2014年5月6日
5月5日・6日に開催された第2回スタディツアーでは、宮城県女川町を訪れました。
テーマは「震災と復興」
1日目は仮設商店街として建設された「きぼうのかね商店街」の1周年を記念するお祭りのお手伝いをさせて頂きました。その後町役場の方から復興の実情や今後のまちづくりについて伺いました。2日目は震災後、復興のシンボルとして建設された巨大冷凍庫「マスカー」を見学させて頂きました。またNPO法人やインターンなど、様々な立場から女川の復興に尽力する方のお話を伺いました。
女川町は仙台から電車で1時間半ほどの場所にある町です。漁業が盛んな町で、きれいな海と山に囲まれた穏やかな町です。東日本大震災の際は、津波により壊滅的な被害を受けましたが、現在復興が最も進んでいる町として全国から注目を集めています。
女川で出会った方々は、とても親切に、しかし淡々と津波の被害を受けた際のお話をして下さいました。家族を失った人、近しい人を失った人、自分の家が流されるのを見た人――心臓が掴まれるような出来事を経験した女川町の方は、町の復興に対して最後までやり抜く強い決意と覚悟がありました。
「頑張らないと亡くなった人に顔向けができない」とぃう言葉は私たちの胸に深く刺さりました。
なぜ女川町は復興が早いのでしょうか。町長をはじめ、公的機関も民間もNPOも関係なく、全員がフラットな立場に立って復興に携わる場があることは、もちろん一つの要因でしょう。しかし私たちは、お話を伺った全ての方から「女川町を復興させる」という強い想いを感じました。何かを変える、ということがどういうことなのか、大都会ではなかなか体感できない経験を積んだ、貴重な2日間となりました。
また女川町は原発を抱える町でもあります。原発にマイナスイメージがつきまとう中、女川町では少々様子が異なりました。女川原発はIAEAから最も安全な原発の一つに選ばれており、津波の被害も受けませんでした。津波襲来時には町の人は原発の敷地内へと逃げ、助かった方も大勢いらっしゃいます。第1回スタディツアーで学んだ原発の姿とはまた異なり、改めて原発が抱える問題の複雑さを感じました。
帰京後、第1回と同じように、感じたことを英文記事にまとめました。詳しい旅程や活動内容、メンバーの感想をまとめてありますので、ぜひご覧ください。
2014年6月10日
6月7日・8日に開催された第3回スタディツアーでは、和歌山県紀美野町を訪れました。
テーマは「地域社会の問題点」
1日目は地域の取組みのひまわりの苗を植えるのを手伝った後、農家民泊の手伝いをさせて
頂きました。2日目は獣害対策用のフェンスを取り付ける手伝いをさせて頂いた後、石窯で焼いたピザを食べながら地域の方とお話しする機会を頂きました。
紀美野町は和歌山市から車で1時間ほど山間部に入ったところにある、山に囲まれた静かな町です。都会からアクセスも良く、自然も多く残る街として、大阪や和歌山から移住する方も多くいらっしゃいます。
地域の方から尋ねられた質問、それは「紀美野町には若い人がいない、これから町としてやっていくにはどうすればいいのか」ということ。これを一言で少子高齢化問題と片付けてしまうこともできますし、知らない大学生はいないでしょう。しかし、それが実際に問題となっている姿を見て、実際に解決するのが我々の世代だということを改めて痛感させられました。
また、紀美野町では素晴らしいおもてなしをたくさんして頂きました。お世話になった農家民泊では豪勢な晩御飯を用意して頂き、素晴らしい夜を過ごすことができました。また、次の日はピザの材料を用意して頂き、石窯で焼いた絶品のピザを味わわせて頂きました。他にも、山にかかる虹を見ることができたり、漆喰を塗ったりと、東京ではなかなかできない素晴らしい経験もすることができました。
そのような素晴らしい経験をさせて下さった紀美野町の皆さんに何か恩返しができないか、そう考えることが人と人との繋がりを生んでいくのだと思います。「迷惑をかける」ということが極度に避けられるようになった現代だからこそ、人との本当の繋がりを大切にして生きていく必要があるのではないでしょうか。