興生寺副住職の田村大地です。2025年9月20日(土)、興生寺で大施餓鬼会(だいせがきえ)が行われました。いわゆる、「お施餓鬼(おせがき)」と呼ばれる行事です。興生寺では、毎年9月20日に大施餓鬼会を行っており、非常に多くの方にお参りいただいております。今年も多くのご参拝者が見られ、境内も賑わいを見せておりました。せっかくの機会ですので、今回は「施餓鬼」とはどんなものなのかを、簡単に紹介できればと思います。
<施餓鬼の概要>
施餓鬼とは、漢字が表すように、餓鬼(がき)という存在に施しを与える行事です。餓鬼とは、餓鬼道という地獄の一種に堕ちてしまった魂の事で、永遠の飢えに苦しむとされています。こうした魂を救済するために、食事を施す仏事を施餓鬼と呼んでいるのです。
突然ですが、皆様は中島みゆきの「糸」という音楽をご存知でしょうか。「縦の糸はあなた~♪ 横の糸はわたし~♪」という歌詞が有名ですよね。私が大学で仏教を学んでいるとき、大学教授から「縦の糸はお盆~♪ 横の糸は施餓鬼~♪」という替え歌を披露していただいたことがあります。中々パンチの聞いた表現ですが、実はとても的を得た歌なのです。皆様ご存知の通り、お盆はご先祖様を供養することが一番の目的です。一方で施餓鬼とは、ご先祖様に限らず、餓鬼となってしまった魂すべてに施しを与えることが趣旨とされています。そのような意味では、自分にとって縦位置にあるご先祖様を供養するお盆は縦の糸、自分にとって横位置にある餓鬼を供養する施餓鬼は横の糸ということができるかもしれません。
では、どうして我々は、餓鬼に施しを与える必要があるのでしょうか?もちろん餓鬼の魂を救うことは、それ自体とても素晴らしいことではありますが、なぜ、ご先祖様以外の魂にも供養を施す必要があるのでしょうか。それは、施餓鬼の功徳は自分のため、そしてご先祖様のためにもなるからです。そもそも、施しを与えるということは、仏教用語で「布施(ふせ)」と呼ばれ、貴ばれる行為であると同時に、最も大切な修行の一つであるとされています(*仏教修行の一つに六波羅蜜と呼ばれる、最も重要な6つの修行があり、そのうちの1つとされています)。こうした修行は、我々の功徳(善い行い)として積み重なり、これに応じるように、仏様のご加護が得られるとされているのです。そして、こうした功徳は自分だけではなく、ご先祖様をはじめとする、周りの人にも波及するものだと考えられています。我々が施餓鬼で布施をすることが、ご先祖様の功徳を積むことにもなるのです。現代日本の施餓鬼においては、餓鬼に施しする代わりに、塔婆をお墓やお仏壇に捧げることが一般的になっています。布施や施しの形に正解はないですが、塔婆を捧げるという行為は紛れもない布施(施し)です。すなわち、多くの功徳があるということであります。
今回は、施餓鬼という行事について書かせていただきました。令和3年度の真言宗智山派総合調査によると、約7割の寺院が、施餓鬼会を寺院で行っているそうです。これは寺院で開催される数ある年中行事の中で、最も高い数字であり、この日本において施餓鬼という行事が如何に浸透しているかを示しているといえるでしょう。俗っぽい言い方をするのであれば、それだけ功徳を積むことができる機会に恵まれている、ということもできます。忙しい日々を生きる現代人にとって、慈悲の心を起したり、ご先祖様に思いを馳せる機会は、決して多くないと思います。そんな現代社会を生きる我々だからこそ、一年に一度のお施餓鬼に参加することで、普段考えることのない、ご先祖様への感謝や、慈悲の心をおこし、布施行に勤めてみてはいかがでしょうか。
この記事をお読みいただいた方々が、少しでも施餓鬼に関心を持てたのであれば幸いでございます。
合掌
↑施餓鬼会の準備の様子です。私の弟も準備を毎年手伝ってくれます。