美術教育と未来
Art Education and the Future
VUCAと言われるように,現代社会は複雑で混沌とした中にある。少し前を振り返ってみるならば,我々は新型コロナウィルス感染症への前例のない緊急的な対応,そしてそれが徐々に解かれていく過程,さらにはそうした状況がもはや過去の出来事として片付けられていく様子に,当事者として立ちあってきた。この間学校教育には,教育DXの推進や行事の精選化,学校外の新たな学習ニーズの浮上など,大きな変化 ―それは教育をささえる価値観の転換によるものでもある― がもたらされた。
こうした状況においては,学校教育のみならず広く社会全般において,これまで以上に「未来」というものが見えにくくなっている。「温故知新」という言葉のように,かつて「未来」は歴史的文脈の延長線上に予測ができる側面もあったが,今の私たちはその予測が全くできない先行き不透明な「現在」に生きているのである。AIの台頭を見ても,そのことは明らかである。かような中で,これからの「未来」を創りだす子どもたちと向き合う我々教育関係者は,どのような展望を持てばよいのだろうか。
未来のあり様を示す「PPPP図」と呼ばれる図がある*)。ここには,未来における次の4つの次元が示されている。すなわち,「起こりそう(probable)な未来」(大半のデザインはこの未来を志向する。教育もこの暗黙の了解領域である),「起こってもおかしくない(plausible)未来」(多くの組織がこの未来に備えている),「起こりうる(possible)未来」(この時限を超えるともはや空想の領域になる),そして「望ましい(preferable)未来」の4つである。
こうした未来の展望は,懐中電灯の光が現在から未来を照らし出す時に,手元が一番明るく見え,遠い未来は暗くて見えないというイメージで語られる。我々は普段,知らず知らずのうちに「Probable(起こりそう)」で「Plausible(起こってもおかしくない)」未来に縛られており,その前提で「Preferable(望ましい)」を規定している。しかし上述したように,複雑で困難な現代においては,一旦「Possible(起こりうる)」未来までを含めた幅広い可能性に目を開き,その上で「Preferable(望ましい)」を導き出していく必要があるのだ。
このように,未来に対して投企的,問題提起的に向き合っていく必要があるとされる中で,美術教育が果たす意義は重要なのではないかと考えた。したがって,本大会のテーマを『美術教育と未来』とし,みなさんと考えあってゆきたいと思う。
翻ってみれば,アンドレ・アラゴンが「教えるとは希望を語ること(学ぶとは謙虚さを胸に刻むこと)」と述べたように,教育とは未来を目指すことであり,そこでは子どもの存在自体が私たちにとっての未来であることは確かだ。
また,学会の中心活動である研究が,それまで明らかになかったことを明らかにするという営みであるとするならば,その活動は未来への投企・問題提起そのものである(残念ながら,昨今は何かの問題解決に利用される傾向が強まっているが)。
ここにおいて,本大会のあらゆる場面・機会には「未来」が散りばめられているはずだ。本大会に集うみなさんは,必然的に「未来」と向き合うことになろう。ぜひ「未来」を感じ,それについて考えながらご参加いただきたく願う。
*)アンソニー・ダン,フィオーナ・レイビー(著),久保田晃弘(監修),千葉敏生 (翻訳)『スペキュラティブ・デザイン 問題解決から,問題提起へ:未来を思索するためにデザインができること』,2015年,BNN新社,p.31の図を基にして作成(未来学者のスチュアート・キャンディによるもの)