聖なる鹿殺し
The Killing of a Sacred Deer (2017)
2018-4-30
「聖なる鹿殺し」を見てきた。コリン・ファレルが主演。
もう、本当に胸の悪くなる話だった。
最後の最後でボブが死ぬのがやりきれない。
劇中で、主人公のスティーブンが死ぬという選択肢についてどうして一度も言及されないんだろうと何度も思った。過失を犯した本人が死ぬ方が、罪のない子供が実の親に殺されるよりずっといいのに。
映画が始まると説明できない違和感を感じて、それが徐々に無視できないものになっていくという過程が巧かった。
私は最初、その違和感は主人公側にあると感じていたけど、マーティンの行動が正常から逸脱していくからそちらに気がそれていく。
けど、見終わってから思うのはやっぱり主人公の異常性についてだなあ。
マーティンが精神を病むのはまだ分かる気がする。彼が「傷を撫でられても痛いだけだ」と言ったように、主人公が自分の罪悪感を晴らすためにマーティンに接近したことも事の発端を担っていると思う。父親を殺したという疑念のある人間が近付いてきて、表向きは親切にしてきたら、と想像すると精神がおかしくなる可能性もあると思う。
でも、主人公の異常性はボブを撃ち殺した場面を頂点に、最初から最後まで拭われることはなかった。正義のなさ。ここまで書いてみると、マーティンが「少なくとも正義には近づいていると思う」と言ったことを思い出したりする。
そうそう、あと、母親の足が結局健康なままだったのも残酷だと思った。ただでさえ大人の立場の方が強いのに、同じ理不尽にまで降りてくることもなく「私はまた子供を産めるから殺さないで、子供を殺して」と言ってしまえる傲慢。子供を学業の優秀さで選ぼうとするのもひどくて、いよいよ正気じゃない…!
だけどこの映画は、よい人間が追い詰められていく中でどのような選択を取るのかを見守る映画ではなくて、実は異常である人間を追い詰めてその異常性を暴く映画だと思う。
よくできてるなあと思うのは、そつのない行動を取る主人公に気持ち悪さを感じ続けるところ。前半はわりとまともな人間らしく行動しているのにそれが見せかけであることを窺わせるのは演技のおかげか演出のおかげか…なんて。
ここまで散々主人公を悪く書いたけど、マーティンを止めるにはどうしたら良かったんだろうとは思う。
復讐の矛先がスティーブンに直接向かわずに子供へと向かっていったのがとても怖い。
子供から大人になる間にいるマーティンの、復讐の一矢…。
誰かの感想で、マーティンはあの結末に満足したのか?という疑問を見かけたけど、それを判断する精神状態ではもはやなさそう。
ふー。
不安を煽る弦の不協和音、合間の静けさ、気味の悪さ、血も涙も残酷も、ひとつの箱に収まってしまうような雰囲気があったな。
とてもよくできてたけど好きじゃない…!!子供を犠牲にする大人のことを考える。
一番弱い立場だったボブが死んだように、子供が犠牲になることはとても多いからつらい。(映画ではランダムに撃ってたけど、あれは必然でボブが死んだのだと思う)
最近、友人と「これからの子供たちに渡せる素晴らしいものはある」という話をしていて、子供たちを犠牲にする大人にならないことは最低限の前提で、そこから暖かくて楽しくて安心できる大人になるぞ!と思い直したり、しないとつらい映画だった。