English blog・Jpanese blog ・Web・Philosophy
コンピュータの世界では「アルゴリズム」という言葉が頻繁に使われますが、これは計算の手順を示す言葉です。どのようなことにもやり方があり、アルゴリズムは決して画期的な発明ではありません。
私が入社したての頃、日立のHAITACというパラメトロン式コンピュータ(今の電卓が4畳半ほどの大きさになるようなもの)でプログラムを学んだ際、サブルーチン(繰り返し行う作業は別のルーチンで行う)という考え方に感動したのを覚えています。これは一般的に言う分業であり、大昔からある考え方です。しかし、私にとっては新鮮な感動があり、趣味でWebを勉強し、Webサイトを作成・公開しています(現役時代からWebは生業ではありませんでした)。頭の体操になっていますが、目が疲れてなかなか進みません。
勉強はHTML/CSSから始まり、WordPress、PHPと進みましたが、PHPは覚えることが多く苦労しています。その点、WordPressはテンプレートがあり比較的簡単にWeb制作ができ、しかも見栄えの良いものが仕上がります。
年配の方にもできますし、若い方にもおすすめです。勉強好きな方はぜひ挑戦してみてください。
日本のコンピュータの歴史2022.2.11
黎明期―計算手の登場と機械式計算機の開発
9世紀後半から20世紀初頭にかけて、ヨーロッパを中心に航空機設計に必要な航空力学計などに計算機が使われ始めました。また、人間の計算作業を補助する計算器具を使用する女性たちが「計算手」として活躍し、英語で「computer」と呼ばれていました。
第二次世界大戦中には、イギリスのMI5(秘密情報組織)がドイツの暗号を解析するために、大掛かりな機械式計算機(歯車式)を開発しました。これが今日のコンピュータの先駆けと言われています。日本でも戦前から機械式の計算機が使われていました。
真空管、パラメトロン、トランジスタ式コンピュータの登場
その後、イギリスでは真空管式コンピュータが開発され、日本でもパラメトロン式(フェライトコアを使ったもの)、1950年代に開発されたトランジスタによるコンピュータが相次いで開発されました。日本でも国を挙げてこれらの技術開発が進められました。
電卓の開発とLSIの普及
1960年代には、日本で画期的な出来事が起こりました。シャープが電卓を開発したことです。従来の計算機は大きく重く、価格も高価でしたが、シャープは集積回路を電卓用に新たに設計し、小型で安価な電卓の開発を目指しました。
しかし、当時の国内外のICメーカーは、実績のない電卓用LSIの製造に二の足を踏んでいました。アメリカのロックウェル社との契約により、LSIの供給が確保されたことで、シャープは電卓の開発に成功しました。この成功を機に、LSIの効率的な回路設計や集積化が安価に進み、今日のパソコンへと繋がっていきました。
日本の半導体産業の隆盛と衰退
メモリ技術においても、東芝が目覚ましい技術力を持っていましたが、バブル時代にアメリカとの半導体摩擦によって大きな打撃を受けました。自動車産業はその後復活しましたが、半導体産業は衰退してしまいました。
ICリードフレームの打抜き技術の開発
もう一つの画期的な出来事として、九州の三井ハイテック創業者の三井孝明氏が、ICリードフレームの製造方法に着目し、打ち抜き加工による低コスト化を実現しました。この技術は世界的に普及し、日本の半導体産業に大きく貢献しました。
まとめ
日本のコンピュータ産業は、黎明期から様々な技術革新を経て発展してきました。電卓の開発やICリードフレームの打抜き技術など、世界に貢献した技術も数多く存在します。しかし、半導体摩擦など、様々な困難も経験してきました。
日本のコンピュータ産業は、過去の教訓を活かし、新たな技術開発を進めることで、再び世界をリードする存在となることが期待されます。
人生は喜びと悲しみ、様々な感情が入り混じるからこそ、人間は人間らしく、完璧ではないからこそ味わい深いものです。自然に触れて感動を覚えたり、芸術に心を動かされたり、小説の世界に没頭したり、人の心の機微に触れたりすることは、人間に与えられた特別な感性だと言えるでしょう。AIにはこのような豊かな感情や感性はありません。人が操作しない殺人ロボットが非人道的であると言われるのはそのためです。
AIが進化し、私たちの生活はどう変わっていくのでしょうか。競争社会に疲れた人々は、仕事はコンピュータに任せ、ゆったりとしたリズムで田舎暮らしを楽しむようなスローライフを求めるようになるかもしれません。
哲学は、人間として生きる道、道徳律を追求してきました。それは自然の摂理に逆らわずに生きることです。自然の摂理とは、子孫を残すことです。生物の進化の過程がそれを証明しています。子孫を残すことが道徳律に繋がります。人を愛し、子供を慈しみ、他人を傷つけず、地球を汚さない。これらはすべて、子孫を残すという自然の摂理から生まれた道徳観なのです。