【第2日・午前】課題研究発表
国語科教育研究の存立基盤
〈立脚点〉としての学会
2026年10月25日(日) 9:30~12:00
会場:共通教育棟A20 講義室
*サテライト教室(地域学部5160講義室)
コーディネーター
鈴木愛理(専修大学)
登壇者
山元隆春(広島大学)
篠崎祐介(東京学芸大学)
青山由紀(淑徳大学)
大島崇行(上越教育大学)
《課題研究の企画趣旨》
この間(第149・150 回大会)の課題研究発表では、生成AI に代表される〈環境〉としてのテクノロジーの急激な進化・変容と向き合うこと、教科・国語科を相対化し新しい〈枠組み〉も含めて構想することというように、国語科教育研究の存立基盤となるものについて問い直してきた。第151回大会では、国語科教育研究の〈立脚点〉としての学会について、議論を深めたい。
国語科教育研究が成り立つためには、研究者が所属する学会・研究会、あるいは大学の学部・学科・講座などといった組織が保障されていることが前提となる。しかしながら現在、こうした前提はゆらいでいる。毎日新聞(2019年7月27日付)は、自然科学系の研究者における「学会離れ」という事態を紹介しており、国立大学の人件費削減や企業のコスト削減などがその要因と指摘している。埴淵・川口(2020)も、人文社会系を中心に小規模な学会が多数を占めており、過去10年余りの間に個人会員数が減少した学会は3分の2にのぼると指摘したうえで、「各学会が会員数の維持を目指すことは活動の継続性に照らして当然といえるものの、それが各分野・領域そして日本の学術界全体として何をもたらすのかについて、より広い視点からの議論が必要であろう。」と述べている。また、2018年に開催されたシンポジウム「学会を問う」(京都大学学際融合教育研究推進センター主催)など、学会をその存在意義から問い直す動きはすでにみられる(保坂2018)。
なお、こうした状況は、研究者としてのアイデンティティを問い直す契機にもなっている。そもそも、研究者のアイデンティティとは、どこに立脚するものなのだろうか。
生物学の在野研究者である熊澤辰徳は「研究者とは生き方のひとつだとよく思う。(中略)誰も知らなかった新しいことを(時にはそれが新しい発見だと気づかないまま!)見いだす、これは実に研究的営みだと思う。」と述べている(熊澤2019)。誰も知らなかったと言えること(新規性、novelty)は、研究にとって大切なことの一つに違いなく、そのためにも先行研究を読書する楽しみがある。『独学大全』(読書猿2020)では、先行研究を踏まえることについて「古人はこのことを「巨人の肩の上に乗る」と表現した。(中略)/ここでいう「巨人」は、頂のようにそびえる偉大な賢人や知識だけを言うのではない。むしろ、偉人や偉業を頂の位置に押し上げる山全体を、すなわち無数の知的貢献による人類の知的遺産全体を指すのだと考えるべきである。/知識と、それを生み出す知的営為が、互いに他の知識・知的営為に依存しあい支え合っていることは、学術研究の諸分野で当然の前提となっている。」と述べている。研究者がひとりの人の生き方だとしても、その生き方は「山全体」とつねに関係するものであり、その意味で完全に孤独なものではないはずである。
では、誰も書き残していないことを見いだして書く(≒読まれる)とは、どのようなこと(であるべき)なのだろうか。カントは『啓蒙とは何か』において、理性の「公的使用」と「私的利用」を区別し、「自分の理性を公的に使用することは、いつでも自由でなければならない(中略)ここで私が理性の公的使用というのは、或る人が学者として、一般の読者全体の前で彼自身の理性を使用することを指している。」と述べている。職や地位など「その立場においてのみ彼自身の理性を使用することが許される」者であっても、「著書や論文を通じて自説を主張する学者の資格においては、論議することはいっこうに差し支えない」としている。これは、アレントが『人間の条件』で、「活動」の場である「公的領域」が必要であると主張したことにも重なるだろう。また、サイードが『知識人とは何か』で、「現代の知識人は、アマチュアたるべきである。アマチュアというのは、社会のなかで思考し、憂慮する人間のことである。そして、そうであるがゆえに、知識人はこう考える。もっとも専門的かつ専門家むけの活動のただなかにおいても、その活動が国家の権力に抵触したり、自国の市民のみならず他国の市民との相互関係のありかたにも抵触するとき、知識人はモラルの問題を提起する資格をもつのだ、と。」述べていることにもつながるだろう。
「〈立脚点〉としての学会」という課題研究のタイトルは、学会が国語科教育学研究者にとって立脚点のひとつであるなら、学会とはどうあるべきかという問いでもある。学会が、国語教育について考えたり行動したりする際の拠り所となる場として機能するとしても、ある人の立場を定めることで判断を不自由にすることがあってはいけないのは言うまでもない。研究者のアイデンティティや研究のありかたを踏まえたうえで、これからの学会が〈立脚点〉としてどのようなものであることが望ましいのかについて、議論を深めたい。
(文献)
・埴淵知哉・川口慎介(2020)「日本における学術研究団体(学会)の現状」『E-journal GEO』Vol. 15(1) 137-155
・保坂直紀(2018)「「学会って意味なくない?」研究者たちが「学会の不思議」に突っ込む―意味がなくても増え続ける謎」https://gendai.ismedia.jp/articles/ -/57860(最終閲覧日:2026年3月3日)
・熊澤辰徳(2019)「エメラルド色のハエを追って」荒木優太『在野研究ビギナーズ 勝手に始める研究生活』明石書店
・カント、篠田英雄訳(1950・改版1974)『啓蒙とは何か』岩波書店
・ハンナ・アレント、志水速雄訳(1994)『人間の条件』筑摩書房
・エドワード・W・サイード、大橋洋一訳(1998)『知識人とは何か』平凡社