廟の建設

サンフランシスコ平和条約調印の翌年、昭和27年4月28日の22時30分、同条約が発効します。
日弁連は戦犯保釈特別委員会を立ち上げ、全戦犯の赦免勧告に関する意見書を政府に伝えました。それを機に戦犯釈放運動は全国に広がります。また、その後の数度に亘る国会決議により、「戦犯」とされた方々の汚名は一掃されました。
政府、国会は関係各国に釈放を働きかけ、昭和31年にA級の最後の一人が、33年にはBC級全員の出所が実現したのです。

戦犯の赦免を受け、昭和33年4月28日に開かれた戦犯保釈特別委員会解散記念会で、三ケ根山を建立地に選び幡豆町当局との話し合いもまとまったと、七士の墓碑建設が正式に発表されました。

墓碑の建立を知った京都八坂神社の宮司、松平静翁からは次のような和歌が寄せられています。


 後の代に正しき歴史書かるべき

   その日を待ちて静かに眠る