人類は、その始まりから死者を葬り、その魂を鎮め慰めるための葬送儀礼=葬儀を行ってきました。葬送儀礼は民族・宗教によって、それぞれ独自の形がありますが、日本の仏教の葬送儀礼は一定の儀式によって故人の生前の所業を清めて聖なる存在である「精霊(しょうりょう)」と成し、成仏(じょうぶつ)や浄土往生(じょうどおうじょう)といって、故人の御霊(みたま)を生命の根源である仏さまの安楽の世界に送り還すために弔うことを目的としています。葬儀の後も亡き人の成仏を願い、敬虔な祈りを捧げ、物心両面の供養を重ねることにより、精霊は仏さまの大いなるいのちの世界で安らぐことができると信じられてきています。
真言宗の葬儀の要点は、故人を大日如来(だいにちにょらい)の曼荼羅(まんだら)世界に引き入れて、仏弟子(ぶつでし)にすることにあります。この作法を「引導(いんどう)」といい、真言宗で師から弟子に法を授ける時に行われる灌頂(かんじょう)という儀式をもとにしています。故人は、導師(どうし)から戒や真言宗の奥義を授かり、戒名を授けられて仏弟子となり、仏さまの世界=密厳浄土(みつごんじょうど)へと導かれていくのです。
最近、葬儀と平行して告別式が営まれることが多くなっています。告別式は、参会者が故人に最後の別れを告げる式で、本来、葬儀とは違います。しかし、葬儀によって安らかに仏さまの世界に旅立っていく故人に対し、参会者が故人の冥福を祈ってお焼香や合掌・礼拝することは、とても大切な供養です。
戒名は仏弟子としての名前であり、仏さまとしての徳を表す名前です。真言宗の葬儀において、故人の成仏のために、俗名に替えて導師から授けられるのが戒名です。故人は戒名を授かることで仏弟子となり、十三仏(じゅうさんぶつ)の導きを得て、ご先祖さまの一員となり、子孫を代々に亙って守っていく存在となるのです。
戒名は「〇〇院△△◎◎居士(女性は大姉)」や「△△◎◎信士(女性は信女)」などが授けられます。「△△」は「道号(どうごう)」といわれ、仏道修行に入ったことをあらわす呼び名ですが、今日では謚(おくりな)として、生前の功績や故人の人柄を表す文字が当てられます。「◎◎」は「法名(ほうみょう)」といわれ、仏さまの名をあらわしているので、「◎◎」のみを戒名ともいいます.戒を授かった仏さまの名としてふさわしい文字が当てられます。道号や戒名に俗名の-字を折り込むこともあります。
「〇〇院」は院号(いんごう)といわれ、その起源は天皇が譲位して出家した後に住んだ仏堂の名にちなんで、〇〇院と呼称したことに始まります。また、江戸時代の将軍や大名には院殿号が授けられました。このことから、寺院の伽藍(がらん)を建立したり、寺院の興隆に大きな功績のあった故人に授けられてきています。院号は寺院の名にふさわしい文字、故人の徳を称えた文字が当てられます。
戒名は故人の徳を称えるとともに、成仏への祈りと子孫の導きへの願いを込めて授けられる大切な名前です。戒名は菩提寺の過去帳に記載され、大切に後世に受け継がれていきます。
お仏壇は、家の中にご本尊さまを安置するお堂で、仏さまの説法の世界です。朝に夕に仏さまに一日の加護を祈り、ご先祖さまや亡き人の冥福を念じ、家庭の中で家族の心の拠り所です。
お仏壇の中には、私たちの「生きる力」の象徴であるご本尊さま、生きる教えを具体的に私たちに説かれた弘法大師、興教大師の両祖大師、そして、私たちの生命の源であるご先祖さまのお位牌をお祀りします。
お仏壇は、私たちが日々信仰心を養う拠り所であり、ご先祖さまのお位牌をお祀りする神聖な場所ですから、家族みんなが日々拝みやすく、また清浄な場所を選びたいものです。あまり強い日差しが入らない所で、家族が頻繁に出入りしたり、通行する所は避け、心静かにおまいりできるところが良いでしょう。
目に見えない大いなる世界を敬い、仏さまの教えを日々のくらしの中に生かしていくために、お仏壇にお茶・ご飯・水をお供えして『智山勤行式(ちさんごんぎょうしき)』をお唱えします(時間がない場合には光明真言(こうみょうしんごん)やご宝号(ほうごう)のみでも結構です)。朝夕のお勤めは仏さまとともにあるという「安らかな心」で日々を強く生きるために欠くことのできないものです。
お仏壇を家庭の中心にすえ日々拝む。このことで、家族の一人ひとりが心を静め、自分の生き方を問いかける場となっていくことでしょう。
位牌は亡くなった人の戒名を書き記してお祀りするもので、故人の御魂が宿り安らぐ依り代と信じられてきています。
真言宗では位牌に書かれた戒名の上に梵字(ぼんじ)の阿字(あじ)を記します。阿字は大日如来を表しており、故人が大日如来のお弟子として、大いなるいのちの世界で安らいでいることを示しています。また故人が子どもの場合は、子どもを守り導いてくださる地蔵菩薩(じぞうぼさつ)を表す訶字(かじ)を記します。
位牌は葬具としてお墓に安置する「野位牌(のいはい)」、四十九日まで祭壇に祀っておく白木の「内位牌(うちいはい)」、仏壇に祀る「本位牌(ほんいはい)」の三種類があります。「本位牌」は漆塗りのものが主なので「塗り位牌」ともいわれます。
お塔婆は、亡き人の追善供養のために建立する仏塔で、正式には「卒塔婆(そとうば)」といいます。卒塔婆は古代インドで塔を意味する「ストゥーパ」という言葉を漢字に写した語です。真言密教ではそれを立体的な「五輪塔」で表現しますが、鎌倉時代になると「板碑(いたひ)塔婆」が、室町時代の終わりごろになると「木柱形の塔婆」が、そして江戸時代になると、今日私たちが建立している木製の「板塔婆(いたとうば)」が一般的になっていきました。
板塔婆は、元々は五輪の塔でしたので、その形も、上から「宝珠」「半月」「三角」「円形」「方形」を表す刻み込みがあり、そこに「キャ」「カ」「ラ」「バ」「ア」と梵字が記されています。この形と文字はこの世界を構成する「空」「風」「火」「水」「地」の五つの要素(五大または五輪という)を表し、それはそのまま、ご本尊・大日如来を象徴しています。
塔婆の表には、胎蔵(たいぞう)大日如来の五字真言「キャ」「カ」「ラ」「バ」「ア」の梵字と、その下に、年回忌の十三仏や供養仏の種字と真言、戒名を書きます。これは、大日如来の大いなるいのちの世界で、故人が母親のふところに安らぐように、ご本尊さまに見守られていることを意味しています。
塔婆の裏には、金剛界(こんごうかい)大日如来の種字である「バン字」、その下に苦厄災難を除く「破地獄(はじごく)の真言」、そして「南無遍照金剛(なむへんじょうこんごう)」と「年月日」、「施主名」を書きます。
塔婆を建てる意味は、亡き人のための大きな功徳であり、同時に自分の信仰心を深めていくことでもあります。私たちも精霊(しょうりょう)も、ともにご本尊さまの大いなる恵みの中に生かされていることを願い、施主から精霊への「心からの便り」となるものです。塔婆を建てることは仏像を一体つくるのと同じくらいの功徳があるのです。
開眼とはご本尊さまの眼を開くという意味です。世間一般でいうところの「魂入れ」で、昔から「仏作って魂入れず」というように仏像を建立しても魂を入れない、つまり開眼供養をしなければ意味がないとされています。お仏壇を求め、お墓や位牌、お墓の石塔などを作ったら、必ず開眼供養をしてもらうようにしましょう。このように開眼供養とは、仏像、仏画、位牌、墓石、塔婆などが、ご本尊さまとしての仏徳をそなえるための作法です。
室町時代頃に13の忌日(7日×7、100日、1年、3年、7年、13年、33年)が定まり、お導きの仏さとして十三仏(不動(ふどう)、釈迦(しゃか)、文殊(もんじゅ)、普賢(ふげん)、地蔵(じぞう)、弥勒(みろく)、薬師(やくし)、観音(かんのん)、勢至(せいし)、阿弥陀(あみだ)、阿閦(あしゅく)、大日(だいにち)、虚空蔵(こくうぞう)の仏さま)が配当され、精霊は施主の勤めるご法事を縁として十三仏を順次巡り、それぞれの仏・菩薩の徳を授かり、子孫に福徳を施してくださると信じられてきました。そこで、今日でも特に功徳があるとされる年回(1年、3年、7年、13年、33年など)の故人の命日に、年回忌法要を行い故人の冥福や菩提のために法要を営むことが大切とされています。
年回忌法要では、亡き人の遺族が施主となって、仏さまに焼香・花・飯食(おんじき、供物)・燈明(とうみょう)・卒塔婆(そとば、とうば)などを供養し、導師(どうし、僧侶)が、その善行の功徳が故人(精霊)の冥福や菩提のためになるように読経や修法を行います。
亡くなった後に、追って福徳を施し故人に代わって善行を修するための供養なので「追善供養」といい、功徳を故人の冥福や菩提のために廻らし向けるので「追善廻向(ついぜんえこう)」ともいいます。
お盆とは、陰暦7月15日の前後数日間をいい、新仏やご先祖さまの精霊をわが家に迎え、供養し、家族と亡き人が共に過ごす期間です。「盆供(ぼんく)」「魂祭(みたままつり)」ともよばれ、また、四十九日忌(場合によっては三十五日忌)の法事が済んで初めて迎えるお盆のことを「初盆(はつぼん)」「新盆(にいぼん)」「アラ盆」などと呼びます。
「お盆」という言葉は正確には「孟蘭盆(うらぼん)」といい、インドの古い言葉「ウランバナ」を中国で音訳したものです。お盆の由来については『仏説孟蘭盆経(ぶっせつうらぼんぎょう)』に次の様に説かれています。
お釈迦さまの十大弟子の一人に、あの世まで見通せる千里眼を持った神通力第一といわれる目連(もくれん)尊者がおられました。その目連尊者がある日、亡くなった母親をその神通力で探してみると、驚いたことに母親が餓鬼(がき)の世界に堕ちているではありませんか。餓鬼の世界とは、どんなにおなかが空き、喉が渇いても、食べることも飲むこともできない、飢えと渇きの苦しみの世界です。目連尊者の母親も、食べ物や水を口もとに運ぶと、それはたちまち炎となって燃え上がり、口にすることが出来ません。
悲嘆に暮れた目連尊者は、何とかして母を救うことは出来ないものかとお釈迦さまに教えを請いました。するとお釈迦さまは説かれました。「汝の母は、生前の物惜しみをし続けた悪業のために餓鬼世界に堕ちたのである。その悪果(あっか)から救うために、7月15日は安居(あんご=一定期間の修行)を終える日も、修行僧たちに百味の施食供養(せじきくよう)をし、そのようにして積んだ功徳を餓鬼道(がきどう)で苦しんでいる者のために回向(えこう=転回して振り向ける)しなさい」と。そこで、目連尊者が教えにしたがって供養すると、母親は餓鬼の苦しみから救われ、天界に往生したのでした。
この経典の教えがやがて、新仏(あらぼとけ、しんぼとけ)やご先祖さまに対する感謝、そして追善供養の気持ちへとつながり、今日のお盆となりました。日本ではおよそ1300年前から行われ、江戸時代になると各家で「精霊棚(しょうりょうだな)」を作り、ご先祖さまの霊をお迎えしてお祀りするようになり、菩提寺の住職がその精霊の冥福を祈るために各家庭を訪問し読経する「棚経(たなぎょう)」が始まりました。
*興生寺では初盆のご家族を対象に棚経を行っており、8月14日または15日に訪問させていただきます。訪問回向をご希望の方は事前に興生寺までお申し込みください。
お盆は、亡き人への思いを新たにする機会であり、ともすれば忘れがちになるご先祖さまから連なる歴史の積み重ねの上に今日の自分があるという「いのちのつながり」に目覚める時でもあるのです。
お施餓鬼の由来は、『仏説救抜焔口餓鬼陀羅尼経(ぶっせつぐばつえんくがきだらにきょう)』に説かれる物語です。この物語の主人公は、お釈迦さまの身の回りの世話をし、お釈迦さまのそばで一番多くの教えを聞いたので「多聞(たもん)第一」といわれる、「十大弟子」の一人、阿難(あなん)尊者です。
ある日、阿難尊者が一人修行していると焔口(えんく)という餓鬼が現れ、「阿難よ、お前の寿命はあと三日で尽きる。死んだ後は餓鬼道に堕ち、私と同じような醜く恐ろしい姿の餓鬼になるだろう」と告げました。びっくりした阿難は餓鬼に、「どうしたらその苦をのがれることができますか」と尋ねます。すると餓鬼は答えました。「明日の朝、無数の餓鬼とバラモン(司祭者)に、多くの飯食(おんじき)を布施しろ。そうすれば、その功徳によってお前の寿命は延び、私も餓鬼の苦を離れ、天上に生まれることができるだろう」。しかし、そんなに多くの飯食を一晩で用意することはできません。困った阿難はお釈迦さまに助けを求めました。するとお釈迦さまは、施餓鬼の陀羅尼(だらに)を示し、「心配しなくてよい。この陀羅尼を唱えながら食物を布施すれば、無数の餓鬼、そしてバラモンに心のこもった施しをすることになるだろう」と教えました。そして阿難は、この教えのとおり餓鬼に布施をして、無事に死をのがれ、餓鬼は苦しみから救われたのでした。
ここに出てくる餓鬼とは、地獄・餓鬼・畜生という「三悪趣(さんあくしゅ)」の一つで、飢えと渇きに苦しむものをいいます。
餓鬼は、水を飲もうとしても水が血の膿となって飲むことができず、喉が針のように細いので食べ物を飲み込めない、そして口から火を吐いているので食べ物が燃えて口に入れることすらできないのです。
限りない物欲(ぶつよく)を象徴しているのが餓鬼です。そして阿難尊者が見たものは、自分の心の中にある物欲にほかなりません。物欲に支配されていると、自分本位に走り、人を差別したり、傷つけたりします。そこでお釈迦さまは、物欲に支配された醜い心を洗い、清らかにしていく手だてとして、布施の修行を示したのです。
このように、私たちが生きていく上で避けて通れない「食欲」をたとえにして、「もの惜しみをせず」人間らしく生きていく道を教えてくれ、すべてのご先祖様の供養を行うのが、お施餓鬼の法要なのです。