の面からマルクス主義哲学を発展させました。
レーニンは、マッハ主義が観念論であることを論証し、唯物論と観念論の対立を超える第三の立場は存在しないことを明らかにしました。また、哲学は常に党派的であることを示しました。その後、レーニンはヘーゲルの「論理学」などを研究し、「哲学ノート」を著しました。
十月革命後、ソ連邦はマルクス主義哲学の中心地となり、実践的課題と結びついて、大規模な討論や論争を通じてマルクス主義哲学が発展しました。重要な論争としては、機械論批判、デボーリン批判、アレクサンドロフ批判、形式論理学評価論争などがあります。
スターリンの著作は、明快簡潔な表現で啓蒙宣伝的な役割を果たしましたが、「個人崇拝」の下で教条化され、哲学の発展に悪影響を与えました。「世界哲学史」などの共同著作や、ルヒンシュテインの「存在と意識」などが注目すべき業績として挙げられます。
中国におけるマルクス主義哲学
中国では、毛沢東が「実践論」と「矛盾論」を著し、マルクス主義哲学に新たなページを加えました。
日本の哲学界
帝国主義時代に入ってから、「西田哲学」が影響力を持ちました。西田幾多郎は、東洋の宗教的神秘主義と西欧の哲学思想を結びつけ、神秘化された弁証法を展開しました。
西田の門下から出た三木清は、マルクス主義哲学に関心を寄せましたが、自己流に解釈しました。その後、戸坂潤が弁証法的唯物論の理解者、研究者、普及者となり、古在由重、水田広志らが昭和初年のマルクス主義哲学の代表者となりました。
戦後、日本の哲学界は、ドイツ観念論の系統、プラグマティズム・論理実証主義、唯物論哲学の3つの流派に分かれました。唯物論哲学は、戸坂らの伝統を受け継ぎ、労働運動の発展を背景に強固な流派を形成しています。
結語
以上でわれわれは、原始社会から今日の日本まで、哲学思想のあゆみを、息をつく間もなくかけ足でおいかけてきた。いそがしい旅行ではあったが、その間に、ここはぜひゆっくり見たいという15の名所に、印をつけてきた。名所の数はもっと多いが、さしあたり15に限って選んでみたのである。
第二編での旅行は、もう一度出発点にかえって、今度は印をつけた名所だけ、ゆっくり見ることにしよう。第一編での旅行は、いそがしい旅行だったけれども、もう一度はじめから名所見物をするにあたって、いきなり名所だけ見るのとはちがった味わいをそえ、必ず役にたってくれることと思うのである。
参考文献
哲学史に関する書物の数は、日本人の書いたものも、外国語のものの翻訳も、すこぶる多い。だが、いたずらにたくさん列挙するのが能ではあるまい。かえって選択に迷わせるだけであろうから。
まず、この編で試みたように、哲学思想史を流れとして、いわば大局的にその動きをとらえようとするもので、この第一編よりも詳しいものとして―――中村雄二郎、生松敬三、田島節夫、古田光著「思想史」(昭和36 東大出版会) つぎに、流れというよりも、個々の哲学者や学派に重点のあるものとして、つぎの二冊。
玉井茂著「哲学史」(昭32 青木書店)
シュヴェーグラー著「西洋哲学史」上、下(昭和14 谷川、松村訳、岩波文庫)
前者の著者は唯物論者であり、シュヴェーグラーはヘーゲル学派中間派に属した人。後者は、古い本であるが、今よんでも十分にためになる。
文献がたくさんあがっていて、自分で研究しようとする人のために役立つと思われるのは――
速水敬二編「哲学研究提要:哲学史編」(昭26 第一出版株式会社)
大部であることことにへきえきしない人にすすめたいのは、前にも述べたことのある――-
ソビエト科学アカデミー版「世界哲学史」(昭和33~36 東京図書株式会社:旧名商工出版社。この本は、出隆・川内唯彦・寺沢恒信の監訳のもとに、8名の訳者が協力して翻訳にあたった)
おわり
ジョン・ロック(John Locke、1632-1704)は、17世紀イギリスの重要な哲学者であり、近代西洋哲学に大きな影響を与えました。「イギリス経験論の父」と呼ばれ、また「自由主義の父」としても知られています。
彼の哲学は、大きく分けて経験論と社会契約論という二つの柱を中心に構築されています。
経験論
タブラ・ラサ(白紙)説: ロックは、人間の心は生まれたときは「タブラ・ラサ」、つまり何も書かれていない白紙の状態であると考えました。人間は生まれながらに知識を持っているのではなく、経験を通じて知識を獲得していくと主張しました。これは、当時の主流であった「合理主義」(知識の基盤は理性にある、生得観念があるとする考え)と対立するものでした。
知識の獲得: 彼は、知識は「感覚」(外界からの知覚)と「反省」(内省、自己の心の働きを意識すること)という二つの経験から得られるとしました。単純な観念がこれらの経験によって心に植えつけられ、心がそれらを組み合わせて複雑な観念を作り出すと考えました。
主著: 彼の経験論を体系化した主著は『人間悟性論(人間知性論)』です。
社会契約論
自然状態と自然権: ロックは、国家が存在しない「自然状態」においても、人間は平等であり、生命、自由、財産といった「自然権」を持つと考えました。これらの権利は神の意志に基づく自然法によって保障されるとしました。
信託と抵抗権: 人間は、自然権をよりよく保護するために、互いに合意して国家(政府)を形成すると考えました。この際、政府は国民から権力を「信託」されているのであり、もし政府が信託に反し、国民の権利を侵害するならば、国民にはその政府に「抵抗する権利(抵抗権)」がある、と主張しました。これは「革命権」とも呼ばれます。
政治的影響: 彼の社会契約論は、名誉革命を理論的に正当化し、後のアメリカ独立宣言やフランス革命の思想に多大な影響を与えました。現代の民主主義の基盤となる考え方を発展させたことで知られています。
主著: 彼の政治哲学を記した主著は『統治二論』(『市民政府二論』)です。
その他の重要な思想と影響
寛容の思想: ロックは、国家は特定の宗教を強制すべきではなく、個人の信仰の自由を尊重すべきだと主張しました。これは現代の多文化共生社会の基礎となる考え方です。
財産権: ロックは、労働によって財産が形成されるという「労働価値説」を展開し、財産権を自然権の一部として重視しました。
教育論: 彼は著書『教育に関する考察』で、子どもの教育における経験の重要性を説き、実践的な教育のあり方を示しました。
ジョン・ロックの思想は、その後の啓蒙思想家たち(ルソー、モンテスキューなど)にも受け継がれ、近代政治思想や民主主義の発展に不可欠なものとなりました。
その12
§6 19世紀における資本主義諸国の哲学思想
時代区分
フランス革命は、ヨーロッパ政治史上の重要な事件であり、哲学思想史にも大きな影響を与えた。革命以前の哲学思想と以後のそれとのあいだには、顕著な差異がみられる。
ドイツの社会情勢と啓蒙思想
ドイツは、三十年戦争による荒廃をうけ、経済的に立ち遅れていた。プロシァのフリードリッヒ大王は、この後進性を克服しようとして、国を啓蒙することに努めたが、ドイツにおいては、フランスとはちがって、啓蒙思想は鋭い批判精神をもたず、革命的ではなかった。
ドイツにおいても、レッシングやヘルダーのような、下からの啓蒙運動に努めた思想家もいたが、おくれていたドイツの諸条件のもとで、彼らもまた無神論の立場には立たず、その宗教批判は中途半端に終った。
ドイツ観念論哲学
ドイツでは、18世紀の末から19世紀のはじめにかけて、カント、フィヒテ、シェリング、ヘーゲルが相ついで現われて、ドイツ観念論哲学とよばれる大きな哲学体系を形成した。
当時のドイツには、政治的にも経済的にも、ブルジョア民主主義革命を遂行する条件がまだなかった。ドイツのインテリゲンツィアが、先進的思想の成果をうけいれながら、それを、政治的革命から切りはなされた思想の革命に転化させてしまったことの、社会的基盤はまさにここにあった。このような諸条件のもとで、この時代のドイツ哲学は、必然的に観念論にならざるをえなかった。
カントの位置づけ
カントは、合理論の一種であるところの、ライプニッツ=ヴォルフの哲学から出発した。イギリス経験論、とくにヒュームの思想に接して大いにおどろき、そこから多くのものを取りいれながら、ライプニッツ=ヴォルフ流の古い形而上学を改造し、新しい形而上学に道を開こうとして、理性批判の仕事に没頭してゆくのである。
フィヒテ
フィヒテは、カントの哲学を、観念論を徹底化するという立場から批判し、あらゆる客観的世界を自我の所産であるとする、主観的観念論の体系をつくりあげた。彼は、自分の体系を「知識学」とよび、倫理的観念論という性格をもった。
シェリング
シェリングは、自我から出発するフィヒテの主観的観念論に自然哲学を対置した。これは、その当時新しい高揚の時期をむかえつつあった自然科学の成果を観念論的に解釈し、全自然界を上昇的発展としてとらえようとするものであった。
つづいてシェリングは、「同一哲学」の立場に移り、絶対的同一という原理から出発するもので、フィヒテの自我の哲学と自分の自然哲学との対立を自分自身で統一し、のりこえようとするものであった。
ヘーゲルとヘーゲル学派の分裂
ドイツ観念論哲学の完成者、その最大の代表者であり、弁証法の体系的叙述をなしとげたのはヘーゲルであった。彼の死後、ヘーゲル学派は、宗教哲学の問題をめぐって、右派、中間派、左派に分裂した。
青年ヘーゲル派:フォイエルバッハ
青年ヘーゲル派のキリスト教批判は、フォイエルバッハによって完成される。フォイエルバッハは、ヘーゲルの観念論をすてて唯物論の立場に移り、神の観念は、結局、地上の人間のみじめさを逆立ちさせて天上に反映させたものに他ならず、人間がつくりだしたものであることを明らかにした。
マルクスとエンゲルス
同じ青年ヘーゲル派の仲間から、マルクスとエンゲルスが現れ、ブロレタリアートの立場にたつマルクス主義の世界観をつくりあげる。それは、哲学思想史上における一大革命を意味するものであった。
彼らは、フォイエルバッハと同様に唯物論の立場にたったが、ヘーゲルの弁証法を投げ棄てず、これをうけつぎ、これを唯物論的に改作した。こうして、自然・社会・人間の思考のすべてを包括する一貫した思想体系――弁証法的唯物論とよばれる科学的世界観が彼らによって仕上げられた。
空想的社会主義思想
フランス革命によって実現されたものは、ブルジョア的社会体制であった。この体制を、封建制度とおなじように非理性的かつ不公正なものとみて、これもまた取り代えられなければならないと主張するのが、空想的社会主義者である。
サン・シモン、シャルル・フーリエ、ロバート・オーエンは、それぞれ独自の共同体体制を構想し、それを実現する日を待ちわびた。
フランスの反動哲学とブルジョア的観念論
フランスは、大革命ののち、ナポレオン時代を経て、1814年の王政復古により反動化の道を歩む。ドゥ・メーストルとボナールは、フランス唯物論に反対して、中世的カトリシズムを擁護した。
これに対して、世紀のかわりめのブルジョア哲学の代表者であったのは、デステュット・ドゥ・トラシたらの観念学派である。
デステュット・ドゥ・トランを転回点として、フランス・ブルジョアジーの哲学は、観念論に転化する。その代表者は、メーヌ・ドク・ビラン、ロアイエ・コクールであった。
また、七月王政のもとでの反革命的ブルジョアジーの官製イデオロギーになったのは、ヴィクトール・クーザンの折衷主義であった。
コントの実証主義
人間の知性の発展を神学的状態、形而上学的状態、実証的状態の三段階で捉え、客観的実在を認める唯物論を形而上学的状態として排撃した。
科学における実証的知識と実証主義を区別し、実証主義は科学を歪めると批判した。
社会学の父とも呼ばれるが、彼の社会学は生物学的自然主義と歴史的観念論を混合した。
イギリスの古典派経済学
アダム・スミスとデイヴィッド・リカードによって建設し、労働価値説を基礎とし、自由競争を擁護した。
ベンサムの功利主義
快楽をもたらし苦痛を遠ざけることが法や道徳の基礎とし、個人的利害の決算を誤ることが非道徳的行為とした。
ミル
経験概念の観念論的理解から出発し、帰納的論理学の体系を構築し、実証主義をイギリスに導入した。
進化論とスペンサー
ダーウィンの進化論を受け入れ、実証主義の哲学体系を構築し、学と宗教の和解を試み、社会ダーウィニズムを唱えた。
社会的有機体の成長は資本主義段階で完了すると考え、日本、中国、ロシアなどに影響を与え、自由主義的ブルジョアジーのイデオロギーとなった。
ロシアの革命的民主主義者
農奴制危機の中で、被抑圧農民の利益を代弁する革命的民主主義思想が生まれ、ベリンスキー、ゲルフェン、オガリョーフ、チェルヌイシェフスキー、ドブロリューボフらが代表である。
18世紀フランス唯物論やフォイエルバッハの唯物論より高い段階の唯物論哲学に到達した。
社会発展の原動力を生産力の発展に見出せず、社会の物質的生活の発展の意義を認識できなかった。
キルケゴール
孤独で特異な思想家であり、同時代には理解されなかったが、20世紀に実存主義思想の祖として注目された。
ドイツにおけるマルクス主義思想の発展
労働運動の中でマルクス主義がラッサールなどの小ブルジョア思想との闘争に勝利した。
マルクス、エンゲルス、リーブクネヒト、ベーベル、メーリングなどが活躍した。
ドイツの反動哲学
ショーペンハウアーの主意説哲学がブルジョアジーの反動的層の気分を反映し、世界は盲目的意志の発現であり、人生は苦難に満ちていると説いた。
俗流唯物論者
フォークト、モレショット、ビュヒナーらが代表であり、平板な進化論の立場をとり、意識と存在の関係を解決できず、社会現象を生物学的に解釈した。
新しい観念論哲学の諸流派
1871年のドイツ帝国成立後、経済繁栄期の中で俗流唯物論への反動として観念論哲学が再び注目されました。主な流派としては、新カント主義、経験批判論、生の哲学、実存哲学が挙げられます。
新カント主義
初期の代表者はリープマンとランゲであり、その後コヘン率いるマールブルク学派と、ヴィンデルパント率いるバーデン学派が成立しました。彼らは唯物論を強く批判し、マルクス主義から唯物論を取り除きカント哲学を組み込もうとする動きもありました。
経験批判論
マッハとアヴェナリウスが代表者です。彼らは自然科学の成果を観念論的に解釈し、実証主義の立場から唯物論を批判しました。しかし、思考経済の法則という主観的な原理を重視したため、主観的観念論者という側面もありました。
生の哲学
ディルタイとジンメルが代表者です。人間的生の超理性的・非合理性を強調し、ディルタイは精神的体験のみを信頼できる実在としました。ニーチェは権力への意志を基本的事実とし、強者支配を正当化しようとしました。彼の思想は実存主義の源流とも、後のヒットラー主義とも繋がるものでした。
当時のブルジョア哲学は、科学の基礎付けを目指す認識論哲学(世界観を欠く)と、世界観的な生の哲学(科学性を欠く)に分裂しており、科学的世界観を持つマルクス主義哲学とは対照的でした。
ヨーロッパ哲学の日本への移入
古代ギリシャ以来のヨーロッパ哲学の伝統が日本に移入されたのもこの頃です。西周はイギリス流の功利主義と実証主義を移入しました。
哲学の移入と啓蒙運動
ヨーロッパの哲学的伝統の移入は、啓蒙運動の一環として行われました。啓蒙運動には、官僚学派(西周ら)、国権的自由主義者(福澤諭吉)、自由民権運動に結びついた思想家(植木枝盛、中江兆民)の三つのタイプがありました。スペンサーの思想は官僚学派や自由民権運動の思想家に支持され、企業の自由や政治的自由を求める思想的基盤として利用されました。一方で、モンテスキューやルソーの啓蒙思想も移入され、中江兆民はルソーの影響を受けつつも独自の思考過程を経て唯物論にたどり着きました。
日本における哲学の「深遠化」
自由民権運動の高まりに対し、「明治憲法」発布や「教育勅語」の発布など、政治的・思想的な抑圧が強まりました。哲学の面では、加藤弘之や井上哲次郎らによってドイツ観念論哲学の移入が進められ、日本の講壇哲学の中心となりました。こうして哲学は人民の生活から切り離され、「深遠なもの」へと転化していきました。
つづく
ルネ・デカルト(René Descartes, 1596年3月31日 – 1650年2月11日)は、17世紀フランスの哲学者、数学者、そして科学者であり、「近代哲学の父」と称される人物です。彼の思想は、現代の哲学、科学、数学に多大な影響を与えています。
1.デカルトの主な業績と思想
・方法序説と方法的懐疑
デカルトは、確実な知識を得るために、全てのものを疑う「方法的懐疑」を提唱しました。
この懐疑を通して、疑い得ない唯一の真理として「我思う、故に我あり」(Cogito, ergo sum)という命題に到達しました。
この命題は、思考する自己の存在を証明し、彼の哲学の基礎となりました。
・二元論
デカルトは、精神(思惟)と物体(延長)を根本的に異なる二つの実体とする「心身二元論」を唱えました。
この考え方は、後の哲学や科学における心と体の関係についての議論に大きな影響を与えました。
・解析幾何学
数学においては、座標を用いて幾何学を解析する「解析幾何学」を創始しました。
デカルト座標系は、現代の数学、科学、工学において不可欠なツールとなっています。
・合理主義
デカルトは、経験よりも理性を重視する「合理主義」の代表的な哲学者です。
彼の思想は、後のスピノザ、ライプニッツなどの哲学者に影響を与えました。
2.デカルトの生涯
1596年、フランスのラ・エー(現デカルト)に生まれる。
イエズス会のラ・フレーシュ学院で教育を受ける。
法学を学び、軍隊に入隊した後、ヨーロッパ各地を旅する。
オランダに長く滞在し、哲学、数学、科学の研究に専念する。
1649年、スウェーデン女王クリスティーナの招きでストックホルムに移る。
1650年、ストックホルムで肺炎により死去。
3.デカルトの著作
方法序説(Discours de la méthode)
省察(Meditationes de prima philosophia)
哲学原理(Principia philosophiae)
情念論(Les Passions de l’âme)
デカルトの思想は、現代においても多くの議論を呼んでおり、彼の残した業績は、私たちの思考や世界観に深く根付いています。
その11
§5 市民社会成立期の哲学思想
イギリスの社会情勢と経験論哲学
17世紀のイギリスは、本源的蓄積期を経て、ヨーマンリーが産業資本主義的経営を確立し、新地主貴族が進出するなど、社会構造が大きく変化しました。思想的風土としては、オッカムのウィリアム以来の経験重視の伝統があり、この社会情勢と伝統の上に、フランシス・ベーコンの経験論哲学が生まれました。
ベーコンとホッブズ
ベーコンは、新しい社会の主人公である市民階級の要求を代弁し、「知は力なり」というモットーを掲げ、生産力増大に役立つ新しい科学的知識を求めました。彼は、古い先入見を排除し、経験から出発して一般的命題へと到達する方法、すなわち帰納法の確立に努めました。しかし、同時代のガリレオ・ガリレイの自然科学について知るところがなく、帰納法は一面的なものでした。
ベーコンの死後、イギリスでは国内戦争が始まり、クロムウェルの政権が確立しました。この時期に現れた哲学者、トマス・ホッブズは、ベーコンに欠けていた数学的要素を補い、唯物論的体系を建設しました。しかし、彼の見解はあまりにも力学化、幾何学化されており、社会現象も機械論的自然科学の見地から説明しようとしました。
デカルト:生得観念と二元論
ホッブズの同時代に、フランスではルネ・デカルトが現れました。デカルトは、生得観念、外来観念、自身によって作られた観念の3つにイデアを分類しました。このうち、生得観念については異論が出ました。また、デカルトは精神と物体を厳しく区別し、二元論を唱えましたが、心と身体がどのように関係し合うかという問題を残しました。
二元論の批判とスピノザの一元論
デカルト以後の哲学は、生得観念と二元論の2つの問題をどのように解決するかをめぐって展開されました。二元論は不徹底な立場であるため、唯物論か観念論かどちらかの一元論に徹底する必要がありました。
デカルトの同時代には、フランスにピエール・ガッサンディがいて、古代の唯物論思想を継承し、デカルトの二元論を批判して、動物と人間との間に量的な差異しかないと主張しました。
一方、オランダのアルノルト・ゲーリンクスとフランスのニコラス・マールブランシュは、デカルトの二元論を観念論的神学的方向に徹底させ、機械原因論を唱えました。
オランダの哲学者、ベネディクトゥス・スピノザは、デカルトが二つの実体に分けた思考と延長を、ただ一つの実体の二つの属性であると認め、徹底した一元論の体系を作り上げました。この体系において、思考と延長は一つの実体の二つの属性なので、人間の心と身体は同一のものの二つの側面であり、心身平行論が成立すると考えました。
生得観念説の批判と経験論の展開
デカルトの残したもう一つの問題、生得観念の問題に移ります。
イギリスの哲学者、ジョン・ロックは、生得観念は存在せず、すべての観念は外来観念であると主張しました。ロックの哲学は、その後の英・独・仏三国の哲学によって、それぞれ異なる形で受け止められました。
イギリスでは、ロックの哲学の唯物論的な側面が捨てられ、経験論を主観的観念論の方向に徹底化する道が開かれました。この路線を進んだのが、ジョージ・バークリとディヴィッド・ヒュームでした。
バークリは、物体とは「観念の集り」にほかならず、人間の心に観念を生じさせる原因は神の精神であると説きました。ヒュームは、さらに進んで、精神もまた印象と観念の束にすぎないとし、因果律もまた観念連合の法則の一つであると主張しました。
経験の二種類の理解とライプニッツの反論
ここで、経験の理解の仕方に二種類あることを指摘しておきます。
一つは、経験とは人間の意識が感覚器官を通して外界と接触することによって生じるという理解です。この理解によれば、経験とは意識と外界を結びつけるものであり、外界が意識内に反映したものだということになります。
もう一つは、経験とは人間の意識内に成立している事実であるという理解です。この理解から出発すると、意識内の事実としての経験から出発して意識の外に何かが存在するということを証明できるかどうかという問題が生じます。この問題は否定的に答えられます。
イギリスには経験論の伝統があるといわれますが、ベーコンやホッブズの経験の理解は前者の理解であり、彼らの哲学は唯物論的でした。ロックは、前者の理解から出発しながら、後者の理解に揺れ動きました。バークリとヒュームは、ロックの揺れ動きを利用し、経験を後者の理解に置き換えることによって、経験論を主観的観念論の方向に徹底させたのです。
さて、ドイツではどうだったでしょうか。
ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツは、観念論の立場から反撃するという姿勢で、ロックの影響を受け止めました。彼は、「以前に感覚のうちになかったようなものは、なにもひとつとして悟性のうちにない」というロックの命題に、「ただし悟性そのものをのぞいては」とつけ加えなければならないと主張しました。
ライプニッツは、生得観念の起源は悟性そのものにあるが、それはつねに自覚的であるとは限らないといい、一種の条件をつけることによってデカルトの説に賛成し、ロックの説に反対しました。
またライプニッツは、非物体的な、不可分な、だが多数の、精神的実体が存在すると考え、これを単子(モナド)と呼びました。単子は、それ自体で自足完了したひとつの世界であり、他の単子の作用を受けないと考えました。
フランスの社会情勢と啓蒙思想
フランスでは、イギリスともドイツとも情勢が異なっていました。絶対王制の繁栄はルイ14世の死とともに終わり、資本主義的企楽はますます拡大していました。資本主義的諸関係が農村に浸透し、農民の階級分化を推し進めました。他面、封建貴族と聖職者たちが、国の主要な土地収益を自己の手中に収めていました。
要するに、18世紀のフランスには、革命の条件が成熟しつつありました。
フランスのブルジョアジーにとって、イギリスこそは市民社会のモデルでした。イギリスでは、現存する社会的現実の理論的表現であったものが、フランスでは、革命への合言葉でありえました。このような社会的条件のもとで、フランスには、一群の啓蒙思想家たちが相次いで現れました。彼らは情熱的にロックの思想的影響を受けいれ、それを革命を準備する思想へと自らの手でつくりかえたのでした。
まずヴォルテールは、「イギリス書簡」によって、ニュートンとロックの思想をフランスに紹介しました。モンテスキューも、ロックの政治学の影響を受け、「法の精神」によって三権分立を説きました。
哲学史上でいっそう重要なのは、エティエンヌ・ドゥ・コンディヤックです。彼は、ロックの思想をフランスで解説したばかりでなく、それを感覚論の方向に徹底させました。
フランスの唯物論者たち
さらに一歩前進して、唯物論者であることをはっきり言明する一群の哲学者たちが現れます。ラ・メトリー、ディドロ、ドルバック、エルヴェシウスがそれであって、彼らは、18世紀のフランス唯物論者と呼ばれています。
18世紀のフランス唯物論には、二つの主要な思想的源泉がありました。一つはデカルトの自然学であり、他の一つはロックの哲学でした。
デカルトの二元論は、自然から一切の精神的要素を追い出し、これをまったく機械論的な考察の対象にする道を開くものでした。したがって、自然学に関する限り、デカルトは唯物論的であったといえます。
ラ・メトリーは、デカルトの自然学における唯物論的見解を、自然科学、とくに医学と生理学の新しい成果によって豊かにし、「人間機械論」を書きました。
エルヴェシウスはコンディヤックによって感覚論化されたロックの見解を支持し、かつそれを社会と関係させて理解しました。
ドルバックは、フランス唯物論の先進的な諸思想を概括し、これを体系化して「自然の体系」を書きました。
ルソーとフランス革命
エルヴェシウスやドルバックの同時代に、唯物論者ではなかったが、すぐれた啓蒙思想家、ジャン・ジャック・ルソーがいました。彼は、「人間不平等起源論」などにおいて、絶対主義的封建体制を批判し、私有財産制度を不平等の起源とする説を唱える。彼の思想はジャコバン派に影響を与え、フランス革命において重要な役割を果たした。
つづく
アリストテレス(Aristotelēs)は、古代ギリシアの哲学者で、「万学の祖」とも称されるほど、多岐にわたる分野で功績を残しました。ソクラテス、プラトンと並ぶ三大哲学者の一人です。
生涯
紀元前384年頃:マケドニア王国の支配下にあったスタゲイラ(現ギリシャ北東部)に生まれる。父はマケドニア王の侍医でした。
17歳頃:アテネのプラトンが主宰するアカデメイアに入門。プラトンが亡くなるまでの約20年間、ここで学び、後に教鞭もとりました。プラトンからは「知性」と称されるほどの秀才でした。
紀元前343年頃:マケドニア王フィリッポス2世の招きにより、当時13歳のアレクサンドロス(後のアレクサンドロス大王)の家庭教師となります。
紀元前335年頃:アテネに戻り、自身の学園「リュケイオン」を設立します。この学園は、逍遥学派(ペリパトス学派)の拠点となりました。
紀元前323年:アレクサンドロス大王の死後、反マケドニアの動きが活発になり、アテネでの迫害を避けるため、母方の故郷であるエウボイア島カルキスに避難します。
紀元前322年:病により62歳で亡くなります。
哲学・思想と功績
アリストテレスの哲学は、現実世界の観察と論理的思考に基づいた包括的なもので、後世の哲学や科学に多大な影響を与えました。
「万学の祖」:倫理学、論理学、形而上学といった哲学分野だけでなく、天文学、生物学、自然学、政治学、経済学、修辞学、詩学など、あらゆる学問分野で研究を行い、その基礎を築きました。
観察と経験の重視:知識を得るためには「観察」と「経験」が不可欠であると主張し、自然現象や動植物の観察を通じて知識を体系化し、分類する方法を重視しました。これは後の「経験主義」の基礎となります。
論理学の確立:学問的な認識は、事物の必然的な関連をその原因によって認識することにあると考え、その手続きを三段論法(シュロギスモス)の形式として確立しました。彼の論理学書は「オルガノン」と総称され、後の形式論理学の基礎を築きました。
形而上学(存在論):すべての物事が「存在する」とは何を意味するのかを問い、プラトンの「イデア論」を批判しました。プラトンがイデアを超越的な実在としたのに対し、アリストテレスはそれを現実の個々の事物に内在する「形相(エイドス)」と「質料(ヒュレー)」の結合として捉えました。
倫理学:『ニコマコス倫理学』を著し、史上初めて倫理学を学問として体系化しました。人間が真の幸福に到達するためには「徳」を持ち、それに従って行動することが重要だと考えました。特に「中庸」の重要性を説き、極端な行動や感情を避け、適度で適切な状態を保つことが良いとしました。
政治学:「人間はポリス的動物である」と述べ、人間が集団で生活し、政治的な共同体を形成するのは自然なことだと考えました。『政治学』では、さまざまな政治体制を分析し、市民が積極的に政治に参加し、公共の利益のために行動すべきだと主張しました。
生物学:特に動物学の研究に優れ、数百種にわたる生物を詳細に観察し、解剖にも着手しました。動物の分類や発生学的研究は後の生物学の基礎となりました。
主な著作
アリストテレスの著作は多岐にわたりますが、主なものには以下のものがあります。
『オルガノン』(論理学書の総称)
『形而上学』
『自然学』
『動物誌』
『ニコマコス倫理学』
『政治学』
『詩学』
『弁論術』
『霊魂論』
アリストテレスの思想は、中世スコラ哲学やイスラム世界にも大きな影響を与え、近代科学が発展するまでの西洋における科学的活動の基礎を築きました。彼の残した学問体系は、現代の学問の分類にも影響を与えています。
その10
§4 ルネサンス期の哲学思想
時代背景
ルネサンス期(14〜16世紀)は、封建経済が解体しつつも、資本主義がまだ確立されていない過渡期であり、古いものが壊れ、新しいものが生まれていない混乱の時代でした。その中で、芸術的、政治的、学問的に優れた個性を持つ天才たちが登場しました。
個性の解放と人文主義
ルネサンス期は個性の解放が特徴とされ、近世の始まりとみなされていますが、それは選ばれた少数者のものであり、真の意味での近世はまだ訪れていませんでした。ルネサンス文化は、古代ギリシア・ローマの学芸が再び研究され、神と来世中心の中世に対して、人間と現世が関心の的となりました。ペトラルカやボッカッチョなどの人文主義者が登場しましたが、彼らの思想はキリスト教と古典古代の調和・融合を目指すものでした。
思想家たち
ニコラウス・クザーヌス
経験に基づく真理の認識を主張しつつ、神秘的直観も重視しました。
レオナルド・ダ・ヴィンチ
神学と迷信を批判し、唯物論の立場に立ちました。
テレジオ
アリストテレス主義に反対し、経験的な自然研究を重視しました。
ジョルダーノ・ブルーノ
宇宙の無限性、永遠性を主張し、地動説を採用しました。
マキャヴェルリ
政治的合理主義者であり、人民の幸福のためには強力な君主が必要であると説きました。
カンパネラ
空想的社会主義の物語「太陽の国」を著し、私有財産のない社会を描きました。
宗教改革
ルネサンスが一部の知識人のものであったのに対し、チェコ、ドイツ、ポーランドなどでは、宗教改革という形で民衆と結びついた運動が起こりました。
ヤン・フス
個人の自由な思考の権利を擁護しました。
マルチン・ルター
カトリック教会に対する闘争は、中小生産者・農民の不満を代弁するものでしたが、農民運動には反対しました。
トマス・ミュンツァー
農民戦争を指導し、階級差別も私有財産もない社会を呼びかけました。
その他の思想家たち
ビベス、エラスムス、ラバー、モンテーニュなどが、封建体制を擁護するカトリック教会やスコラ哲学に対する思想闘争を行いました。
イギリスのユートピア思想家モア
トマス・モアは、空想的社会主義の物語「ユートピア」を著し、私有財産のない社会を描きましたが、その社会批判は中世的理想を追うものでした。
つづく
宇宙の広がりと壁の概念
宇宙がどこまで広がっているのか、その先に壁があるのかという問いは、古代から人類を悩ませてきた根源的な疑問です。
・宇宙の果て: 現在の科学では、宇宙に果てがあるかどうかは不明です。観測可能な宇宙は有限ですが、その外側がどうなっているのかは分かっていません。
・壁の概念: 宇宙に壁があるという考えは、空間の有限性を暗示します。しかし、壁の向こう側がどうなっているのか、あるいはそもそも壁が存在するのかどうかは、現在の科学では解明できません。
因果律と神の領域
・因果律: 科学は因果律に基づいて発展してきました。しかし、宇宙の果てや壁の向こう側は、因果律が成立しない未知の領域である可能性があります。
・神の領域: 因果律が通用しない領域は、人間の知恵では理解できない「神の領域」であるという考え方もあります。
人間の認識の限界
・認識のプロセス: 人間の認識は、視覚、伝達、比較、判断の繰り返しであり、始まりと終わりがあります。
・思考の限界: 始まりと終わりのない世界は、人間の思考では捉えることができません。
時間と存在の概念
・時間: 時間は、エネルギーや光の移動を人間が便宜的に定義した概念です。神の視点からは、時間は一瞬の出来事かもしれません。
・存在: 存在は「無い」があるからこそ「有る」を理解できるという二元論的な考え方があります。宇宙は「無い」と「有る」が混在する世界であり、始まりも終わりも同時に存在すると考えられます。
ダークマター、ダークエネルギー、宇宙の膨張
・宇宙の膨張: 宇宙はダークマターとダークエネルギーによって加速的に膨張しています。
・未知の領域: エネルギーや物質が存在しない、光も届かない領域は、壁の向こう側ではなく、無の空間、あるいは人間が考え出した空間という概念を超越した世界である可能性があります。
まとめ
宇宙の果てや壁の向こう側は、現在の科学では解明できない謎に満ちています。それは、人間の認識の限界、因果律の不成立、時間や存在の概念など、哲学的な考察を必要とする領域です。
プラトン(紀元前427年頃 – 紀元前347年頃)は、古代ギリシアの哲学者であり、ソクラテスの弟子、そしてアリストテレスの師として知られています。「西洋哲学の祖」とも称され、その思想は後世の西洋哲学に多大な影響を与えました。
生涯
アテナイの名門の家柄に生まれ、若い頃は文武両道に秀でていました。ソクラテスとの出会いは彼の人生を大きく変え、師の死後には各地を旅し、紀元前387年頃にアテナイに学園アカデメイアを創設しました。そこで教育と研究に専念し、3度のシチリア旅行を除いて生涯をアテナイで過ごしました。
思想の概要
プラトンの哲学の中心には、イデア論があります。これは、私たちが感覚を通して認識する現実世界は不完全で変化するものであり、真実在は感覚を超えた永遠不変のイデア界に存在するという考えです。例えば、私たちが「美しい」と感じる個々の事物(花や絵画など)は、美のイデアの不完全な反映に過ぎないとされます。
プラトンは、人間の魂はイデア界を知ることができる理性的な部分を持つと考えました。教育を通じて理性を磨くことで、人は真の知識や善に近づけると説きました。
主要な著作
プラトンの著作は、ソクラテスを主要な対話者とする対話篇の形式で書かれています。代表的な著作には以下のようなものがあります。
ソクラテスの弁明: ソクラテスの裁判における弁論を描いた作品。
クリトン: ソクラテスの獄中の対話を描き、不正な死を前にした彼の信念を示す作品。
パイドン: ソクラテスの死を描きながら、魂の不死について議論する作品。
饗宴: 愛(エロース)について様々な人物が語り合う作品。
国家: 正義とは何か、理想の国家とはどのようなものかを議論する作品。哲人政治の思想が展開されます。
パイドロス: 魂、愛、弁論術などについて論じる作品。
テアイテトス: 知識とは何かを探求する作品。
法律: 後期の対話篇で、より現実的な国家のあり方を考察する作品。
政治思想
プラトンは、現実のアテナイの民主政治を批判的に捉え、哲人政治を理想としました。これは、知恵と徳を備えた哲学者こそが国家を統治すべきであるという考えです。彼は『国家』の中で、知恵を愛する哲人、勇気を持つ軍人、そして生産活動に従事する市民という、能力に応じた役割分担を持つ理想国家を描きました。
影響
プラトンの思想は、西洋哲学のあらゆる分野に深い影響を与えました。彼のイデア論は形而上学や認識論の基礎となり、倫理学や政治哲学においても重要な議論の出発点となりました。彼の弟子であるアリストテレスをはじめ、多くの哲学者や思想家に影響を与え、現代においてもその思想は影響を与えています。
その9
世界十五大哲学(哲学思想史)の1部要約 2025.5.21
Ⅱ哲学思想のあゆみ
§3 ヨーロッパ中世の哲学思想――キリスト教と哲学
キリスト教と哲学の確立
ヨーロッパ中世の哲学思想は、キリスト教と深く結びついています。キリスト教教義の確立過程において、ギリシャ哲学が重要な役割を果たしました。
パウロによって伝えられたキリスト教は、下層民衆や奴隷大衆に支持され、東方の秘儀宗教の影響を受けながら、高度な理性と理論性を備えた世界宗教へと発展しました。教義の組織化が進む中で、教父と呼ばれる人々が現れ、ギリシャ哲学を取り入れながらキリスト教神学を構築しました。
初期の教父たちは、ローマ官憲の迫害や異教哲学者からの攻撃に対してキリスト教を弁護し、正統的教義をグノーシス説との闘争を通じて確立しました。グノーシス派はキリスト教をヘレニズム化しようとしたため、異端として排撃されました。
最大の教父アウグスティヌスは、新プラトン派の哲学を用いてキリスト教を説明しました。彼は、人間の内面にある真理(イデア)は神から与えられたものであり、信仰によってのみ理解できると主張しました。また、神の国と地の国の闘争として世界歴史を説明する歴史哲学を展開しましたが、現実との妥協的な姿勢も示しました。
知識と信仰の狭間
教父哲学は知識と信仰の関係という普遍的な問題を扱いながらも、キリスト教信仰の枠内でしか思考の自由が許されず、経験も信仰という内的経験に限定されていました。
スコラ哲学の幕開けと限界
西ローマ帝国滅亡後、ヨーロッパは暗黒時代を迎えましたが、「カロリンガ・ルネサンス」を機にスコラ哲学が誕生しました。スコラ哲学は教会の教義を論証することを目的とし、教父哲学以上に思考の自由が制限されていました。
前期スコラ哲学の潮流
スコラ哲学の先駆者エリウゲナは汎神論的な思想を持ちながらも、真の哲学と宗教は同一であると説きました。アンセルムスは「われ信ず、かくてわれ知る」という言葉で信仰を重視し、神の存在論的証明を提唱しました。
普遍論争と合理主義の登場
アンセルムスと並ぶ代表者ロスケリヌスとアベラルドゥスは普遍の問題をめぐって論争しました。ロスケリヌスは唯名論を唱え、アベラルドゥスは調停的な立場を取りました。アベラルドゥスは合理主義的な立場から「信ずるために、理解する」と主張しましたが、神秘主義者ベルナールらの批判を受けました。
アラブ哲学の影響
イスラム帝国はギリシャ文化を吸収し、独自の文化を築き上げました。東方のアラブ哲学はアリストテレス主義への道を開き、イブン・スィーナーはアリストテレス哲学を発展させました。西方のアラブ哲学はアリストテレスの学説を純化し、「二重真理説」を唱えました。
スコラ哲学の最盛期と解体
アラブ哲学はキリスト教世界に衝撃を与え、トマス・アクィナスによるスコラ哲学の完成は、アラブ世界からの知的攻撃に対する防衛と反撃の意味を持っていました。トマスは理性と信仰を総合しましたが、その総合は解体の萌芽を含んでいました。二重真理説と唯名論の進出により、スコラ哲学は解体へと向かいました。ドゥンス・スコトゥスは理性と信仰の対立を主張し、オッカムのウィリアムは唯名論を復活させました。こうして、哲学と神学、理性と信仰は完全に分裂し、スコラ哲学は解体しました。オッカムの説は教会によって禁止されましたが、14〜15世紀には信奉者の大きな学派が形成され、数学、力学、天文学などの分野で活躍しました。
つづく
ソクラテス(紀元前470年頃 – 紀元前399年)は、古代ギリシアの哲学者で、西洋哲学の祖の一人とされています。彼は書物を残さず、その思想は弟子のプラトンやクセノポンらの著作を通じて後世に伝えられました。
ソクラテスの最も重要な貢献の一つは、「知恵とは、自分が無知であることを知っていることである」 という言葉に代表される彼の哲学的な探求方法です。彼はアテナイの街を歩き回り、様々な人々と対話を通じて、彼らの信念や知識の曖昧さや矛盾を指摘しました。この対話による探求の方法は**「ソクラテス式問答法(産婆術)」 と呼ばれています。
彼の主な関心は、倫理や道徳にありました。「不正を行うよりも不正を受ける方がまだましである」といった彼の言葉は、正義や善といった普遍的な価値を探求する姿勢を示しています。
しかし、彼の革新的な思想や既存の権威を批判する姿勢は、当時のアテナイ社会の一部から反感を買いました。彼は最終的に、国家の神々を認めず、若者を堕落させたという罪状で告発され、有罪判決を受け、毒杯を仰いで亡くなりました。
ソクラテスの生涯と哲学は、西洋思想の根幹を形作り、その影響は現代の哲学、倫理学、教育学など、多岐にわたっています。彼の探求心、批判精神、そして真理を追求する姿勢は、今なお多くの人々に影響を与え続けています。
その8
世界十五大哲学(哲学思想史)の1部要約 2025.5.10
Ⅱ哲学思想のあゆみ
§2 哲学の起源と古代ギリシャの哲学思想
哲学発生以前
原始共同体社会では、生産力の低さから人間は自然に無力であり、超自然的な世界を想像していました。しかし一方で、原始芸術などに見られるように、科学的な認識の萌芽もありました。
奴隷制社会への移行と宗教の成立
奴隷制社会では、生産力が向上しましたが、支配階級は超自然的な観念を利用して権威を守ろうとしました。原始的な神々は社会的な性格を帯び、宗教が成立しました。
宗教的世界観への挑戦
科学的知識は、宗教的な観念と矛盾し、衝突しました。しかし、宗教は奴隷所有者階級の世界観であり、国家権力と結びついていたため、宗教的世界観への挑戦は困難でした。
ギリシャ人の場合
ギリシャ人は、紀元前6世紀に宗教的世界観に疑問を持ち、挑戦しました。彼らはタレス、アナクシマンドロス、アナクシメネスなどのミレトス学派と呼ばれ、**万物の根源(アルケー)**を物質的なものに求めました。
ミレトス学派
ミレトス学派は、伝統や権威に従うのではなく、自らの理性に基づいて独自の説を唱えました。彼らの思想は、唯物論的世界観であり、神や霊魂などの観念的なものではなく、物質を根本的なものと考えました。
ミレトスの社会的条件
ミレトスは商業都市であり、伝統的な祭司階級の思想的束縛が弱く、民主主義的傾向が伸びていました。このような環境が、自由に思考し、自らの理性を満足させることを許す、特殊な思想的環境を作り出しました。
植民地都市での哲学の発展
ギリシャ人の植民地都市では、ミレトス学派に続き、ヘラクレイトス、ピュタゴラス、クセノバネス、パルメニデスなどが活躍しました。彼らは、自然現象や宗教など、様々な問題に取り組みました。
パルメデス
ミレトス学派やヘラクレイトスらは、自然現象の変化を「もとのもの」から説明しようとしたが、パルメニデスは「あるものはあり、ないものはない」と主張し、変化の説明は誤りであるとした。
多元論と原子論
エンペドクレス、アナクサゴラス、レウキッポス、デモクリトスらは、パルメニデスの論理的原則を満足させつつ、自然の生成消滅運動変化を説明しようとした。多元論は複数の元素の分離によって変化が生じるとし、原子論は原子の運動が変化であるとした。
哲学の舞台
ペルシア戦争後、植民地が衰退し、哲学の舞台はアテナイに移った。社会情勢の変化により平民の地位が向上し、伝統的信仰が揺らぎ、人間の運命に対する疑問が生じた。
ソフィスト
ソフィストたちは、自然から社会問題に関心を向け、弁論術を教えた。プロタゴラスは啓蒙運動的な側面もあったが、多くのソフィストは相対主義思想を広めた。
ソクラテス
ソクラテスはソフィストたちの思想に対抗し、真理の探求を重視した。
フィロソフィア
「フィロソフィア」は元々「知恵を愛すること」を意味したが、ソクラテスとその学派以降、特定の理論活動を指すようになった。
ヘレニズム時代
アレクサンドロス大王の帝国形成後、ギリシャ文化は広範囲に広がり、東方文化と混合した。文化の中心は東方都市に移り、哲学は個人倫理的な傾向を強めた。エピクロス、ゼノン、ビュロンらは、心の不安を解消する生活術を説いた。
ギリシャ哲学の衰退とその原因
ギリシャ哲学は、ポリスの崩壊後、個人倫理の探求へと矮小化しました。その原因は、ヘレニズム世界の中で、人々がコスモポリテース(世界市民)として、現実政治への関心を失ったことにあります。しかし、コスモポリテース的傾向はポリス崩壊以前から存在し、国家崩壊が直ちに個人倫理への傾倒に繋がるとは限りません。
衰退の要因は、ギリシャ哲学が奴隷制社会の哲学であり、少数の優れた人々のための哲学であったことが考えられます。アレクサンドロスによる世界国家の出現により、統治者となる可能性を失った哲学者たちは、少数の有徳者の生きる道しか説けなくなり、勤労人民大衆のための哲学にはなり得ませんでした。
ローマ時代の哲学
ローマ時代は哲学の不毛な時代であり、ルクレティウス・カルスの『事物の本性について』を除けば、特筆すべき哲学者は現れませんでした。新プラトン派の開祖プロティノスは、ギリシャ文化と東方宗教文化の混合を背景に、宗教的な色彩の濃い哲学を展開しました。彼は「一者」からの万物「流出」という独特の思想体系を構築し、後のギリシャ哲学とキリスト教を媒介する役割を果たしました。
つづく
ヘーゲルの『精神現象学』について2025.4.25
ヘーゲルの『精神現象学』は、意識が感覚から始まり、自己意識、理性、精神、宗教を経由して絶対知へと発展していく過程を詳細に描いた哲学書です。難解な書物として知られていますが、その核心は、意識が自己を認識し、世界との関係性を深めながら、最終的に絶対的な真理へと到達する過程を論じている点にあります。
『精神現象学』の主な内容
意識の段階的な発展: 感覚、知覚、悟性、自己意識、理性、精神、宗教と、意識は段階的に発展していきます。
弁証法: ヘーゲル哲学の根幹をなす弁証法が用いられ、対立する概念が統合されることで、より高次の概念が生まれていきます。
絶対知への到達: 意識は、自己と世界の対立を克服し、最終的に自己と世界が一体となった絶対知へと到達します。
歴史との関連: 歴史は、精神が自己実現していく過程であり、歴史の進展は精神の発展を反映していると考えられています。
『精神現象学』の重要性
哲学史における位置づけ: 近代哲学における重要な転換点となり、後の哲学に大きな影響を与えました。
人間の意識の探求: 人間の意識の構造と発展を深く探求し、人間の自己認識に対する新たな視点をもたらしました。
歴史と哲学の統合: 歴史と哲学を結びつけ、歴史を哲学的に考察する新たな視点を提示しました。
なぜ難解なのか(解説書による)
抽象的な概念: 意識、自己、絶対知など、抽象的な概念が多く登場するため、理解が難しい場合があります。
弁証法の複雑さ: 弁証法の論理展開が複雑で、一読では全体像を把握しにくい場合があります。
体系的な構造: 各章が有機的に結びついているため、部分的に読むだけでは全体像を理解できません。
『精神現象学』を読む上でのポイント(解説書による)
全体像を把握する: 各章がどのようにつながり、全体としてどのような物語が展開されているのかを把握することが重要です。
用語の意味を理解する: 意識、自己、絶対知などの用語の意味を正確に理解することが必要です。
弁証法の仕組みを学ぶ: 弁証法の仕組みを理解することで、論理展開を追うことができるようになります。
他の哲学書との比較: 他の哲学書と比較することで、ヘーゲルの思想の特徴をより深く理解することができます。
まとめ
『精神現象学』は、人間の意識と歴史の謎を解き明かそうとする、壮大な哲学体系です。難解な書物ですが、その思想は現代においても、哲学、心理学、歴史学など、様々な分野で重要な示唆を与え続けています。
その7
世界十五大哲学(哲学思想史)の1部要約2025.4.25
Ⅱ哲学思想のあゆみ
§1なぜ哲学思想史を学ぶ必要があるか
哲学思想史を学ぶ理由
哲学を学ぶ上で最も重要なのは、自らの理性と経験に基づき、他者の思想を受け入れるか拒否するかを判断する能力、つまり自分で哲学する能力を身につけることです。
哲学する能力の訓練
哲学する能力は、誰もが素質として持っていますが、訓練が必要です。水泳と同様に、まずは哲学することが重要です。過去の哲学者を参考に、彼らが扱った問題を共に考え、自問自答することで、哲学する能力を訓練できます。
大哲学者と共に考えること
過去の哲学者たちと共に考えるとは、彼らの思考過程を辿りながら、自分ならどう考えるかを自問自答することです。最初は同じ結論に至ったり、疑問を持ったりするかもしれませんが、考える習慣をつけることで、哲学する能力が自然と身についていきます。
先輩の業績の受け継ぎ方
過去の哲学者たちも、先人の業績を学び、不満を克服したり、引き継いで発展させたり、新たな問題を発見したりしました。先輩の業績をどのように受け継ぐかは様々ですが、後輩は常に有利な立場にいると言えます。
哲学史の流れと位置
個々の哲学者の活動は、継承を通じて繋がり、哲学史という大きな流れを形成します。個々の哲学者を理解するには、彼らが哲学史の中でどのような位置にいたか、つまり、彼以前の哲学の発展から何を受け継ぎ、どのような問題を未解決のものとして抱えていたかを知る必要があります。
あらかじめ哲学思想史を学ぶ理由
哲学思想史を学ぶことで、個々の哲学者が哲学史の中でどのような位置にいるかを理解することができます。これは、過去の哲学者と共に考え、自らの哲学する能力を訓練する上で非常に重要です。
つづく
イギリス「経験論」と大陸「合理論」について2025.4.4
イギリス経験論と大陸合理論は、17世紀から18世紀にかけてヨーロッパで隆盛した二つの主要な哲学思想です。これらの思想は、知識の起源、人間の認識能力、そして世界の理解に関する根本的な問いに対して、対照的なアプローチを提供しました。
1.イギリス経験論
主な提唱者:
ジョン・ロック
ジョージ・バークリー
デイヴィッド・ヒューム
中心的な主張:
知識は主に経験、特に感覚経験から得られる。
人間の心は生まれた時は「白紙(タブラ・ラサ)」であり、経験によって知識が書き込まれていく。
観察、実験、帰納法を重視する。
特徴:
現実世界との密接な関わりを重視し、科学的探求の基礎となった。
経験に基づいて知識を構築するため、懐疑主義的な側面も持つ。
2.大陸合理論
主な提唱者:
ルネ・デカルト
バールーフ・デ・スピノザ
ゴットフリート・ライプニッツ
中心的な主張:
知識は主に理性、すなわち生得的なアイデアや論理的推論から得られる。
感覚経験はしばしば誤りを含むため、理性こそが確実な知識の源泉である。
演繹法や数学的推論を重視する。
特徴:
数学や論理学を重視し、形而上学的な思弁を深めた。
生得的なアイデアの存在を主張し、人間の認識能力に楽観的な見方を持つ。
3.両者の比較
下記の表を参照してください。
4.両者の影響
経験論は、科学革命の進展に貢献し、近代科学の方法論の基礎を築きました。
合理論は、数学や論理学の発展に貢献し、現代の哲学や認知科学に影響を与えています。
両者の対立は、イマヌエル・カントによって統合され、彼の批判哲学へとつながりました。
これらの哲学思想は、現代の科学、哲学、そして私たちの日常生活における思考方法にも深く影響を与えています。
その6
Ⅰ哲学のすすめ2025.4.4
この文章は、哲学の意義と、それを学ぶことの重要性について論じています。
§5 哲学のすすめ
哲学とは何か
哲学は、科学的世界観に関する学問である。
様々な傾向の哲学があるが、ここでは科学的世界観に関する学問としての哲学に焦点を当てる。
哲学の効用
明確な世界観を持つことで、複雑な現代社会において一貫した態度で生きることができる。
自分の行動に確信を持ち、堂々と生きることができる。
批判的精神を養い、社会の欺瞞を見抜く力を身につけることができる。
自然科学や社会科学の研究、社会運動など、様々な分野で役立つ。
哲学することの重要性
哲学とは、常に探求し、批判的に考えることである。
自分の世界観を常に問い直し、必要であれば修正する姿勢が重要である。
批判的に考える人が増えることは、社会全体の健全化につながる。
読者への期待
過去の哲学者の思索を学び、哲学する態度を身につけてほしい。
現代社会において、自分自身の生き方を哲学的に考え、確信を持って歩んでほしい。
つまり、哲学を学ぶことは、自分自身の生き方を確立し、より良い社会を築くために不可欠であると述べています。
つづく
カントの「弁証法」について2025.3.22
カントの弁証法について
カントの弁証法は、彼の主著『純粋理性批判』において展開された、人間の理性が不可避的に陥る錯覚、つまり「仮象の論理」を指します。以下に概要を解説します。
カントにおける弁証法の意味
①理性の限界の露呈:
カントは、人間の理性が経験の範囲を超えて、物自体や宇宙全体といった超越的な領域について考えようとすると、必ず矛盾した結論(アンチノミー)に陥ることを示しました。
これは、理性が持つ本来的な限界を露呈させ、経験的な認識の重要性を強調するためのものでした。
②仮象の論理:
カントは、弁証法を「仮象の論理」と呼び、理性が必然的に陥る錯覚として捉えました。
これは、弁証法が真理を探求するための積極的な方法ではなく、むしろ理性の誤りを明らかにするための批判的な道具であることを意味します。
アンチノミー(二律背反)
①理性の矛盾:
カントは、理性が宇宙や魂、神といった超越的な概念について考えるとき、互いに矛盾する二つの命題(テーゼとアンチテーゼ)がどちらも論理的に証明可能であることを示しました。
この矛盾を「アンチノミー」と呼び、理性の限界を示すものとしました。
②アンチノミーの例:
例えば、「世界は時間と空間において有限である」というテーゼと、「世界は時間と空間において無限である」というアンチテーゼは、どちらも理性的な論証が可能ですが、互いに矛盾します。
その他にも自由と自然法則などがあります。
カントの弁証法の意義
①経験的認識の重要性:
カントの弁証法は、経験の範囲内でのみ認識が可能であることを示し、経験的認識の重要性を強調しました。
②理性の批判:
弁証法は、理性の限界を明らかにし、独断的な形而上学を批判するための重要な道具となりました。
③後世への影響:
カントの弁証法は、ヘーゲルやマルクスといった後世の哲学者に大きな影響を与え、弁証法の概念は発展していきました。
カントの弁証法は、人間の理性が持つ限界を明らかにし、経験的認識の重要性を強調するものでした。
その5
Ⅰ哲学のすすめ2025.3.22
この文章は、哲学の社会における役割、特にユートピア思想、社会契約説、世界観、科学的世界観、マルクス主義、そして現代哲学におけるこれらの思想との闘いについて概説しています。以下に要約します。
§4 社会と哲学
ユートピア思想と社会契約説:
哲学は、理想社会や理想国家を追求するユートピア思想や、社会の起源を契約に求める社会契約説を通じて、社会と深く関わってきました。
これらの思想は、現実社会への批判や変革の意志を反映し、社会観の多様性を示しています。
世界観としての哲学:
哲学は、社会観を独立して論じるのではなく、自然観や認識論と統合し、体系的な世界観の一部として捉えます。
哲学は、根本原理の探求と体系性を特徴とし、社会観は世界観の中で位置づけられます。
科学的世界観とマルクス主義:
社会科学の発展に伴い、科学的世界観が重視されるようになり、マルクス主義はその代表例です。
マルクス主義は、資本主義の崩壊と社会主義の到来を科学的に予測し、世界観をめぐる論争の中心となりました。
現代哲学の動向:
現代の資本主義社会では、マルクス主義への対抗として、科学の客観性や意義を否定する試みがなされています。
認識論や科学哲学の議論は、政治的・階級的な問題と密接に関連しています。
哲学の真の姿:
哲学は、人生観、認識論、科学論を含む包括的な世界観の探求であり、社会との関わりの中でその真価を発揮します。
哲学の任務を世界観の探求と捉えることが、最も妥当な理解であると筆者は主張しています。
この文章は、哲学が単なる抽象的な思索ではなく、社会と深く関わり、現実の変革を目指す力を持っていることを示しています。
カントの「判断力批判」について2025.3.15
カントの『判断力批判』は、彼の批判哲学の体系を完成させる上で重要な著作であり、美学、目的論、そして哲学全体に深い影響を与えました。以下にその要点をまとめます。
『判断力批判』の位置づけ
カントは、彼の批判哲学において、
『純粋理性批判』で「認識能力の限界」
『実践理性批判』で「道徳法則の根拠」
を論じました。
『判断力批判』は、これらの二つの領域を橋渡しし、人間の「判断力」の働きを明らかにすることを目的としています。
判断力とは
判断力とは、個々の事象を普遍的な法則の下に位置づける能力です。
カントは、判断力を「反省的判断力」と「規定的判断力」に分けました。
規定的判断力:普遍的な法則が与えられている場合に、個々の事象をその法則の下に位置づける能力(例:科学的な判断)
反省的判断力:個々の事象に対して普遍的な法則を探求する能力(例:美的判断、目的論的判断)
美的判断
美的判断とは、「美しい」と感じる際の判断です。
カントは、美的判断の特徴として、以下の4つを挙げました。
利害の無関心性:対象の存在や効用に関係なく、純粋に美しさのみを判断する
普遍性:個人的な好みを越えて、誰でも美しいと感じるはずだと確信する
合目的性:対象が特定の目的を持たなくても、目的に適っているかのように感じられる
必然性:美的判断が個人的な好みを越えて、誰でも美しいと感じるはずだと確信する
目的論的判断
目的論的判断とは、自然の中に目的や意図を見出す判断です。
カントは、自然の合目的性を、あたかも意図されたものであるかのように捉える考え方を提示しました。
これは、自然科学的な説明と矛盾するものではなく、自然に対する私たちの認識のあり方を示すものです。
『判断力批判』の意義
『判断力批判』は、美学、目的論、そして哲学全体に大きな影響を与えました。
美学においては、美的判断の独自性を明らかにし、芸術論の基礎を築きました。
目的論においては、自然に対する私たちの認識のあり方を示し、自然観に新たな視点を与えました。
また、認識と道徳という二つの領域を統合し、人間の精神活動全体を包括的に理解しようとする試みは、現代の哲学にも受け継がれています。
その4
Ⅰ哲学のすすめ2025.3.15
今回は哲学とは何かについて記述します。
§1 哲学とは何か
哲学とは何かという問いは、前提を明確にし、根本に遡って議論する哲学的な方法で答える必要があります。この問いは、初学者だけでなく、過去の哲学者も問い続けてきたものであり、時代や哲学者によって異なる答えが存在します。
哲学の主要な3つの側面
人生に向かった哲学:「人生とは何か」「どのように生きるべきか」といった問いに答えを求める側面。
科学に向かった哲学:科学と哲学の関係性を探求し、科学の発展に寄与する側面。
社会に向かった哲学:社会に対する根本的な態度や社会観、世界観を探求し、社会的な意義を持つ側面。
哲学はこれらの多面的な側面を持ち、それぞれの側面が哲学とは何かという問いに対する異なる答えを提示しています。
カントの「実践理性批判」について2025.3.6
カントの実践理性批判は、人間の道徳的な行動、つまり「どうあるべきか」という問いに対する答えを探求した哲学書です。
1.主なポイント
人間の自由意志: カントは、人間は自然法則に完全に支配されているのではなく、道徳的な選択をする自由な意志を持っていると主張します。これは、自然科学的な因果関係とは異なる、道徳的な因果関係が存在することを意味します。
道徳律: 道徳的な行動は、個人の感情や欲望ではなく、普遍的な道徳律に基づいて行われるべきだとします。この道徳律は、個人が自らに課すものであり、かつ、あらゆる理性的な存在者が従うべきものです。
義務: 道徳的な行動は、義務として行われるべきだとします。つまり、個人的な利益や幸福を求めてではなく、単にそれが正しいから行うべきだと考えることが重要です。
最高善: カントは、幸福と徳が調和した「最高善」という概念を提唱します。しかし、現世において最高善を実現することは困難であり、来世における無限の道徳的努力が必要になると考えます。
2.『純粋理性批判』との関係
カントの哲学は、『純粋理性批判』と『実践理性批判』という二つの大きな柱で成り立っています。
純粋理性批判: 世界がどのようにあるのか(現象界)について考察し、人間の認識の限界を明らかにしました。
実践理性批判: 世界がどうあるべきか(道徳世界)について考察し、人間の自由意志と道徳律の重要性を強調しました。
3.なぜ実践理性批判が重要なのか
実践理性批判は、単なる哲学的な議論にとどまらず、私たちの日常生活に深く関わっています。なぜなら、人間は常に道徳的な判断を迫られる存在であり、その判断の根拠を問うことは、より良い社会を築くために不可欠だからです。
4.まとめ
カントの実践理性批判は、人間の自由意志、道徳律、義務、最高善といった概念を通して、私たちがどのように生きるべきかを深く考えさせてくれます。この思想は、現代においても、倫理学や哲学の分野で重要な位置を占めています。
補足
定言命令: 道徳律の具体的な形として、カントは「定言命令」という概念を提唱しています。
自律性: カントは、人間の道徳的な行動は、外的な強制ではなく、内的な自律性に基づいて行われるべきだと考えています。
神と不滅の魂: カントは、最高善の実現のためには、神の存在と人間の魂の不滅が仮定されるべきだと考えています。
その3
Ⅰ哲学のすすめ2025.3.6
ここでは、哲学の科学に向けられた側面、特に「考えること」の研究としての哲学、すなわち論理学と認識論について解説されています。以下に要点をまとめます。
§3 科学と哲学
哲学の二つの顔
哲学には、人生観を探求する側面と、科学を探求する側面がある。
科学に向けられた哲学は、専門的で一般の人には理解しにくい。
考えることの研究としての哲学
人間は誤った思考をすることがあるため、正しく考えるための研究が必要となる。
論理学は、思考の法則を探求する学問であり、形式論理学と数学的論理学がある。
認識論は、認識作用と認識の対象との関係を研究し、認識の限界や真理について考察する。
認識論と科学の関係
認識論上の見解は、科学の価値についての見解に影響を与える。
科学論または科学哲学は、科学の基礎付けや批判、発展への寄与を目的とする。
哲学は、認識の発展法則の側面から、自然科学の発展に寄与することができる。
哲学が自然科学の発展に役立つこと
現代の自然科学、特に原子物理学の発展に伴い、従来の形式論理学的な考え方では対応できない問題が生じている。
弁証法的な考え方や高度な思考法則に関する研究が必要とされている。
記号やモデルの使われ方を整理・検討し、その意義を明らかにすることも哲学の役割である。
この文章は、哲学が単に抽象的な思索ではなく、科学の発展に深く関わり、具体的な貢献をすることができることを示しています。
カントの「純粋理性批判」について2025.2.28
1.概要
『純粋理性批判』(独: Kritik der reinen Vernunft)は、18世紀のドイツの哲学者イマヌエル・カントの主著であり、哲学史上最も重要な著作の一つとされています。
本書は、人間の認識能力の限界と可能性を批判的に考察し、経験と理性、感性と悟性、物自体と現象といった概念を用いて、従来の形而上学を根本的に覆すことを目指しました。
2.内容
カントは、人間の認識は、経験を通して得られる「感性」と、思考を司る「悟性」の二つの能力によって成立すると考えました。
感性は、時間と空間という形式を通して外界の対象を受け取り、悟性は、カテゴリーと呼ばれる概念を用いて、感性によって与えられた素材を整理し、知識を構成します。
カントは、このような認識の構造を解明することで、従来の形而上学が前提としていた「物自体」の認識は不可能であることを示しました。
物自体とは、私たちの認識から独立して存在する対象そのものを指しますが、カントによれば、私たちは物自体を直接知ることはできず、感性と悟性を通して現れる現象としてしか認識することができません。
3.意義
『純粋理性批判』は、哲学、科学、倫理学、政治学など、様々な分野に多大な影響を与えました。
カントの認識論は、ヘーゲル、マルクス、ニーチェなど、後世の哲学者たちに大きな影響を与え、現代哲学の基礎となっています。
また、カントの道徳哲学は、義務論と呼ばれる倫理学の代表的な理論を提唱し、現代の倫理学にも大きな影響を与えています。
4.難解さ
『純粋理性批判』は、その内容の深さと抽象性から、難解な書物として知られています。
カントの思想を理解するためには、彼の哲学的な背景や、当時の哲学的な議論を理解する必要があります。
5.最後に
『純粋理性批判』は、哲学的な思考を深める上で、非常に重要な書物です。
難解ですが、カントの思想に触れることで、世界や自己に対する理解を深めることができると多くの書物で解説されています。
その2
Ⅰ哲学のすすめ2025.2.28
この文章は、哲学と人生、宗教の関係について論じたものです。
§2 人生と哲学
哲学への期待と現実:
・多くの人が人生の指針を求めて哲学を学ぶが、哲学は安易な答えを提供しないため、途中で挫折する人も多い。
・藤村操の自殺の例を挙げ、哲学が安易な答えを与えないこと、また哲学と自殺を結びつける考えが誤りであることを示しています。
哲学と宗教の違い:
・宗教は教義を通じて人生の意義に関する答えを提供するが、哲学は個人の理性と経験に基づく探求を重視する。
・宗教は外部の権威(教祖、聖典)に依存するが、哲学は自己の内なる権威(理性と経験)を重視する。
・宗教は信仰を重んじるが、哲学は疑いと探求を重んじる。
哲学することの重要性:
・人生の意義について哲学する人は、既存の答えを鵜呑みにせず、自らの理性と経験に基づいて吟味し、探求する必要がある。
・安易な答えを求めるのではなく、自ら考え続けること、探求し続けることの重要性を説いています。
・人生観探究の哲学とは、他者の体験や批判によって自分の経験を豊かにしながら、他者の意見に刺激されてさらに自分で考えつづける態度である。
結論:
・哲学は人生の意義について、安易な答えを提供するものではない。しかし、自らの理性と経験に基づいて探求し続けることによって、人生の意義についての深い理解が得られる。
その1
Ⅰ哲学のすすめ2025.2.14
世界十五大哲学(哲学思想史)の1部要約
出典 世界十五大哲学 大井正・寺沢常信著 PHP出版 2014年
本書は一部偏った考え方があるが、詳しく解説されていて、学生や社会人にためになる。
その1
Ⅰ哲学のすすめ
§1 なぜ哲学思想史を学ぶ必要があるか
哲学思想史を学ぶ理由
哲学を学ぶ上で最も重要なのは、自らの理性と経験に基づき、他者の思想を受け入れるか拒否するかを判断する能力、つまり自分で哲学する能力を身につけることです。
哲学する能力の訓練
哲学する能力は、誰もが素質として持っていますが、訓練が必要です。水泳と同様に、まずは哲学することが重要です。過去の哲学者を参考に、彼らが扱った問題を共に考え、自問自答することで、哲学する能力を訓練できます。
大哲学者と共に考えること
過去の哲学者たちと共に考えるとは、彼らの思考過程を辿りながら、自分ならどう考えるかを自問自答することです。最初は同じ結論に至ったり、疑問を持ったりするかもしれませんが、考える習慣をつけることで、哲学する能力が自然と身についていきます。
先輩の業績の受け継ぎ方
過去の哲学者たちも、先人の業績を学び、不満を克服したり、引き継いで発展させたり、新たな問題を発見したりしました。先輩の業績をどのように受け継ぐかは様々ですが、後輩は常に有利な立場にいると言えます。
哲学史の流れと位置
個々の哲学者の活動は、継承を通じて繋がり、哲学史という大きな流れを形成します。個々の哲学者を理解するには、彼らが哲学史の中でどのような位置にいたか、つまり、彼以前の哲学の発展から何を受け継ぎ、どのような問題を未解決のものとして抱えていたかを知る必要があります。
あらかじめ哲学思想史を学ぶ理由
哲学思想史を学ぶことで、個々の哲学者が哲学史の中でどのような位置にいるかを理解することができます。これは、過去の哲学者と共に考え、自らの哲学する能力を訓練する上で非常に重要です。
つづく
マーティン・スコセッシ監督の映画『沈黙 Silence』は、遠藤周作の同名小説を原作とし、「神の存在とは何か」という普遍的な問いを観客に投げかける作品です。
日本人が祭壇に手を合わせ手を叩く行為は、信仰というよりはむしろ慣習に近いものです。一方、キリスト教徒は神の存在と働きを信仰として信じます。
映画は、17世紀初頭の隠れキリシタンの物語を通して、苦しみ、悲しみ、そして悲痛な出来事の数々を描き出します。当時の日本において、イエズス会は神の教えを強調し、隠れキリシタンたちは神への信仰を貫くが故に迫害と苦しみを受けました。パドレスも村人も、信仰を捨てるための踏み絵を踏むことはありませんでした。
主人公のロドリゴは、「なぜ人々の苦しみを救おうとしない神は沈黙しているのか」と苦悩します。しかし、神はロドリゴにこう語りかけます。「私は沈黙しているのではない。おまえが踏み絵に一歩踏み出すたびに、おまえの苦しみに近づいているのだ」と。
スコセッシ監督は、映画を通して遠藤周作が知り得た神の姿を深く探求しました。
ロドリゴは最終的に十字架を捨て、踏み絵を踏みました。しかし、神は彼が日本で息絶えるまで抱きしめ続けました。キリスト教徒である遠藤周作は、神を信じる対象としてだけでなく、自らの存在を通して感じられるものとして捉えていたのです。
哲学史:古代から現代への知的探求の軌跡
哲学の歴史は、人類が世界、自己、そして存在の意味について思索してきた壮大な軌跡です。古代から現代に至るまで、哲学は時代ごとの課題に応えながら、多様な思想を生み出してきました。以下に、哲学史の主要な流れを2000字程度でまとめました。
古代哲学
哲学の起源は、古代ギリシアに遡ります。
古代ギリシア:
自然哲学者たち:タレス、アナクシマンドロス、アナクシメネスらは、世界の根源を自然の中に求めました。水、無限なるもの、空気といった具体的な要素や抽象的な概念を用いて、宇宙の成り立ちを説明しようと試みました。
ソクラテス:人間とは何か、いかに生きるべきかを問い続けたソクラテスは、対話(ディアレクティケー)を通じて人々の無知を自覚させ、真の知へと導こうとしました。
プラトン:ソクラテスの弟子プラトンは、イデア論を唱えました。イデア界と呼ばれる永遠不変の理想的な世界が存在し、現実世界はイデアの不完全な影に過ぎないと考えました。
アリストテレス:プラトンの弟子アリストテレスは、自然科学、倫理学、政治学など多岐にわたる分野で業績を残しました。観察と経験に基づいた現実的な思考を重視し、論理学、形而上学、倫理学、政治学など、後の哲学に大きな影響を与えました。
古代ローマ:
ストア派:ストア派の哲学は、禁欲と理性による生き方を説きました。セネカ、エピクテトス、マルクス・アウレリウスらは、逆境においても動じない心の強さを養うことを重視し、自然の摂理に従って生きることを説きました。
中世哲学
中世ヨーロッパでは、キリスト教が思想の中心となり、スコラ哲学が発展しました。
中世ヨーロッパ:
スコラ哲学:アウグスティヌスは、信仰と理性の調和を試み、トマス・アクィナスはアリストテレスの哲学をキリスト教神学に取り入れました。スコラ哲学は、神学と哲学の融合を追求し、論理的な思考方法を発展させました。
ルネサンス哲学
ルネサンス期には、古代ギリシア・ローマの文化が復興し、人文主義が台頭しました。
ルネサンス:
人文主義:モンテーニュは、懐疑主義的な思想を展開し、マキアヴェッリは、現実的な政治論を提唱しました。ルネサンスは、人間の尊厳と自由を重視し、芸術、文学、科学の分野で新たな展開をもたらしました。
近代哲学
17世紀以降、近代哲学が始まりました。
17世紀:
合理論:デカルトは、方法的懐疑を経て、「我思う、ゆえに我あり」という有名な命題に到達し、合理論の基礎を築きました。デカルトは、理性こそが真の知識の源泉であると考えました。
18世紀:
経験論:ロックは、経験論を唱え、フュームは、因果関係の概念を批判しました。経験論は、感覚的な経験が知識の基礎であると考えました。
ドイツ観念論:カントは、合理論と経験論を統合し、純粋理性批判を著しました。カントは、人間の認識能力の限界を明らかにし、物自体と現象を区別しました。
19世紀:
ヘーゲル:ヘーゲルは、弁証法的な歴史観を提唱し、マルクスは、唯物史観を唱えました。ヘーゲルは、歴史は弁証法的な発展を遂げると考え、マルクスは、経済的な要因が歴史を動かすと考えました。
ニーチェ:ニーチェは、ニヒリズムを克服するために、力への意志を説きました。ニーチェは、従来の道徳や価値観を批判し、独自の哲学を展開しました。
現代哲学
20世紀以降、現代哲学は多様な思潮を生み出しました。
20世紀:
現象学:フッサールは、現象学を創始し、ハイデッガーは、存在論を展開しました。現象学は、意識の構造や現象そのものを探求する哲学です。
実存主義:サルトルは、実存主義を唱え、構造主義、ポスト構造主義、分析哲学など、多様な哲学思潮が生まれました。実存主義は、人間の自由と責任を強調する哲学です。
21世紀:
現代の哲学:現代の哲学は、科学技術の発展、グローバル化、環境問題など、新たな課題に直面しています。哲学は、これらの問題に対して、批判的な思考と倫理的な考察を提供し続けています。
哲学の歴史は、人類の知的好奇心と探求心の結晶です。哲学は、今を生きる私たちにとっても、重要な示唆を与えてくれます。