筋収縮系の自励振動と
その生理的意義
その生理的意義
図1に心臓の構造的・機能的階層性を模式的に示した。まずこの階層の最上位に位置するヒトの心臓(vi)は、心筋細胞(v)の集合体である。心筋細胞(筋線維ともいう。ここでは、筋細胞から細胞膜を取り除いたタンパク質収縮要素を「筋収縮系」と呼ぶ)は多数の筋節(iv)が直列につながった筋原線維(筋収縮系として機能する単位構造体)の集合体であり、筋節(筋原線維を構成する最小単位)はミオシンフィラメント(緑色)とアクチンフィラメント(茶色)とが規則的に配列した液晶様の格子構造体である。そして、筋収縮運動を担うタンパク質集合体の最小単位として、一対のアクチンフィラメントとミオシン分子(分子モーター;iiとi)に行き着く。
図1. 心臓の階層構造
それぞれの図の右側のチャートは、各階層における発生力、Caイオン濃度、そして電気シグナル(ECG)の時間経過を表している。分子モーターとアクチンからなる分子レベルでは、運動(力)は確率的に発生するので、これを一般的に「確率的ナノマシン(Stochastic nanomachine)」と呼ぶ。ナノマシンが多数集合し、規則性を持つ筋原線維のレベルになると、収縮・弛緩運動を周期的に繰り返す自励振動運動(SPOC)がみられるようになる(ivの右図)[1]。これはまさしく、確率的ナノマシンが多数個集合することによって生物機能に協同性が生まれることを示す典型的な例である。
筋細胞の状態は、力を発生する活性化(ON:収縮)状態と、力を発生しない不活性化(OFF:弛緩)状態のいずれかであるといわれる。これを「全か無かの法則(All-or-none principle)」という。筋収縮のエネルギー源はATP(アデノシン3リン酸)であり、力学酵素の働きでATPがADPとPi(無機リン酸)に加水分解される際に放出される化学エネルギーの一部が使われて力学的仕事が生まれる。筋細胞では、Caイオン濃度がおよそ μM 以下だと制御タンパク質による抑制作用が働いて、弛緩状態にあり(ミオシン分子モーターがアクチンと強く結合できない)、Caイオン濃度が μM を超えると抑制が解除され、ミオシン分子モーターの酵素機能がフルに活性化されてON状態が実現することが分っている。そこで細胞膜を除去した筋収縮系では溶液環境を自由に整えることができるので、Caイオン濃度などの調節条件をONとOFFの中間条件に設定することが可能になる。Caイオン濃度に限らず、ONとOFFの中間状態を作ると、筋収縮系はSPOC状態になることを私たちは多くの実験を通じて証明してきた[2, 3]。
その結果得られたのが、筋収縮系の3次元状態図(x, y, z軸はそれぞれ遊離のCaイオン、Pi、MgADPの濃度)である(図2上図)[4]。最近私たちは、SPOC特性をほとんどすべて説明することができる理論モデルを構築することに成功した[5]。この理論は、筋原線維の長軸方向の力(収縮力)だけでなく、これまで収縮メカニズムとしては軽視されてきた、長軸と垂直な幅方向での力の釣合い(筋節が粘弾性体であることによる)を筋収縮の仕組みの中に取り込んだものである。
SPOCが発生する仕組みについての理解は進んだが、さて、この運動特性は生理的に意味のあるものなのかどうか、SPOCの生理的意義に興味が移る。その点については、我々はすでに、図2下図に示したように、中間活性化条件で発生するSPOCの筋節長の変動パターン(鋸波形)の周期が、ネズミ、ウサギ、イヌ、ブタ、ウシから調製した心筋線維において、それぞれの動物の静止心拍とほとんど線形の関係にあるという結果を得ている[6, 7]。また、動物種によるSPOC周期の違いは、筋線維を構成するミオシン分子モーターの分子種がそもそも異なっており、その、アクチンとの相互作用による酵素活性が、SPOC周期の順に低くなることに起因することも分った。さらに最近ヒトの心筋で同じ性質を研究しているが(シドニー大学との共同研究)、ちょうどブタに近いところで、同じ直線に乗ることが分ってきた。この事実は、筋収縮系の自励振動能が、心拍機能の構造的機能的基盤となっていることを期待させる。
図2. 筋収縮系の3次元状態図と心筋収縮系の SPOC 波形
さらに以上の結果は、心臓という臓器は、ナノ(分子モーターレベル)とマクロ(心臓レベル)とが直結する臓器であるという、新たな階層原理の存在を示唆するものである。マクロな心拍(力発生)によって、遠く離れたところにある分子モーターに「分子ひずみ」が生じ、ちょうどキネシンやミオシンVのような1分子で歩行運動する分子モーターで我々が証明したように(次節参照)、受動的に生じた分子ひずみによって分子モーターの酵素活性は変調されることになるだろう。このような化学・力学フィードバックループが幾つかの階層にまたがって存在すること、それが心臓という、動物の生死を左右する重要な臓器の機能を支える基本原理として存在しているのではないか。それが我々の得た帰結・主張である。[8, 9]
参考文献
[1] Shimamoto, Y. et al., Biochem. Biophys. Res. Commun. 366, 233-238 (2008) [article]
[2] Okamura, N. & Ishiwata, S., J. Muscle Res. Cell Motil. 9, 111-119 (1988) [article]
[3] Shimamoto, Y. et al., Biophys. J. 93, 4330-4341 (2007) [article]
[4] Ishiwata, S. et al., Adv. Exp. Med. Biol. 332, 545-556 (1993) [article]
[5] Sato, K. et al., Prog. Biophys. Mol. Biol. 105, 199-207 (2011) [article]
[6] Sasaki, D. et al., J. Muscle Res. Cell Motil. 26, 93-101 (2005) [article]
[7] Sasaki, D. et al., Biochem. Biophys. Res. Commun. 343, 1146-1152 (2006) [article]
[8] Ishiwata, S. et al., HFSP J. 4(3), 100-104 (2010) [article | PDF (215 KB)]
[9] Ishiwata, S. et al., Prog. Biophys. Mol. Biol. 105, 187-198 (2011) [article]