岩手県沿岸、国道45号線を走る
-6 years after tsunami disaster, 2017 OCTOBER-
”岩手県沿岸、国道45号線を車で走る”
”岩手県沿岸、国道45号線を車で走る”
このミニサイトは、2017年10月に岩手県沿岸にある国道45号線を、北から南へ自動車で南下した記録です。わずか2日ほどの訪問しか出来ませんでしたが、可能な限り間の町へ立ち寄り、今現在の状況を記録しました。
Introduction:あの日は全てが変わった日だった
Introduction:あの日は全てが変わった日だった
2011年3月11日の14時半過ぎの事を私は深く記憶しています。仕事に絶望していた私は「もう駄目だ」と勤務中にも関わらず項垂れていたのでした。そんな時机の上のファイルが突然倒れ、立っていられないほどの揺れに襲われたのです。
大都会東京が災害に強いわけもなく、コンビニのおにぎりやお弁当は全て売り切れ、近くのラーメン屋までも「麺が売り切れた」と悲鳴をあげる始末。電車は全て止まり、首都高速道路は閉鎖され、皇居前の内堀通りが車で埋まっています。
5時間歩いて家に帰り、気がつけば眠りに落ちる私。目が覚めて「地震は夢だったのか」と思う間も無く、自らの散乱する机に唖然としたのでした。
テレビから次々に流れる悲惨な映像。その日まで絶望していた私が、”生きられる事が幸せではないか”と息を吹き返したのは言うまでもありません。それから6年経過しましたが、今を知るために初めて災害の影響が大きかった場所へと足を踏み入れる事にしました。
訪問レポート
訪問レポート
幾度も訪れる”津波浸水区間”。浸水地域に沿う形で防潮堤の建築が進んでいます。
陸中海岸の真ん中に位置する山田町。地盤の嵩上げが進む街に見えたのは、子供達の笑顔でした。
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