レンカナとは
ヨーロッパ(北欧・ドイツ・フランス・イギリス)にあるアルコール問題のリカバリー施設・組織です。運営は国家がやっています。アルコール使用障がいになると、まずはここを訪れる仕組みになっています。医療はそのサポート的な位置づけになっています。主はレンカナです。
日本との関係は、最初は室蘭市に来ていたスウェーデンヨーテボリ市の宣教師の方です。その方が室蘭市とヨーテボリ市の懸け橋になりました。室蘭市とヨーテボリ市が当時姉妹都市となりました、そこに北海道で最初の断酒会「室蘭断酒会」が乗っかり、それが全道に広がりました。ですから見学には断酒会員だけではなく当時の医療従事者の方も行っています。
ここに載せているものは、当時(昭和40年・50年)にスウェーデン・ドイツにレンカナの見学・交流・情報交換に行った時の手記です。書いたのは、北海道断酒連合会理事・全日本断酒連合会参与の横田國勝さんです。因みに昭和61年の全国(札幌)大会の時にレンカナの代表の方をお呼びしています。昔はかなりの交流がありましたが、現在は全く繋がりは切れてしまっています。全断連でもこのような繋がりの活動を復活させたらもっと活動の幅が広がると思うのは私だけでしょうか。
断酒会を継ぐものとしてこのホームページに載せ記録しておきます。ご一読ください。
アルコール依存症に悩む人は多いが、断酒を通して健康なからだと規則正しい生活を取り戻す努力をしている人もいる。釧路断酒会もそのひとつだが、同会事務局長の横田国勝さんは、先頃、全日本断酒連盟ドイツ・スウェーデン交流ツアーに参加、海外におけるアルコール依存症の治療法や社会復帰施設を視察してきた。
貴重な経験を本誌に寄稿してくれた。数回に分けて連載する。
医師や看護師ら57人が参加
五月二十日全日本断酒連盟、ドイツ・スウェーデン交流ツアーを五十七人の仲間とともに十日間の楽しい有意義な旅行を満喫してきた。
五十七人の中には医師・看護師・保健婦・ケースワーカー、そして会員の中には夫婦で参加している人も多かった。ドイツでは日程が一日遅れた関係で、ドイツの断酒会(クロイツブント)の関係者と残念ながら会うことはできなかった。そのぶんスウェーデンでは大いに交流し、楽しませてもらった。
ドイツはベルリン・ハイデルベルグ・フランクフルトと観光したが、最も印象に残ったのはハイデルベルグであった。ドイツの印象はともかくとして、私たちが最も期待していたスウェーデンのことを書きたいと思う。
眼下にバルト海 ブルーの海の色
五月二十三日、フランクフルト空港に立ってストックホルムに向かう、天候は快晴、飛び立ってしばらくすると、眼下にバルト海が見えてきた、ブルーの海の色、しかし、ドイツ側のところどころ茶色になっていて。ここでも開発による海の汚れがひどく感じられる。スウェーデンの海岸は、薄緑がかったブルーと濃いブルーのコントラストがきれいであった。ストックホルムに近くなると、無数の小さな島が見えてくる。島の真ん中は緑
、島の周りは白である、この辺は白みがかった岩石で出来ているのだそうである。いよいよストックホルムである。以前、全国大会や全道大会であったカールソン夫妻の顔を思い出している。すぐにわかるだろうか。十年前のことである。
スウェーデン断酒会の人達歓迎
ストックホルム・アルランダ空港に着くと、スウェーデン断酒会。(レンカナ)のメンバーが大勢来ていた。カールソンさん夫妻はすぐにわかった、ストックホルムレンカナの会長であるヨネッソン夫妻、スウェーデンレンカナの事務局長ヤンソンも来ている、ものすごい大男紹介された。ニルス・エクストロームさんという、スウェーデンレンカナの会長はどうしても来れなかったので、明日から皆さんが帰るまで一緒させてもらうとのこと。空港でレンカナの旗と全断連の旗を交互に持ち合って大変な騒ぎであった。私たちは二台のバスに分乗して出発した。二台のバスにはレンカナの仲間が乗り、バスの中で交流会である。
今日はバーサー号を見学してからホテルに行きますという、「見学は一ヶ所か」と少々不満に思っていたが、バーサー号を見て、不満は吹き飛んでしまった。処女航海で観衆の見守る目の前で沈没してしまった戦艦である。一六二八年というから日本では徳川家光の時代である、天草四郎の島原の乱が鎮圧される十年も前のことであった。三百四十年間海に沈んでいたのを発見し、引き上げて復元したのである。木造の船は沈んでいると船食虫に食われてしまいあとかたもなくなってしまうと思っていたら、ストックホルムの海は運河で繋がっているメーラレン湖からの真水のおかげで塩分が少なく船食虫はいないのだそうである、また海水温度が低いため保存状態が非常によくて見ているだけで、バーサー号のできた頃にタイムスリップしそうである。
ホテルでレンカナの会員と交流
あまり熱心に見ていたので集合時間忘れてしまい、添乗員が迎えにきた。ベルリンでのタバコの忘れ物に続いて二度目の失敗である。蛇足かもしれないがドイツでもスウェーデンでもタバコの値段は高い、一個六百円ぐらいするのである。成田空港の免税店で二十個個買ってきたのだが、ベルリンのホテルのロビーに置き忘れてすぐに気が付いて取りにいったらもう無し。ホテルについてからもレンカナの会員との交流会は続いた。疲れたなと思い時計を見ると夜の九時半である、表はまだ明るい。日差しは弱いが十時を過ぎても明るく、もう白夜の季節が近いのではと感じさせる。五月二十四日、今日はストックホルムから船で一時間くらいのラムソウという島に行く。ここにストックホルムレンカナの社会復帰施設を見学に行くのである。
断酒会運動は米国精神病院から
ラムソウのことを書く前にレンカナのことと断酒会についてふれてみたい。世界の断酒会の流れは一九三五年アメリカの精神病院の外来から始まる。この外来でボブとビルの二人の男が出会う、彼ら二人はアルコールの問題で病院にきたのである。酒を止めたくてもなかなか止められず、二人とも悩んだ末にこの外来にきたのである。受診したあと二人は「来週ここに来るまでに酒を飲まないでいようよ」この約束がアメリカのA・A(匿名断酒会)を生むことになった。彼らは本当に飲まなかったのである。アメリカの社会的実験と言われた禁酒法が社会に混乱を招いて廃止された年であった。禁酒法時代にも世に酒を無くすることは出来なく、酒を飲む人は社会の底辺にたむろし、むしろアル中は増加するだけであった。A・Aの発足から四年間は会員数の増加は微々たるものであったが、四年目にA・Aの活動に着目したロックフェラー財団の資金援助を受けてからはずみがつき、二人の体験集「アルコーリクス・アノニマス」がベストセラーとなり、世界中に翻訳され、世界の断酒活動に刺激を与えたのである。
酒の存在を認め飲酒者から酒を追放
それまでの「酒の存在を認めず、社会から追放する」という考え方から「酒の存在を認めつつ、問題飲酒者から酒を追放する」という考え方にたった運動であった。日本の断酒会活動もA・Aの活動を学びつつ、我が国の文化の中で育ててきた活動であった。スウェーデンの人口は八百四十万、その一割がストックホルムに集中している。周辺部を合わせると百四十万にもなる。その中の一万以上がアル中といわれてきていた。これらの酒害者に対してスウェーデン政府はどんな政策をとって来たのであろうか。スウェーデンの先祖は海賊であったといわれている。その逞しく荒々しい海の男たちはご多分にもれず酒を愛したに違いないと一九四ゴ。百年前のスウェーデンは今よりももっと酒害者が多かったと言われている。政府も医師もアル中の増加には無策であったようである。一九四五年(昭和二十年)一月三十日にアメリカのA・Aの影響を受けた八人のメンバーがストックホルムに断酒会を創設、その名を「レンカナ」(日本名で鎖)を名乗って酒害者救済活動を開始するに及んで、政府及び医療関係者は目を見張ったのである。
予防・治療・予後を三者が担当
ノーマネー・ノードクターで始めたこの運動は、酒害から立ち上がろうとして立ち上がれなかったアル中の共鳴を得て、たちまち全国に広がったのである。それまで行政、医療もホトホト手を焼いていたアル中が「レンカナ」に参加することによって治癒するという事実を高く評価するようになったのである。
しかし、レンカナの活動もメンバーのボランティアに頼っていたのでは限界があったし行政・医療も独自の取材対策運動をやっていたのでは、大きな壁にぶつかって、それ以上に前進できないことに気が付いたのである。そこで行政・医療・断酒会が三者一体となって酒害対策にあたることを考えたのである。
この予防・治療・予後を三者が分業で担当するシステムは現在でも続いており、その成果として、断酒会は三百五十か所・断酒家の数は二万五千人を数えるに至っているのである。人口一億二千万の日本と、人口八百四十万のスウェーデンと比べると、その成果の大きさがわかると思うのである。スウェーデンではアルコール対策として、レンカナが運営している施設は国が資金を出して、レンカナに自主運営させている。
ラムソウも社会復帰の施設
このラムソンの社会復帰施設もその一つである。ここは小さな島にある施設で家族で入所している。またこの島の人口は夏は三百人くらいである。サマー休暇に利用する人が殆どで、冬になると社会復帰施設の人を除くと三十人くらいになるという。アルコール依存症は家族も巻き込まれる病気のため、本人は勿論 のこと妻も一緒に断酒ミーティングに参加して酒害に対する知識を学ぶ場になっているのである。
集団治療を行ない社会に復帰
運営は一人の専門相談員(レンカナのメンバー)を中心として、生活の一切は自分たちで運営している。食事の支援は勿論のこと洗濯に至るまで全部である。ここにはクリーニング設備があり、島の人達のクリーニングも引き受けて仕事をしている。島の人たちのクリーニング代金のことは聞くのを忘れてしまった。
ここでは一か月~三か月の集団治療を行って社会に復帰してゆくのである。「ここの施設を出て社会復帰した人の断酒継続者を何パーセントか」と質問してみたが、成功している人は二十㌫ぐらいとのこと、アルコール症の予後不良は、ここでも頭の痛い問題であるという。ラムソウの仲間たちは、私たちが日本から来たということで 昼食にはご飯を用意してくれていた。豚肉のシチューのようなものをご飯の上にかけて食べるのだが、米は日本のものと違って長粒米というもので米粒が大きく炊くとバラバラである。しかし同じアル中仲間が作ってくれた食事である、次の日に食べた日本食レストランの食事よりも美味しかった。お替わりをしたぐらいであった。
食事をしながら、私の前に座った際に質問をしてみた。この夫妻は十日前に入所したばかりであるという。
治療して元の優しく素敵な彼に
夫の方は、今、酒樽から出てきたばかりのようにな顔をしている。彼女に「スウェーデンでは個人個人の権利が大切にされていると言われているが、夫がアルコール依存症になって、なぜ一緒に治療を受ける気になったのか、ここまで来るには貴女自身悩んだと思うのだが」
質問としては、そうとうにきつい質問と思ったのだが、彼女の答えは明快であった「私は、アルコール依存症の夫と結婚したのではない。私の愛して結婚した彼は素敵で優しい人だった。ここで治療して元の優しく素敵な彼になってもらいたくて夫婦で入所した」というのである。
この話を聞いて、酒害相談の原点を見た思いであった。家族は酒害に苦しみ、酒害者の現在の姿しか見れない、酒害に侵される前にもっていた人間的な優しさなどは、全くと言ってよいほど、見れなくなっているし、見ようともしないのである。酒害者を立ち直らせようと、色々説教してみたり、酒を飲まない約束を取り付けようと懸命になるのであるが、全くと言ってよいほど「無駄」である。
体が酒を要求してくる
こんなことで酒の魔力は去ってくれない、酒害者本人自身が一番酒の恐ろしさを知っていて、酒についての害を自覚している場合が多いのである。しかし、心のなかで思っていても、どうにもならないのである。身体が酒を要求してくるのである、頭の芯が酒の酔心地に魅せられているのである。
酒が切れてくるとイライラしてくる、冷や汗が出てくる場合もあるだろう、人によっては、変な声が聞こえてきたり、変なものが見えてくる場合もある。とにかく自分の身の置き所がなくなるのである。苦しくてどうにもならないのである、こんな状態の人に説教は逆効果である。むしろ苦しい自分を責める家族に対して敵意を抱くのである。
ミーティングで自分を見直し見つめなおし
酒害者といっても、生まれたときから酒害者になったわけではない、何かの機会に飲酒して長い期間をかけて酒の虜になったのである。なりたくてなった病気ではないのである。誰か自分の苦しい心を理解してくれと叫んでいるのである。彼女が結婚したのは 酒害の男性ではなく、それ以前の男性であった。だから酒を断って「このラムソウでのミーティングの中で自分を見つめなおしてほしい」と願っているのである。私たちは酒害相談の中で「酒害者自身も苦しんでいるのですよ」と話をするのであるが、なかなか理解してもらえないでいる。家族にしてみれば現実から逃げたいのである。釧路には断酒会家族の集いがあり、月に一度集まって家族同士の悩みは、酒害者への対応の仕方を勉強している。
ラムソウの仲間たちとの交流に時間もたつのも忘れていた。有意義な時間を過ごして、次の目的地ナッカに向かう。
船に乗る桟橋までラムソウの仲間たち全員で見送りにきてくれた。島に住んでいる子供が一行の誰かと仲良しになったのか、これまで見送りにきてくれた。「断酒を続けることができればあなたたちがスウェーデンに来てくれたというように私たちも日本に行くことができると信じている」と固い握手をして別れた。船が山の陰に隠れて見えなくなるまで手を振っていてくれた。
レンカナハウスはナッカの集会場
次に行ったナッカのレンカナハウスは日本で言えば山の手の住宅地と言うようなところにあった。ナッカのメンバーが集まる集会所である。
集会所として,と言っても二百坪くらいある大きな建物であった。ここではアルコール依存症になってゆく過程や、立ち直ったときの素晴らしさなどをスライドやパンフレットなどを用い、市民に対して酒害の啓蒙活動も行っている。ここでハウスを紹介したい。レンカナはこのようなハウスを全国に三百も持っているという、もちろん運営費は国が出している。ここは朝八時から夜十時までメンバーのためと、酒害相談のために毎日オープンしている。ハウスには設備基準が設けられていて、メンバーの数に応じて次の順位で設備されている。マグナス・フス・クリニック訪問
このハウスでは、酒害者がハウスを訪ねてきたら、薬を与え、休養室で二日間寝かして酒の切れたところで専従者が「あなたは立派な、そして貴重な第一歩をふみました。これからは私たちと一緒にメンバーとしてやっていきましょう」と話しかけるのだという。私たちの訪ねたナッカハウスにもメンバーになったばかりの人が数人いた。
スウェーデンでは政府として酒害専門病院を六ヶ所持っているという。患者は約一万人そして精神科医の七%がアルコール専門だという。私たちが訪問したマグナス・フス・クリニックというところは、女性酒害者専門のスタッフがいて治療をしている病院である。クリスティーナさんという女性病棟責任者の話を聞かしてもらうことが出来た。また彼女の下でケースワーカーをしているというグレンさんも直接患者と接している様子を聞かせてもらうことが出来た。
女性の酒害者が増えつづけ
スウェーデンでは1950年代(昭和25年)頃までは、女性が飲酒することを嫌う習慣があったそうです。しかし女性の社会進出が進むにつれて、男女平等意識が強くなり、1955年に女性には酒を売ってはだめという社会的制約はなくなりました。
この1955年以降、毎年のように女性の酒害者は増えつづけ、現在では酒害者の男女比率は5対1、つまり男性5に対して女性1の割合となっているそうです。女性の酒害者は今後も増加する傾向にあり、この問題はスウェーデンだけではなく、ヨーロッパ全体の傾向にと言えるそうです。女性の酒害者問題は日本においても問題視されており、日本では最近の調査ですが男女比は10対1となっているそうです。この問題は飲酒人口の低年齢化と共に重要な課題となってくるに違いないと感ずるのであります。近年までのアルコール問題の研究は男性患者への研究が主で、女性患者に対する研究は後手に回っていると語っておりました。女性の場合には臨床例も少なく、ホルモンの関係も重要視しなければならないとも言っておりました。日本でも女性の場合、男性に比べ飲酒期間・飲酒量とも半分から1/3でアルコール依存症になりやすいとされていますが、これはスウェーデンでも同じだといっておりました。
女性は病気が進行してから助けを
女性患者の特徴として
一、個性の強い人 二、刺激を求める人 三、後悔する人(悔やむ人)四、 落胆の大きい人 五、義務感の強い人
が多くの場合酒害者になりやすい人であると言っておりましたが、これは男性にも当てはまるのではないかと思います。また年齢層はあまり関係ないと思われるが、スウェーデンでは四十代が若干多く、家庭に入る人より、仕事を持っている、いわゆるキャリアウーマンのほうが多いそうです。日本でも言えることですが、女性の特徴として「女のくせに酒を飲んで」という社会的な非難の目にさらされることを恐れて、病気が進行してから助けを求めてくるケースが多く、治療スタッフの中には、彼女らの子供のために児童心理学を専攻した人が加わって治療を行っている。
マリア病院では5つのパートに
スウェーデンでは胎児性アルコール症候群(FAS)が一般にも知られており女性がアルコール依存症になった場合には結婚にも差し支えると言うことで、ますます病気が進行してしまうケースも多く、この問題を重要視している。また同じストックホルムにあるマリヤ病院のことを聞かせてもらった。この病院は五つのパートに分かれており、患者はアルコールに侵された部位によって二階~六階に分けられて、それぞれ専門的な治療を受けられるようになっている(例えばアルコール性肝炎は二階、アルコールに起因する糖尿病は三階というように)。したがって各階にチーフドクター一人とアシスタントドクター四人、計五人が配属されており、医師は合計二十五人、患者は八百~千人くらいいる。
アルコールの起因は専門病院で
日本ならアルコールに起因する肝炎でも内科で治療するのがほとんどであるが、スウェーデンではそのような患者はすべてアルコール専門病院に回されてくるという。
病気の原因がアルコールであるならば、内科的治療といっしょに、根本原因であるアルコール対策を行なわなくては真の治療にはならないとする考えにもとづいているのである。
三百六十年前に国の命運をかけて建造したバーサー号が沈没したときに国王は関係者を裁判にかけたが、これといった確定する証拠がなかったために、建造に係わったものの中から一人の死者も出すことはなかったと言われている、このスウェーデンの良心が酒害対策にも見られるような気がしてならない。
このマリヤ・クリニックでもマグナス・フス・クリニックでも入院期間は極めて短くて一週間~二週間というのも大きな驚きであった。退院した人は通院に切り換えるか、先に行ったリハビリテーション施設に一カ月~三カ月入所した後、社会復帰し断酒会に加盟する仕組みとなっている。(断酒会組織としてはレンカナのほかにA・Aもありどちらかに加盟するかは本人が選択する)
アルコール患者の治療には、身体的な病気を直してゆくことと合わせて、患者個々の性格的な側面をみながら、患者とのコミュニケーションも重要な要素となっていると考え、コンタクトマンという役割の人がいる。
人生をあきらめた人に勇気を
この人は医師ともケースワーカーとも違ってカウンセラー的な役目を持った人で、患者のどんな相談にも対応してくれる人となっている。アルコール患者の中には、職もなく、金もなく、住むところも無くなって、なかば人生をあきらめたような人もいるのである、そういう人たちの話を聞いてやり、勇気づけて社会復帰の道を相談してやれるコンタクトマンの位置づけは大きいという。
コンタクトマンには断酒会のメンバーも数人いる。断酒会のメンバーは自ら酒害体験が有るので、有力なコンタクトをとれるとも語っていた。スウェーデンでは青少年のアルコール対策にも力を入れている、これは国の将来にも係わってくることなので、おろそかには出来ないといっていた。青少年や女子の対策として、高校教育の中に酒害予防講座を設け、断酒会の会員を招いて講義をしている、テキストを読むだけでなく、自らが酒害についての体験を持っている断酒会の会員の講義は役に立っていると思われる。
酒類を国家統制におき90%の税金
スウェーデンの酒害対策としてライトビール(アルコール分一・八㌫)を除いて全ての酒類を国家統制のもとにおき、その酒類には九〇㌫近い税金を掛けて高価格政策をとっている。これらの政策は国民の大量飲酒を防止する目的でなされている訳であるが、北欧ではスウェーデンの他にノルウェー・フィンランド・アイスランドが同じ政策をとっているという。この政策については、アメリカの禁酒法の失敗の例もあり議論の分かれるところではあるが、スウェーデン政府は強い酒類の伸びが殆どないことから、一応は成功していると考えているようである。しかし若者たちが価格の高い酒類を嫌って、覚醒剤や麻薬に手を出していることも隠せない事実のようである。
最後に、マルエダールのレンカナハウスを見学した。この建物は一六四〇年にバルト海とメーラレン湖を結ぶ運河の中にあるクンヌスホルメンという島にあり、当時はここを通る船から通行税を徴収する目的で建てられ、一七〇〇年と一八〇〇年代の後半に二回建て替えられている、ライ病患者の病院となったり、陸軍病院となったり使用目的は色々と変わったが、一九五二年にストックホルム市の文化財に指定され、その年にレンカナに使用を許可されたスウェーデンレンカナの会員にとっては、このストックホルムでは最も古い木造の建物を誇りに持って管理している。
毎週水曜日に運営委員会を開く
マリエダールレンカナはストックホルムレンカナの本部になっており、他のハウスと同じようなメンバーによる例会や 酒害相談活動のほかに、毎週水曜日に運営委員会を開催している。
運営委員会の中では各グループの活動報告や外部に向けての啓蒙活動に力点を置いて話し合われている。
この由緒ある建物には酒を飲んだ人は絶対入れない、この建物の他に小さな事務所があり、ここで酒を切ってからでないと入れないのである。レンカナの会員たちの建物に対する誇りとレンカナの会員たちの名誉にかけてこの由緒ある建物を守ろうとする、彼らの心意気が感じられた。
この施設は 三百六十五日開放されていて、社会復帰するために一ヶ月~三ヶ月リハビリで入所するのであるが、入所する場合には一ヶ月六クローネ(日本円で百五十円)支払えば良いことになっている。これは他の場所にあるレンカナやA・Aの施設に全部適用されているが、スウェーデンでも景気は後退気味とのこと、ここ数年は予算は増えていない。
米国では労働問題としてEPA
日本でも七月三十一日にアルコール問題をテーマにした厚生省の研究班が、飲み過ぎによる社会的コストを発表した。損失額は年間二兆円の酒税を三倍に当たると試算した。金には換金できないアルコールの効用を指摘する声も大であるが、厚生省は近く新たなアルコール対策を打ち出すことを検討している。 欧米ではアルコール対策の効果などを評価するため、かなり以前から一定の推定方法が確立されている。
それにしても酒税の三倍の六兆円というから驚きである。日本でもこのように厚生省や文部省でもアルコール対策問題を真剣に検討しているという。アメリカでは労働問題としてEPA(従業員援助プログラムを 取り入れて実行している企業もある、アルコール依存症が 四十代に多く、企業としては 一番活躍してもらいたい年代であり、アルコール依存症をこのままにしておくと本人は勿論のこと、企業にとっては過去に投資したものを回収できないと考えEPAを取り入れている。アルコール依存症には特徴的な「否認」という厄介な問題がある、この病気は「アル中」と過去には言われており(私などは自分のことを、こう呼んでいる)「みっともない」「恥ずかしい」「あんなアル中と一緒にされてたまるか」と本人は絶対に認めたがらない、家族に対しても「恥ずかしい」とか世間体を気にして、正直な治療を受けたがらない。
中毒から立ち上る勇気がないこと
恥ずべきはアルコール中毒になったことではない。それから立ち直ろうとする、勇気のないことである。
断酒会の仲間と知り合った、酒を飲んでいたときには「今日は飲んで明日からやめよう」と毎日考えていた、断酒会に入って間違いに気がついた「今日一日止めよう、明日は飲んでもいいから」一日の積み重ねが十二年になった。しかしいつでも病気は再発できる、自分の手で「一杯の酒」を飲めばいいのである。
スウェーデンではストックホルム以外の所に行かなかった。日程がぎっしりと詰まっていて、観光は最終日と、各施設見学にバスで移動する間だけであったが、ストックホルムは美しい街であった。第一次・第二次大戦に参戦せずに中立を守ったことが、美しい街並みと豊かな国を作ったのである。特に旧市街の美しさは形容しがたい。何年後になるかわからないが、今度行くときには家内も連れてゆっくり回りたいと考えている。 言葉は不自由だが、英会話を少し練習すればなんとかなる。スウェーデンでは英語が必修科目になっていて、老人を除いて殆どの人が英語ができるのである。
断酒している最中である
どうも日本人は引っ込み思案になっているようである。一緒に行った仲間で英語がまったく出来ない人もいたが、ブロークン英語とジェスチャーでなんとか意思を通じていた人もいる。外国に行って初めてわかったのであるが、やはり日本人の団体は外国人には奇異に見えるらしい。「ここに集まってえ!」などと大きな声を出していると、たいていの人はこちらを見て首をひねってゆく。ともかくも、酒を止めていたからこそ出来た事なんだと、断酒できていることに感謝しなければならない。私たちは「断酒できたのではない、断酒している最中なのである」
おわり