私が山邊研究室に配属されたのはちょうど阪神大震災があった直後の平成7年4月でした。それから山邊先生退官までの間、学部・修士・博士と合わせて5年ほどお世話になりました。世界各国から訪問者の絶えない国際色豊かな研究室だったと記憶しています。
一番の思い出はD2のときに、山邊先生と日中理論化学シンポジウム(中国合肥市にて開催)に参加したときの出来事です。この学会は現地の大洪水により何度も延期となっており、日程も急遽決まったもので、プログラムも詳細は不明となっていました。山邊先生に「ポスター発表で参加するように」と言われて、A4でモノクロ印刷した原稿を携えて上海経由で現地に向かっていたときのこと。山邊先生が「大変な事が起きたで。連絡の行き違いがあって、君は口頭講演やから」と冗談か本気かわからないような口調でおっしゃったのです。「先生、ポスターしか持って来てないですよ。」と返答すると、「ここに無地のOHPフィルムが12枚ある。これで15分もたせてくれ。君は運がええで、今はちょうど上海という都会にいるから、ホテルの複写機でポスターから口頭発表用の原稿を作るんや。これから行く所は中国の田舎やからホンマに何もないで、」と却下されました。本当に幸運なのかな?と思いながら、しぶしぶ原稿作成に取り掛かることにしました。英語の口頭発表が未経験の私はというと、その日から心配と緊張で食事が喉を通らなくなってしまいました。物見遊山気分が吹き飛んで、最初はとんでもないことになったという思いで先生を恨みさえしました。しかし、心配+緊張+現実逃避+諦め気分が絡まった変な気持ちにより、発表時には“この先生について行けばどんな困難もたいしたことないと思って乗り越えられる”と超がつくポジティブ思考になっていました。発表はどうにかこうにか終わり、山邊先生にも(初めてにしては)なかなか発表よかったよと元気づけられて非常にうれしかったです。当時は大変でしたが、今ではすっかり笑い話になっています。この事件のおかげで少々のことではビクともしないようになりました。
最後におまけとして、先日(平成25年9月14日)、山邊先生喜寿記念&山邊研究室同窓会 (85名参加)に参加したので、そのときの記念撮影の1コマを載せておきます。
後列 康さん 今出さん 湯村先生 松浦先生 宮島さん 吉澤先生 加藤さん 立花さん
前列 蒲池先生 山辺先生 吉野先生 塩田
山辺先生のおかげで鉄人になれました。。。
学生時代は筋トレが趣味でした。
本文:熊野寮50周年記念誌に寄稿したものです。
写真:カツカレーは京都のビヤントに実際行ったという杉野君(2026・身の回りの化学・金1を受講)からもらいました。ありがとうございます。30年たっても変わらぬ姿に感動しました。入寮したとき先輩に初めて連れいってもらったお店でした。とても辛くてこれが大人の味かとおもったけど、寮生活はもっと濃厚なものでしたね。
[序]寄稿依頼を受け、寮での日々を振り返ると自分でも忘れていたことを思い出してきました。“人生とは、その人の回想のことである“という言葉もあるので、この機会に熊野寮生活を書き下してみます(漫談筆)。
[入]私が一浪を経て京大に合格したのが1992年、その京都生活の出発点が熊野寮でした。当時はバブル期の終り頃でのんびりとした雰囲気が世の中を覆っていました。生活費を節約するためでしたが、愉快な仲間達に囲まれて奨学金(80千円/月)程度で十分生活できたのでいい時代だったと思います。熊野寮は大学からも近く、四条・河原町方面にもアクセスがよくて便利でした。
[学]希望に胸を膨らませて大学に入ったものの、教養部構内の“人と自転車のカオス”に嫌気がして、賀茂川、御所、岡崎公園などの自然散策、古本屋めぐり、府立図書館通いをしていました。単位不足に苦しめられていた寮の先輩から手ほどきうけていわゆる楽勝単位で固めていました。“単位は天から降ってくるので受け取るタイミングだけが大事、一年時は必要単位に専念し、興味がある科目は二年生でとればいい”というアドバイスが非常に役に立ちました。先輩達のオススメは“単位はあげるので授業には来ないでください”で有名な国憲の豊田先生で、この先生によって一年間にばらまかれる単位は4000単位とも5000単位とも噂されていました。あと、当時の生協パンフに掲載の特殊京大生理論なるものが印象的でした。授業の出席者Aは時間tの関数で一週間wごとに半減する関数A = A0 (2)^(-t/w)で示される。ただし、A0は初回出席者で、テスト前の一週間にはこの関数は不連続となり出席者はA = A0に復活する。
[務]寮の雑務は主に事務室当番と食堂関連でした。事務室当番は単なる電話番+荷物受取係なので、のんびりと漫画をよみつつ過ごしていました。“ある組織に命を狙われているので助けてください”とかの濃い電話は残念ながら私には縁がなかったです。その手の電話をうけた東Nさんは“はい、はい、頑張ってくださいね”とガチャ切りしたらしいですが…。寮の夕食は売れ残ると訪問販売の売り子をしないといけないのでこれが辛かったですね。まれにでるウナ丼は即完売なのに対して、塩サンマは全く売れないので知り合いに泣きついて買ってもらっていました。強アルカリ洗剤による皿洗いも新鮮な体験でした。
[食]平日は寮食(当時は昼230円、夜350円)に、休日は洋食 Sato、中華 唐山、辛口カレーのビヤント、ハイライト、丸二食堂などにお世話になりました。特にSatoのグリルドチキンとコロッケ入りトンカツがお気に入りでした。Satoはなくなってしまったそうですが、東山七条にある“里”の支店だったらしく、里でもSatoと同様のメニューを提供しているようです。
[遊]寮生活の中心でした。受験の反動からか退廃的な生活(主に麻雀とゲーム)に身を委ね、風呂無し生活と夜更かしの醍醐味を覚えました。朝は寝床でぐーぐーぐーって鬼太郎の歌にあったような?いまとなっては、桜湯(寮生だと20円引き?)の終了時間(24:00)までになぜ入場できなかったのか謎ですね。
[友]才能溢れる友人、先輩との出会いにより多くの刺激をうけました。蘊蓄とサブカルチャー談義はオタクの嗜みです。私達のローカルルールは、単に面白いという感想では不十分でその何が面白いか説明すべしというものでした。
[戦]廃寮に対抗するために防衛委員という仕事がありました。“常に我々は廃寮化攻撃にさらされている。寮生の諸君は、ガサに備えてサングラス、マスク、ヘルメットの3点セットを用意して川端署のテロリスト(=公安)に対抗するのだ!!”が記憶に残っています。
[集]集会といえば、ブロック会議、寮生大会、寮祭などがありました。下着泥棒事件(犯人は寮生)などの緊急集会も記憶に残っています。入寮そうそうに議長に任命されてしまったA3ブロック会議はまったくの盛り上がりに欠け出席者は2〜3人でした。あまりに暇で議事録にリップサービスで“日帝の横暴に寮生の怒りが爆発した”と書いたら自治会の人が現れて大変なことになったのは内緒です。寮生大会は非常に長くてつらかった思い出しかないです。
[買]サンプラザ*(入ると買い物するまで出れないシステムが斬新、たまに卵がやすいが全体的に高め)、ジャスコ(現イオン?、二条にあり UFOがたまに安い)、ヤオセン(野菜が安い)が食料の買い出し先でした。私は四条あたりにあったマルトミという激安衣料品店を愛用していて、1000円で入手した黒いジャンパーを喜んで着ていたら同じブロックで3人ほど同じものを着用していてあぜんとなったのはいい思い出です。 *補足 熊野神社の交差点に北東にかってはありましたが現在はなくなっていました。
[離]一年生の終り頃、生活環境を改めて真面目に過ごそうと決心して、二年生の4月に上高野(岩倉より少し手前です)の下宿に引越をしました。熊野寮という竜宮城を離れて、“修学旅行の夜”のような生活からの解放感を味わうと同時に何とも言えない寂しさを感じました。良くも悪くも濃密な時間でした。
[結]最近、研究室の同窓会があり、卒業後、いろいろな立場となり普段顔を会わせることはほとんどなくなってしまった旧友達と“昔はしょうもないことをしてたなぁ”と気楽にはなせる機会は得難いものだと実感しました。寮の同窓会を通して、元寮生同士の交流が深まることを期待しています。宀(うかんむり)にRという略字は寮を離れて以来、見ることはありませんが寮関係者だけが読める心に刻まれた秘文字ではないでしょうか。
ここには、書くか書かないか分からないエピソードのタイトルだけを並べています。OB・OGには、きっとくすりと笑ってもらえると思います。掲載してほしいひとはエピソードを添えておくってください。
主要登場人物(イニシャルで重複が多いので補足として用意、適当です。)
S先生 このコラムの著者、被害者であり観察者 Y梨県N崎市出身。
K先生 S先生の先輩で変人、すこし服装と動きが特殊で味がある。酒のむとセリフがひたすらループする。N工大学教授 H海道出身
K先生 S先生の後輩で変人、うるさい酒乱だが S先生と気が合う F工大学教授 F岡市出身
Y先生 S先生の後輩で普通。Tと同期。Y先生と中が良い。お酒強い神主でもある。K都工S大教授
T先生 S先生の同輩で とても理知的だけど、やっぱり変わってる。キレルと怖い D大学教授 帯H市出身
T先生 S先生の元教え子で超秀才で、物静かだが隠れ酒乱 Q大教授 U杵出身 絡まれ体質。ヨメが漫画家
N先生 アメリカから帰国してY研にきたY教授のお気に入り。常識人。安全食堂大好き K都工S大勤務
Y教授 S先生のボス。S先生をスカウトしてQ大に連れてきた張本人。定年退職して京都で悠々自適
Y先生 博士終了後にY研で修行してた。おとなしめで真面目。でもやっぱり変な動きしてる。T科大勤務
H先生 博士終了後にY研で修行してた。S先生の弟子。酒好きだがカレーが苦手。絡まれ体質 金Z大学准教授 静O出身
A先生 博士終了後にY研で修行してた。S先生の弟子。酒は弱い。おとなしいが芯は強い。(パワハラ耐性高め)たまにおもろい事件を起こす。T大勤務。A媛出身
AS先生 S先生と同じ学科に勤務。B国出身。結婚しなくても産休とれることを身を持って証明した。
T S先生の後輩。頭はいいがちょっと抜けてる。典型的な秀才タイプ ムッツリスケベ K都市出身
S 研究室の最初のほうの学生。真面目だが小心者。モジャ頭と大きめの鼻が特徴 酒にはめっぽう弱い ゴトー出身
M 元気はとてもよい。無事に5年生で卒業した。T筑出身
Mさん 会社を退職後、Y研に就職。とても優秀。実家は長崎で歯医者らしい。現在、K里大学で助教してる。
I ドクロマーク大好きのチンピラ風の服装をしている。見た目とは裏腹に頭がいいやつ。
I カオスをもたらす。かれは説明書やマニュアルを読まない癖がある。S先生のお気に入りでいいやつ。愛知のへん出身
K S先生の弟子。安全食堂のおばちゃんのお気に入り。全体的な雰囲気は完成度高めだ。かれの車で昼飯を食いに行くのが習慣になってた。研究室の良心。
T 研究室の問題児だったけど、インパクトは弱め。K先生いわく、美少女(えろ)ゲームのセンスがない。
O 伝説の問題児、理知的なT先生にさじを投げさせた。日本語が通じないやつだ(S先生談)など散々な評価だが、卒業したらまともになってた。K児島だいすきAS先生、かの地は名勝地であり、偉大で欠点などない。彼の存在が唯一の例外でバグだ。
N 研究室で数々の迷事件を起こす。詳細は多すぎて語れない。弟はH島大で体育会系の好青年だった。
N Nの同期。こっちもやっぱり変な人だった。エピソードにはでてこないが思い出深いのでここに掲載。
Y S先生の同級生の研究室仲間。いっしょに勉強してた友達。朝は希望で目覚め、昼は勤労を尊び、夜は感謝で眠ってた。やっぱり変人
Y 4年生で卒業した。スポーツカーを乗りこなし、いしむらでお菓子をつくっていた。
K N研につかれて、Y研で放牧されていたK、ソフトボールで大活躍、スマブラ(N64)最強で 学園祭のイベントでは強すぎて出禁になった。
D 名前が難しいのでよく誤字発動する。K先生の愛弟子、変態はではないが空気をまったく読まない。卒業してまともになったみたい。研究大好き S賀出身
M 製薬会社やめて、Y教授に弟子入りした。よくわかんないうちにいなくなった。馬力高めの変わった人だった。緑の服装で下から上までメガネまで統一した姿は バッタみたいな人と事務員さんにいわれてた。
M K先生のお気に入り。K先生を取り巻く変人達の重力場にトラップされていることがおおいが、本人はナイスガイである。英語がとくいな囲碁部の元主将で能力高め。K倉出身。
S Mの同期でS先生の弟子 S先生を取り巻く変人達の重力場にトラップされていることがおおい。アイドル好きだがとても優秀なナイスガイ。S先生に美味しいみかんを進呈したことで、S先生をみかん通に覚醒させた。
K 諫H出身の軟式野球やってたトライアスロン部のナイスガイ 実家が有名ドライブイン。 段ボールからいろいろでてきた。卒業して宿無しのときにS先生の家に泊めてもらってた。腎結石で倒れてた。ドイツ在住
K M2で卒業。プロゲーマーだったけど現在コンサル。コロナ中に引っ越してたとんでもないやつ。
A 基礎化学結合論を履修していたためにバイトにきた超優秀電情学生。なんでもこなすナイスガイ。K先生のお気に入り K古川出身
F 研究室の女子学生。サークルとバイトと研究をこなしてた。焼肉と海鮮が大好き。たまにテキサスと書かれたいうよれよれの紺トレナーで学校にくる。S賀出身
S先生 インドのどっかの先生。S先生にガウシアンのログをおくりつけて解読依頼するとんでもないやつ。 いっぱい事件をおこした。足臭いやつだった。インドで豪邸にすんでるらしい。
P インドからの刺客 インドのS教授の弟子。K先生のお気に入り。もうちょっと能力たかかったらよかったんだけどね。 ソフトボールがクリケット仕込みで打球が鋭い。エピソードたくさんあるけど。お腹いっぱい
R Y教授の息子で Q大医学部卒業して、どこかでお医者さんしてる。K先生と仲良しらしい。
Mさん 暇つぶしに大学にバイトにきている事務員さん。S先生がいつもお土産かってた。お金持ち。
U バスケが趣味のナイスガイ。S先生と安全食堂でちゃんぽん大盛りたべてた。その後は。。。H田出身 学会でよく会う。
E トライアスロンが趣味のナイスガイ。最近、量子コンピュータつかってるらしい。王将大好き H田出身
有機化学の教科書をもって物理化学の研究室に質問にきたY
「ここは有機ですか?」「ちがうよ」「じゃあ無機なんですね」 ???
レギュラーコーヒーをひたすらかき混ぜて、これって粉ポイですね!?とT
(かれの常識のなさはついついからかいたくなるほどであるが、受験関連の知識だけはあったのでS先生はこれが受験の弊害だよといって苦笑してた。普通の粉コーヒーが水に溶けないのを知らないのに、三角縁神獣鏡は0.1秒もかからずでてきた。)
色のどきつい食物をまるで犯罪者の烙印のように恐れるT
(健康マニアの母親の影響らしいが、父親が真っ赤なウィンナーかってきてえんえんと怒られていたのがトラウマなってしまったようだ)
掲示板を信じて一年前の集中講義で単位を揃えようしていたS
(そんな授業は存在してなかったとわかったときの絶望と、私の指導力不足ですみませんと単位乞食をするはめになったY教授)
応用科学の発表会で、これつまんないんで帰っていいですかとデカい声でY教授に聞くI
(かれもまた空気のヨメない男だった。)
全くわかってないのに、「自分は~ハイ分かりました」と声だけ元気なM(アメフト部)
(それを聞いていて笑いがとまらない先輩のM)
K先生の「できたか?」に、「自分は~できていません」と声だけ元気なM(アメフト部)
(それを聞いていて笑いがとまらないだけでなくS先生にいいたくなる先輩のM)
院入試でなぜか願書を間違え他専攻受けてしまうI
(入試の面接と志望研究室調査でその間違いに気づく)
院入試合格お祝い中に数学の落単が判明して留年確定のT
(せっかく合格したのに無駄になったうえ、やる気なくなって次年度は院試におちた。)
研究で忙しいから徹夜だと言いながら、研究室に寝袋持参で22時ぐらいに寝てたO
(研究室のある)理学部棟が怖くて、建物の前で朝待ち合わせしてから一緒に来てた工学部所属のKとS
(二人の男子学生が仲良く登校する姿をみた秘書Tさんは恋仲では?と禁断の想像をしていたようです。)
天ぷらで実家が火事になり以後、実家でてんぷらがたべられないS
(大好物はやめられないと定食屋でいつもてんぷら定食のS)
学校にあまり来ないでオンラインゲームで鯖の英雄になっていたO
(後輩をさそって一緒に沼るのはやめろ!!)
夏休み勉強せずにオンラインゲームでカンストしていたY
(かれは院試におちた。)
メモをしないOとのやりとり(覚えたので大丈夫です、忘れました。メモなくしました。メモして完全に覚えたので捨てました、そしたら忘れました。それに対するS先生、じゃ思い出すまで頑張ってね。メモをさがしてみつかったら来て。)
N研から来て、なぜか囲碁部でスマブラ無双するK、かれはソフトボールの投手として大活躍うちではとても輝いてた
(研究室から卒業を前に俺も「院にいっておけばよかったな」とつぶやいたとさ。そのあとの一言 こんなに楽なら。がなければもっとよかった)
愛媛から修学旅行中に京大の研究室見学にきた女子高生に「趣味なんですか」と言われて、「18歳未満には教えられないなー」と言ったK先生
(キャーアヤシイーと歓声と悲鳴のミックスをきいたK先生はなぜかとても誇らしげだった。)
学科のK田先生に「彼がいじめられないところが九大のすごさだ」と言わしめたO
植物が大好きなN。人のよいAS先生に登山中に撮影した写真をみせようと
(20枚ぐらいみたあとに、何枚あるの?とAS先生、Nの返答は2000枚!? 同じ花を10度刻みぐらいで取ってるのが多い。)
運転中も気が散りやすいN、誰も乗りたがらないN運転の車
(外人なら気づかれまいとAS先生を割り当てたら激怒、まだ、私は命が惜しいとの名言を残し、どうしてもというならミニバイクで現地までいくと言わしめたNの運転、同乗したK先生は「はっきりいってやばいっすよ。親切な観光案内ついてくるんだけど頼むから前みて運転してくれ。一番安全と言われる運転席の後ろでも怖かったと最高のアトラクションですわ。」と。)
助手席のK先生のナビ、完璧ですわガハハ、からのいますぎた角を右です
(道案内でなく、事後報告にあぜんとするS先生)
酒を飲んで暴れて絡むK先生(いつもの予定調和だよとS先生談)
咳がとまらないD,しかもすごい感染力、結局D井富病という名前の奇病が蔓延した。
(K先生ものちに述懐する。D病の治癒には強力で高額な抗生物質が必要だと)
「大変です。K先生が血はいて倒れています」と大騒ぎのD、様子をみにいくと。
(赤ワインを戻して酔いつぶれてるだけのK先生が転がってた。全く人騒がせだ。)
研究室から夜逃げしたMさん、机の上には貸与品のMACが一台のみ。
(その後、学科内の他の研究室で働く姿が発見された。かれは何者だったんだろう)
実家から持参した段ボールから、お母ちゃんのヘソクリとパスポートがでてきたK
(実家は諫早の有名なドライブインだよ)
注文のおおい外国人研究員
(K先生は下宿先のwifiの設定までさせられてた。)
前日にカキを食べてあたった状態での博士公聴会に臨んだD
(みているとこっちがハラハラしたとY教授はのちに語る)
コロナで研究室閉鎖中に横浜に引越していたK
(しかもかれはプロ契約を結んでEスポーツの選手になっていた。Q大現役院生の理論家という触れ込みで宣伝されてた。。。)
前日入りにこだわりポスターを持たずに学会へ出発したK
(フェリーで交通費浮かして差額でもうけようとするが、だれも止めなかったらしい。)
図書館の本を返却せずに卒業して研究室に苦情がきて困ったT
(学科事務室、所属の研究所事務室、あらゆるルートから苦情がきたのでしょうがないからお母さんの携帯を事務に教えておいた。)
修士の仕事を放り出してとなりの建物の理論の研究室でバイトしていたT
(そんなことするなら自分の研究室でもうすこし頑張ってくれと思うのが教員のさが)
バイトにおまえこれ勉強しろ(超難しい論文)、理解したら説明しろという無茶指示をだすK先生と勉強して理解する電情の優秀一年生A
(やればできるではなくて、無茶やらせれば、あとから道理がついてくるという狂気の研究室の片鱗を見たS先生。かっての指導教官とのやりとりを思いだす。)
S先生は、受講者の選別する(間引く)ためにを論文(マリケンの超難しい論文)をレポート課題にして、それを提出した院生だけ受講を許可している。
(難しくて自分でも読みたくないっていってる。)
肉食べれないB4のSの歓迎会を「焼肉きんぐ」で開催したF
(Fは本当の意味での肉食系女子だ。そして、肉肉肉に焦点をあわせすぎてドリンク代を勘定にいれるのをわすれて幹事してた。S先生がどうせみんな酒のまんし安いからだすよといって、ドリンク代をみんなの分はらった。)
バイト先のダイレックスにくる機能の人たちをわざわざS先生に報告してくれるF
(でも人にはなしてはいけないらしいが、S先生はとても口が軽いのでこまる。)
週1で昼飯を奢ってくれるS先生、行き先を決めるのはFだが、あまりA食堂を指名してくれない。。。
(これもまた世の定め。たまにいくと女性店長のビッグママに最近こないねと腹をもまれるS先生)
学会発表用のポスターを忘れても動じないF
(鋼のメンタルにS先生も脱帽だ。お昼に馬喰一代 岐阜神田で美味しい飛騨牛ランチをおごってあげたS先生)
激安航空券が株主優待のため、当日株主優待券がなくて搭乗できず面接に大遅刻したA先生
(よりによってとおもったS先生とあほちゃうかとあきれてたY教授)
学会を観光旅行と勘違いしていた御一行様
(遊びつかれて学会に遅刻するの巻、このときからY教授は学会参加に厳しくなった。)
大した理由もないのに頻繁に飛行機に乗り遅れるH先生
(やさしく理由書をかいてくれるS先生だが、おおくね?と苦笑い)
安全食堂のちゃんぽん大を完食後、研究室から逃亡するU
(無理は禁物だが、ついつい無理したくなるのはしょうがいない。 だって人間だもの。)
安全食堂、初訪問のN先生、ラーメンと焼き飯に撃沈しておばちゃんにあおられる。
(無理は禁物だが、初見殺しだろ。あの量普通じゃない。)
安全食堂に向かうS先生御一行、あれEの車(アクセラ)じゃね? なぜか向きが学校じゃない。
(Eは王将の餃子をたべてから登校という社長出勤なのだ。)
EとはナイトプールであったとS先生は述懐する。
(市民プールの更衣室で九重研修の話しをしてる連中がいたので、聞き耳たててたS先生、いきなり登場
きみ、応用化学?、Sだよ、◯重研修の責任者だからよろしくね! Eはしまった!!と思ったらしい。)
「旦那のあれがトマト味なんですけどなんで?」と質問する保険のNさん
娘の志望大学の過去問(日本史)をS先生に解かせようとするMさん
(あとでかんがえてなぜ私が???となったS先生だが、細かいことはきにしないとあんまり覚えてない。)
仕事おわりに、私の部屋で涼みに来てさぼるMさん
(仕事をくれるけど鬼畜な注文主と林檎の横暴について熱く語るの巻)
たまに美容院がえりのモデルさんみたいな状態で研究室にくるK
抹茶がすきなKと大嫌いなT(ふたりはいつも口論してるけど仲良し)
忙しいといいつつ昼過ぎの登校が後輩にばれてサークルの会報にさらされてたM
(自業自得なのに、失礼なやつらと憤ってもしょうがないね。)
応化のソフトボール後の懇親会でとんでもない禿芸を披露したS
(相棒のDは嘘くさい言い訳で禿芸を拒否)
2月の休日、教員の口述筆記で卒論を完成させたY
(S先生はもうやりたくないなといってた)
見えている地雷をわざわざ踏みに行くI、そしていろいろ大損するまでが流れ
研究室で飲酒グセがあるのはIとK先生だ
(いつものK先生とはちがうK先生だよ)
自分の飼育しているカブト虫の世話を学生にさせてたY教授
(Yオクで購入した)素晴らしい水晶玉ですよと自慢していたK先生
(S先生は溶錬水晶とかかれたシールを見逃さない。複屈折ないし石英ガラスじゃん。)
研究室で春闘をしていたMさん
(かわいい息子のNちゃんにお仕事だといって飲み会にくるのだが、お仕事がんばってといわれて切なくなるそうです。)
フォアグラをたべさせてくれたIさん、
(高級品のガチョウと普及品のアヒルのがあることを初めてしったK先生とS先生)
Iさんにおしえてもらったフランス語とかれのまちがった日本語(なぜか学生が死んでる)
Tu es déjà mort (テュ・エ・デジャ・モール)お前はもう死んでいる。 浜Yはもう死んでいる。
「大丈夫です。S先生に理由書をかかせますから」と言って安請け合いするK先生
忙しいときに、「これでお前も徹夜だ」と言ってエロいゲームを配るK先生
女性歯科医師との合コンいく途中に、地下鉄で倒れて入院したS先生
登山中に「今日はこの辺で勘弁しといてやるか」と言って下山するT先生
自分のレポートの答えを後輩に販売していたT先生とそれをめざとく見つけるS先生
(結構売れます。といってました)
一年間の成果がグラフに4本の線を引いただけのK
酒乱であることが判明した、普段は物静かなT先生
(暴れてるやつを引取にこいと携帯で呼び出されたら、そこにはK先生とそっくりのT先生)
臭すぎてみんな困らせてたインドからの刺客P
(シャープのプラズマクラスターも彼の前では無力でしたと語るT先生。空気清浄機(=ホコリをとる)≒ 脱臭であることを悟ったS先生)
インドからの刺客Pを送り込んだS先生、民芸品買いたいと雑貨屋につれていったら片っ端から裏返して日本製はないのかとご立腹。
(強烈なにおいを放つ薬膳カレーをふるまってHさんにどんどん食べてくれと継いでくれた。Hさん曰くあればきつかったと後に述懐する。)
インドからの刺客Pを九重研修所に連れていき温泉にいれて、お酒でご機嫌のK先生
(硫黄の還元力半端ないす、こいつ全然くさくないんですよ。クンクン)
インドからの刺客Pに不平タラタラのS先生とK先生、Y教授に呼び出されてお説教される。外国人が多少臭いのはあたりまえだから我慢しろ!!(それから数日もしないうちに、秘書さんに一番強力なやつという注文で空気清浄機を依頼してたのをみたS先生とK先生、やっぱりか)
初登場の空気清浄機にお前の性能見せてもらおうと握りっペでセンサーを攻撃するK先生
(赤ランプがついてはしゃく姿をみて苦笑するS先生)
「こんなに暑いのにエアコンつかわないだなんて、さすがインド人」と言っていたK先生
(Pは、エアコンのボタンがわからなかっただけ)
自分は窓の隣で涼んでいるエアコンが嫌いなK先生
(風通しが悪く、窓から遠い同室のMは暑くて苦しい。「でも今日はPM2.5が強いみたいで窓開けれないのでエアコンがオンなんです。ほんとに中国のPM2.5さまさまですよ」)
オープンキャンパスで回収したアンケート用紙を箱にどういうふうに入れるかで言い争いをしてたOとN
(それをみた隣の研究室のS先生「さすが理論系は一味ちがうね。普通に折っていれればいいのに」に対し、心の中で「彼らは特別なんです」と叫びそうになったS先生)
どうみても相関性のない散布図のようなグラフに強引に直線を引くN
(それをまるで星空をかける流星を観察するように無言のY教授。そして共同研究先の先生に一言「うーん、実験だけでまとめてもらうのがいいようです……」直接の指導教員のK先生は、rが0.25ぐらいで線を引くにはN並の神眼が必要だ。彼には相関の痕跡がみえていたんだろうたいしたもんだと後に述懐する。N曰く、エクセルで線を引きました。。。S先生いわく、最小自乗法の誤った使い方でエクセルがかわいそう。)
卒業してからも、会社で居眠りしてることが風の噂で伝わるN
(かれは深夜の天体観察という高尚な趣味をおもちでした。)
収束しない数列をスパコンで走らせて数十万とばしたY
インド大使館からの偽電話でアップルペイ30万騙し取られたR
次年度から課税された住民税に「手取りダウンにビックリ、日本は年々給料が下がるシステムなのか?」と不安がるAS先生
いったん帰国したらとんでもない怠け者になってしまったJ先生
(またくるからといって なぜか炊飯器を我々に託して帰国した、もうこんでええわ)
ダメすぎて研究力の指標になってしまったP(K先生いわく「俺は100pだ」)
Pの研究説明のスライドで2重結合なぜ片方だけ太いのか、真剣に議論するK先生とS先生
(単なる書き間違いだったと原著論文から判明)
泥だらけのズボンで研究室でPCをパチパチとしているA。なんでそんなに汚れてるのってきいたら、友達の車で運転手が気絶して田んぼに突っ込んで。。。といきなりヘービーな話しが始まり唖然
帰国したら日本になれすぎてインドで病気になったS
インドに帰ったら結婚するとうきうきのS先生 だれと結婚するんやと聞いたらいま親が探してると
(かれはポスドクの給料を実家に仕送りして豪邸を立てたらしい。)
ストライキで飛行機が遅れて、フランスで迷子になったH先生とS先生
(ホテル名が東横インなみに重複してて、どこが予約したホテルかわからない、変なところでおろされて右往左往、たまたまフランス留学中のHが助けにきてくれなかったら死んでた。あとでみたら旅行代理店のひとが地図をマーカー付きで入れてくれてた。マントンよかったまた行きたい。)
質問をするために隣に座り、ぶーとデカいのを鳴らしたD
(「あ」と言って、すいませんと肝心の質問を忘れてしまい居室に戻る)
お酒が飲めないD、フランスで地下の酒蔵の見学に行っただけで酔ってた。
よく人前でゲップをするD
(K先生が研究会にDが来ておらずご機嫌ななめだったとき、後方からゲップの音が発生。K先生は振り返りもせず「なんだ、いるじゃないか」とご機嫌が治りましたとさ)
そんなDにもシンガポール人の彼女ができたということに驚いたK先生とS先生
最弱の我がソフトボールチーム
(相手チームに「ボーナスタイムだ」と言われ、バッティングセンターなみに打ち込まれ、「疲れたからアウトにするか」と言われた我がチーム。つぎの年には、サウスポーでショートの事務員さんをスカウトして、N研からの派遣されたKが投手で活躍して準優勝するところまでがセット)
小中学生への研究説明会(ときめきひらめきサイエンス)で、分子軌道法の説明をしていたK先生
(サクラでやってきたY教授の小学生の息子にいつもの調子で白熱説明。「がはは、わたしの素晴らしい説明で小学生のRも分子軌道理論をマスターしました!」しかしアンケートで「『このボタン押せ、このボタン押せ』のあとに模様がでてきたら先生が勝手に興奮して喋ってるだけでぜんぜん面白くなかった」と書かれてしまった。とても滑稽でかわいそうだったのと、とても素直でよいお子さんのRでした)