陸前高田市 RIKUZENTAKATA[DA]

林の間から見えた街、陸前高田

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国道45号線は海岸に沿った道ですが、時折山に差し掛かっては登坂車線が備えられるほどの急な坂やカーブに出くわします。あるカーブを曲がる時に、ふと見えたのが陸前高田市でした。

平地まで下っていくと、最初に見えたのは外見が綺麗な背の高いマンション。一見人が生活している雰囲気を感じますが、建物の正面に差し掛かると各部屋の窓枠や手すりが例外無く折れ曲り、ほぼ全ての部屋が破壊されている事に気がつきます。

2階や3階はおろか、どの階まで達しているのか分からない様子に戸惑ってしまいました。率直に言って頭が真っ白になったのです。

道の駅高田松原-タピック45-

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何も考えられずそのまま車を進めると、「慰霊施設」という大きな看板が見えたので車を左折させます。目の前に見えたのは三角形の大きな建物。何かの休憩施設か?と思い正面まで近づくと、中は完全に破壊されています。ここは震災遺構として残された、旧”道の駅高田松原”の建物だったのです。

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一見しただけではそのエリアが道の駅であった事が非常に分かりにくいのですが、カーナビを見ると道の駅のロゴがくっきりと描かれています。

慰霊施設で手を合わせる

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元々駐車場であった一角には、慰霊施設と、これまでの復興への取組みを紹介する広報施設が設置されています。偶然どこかの大学生が訪れ、掃除をしたり雑草を抜いたりといった作業をされていました。

慰霊施設で手を合わせます。どこかでお花でも買っておけば良かったと少々後悔します。

災害の後、何かすべきだと思いつつも「自分に何が出来るのか?」を考えると、実はとても難しい疑問で、結局何も出来なかった日々を思い出します。

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以前この街には高田松原という松林があったそうです。テレビで良く取り上げられた「奇跡の一本松」はこの場所の松であった事に、写真を見て気がつきます。こんなに立派な松林が、わずか6年で巨大な堤防になってしまうとは・・・。

震災遺構を残すべきか、否か

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色々な街に立ち寄りながら走る中で、陸前高田市は特別”震災の爪痕”が多数残されている印象を受けました。

震災遺構。遺構が残される理由は「後世に災害の恐ろしさを伝え、同じような被害を起こさせないこと」であると理解します。

しかし私にとっては率直に言ってとても悲しくて、辛くて、苦しさを感じさせられる場所でした。ここで引き続き生きて行く皆さんは、嫌でもこの光景を毎日見なければいけないのかもしれません。

人生でも苦しい事があると”あえて忘れよう”と頑張る瞬間がありますが、前に進んでいくために何も残さないという選択もあるような気がします。こんな事を書きたくなるほど、胸が痛む光景である事をご理解いただければ幸いです。

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看板の上まで届いた津波。それがどんな状況か想像が出来ません。

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