昭和33年に日本初の断酒会「高知断酒新生会」が出来ました。それから7・8番目に北海道には室蘭に断酒会の灯がともっています。「室蘭断酒会」と言います。会を立ち上げるのにご尽力されたのは、当時の室蘭市立病院精神科院長の斎藤義寛先生とソーシャルワーカーの佐々木敏明先生です。昭和40年11月29日の事です。当時はアルコール依存症の治療法など殆どなかった時代でした。昭和40年当時の医者の世界は学閥と言って、各大学間で何かを教えあう事は不可能と言われていた時代でした。斎藤先生は北海道の大学出身です、アルコール問題(ア症)の勉強をしたかった先生は、当時唯一と言って良い専門家であった慶應義塾大学出身の「なだいなだ」先生に教えを乞うたそうです。室断は室蘭自立病院精神科の食堂から生まれたそうです。そのエピソードが残っています。
室蘭市立病院に精神科を作りましたが、経済的に貧窮してしました。つまり患者さんが来ないのです。そこで斎藤先生は一計をこうじて、刑務所と連携し、受刑者(トラ箱)の人達を受け入れたという事です。しかし荒くれた犯罪者達です、病院スタッフが怖がって仕事になりません。で、斎藤先生は受刑者に向けて「君たち昼間は食堂で自由に過ごしていて下さい」と患者さんを食堂に集め好きにさせたのです。するとその中から「オレ酒やめてみっかな?」と言う者が現れてきました。これが室蘭断酒会に発展したのです。その当時、室蘭市と姉妹都市であったスウェーデンのヨーテボリ市にあった、国のアルコール回復施設の「レンカナ」と手を結び、活動を拡大していきました。室蘭断酒会は残念ながら消滅してしまいましたが、ヨーテボリのレンカナ本部には、室断の団旗が掲げられているそうです。
その後札幌に「もいわ断酒会」が出来ました、昭和44年6月10日が発会日です。これにご尽力されたのは、当時、平松病院から天使病院に移られた、村田先生です、先生は断酒会発足後すぐヨーロッパに行かれています。ここに、後に全国規模でも活躍された、北海道の断酒会の父と言われる「原田ひろし」さんがおられました。
その次が旭川で相川病院の院長故相川先生がご尽力された、通称「きょくだん」という「旭川断酒会」です。昭和44年9月14日のことです。それからどんどん断酒会が出来て行きました。当時の道断連理事長の原田ひろしさんの牽引の元、北海道に100の断酒会を作ろうとしていました。結果150~170ほどの断酒会は発会しましたが、現存するのは半分にも満たないです。
「この世に一人の酒害者も残すな」「何者も排除しない」との公益社団法人全日本断酒連盟の理念の下、北海道の仲間たちが活動にいそしんでいます。断酒会はその指針と規範にあるように、「お酒を止めたい人の自助グループであり、市民活動団体」でもあります。これからもアルコール関連問題の方を中心に支援していきます。
勘違いなさらないで頂きたいのは、断酒会は公益法人ですので、アルコール関連問題の方だけをその対象にはしていません。全ての精神障害をお持ちの方の居場所であり、安全基地です。
お気軽にお尋ねください、我々は「人の命と尊厳を守る」ことを目的に、つらく苦しい方達の生きることをサポート致します。