井の頭を愛する方々をご紹介していきます。
まずは過去の井之頭新報『街角』で紹介した
商店主さん等のインタビュー記事から
抜粋して掲載しています
(記事・写真は取材当時のものです)
週一日のご近所カフェ誕生
昨年6月、大盛寺に続く弁天堂表参道に小さな看板が立てられた。「おいしいすいようび」、子どもでも読めるひらがなの看板…はて?
表参道から少し入った住宅街に2001年から陶芸教室を主宰している冨平園子さんの『アトリエ・イアン』がある。なんとそのアトリエが毎週水曜日だけ、手作りのパンや惣菜を販売しつつ、老若男女が一息つけるカフェ空間になっていたのです。
手作りパンを販売しているのは『クク・パン』経営者の中里亜紀子さん。2013年から昨年3月まで、毎週金曜日に井の頭郵便局の脇道を入った店舗で10年以上にわたり多くのファンを獲得。その店舗のあった建物が老朽化で取り壊しが決まり、移転先を探していた。
時を同じくして、かつて7年ほど吉祥寺で『韓国百菜食堂みなり』を経営していた林民和(みな)さんが井の頭に引越して来ることになりました。中里さんと林さんは共にお子さんが冨平さんの陶芸教室に通っていたという縁もあり、2人のお店の大ファンだった冨平さんが一念発起。飲食の営業許可を取り、アトリエを提供して陶芸教室+国産小麦使用のパン+韓国家庭料理のお惣菜+コミュニティ・カフェという素敵な空間『おいしいすいようび』が誕生したのです。
井の頭らしいのんびりあったか空間
住宅街の中で路面店でもないアトリエに来る人は、きっとSNS検索で来る若者ばかり?…と思いきや、引き戸を開けると、子連れのママやご近所の高齢者などがいて誰が客で、誰がスタッフだか分からないほどの賑わい。
来店客はほぼ徒歩圏内の地域の方々。陶芸のアトリエゆえ、店内壁面には沢山の彩りある陶器が並び、単なるカフェではない井の頭らしい文化の香りがする空間です。
幼稚園帰りの親子連れがのんびりランチを食べて、中庭のブランコや砂場に出て遊ぶお子さんの姿も発見!
愛犬と公園の散歩後に立ち寄り、珈琲を飲み、ランチ用の調理パンと夕食用のお惣菜を買い「毎週水曜日は主婦業お休み~」と笑顔で来店される方もいるそうだ。
テーブルに並ぶパンも惣菜も、すべて手作り。韓国風太巻き・キンパには8種類以上の具材が巻かれ栄養満点。お肉、サラダ、チヂミなど、夕食のおかずに一品プラスとしてもおすすめです。
パンもシンプルな食パンから野菜、果物、甘味素材等をふんだんに使ったオリジナルメニューが毎週スタイルを変えて並びます。
取材した2月中旬、冨平さんの祖母の代から大切に保管されているお雛様も展示され、その見事な職人技による優しい御顔立ちに、心が和みました。
皆さんもお散歩ついでにぜひ「おいしいすいようび」を覗いてみてください。
ヒカリ電気商会
■井の頭5‐5‐15 明星学園小学校正門前
■0422-43-0439 FAX:0422-42-0876
■E-mail:masa_f@dion.ne.jp
(井之頭新報411号・2024年10月掲載)
生粋の井之頭びと
店主の布施正幸さん(64)は生粋の「井の頭人」である。井の頭に生まれ、旧井の頭保育園、第五小学校、第3中学校に通い、長じて大手電機メーカーの営業職に。店は父が1958年、井の頭公園通り沿いで開業したが、約30年前、父が重い病気にかかったため、会社を辞め二代目として店を継いだ。始めは父と2人で外回りの仕事をしていたが、父が昨年に他界してからは1人でこなしている。
3年前、倉庫として使っていた明星小中学校前の建物を自宅兼店舗・倉庫に改修して移転した。電気製品は大型店で購入する傾向が強いうえ、後継者難もあって、井の頭・牟礼地区に4件はあった「街の電気屋さん」で「残っているのはウチだけ」と布施さん。「大型店で購入したけどうまく動かないので直して」というメンテナンス需要も多い。地域の馴染み客からは「無くなったら困るからいつまでもがんばって」という声も聞くが、名簿上は700~800軒あったそんなお客さんも年々減り、今では50軒あるかないかになってしまった」と語る。毎夏の井の頭公園通り商店会・井之頭町会の盆踊り大会には音響や照明関係で関わる。
「井の頭に育てられた店だから
恩返しをしたい」
電球や電池が切れて「街の電気屋さん」に駆け込んだ経験を持つ人は多いだろう。電気店は「街のインフラ」ともいえるのかもしれない。「外回りをしている間は店を閉めざるをえないけれど、電話をもらえれば駆けつけます」布施さんは井の頭人らしい優しい顔になって、そう言った。
お魚専門店『島長』
■井の頭3ー17‐6 第五小学校通り
■0422-43-7961
■定休日:日・月曜日
(井之頭新報393号・2020年4月掲載)
地元唯一の鮮魚店
今回は五小通り商店街にある「島長」さんにお邪魔しました。ご主人の篠原秀和さんは、とても活きのいい、力みなぎる若さ溢れる方でした。ご家族は愛妻、大学と高校に通う2人の息子さん、ご両親の6人です。
スーパー・スポーツマン!
篠原さんは、井の頭で生まれ育ち、五小、三中卒業という、文字通り〝井の頭っ子〟です。小学校では少年野球チーム・ランサーズに、中学では三中野球部に所属し、野球に明け暮れしました。
「ランサーズ時代、監督、コーチの指導は厳しく、つらかったけど、それがあったからこそ、高校野球部(東海大付属浦安高校)での厳しい練習にも耐えられました」と、感謝の言葉で当時を振り返った篠原さん。
10年以上も続けてきた野球でしたが、東海大学入学後は野球から離れて、ライフセービングの資格を取り、先輩と2人で創部し、現在は「東海大学湘南校舎ライフセービング部」の監督として、毎週日曜日には部員の指導にあたっています。昨年の全日本学生ライフセービング選手権で総合優勝を果たしました! ちなみに、愛妻の弘美さんとは、ライフセービングがご縁だとか…
跡継ぎに
陸から海へとスポーツの場を変えた篠原さんが大学卒業後に選んだ職業は、親の家業を継ぐことでした。
お父上の恒美さんは中学を卒業すると、群馬県館林から上京し「島長総本店」(文京区大塚)で修業を重ね昭和40年、社長から暖簾分けしてもらい、栗原商店の一角に「島長三鷹」を開きました。
小学校の時から店の手伝いをし、高校、大学時代に飲食店でバイトしていた篠原さんは、すでに包丁を握り、料理も造っていました。そのため、跡を継ぐことには抵抗はなく、むしろ、サラリーマンになることは全く考えていなかったそうです。
現在は
篠原さんの毎日は、とてもハードです。午前3時には魚の仕入れで豊洲市場に向かい、6時過ぎに戻り、七時には学校、幼稚園などへの配達に飛び回ります。魚の仕込みは前日に済ませます。日曜にはライフセービング部監督が待ち構えており、一体、いつ休むのかと思うほどの忙しさです。かつては、そんな忙しいなかで、消防の第四分団長や五小PTA会長をこなしていたというのですから驚くばかりです。でも話をうかがっていて、疲れを感じさせないのは長年スポーツで鍛えた頑強な身体と、仕事への情熱にあるのではないかと思いました。
地元に根づく
これからのことをお尋ねすると、魚の専門店として、又地元の数少ないお店として、新鮮な食材を提供できるようにしたいと、熱き思いを語ってくれました。
最後に魚選びのポイントは?という質問に、「見て美味しいと思うものを選びます」との答えが返ってきました。
島長ファンをどんどん増やして、井の頭に根づいたお店でありたいという、篠原さんの地元愛が伝わってくるインタビューでした。
仕事中のお忙しい時間を割いていただき、ありがとうございました。
阿部
■井の頭3‐31‐1
■0422‐29-9106
■定休日:日・月曜日
(井之頭新報389号・2019年4月掲載)
不思議な世界
ほのかな灯りが手元を照らし、カウンターにおかれたイタリアワインが芳醇な香りを漂わせている。外の喧騒と離れた別世界がここにはある…と思い描きながら訪れたワインバー「阿部」。ところがドアーを開けると「えっ!ここがバー?」と思うほど、なんともフレンドリーな光景があった。馬蹄形をしたテーブル。白のトーンで統一されたインテリア。ワイングラスを片手に、まるでわが家のリビングでくつろいでいるような居心地よい空間があった。飲む時間のない人がお気に入りのワインを買えるようにと、ワインショップのコーナーもある。
イタリアワインを求めて
オーナーの阿部誠治さんは現在、41歳。奥様と10カ月になる男の子との3人家族。イタリアワインに合うイタリア料理を学びたいと辻料理専門学校に1年通った。代官山のイタリアン・レストランがコックとしてのスタートとなった。しかし、コックの修業は1年ほどでやめた。その後は目白のフォーシーズンズホテル、西麻布のイタリアンレストランでソムリエとしての仕事に携わり、2006年にJSA(日本ソムリエ協会)ソムリエの資格を取得した。ソムリエは利き酒の達人ぐらいにしか思っていなかった私は、資格試験にはワインの知識は言うに及ばず、その土地の歴史、地理、自然など、幅広い教養が求められることを知って驚いた。阿部さんが語るイタリアワインやその生産地についての引き出しの豊富さに納得する。
ワインバー阿部 オープン
これまでに千軒を超えるイタリアワインの品評会を回り、これはと思うワイナリーを見つけると自ら北イタリア、トスカーナ地方に飛んで、小さな、しかし特色あるワイナリーを訪ね、直接ワインを仕入れるという話を聞いてまた驚いた。足を運んだワイナリーも四百は優に超えるという。その行動力の原点が自分が納得できる美味しいワインをお客様に提供できる店を持ちたい、という強い意志だった。しかも、その店はこれまで修業してきた代官山、西麻布という土地柄とは違う、生活の息吹を肌で感じられるような街で開きたいと考えていたと、その時の心情を阿部さんは語ってくれた。そんな街として選んだのが吉祥寺だった。念願の「ワインバー阿部」は2014年3月にオープンした。自分のペースでゆっくりやりたいと思っていた阿部さん。井の頭はまさに日々の生活を実感できる街だった。その心意気とワインを求めて遠く逗子、川越から通って来る人もいる。今度はインタビューではなく、美味しいワインと楽しい話を聞きたいと思いながら、お忙しい時間におつきあい頂いた阿部さんにお礼を述べ、ワインバーを後にした。(文・大胡、写真・板橋)
小料理 やなぎ
■井の頭5‐11‐21
■0422‐41‐7123
■定休日:火・水曜日
(井之頭新報388号・2019年1月掲載)
「は~い、いらっしゃ~い」
店内に入ると、店主の元気な声と女将さんの明るい笑顔が迎えてくれます。今回の街角は、井の頭公園通り黒門そばの小料理「やなぎ」さんにお邪魔しました。
元は豆腐屋さん
ご両親が昭和38年に始められた柳豆腐店のあとを、平成17年に小料理屋「やなぎ」として新装開店。以来13年、店主の中澤洋之さんと女将さんの尚美さんが切り盛りされています。
2人のお嬢さんもお手伝いをされていて、アットホームな小料理さんです。近所の方々の憩いの場、話し合いの場として、皆さんの明るい声が絶えません。
店主の中澤さんは井の頭生まれ。五小、三中の卒業生です。高校卒業後は調理師学校の和食コースへ進み、赤坂プリンスホテルへ就職。以来9軒のお店で腕を磨き、10軒目のお店がこのやなぎとの事。その間、7軒目となる渋谷のお店で尚美さんと出会い、結婚。いつかは自分たちの店を…と、二人頑張ってこられたそうです。また中澤さんは地元の消防団第4分団の団員でもあり、入団27年目の大ベテランです。「自分たちの町は自分たちが守らなきゃ…それだけですよ」と笑顔で話されます。
やなぎの味「柳豆腐店」の味
お店の人気メニューをお聞きしたところ、出汁巻き、牛スジ、揚げ出しなどが人気で「ブリ大根もよく出ますよ」との事。新鮮な魚介類も絶品ですが、やはりお父様直伝の手作り豆腐。柳豆腐店を知る人たちには懐かしさを感じるお味です。
近所の蕎麦屋さんが閉店した後は、ランチの営業(月・火)も始められていますので、お酒はチョット…という方でも、やなぎの味は楽しめますよ。(※現在はランチ営業はしていません)
女将さんは言います。「私も井の頭に嫁いできた一人なので、前から井の頭に住む人たちと、新しく井の頭に住み始めた人たち、このお店がそんな人たちを結ぶ、出会いの場になれば良いな…」と。そんな思いが、お店の雰囲気に表れているのでしょうね。
記事を書いていたら、私もまたお店の扉を開けたくなりました。
「は~い、いらっしゃ~い」店主の元気な声と女将さんの明るい笑顔。皆さんも一杯、如何ですか?
今回、紹介するお店は、五小通りにある「末廣屋喜一郎」という、雅な名前の和菓子舗です。
三代目直道さん
現在、店を切り盛りしている三代目の笠岡直道さんが店を継いだのは、父親の二代目喜一郎さんが大病した7年前、36歳のときでした。全く畑違いの和菓子職人の世界に入ることは、大きな決断でした。「初代から続く店がなくなるのは親のことを考えると、ほっておけなかった」という言葉から、店を思い、親を思う直道さんの真っすぐな心が伝わってきます。だから父の手書きのレシピを懸命に写し、父の和菓子づくりを懸命に覚えたと話す直道さんは、今は新しい創作和菓子にチャレンジしています。
負けるもんか!
会話の途中から加わった喜一郎さん。体調を心配しましたが、途切れることのない和菓子づくりの話は、いつの間にか、やんちゃな中学時代へと。ケンカで負けなかった話に飛び出た「負けるもんか」の言葉。家業を継いだ喜一郎さんが苦労を重ね、ときにくじけそうになった時、心の支えになったくれた言葉でした。
末廣屋喜一郎
喜一郎さんの父、末喜さんが昭和14年に高田馬場で菓子卸商を始めたのが創業。その後、昭和31年5月に心機一転、井の頭に転居して「和菓子司末廣」を開業。7歳の喜一郎さんも店を手伝い、中学、高校と手伝いに明け暮れる毎日。高校卒業と同時に本格的に家業を手伝うようになり、昭和49年に末喜さんが亡くなると、二代目として店を継ぎ、平成3年10月に店舗を建て替え、屋号を現在の「末廣屋喜一郎」と改めました。
どら焼き
お店のいちばんのお菓子は?の質問に「どら焼き」と即答。長年、材料にこだわり、試行錯誤して出来上がりました。
2017年、井の頭恩賜公園開園百年で両陛下(当時)が公園に来られた時、「陛下~井の頭のどら焼きです。お召し上がりくださ~い」と一人のご婦人の声が聞こえました。末廣屋さんのどら焼きでした。どら焼きは、東急吉祥寺店の諸国銘菓コーナーでも「吉祥吉日」と刻印して販売されているとお聞きしました。
最後に、直道さんにこれからの抱負を伺ったところ、「お客様に笑顔をお届けすること、そして両親と三人で店の暖簾を守っていくことです」と、明快な言葉が返ってきました。