令和7年11月9日千里阪急ホテルにて、大学から徳永文稔理事・副学長、北橋和也渉外企画課長、有恒会から頓花修二常務理事を来賓に迎え、府大OB2名の参加もあり総勢30人で総会・懇親会を開催した。
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鈴木淳幹事(法昭53卒)の司会進行により開始し、まず初めに阪口善雄支部長(文昭46卒)から開会の挨拶があった。大学合併4年となり来春大阪公立大学の新卒業生が出る。同窓会の方は新大学に校友会(同窓会)が生まれ、大阪市立大学同窓会は3月に解散し同窓会は校友会に一本化された。支部も校友会支部に名称変更するよう要請があるが、当支部は市大卒業生がいる限り市大同窓会のままとし、公立大学校友会支部も併せて名乗り、公立大卒業生、府大OBの受け入れも行う併存案を考えているとの説明がなされた。
次に徳永文稔理事・副学長の挨拶があり、大学キャンパスの整備統合や研究レベルの状況について次の通り説明があった。
今年は公立大になって4年目、来春には初の公立大卒業生が生まれる。旧市大、旧府大との感覚は薄れてきて一つの大学として公立大学の形が出来てきた。学生数は1万6千人、国公立では阪大、東大に次ぐ3番目の規模、教員数は1,400名、学部は12学部学域、大学院15研究科とかなりの規模の総合大学と言える。来年4月には創薬化学研究科という薬学の研究科も出来る。
本年度の出来事としては、4月に阿倍野キャンパスに16階建の看護のビルが出来て羽曳野キャンパスの府大の看護学部と市大の医学部看護学科が統合される。9月には森之宮キャンパスがオープンし全ての学部の学生がここで初年度教育を受けることになる。これにより杉本キャンパスの教養課程、文学部、生活科学部の一部と理学部が森之宮に統合され杉本キャンパスは寂しくなる。工学部は27年に中百舌鳥キャンパスに統合され寝屋川の高専も中百舌鳥に移ってくる。このように大阪公立大学はダイナミックに変わっており、研究力含め頑張っており、国公立大学のランキングは合併してどんどん伸びている唯一の大学である。また、世界大学ランキングでは三大ランキングのうち研究力に焦点を当てた上海大学によるランキングで今年8月に11位~13位に評価され、トップ旧帝大+αのすぐ下にランクされた。ただ、知名度や留学生・外人教員の少なさなどの課題があり、これを改善して世界に冠たる大阪公立大学を目指したい。
それから、大阪公立大学の未来のために、ふるさと納税で寄付できるのでご協力をお願いしたい。同窓会活動を活発化され大阪公立大学の応援をよろしくお願いします。
次に渡辺博己副支部長(法昭46卒)から次のように活動状況があった。会員の状況は会員数275名、うち約100人から会費納入頂いており、総会・行事案内への返事は約150人から頂いている状況。活動内容としては総会、会報発行、行事等を実施。7年度活動方針としては活動の充実と参加者の増加、HPの充実により当支部が会員各位に身近な存在となるように努めたい。
次に田路博士幹事(商平7卒)からの会計報告のあと、次年度役員の承認を行って総会を終えた。
恒例の講演会では吉岡正氏(昭51年文学研究科修士課程修了)をお招きし、「古典文学への道しるべ」=井原西鶴『好色一代男』から見る世之介の失敗=と題して、江戸文学の理解の為の諸資料の説明および作品解説を頂き興味深く拝聴した。
講演要旨
□井原西鶴と元禄の町人文化
井原西鶴は、松尾芭蕉、近松門左衛門と並び、元禄の三大文豪の一人に数えられます。特に西鶴は、純粋な町人として、町人の生活や心情を描いた「浮世草子」という文学ジャンルを確立しました。
西鶴が生きた元禄時代は、上方(京都・大坂)を中心に貨幣経済が浸透し、町人が経済的な力をつけていた時代です。しかし、当時の社会は儒教・仏教の道徳観に厳しく、特に男女の自由恋愛は認められず、姦通罪は死罪という厳しい法的規制がありました。こうした道徳的な制約がある中で、西鶴は俳諧(談林派)から作家へ転身し、従来の規制をはねのけて「愛欲の解放と自由」というテーマを追求し、新たな文学の地平を切り開きました。西鶴は52歳で生涯を閉じましたが、多作であり、その辞世の句「人間五十年の極まり、それさえ我には余りたるにましてや浮世の月見過ごしにけり末年」からは、達観した人生観が窺えます。
□『好色一代男』の主人公、世之介の遍歴
西鶴の代表作『好色一代男』は、主人公・世之介の7歳から60歳に至る54年間、すなわち54年間にわたる好色遍歴を描いた作品です。京都の裕福な町人と高名な遊女の間に生まれた世之介は、7歳で早くも女中を誘惑することから好色の道に入り、老境に入ってもその情熱は衰えません。そして60歳の時、仲間とともに船「好色丸(よしいろまる)」に乗り、女ばっかりの島「女ヶ島」へ向かうという、型破りな結末を迎えます。
この54年という構成は、『源氏物語』の巻数(54巻)を意識したとも言われており、当時の権威的な古典文学に対する、町人文学からの挑戦的な姿勢がうかがえます。世之介の奔放な行動は、親や師匠が結婚を決める当時の社会体制における「自由恋愛」への挑戦であり、性的な関心をタブーとしない町人の意識を代弁しています。
□世之介の「好色修行」における二大失敗
自由な恋愛を求める世之介も、特に「人妻」を相手にした際には大きな失敗を繰り返し、その教訓を得ていきます。
一つ目の失敗は、16歳の元服の年、京都の河原町での出来事です。世之介は、家の別宅近くに住む、夫が留守中の人妻を誘惑しようとします。手紙で巧みに口説き、ついに月のない闇夜の逢瀬にこぎつけますが、家に入ろうとした瞬間、貞淑な奥さんは割木で世之介の頭を強打し、追い返しました。世之介は眉間に傷を負うことになります。二つ目の失敗は、27歳。鹿島神宮の神主になりすまし、諸国を巡る旅の途上、陸奥の塩釜で湯立てをする巫女を誘惑した話です。夫がいる身でありながら巧みな世之介の口説きに抵抗しきれない神子でしたが、胸騒ぎを感じて帰宅した夫に強姦の現場を見つかってしまいます。捕らえられた世之介は、死罪こそ免れたものの、見せしめとして「揉み上げ」を剃られるという屈辱的な罰を受け、世間の目から逃れるように行方をくらませます。
□失敗から得た「人妻には手を出すな」の教訓
世之介は、二つのエピソードで人妻を誘惑した結果、頭の怪我や揉み上げを剃られるという恥辱を負いました。これらの失敗を通じて、世之介は「人妻には手を出すな」という大きな教訓を得たと考えられます。
世之介の「好色修行」は、常に成功ばかりではなく、道徳や社会の壁にぶつかり、傷つき、試行錯誤を繰り返す過程でもありました。作品は、世之介の奔放な行動を通して、当時の社会の道徳観や、愛欲の裏側に潜む悲劇や危険性を描き出し、読者に深い教訓と教養を与えていると言えます。
懇親会は最初に物故者会員へ黙祷し、頓花修二有恒会常務理事の乾杯の発声で開始。頓花氏からは有恒会の活動状況および5月まで支部長をされていた南大阪支部(現校友会南大阪同窓会)の活動状況等の紹介があった。
食事・歓談で盛り上がる中、渡辺博己副支部長から「キャンパス百景で思い出を語り合う」と題して在学当時のキャンパス模様のスライド映写と説明があり当時を思い出し懐かしむことが出来た。
参加者のスピーチとして府大OBとして初参加の北内肇氏(府大・工昭50卒)から初参加の経緯と印象について、2回目参加の梅原健一氏(経昭45卒)から参加の経緯や卒業当時の思い出について、宮本武氏(医昭39卒)から経歴の紹介や学生の海外交流支援等の為に個人寄付勧奨のお話があり、橋本明洋氏(商昭49卒)から前身の有恒会池田支部から参加しておりこの会に来ると在学当時を懐かしく思い出し若い気持ちになり頑張っていきたい旨、辻信義氏(文昭46卒)から大阪公立大学オーケストラの活動状況のお話があった。
また、北橋和也渉外企画課長からふるさと納税による寄付の依頼、卒業生・在学生と大学との連携を目的としたオンラインコミュニティサイトであるOMU-Netへの登録依頼、森之宮キャンパスへの訪問の案内があった。
続いて、逍遥歌「桜花爛漫」を全員で唱和し応援団OBでもある頓花氏のエールにより締めてもらった。最後に杉谷公伸副支部長(経昭44卒)より閉会の挨拶を行い1年後の再会を期し、午後2時30分過ぎに散会した。