シンポジウム
「探究」という学びに
ついて考える
2024.10.26(Sat)/9:30-12:00
「探究」という学びに
ついて考える
2024.10.26(Sat)/9:30-12:00
趣 旨 と 概 要
今日の学校教育において、「探究」は重要なキーワードの一つとなっている。この名称についていうならば、国語科においては直接的には科目名としての「古典探究」にとどまる。しかし「生涯にわたって探究を深める未来の創り手」(高等学校学習指導要領の「改訂のポイント」)としての子ども観、そして合わせて論じられる「主体的・対話的で深い学び」の実現はすべての学校種、教科・科目に共通して求められるものといえる。
そしてそのような理念は今日に至るまで、約100年にわたって折に触れて強調されてきた。たとえば木下竹次(1923)は同様の立場から『学習原論』を出版している。「自律的学習」と「他律的教育」を対比した木下は「私は人は本能を基礎として教師指導の下に漸次自律的学習を遂げて人らしく発展することが可能であることを子供から教へられた。」(同書・自序)と自らの根拠を述べている。そして彼が『学習各論』(1928年)で示す方法もまた、今日の我々には馴染み深く思えるものである。
こうした文脈をふまえると、「探究」、そして「主体的・対話的で深い学び」が現在の課題として取り上げられていることに、この理念の普遍性というものを見出すことができるように思われる。時間を隔てても「自律的学習」には損なわれぬ価値があり、追究に値することを雄弁に語っているということができるだろう。同時に理念の重要性が一世紀にわたって語られることの背景には、この理念に基づく教育の継続的な実践の困難があるようにも思われる。理念が実現できているならば、ことさらにその意義を強調する必要はないはずだからである。ではその困難とは何だろうか。
探究的な学習に連なる学習として挙げられるのは、木下の「学習法」を初め、国語科的な領域に関するものであれば1930年代の生活綴り方(とくに調べる綴り方)、1950年代の単元学習、1970年代の読書指導などが挙げられる。アクティブ・ラーニングもその系譜に位置付けてよいだろう。
その時々において、挙げられてきた問題は多岐に渡るはずであるが、それらの実践に寄せられた批判は二点に集約できるように思われる。
一つは探究の過程における教師の役割の不明瞭さである。木下(1928)が挙げた「相互学習に伴ふ欠陥」と、教師の課題は、今日のアクティブ・ラーニングの実践に際しても見出すことができる。
ここで「能力」を「近代型能力」と「ポスト近代型能力」とに分ける、本田由紀(2005)『多元化する「能力」と日本社会 ハイパー・メリトクラシー化のなかで』に依拠するならば「探究」学習が目指すものはまぎれもなく「ポスト近代型能力」である。本田はこれを「どのようにすれば形成されるのかについて社会的に合意されたセオリーはいまだ確立されていない。どうすればそれを手に入れられるのか、誰にもはっきりとはわかっていない。」と述べ、その指導の困難を示唆している。このことは大学でのアクティブラーニングの実践に携わった森朋子(2015)(「反転授業」松下佳代・他編著『ディープ・アクティブラーニング』)による「受講者全員にある一定の理解を担保しながら、それに伴う多くの経験をプロデュースするアクティブラーニングを展開することは至難の業であり、担当教員の優れた名人技が不可欠だ。しかし残念ながらFD活動を通じても、それら名人技はなかなか他教員にたやすく共有されることはない。」とする指摘と通い合う困難を示すものといえる。
もう一つが上記の問題と重なり合うが、探究の結果の評価に関する問題である。1930年代の調べる綴り方には今も言及される注目される実践がいくつもあるが、同じ実践をめぐっても評価が分かれる例は少なくない。1970年代の読書指導においても子どもの問いに基づく探究的な読書活動をめぐる評価には厳しいものもある。石山脩平(1938『新学習指導要論』)の言葉を用いるならば、学習の「完成結果」もまた評価の対象として位置付けられるのである。
木下(1923)はそうした問題について「学習者の蔭に隠れて居てしかも学習者に十分の学習を遂げさせる教師が優秀な教師であることを忘れてはならぬ。」と述べて教師の責任を挙げている。学習過程における教師の関わりと探究の結果についての評価と。100年間続く探究学習への系譜において、この問題にどう取り組むか、これが現在の私たちの立つ地平であるように思われる。
そこで基調提案においてはこの間に蓄積された多くの業績において、これらの問題がどのように位置づくのかを検討したうえで、シンポジストの議論によって今後の展開を見通すことを期待したい。
井上陽童氏は小学校において、沖奈保子氏は高等学校において 探究活動に基づく国語教育を実践してこられた。現在はそれらを俯瞰する立場にもおられるお二人には、上記の課題についての見通しを示唆していただく。ゲストとしてお招きする石崎友規氏は理科教育の専門家として、理科における探究活動について研究を重ねて来た方である。理科教育における探究の枠組みは国語科に大きなヒントを与えることになるはずである。
趣旨説明 甲斐 雄一郎(文教大学)
基調提案 萩原 敏行(文教大学)
シンポジスト
井上 陽童 (実践女子大学)
沖 奈保子(ドルトン東京学園中等部・高等部)
石崎 友規(常磐大学)
コーディネーター
藤森 裕治 (文教大学)