法事をつとめるということ
法事をつとめるということ
皆さんは、葬儀や法事をつとめる意味について、どのようにお考えでしょうか。
「お寺さんにお経をあげてもらって、亡くなった者が迷わないようにするための行事でしょ?」
という声を聞きます。
しかし、亡くなった方は、いったいどこでどのように迷っているのでしょうか。そしてまた、
お経をあげるということは、いったいどういう意味があるのでしょうか。
経教はこれを喩うるに鏡の如し
(善導大師『観経四帖疏』)
善導大師は、お経やさまざまなお聖教の教えは、私の姿を映し出す鏡のようだといわれます。
お経をいただくということは、真実のみ教え・仏法によって、目をそむけたくなるようなわが身
の姿に出会うということ、仏さまの願いに気づくという大事な意味があるのです。
つまり、葬儀や法事をつとめるということは、亡き人をご縁として、自らが仏法にふれ、真実に
目覚めさせていただく、仏さまの眼を賜る大切な時と場をいただくことなのです。
そのような場をいただいたことに深く感謝し、心しずかに南無阿弥陀仏とお念仏を称えましょう。
迷っているのは、むしろ私自身ではないでしょうか。