寛文年間、迫間郷に、浄土真宗の寺院建立の強い願望がありました。
願いを受け、迫間郷で選ばれた3人衆が京都にのぼり、初代の僧である釈恵安露水法師を伴って帰郷。迫間川のほとりに寺を建て、妙光庵と名付けました。これが壽寶寺の開基です。本寺お斎所の妙光庵は、この名前に由来しています。
妙光庵ができたのは、寛文5年1665年。その後、寺として妙光寺、後に壽寶寺と改称し、今日に至っています。
遺偈には、初代が、70歳で過去帳に筆を染めたのが元禄発未(16年)西暦1703年。菊池のほとり澗泉山妙光野で本寺の歩みを始めたことが記されています。
内容については、今後、専門家の力も借りながらさらにひもとき、そして発信してまいります。
第9世 釈昌隆
改新の気に溢れ、昭和の初めに簡易水道を設置し、村人の利を図っています。本寺参道入り口の水タンクが名残です。さらに庫裡を新築し、茅葺きの本堂を瓦葺きに、本堂のまわりをガラス張りとするなど、先見の性に富む事業を展開しました。昭和6年67歳で、着手するも、完成を見ることなく遷化。
第11世 釈隆昭
9世の思いを受け、本堂の内・外陣を修築し、村民の先駆けとしてボーリングによる地下水くみ上げに成功。川に面した土手を強化するために石垣を設置。お斎場所を建立し、妙光庵と命名。墓所に納骨堂である光明寶壽堂を設置しました。令和元年89歳で天寿を全う。
第12世 釈宏明
歴代の先住の思いに報じつつ、さらに寺を身近に感じてもらおうと、門徒様の御理解のもと、以下の取組を行っています。
平成28年4月 平成28年熊本地震により本堂白壁が崩落。門徒様の協力を得て改修
令和元年9月 駐車場実行委員会の協力を得て、駐車場整備(金森育代様寄付)
令和2年7月 お寺をもっと積極的に活用してもらおうと、本堂外陣を補強、板張りに(河原田末博様柱寄付)
令和2年9月 新型コロナウィルス感染拡大防止も視野に入れ本堂拡張
令和3年9月 境内拡張(迫誠太様寄付)
令和4年7月 トイレ洋式・自動洗浄化
令和4年8月~9月 内陣及び余間の補強及び床張り替え
令和4年11月 境内裏手コンクリート化により石垣補強