瞳と視線 2
ここは、25・8月から26・1月までのストックページです。25件数単位で保管して、過去を振り返る事が出来ます。過去の件数は閲覧者にとっては、当該の考えに触れる機会ですが、当該にとっても今後の出版発表の際の資料して活用する資料に成ります。テーマである、中学生でも理解し得る、優しい文と論説、堅持していると思って入るけど、どうでしょう?
瞳と視線 2
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テーマ 50 ライン目次
50 共産主義と独裁は何故残る?1
49 共産主義と独裁は何故残る?2
48 共産主義と独裁は何故残る?3
47 共産主義と独裁は何故残る?4
46 俳優 「いしだあゆみ」のすごさ
45 高市首相に見る、本当に賢さとは?
44 それからの田中派、でも偉業は消えず。
43 反日分子の特徴、「感謝の言葉、慈善行動が無い+敬意も礼節も無い」
42 それ見た事か?マイナンバーカード
41 「給料上げろ」は自滅経済論1
40 「給料上げろ」は自滅経済論2
39 「給料上げろ」は自滅経済論3
38 「給料上げろ」は自滅経済論4
37 「給料上げろ」は自滅経済論5
36 「給料上げろ」は自滅経済論6
35 「給料上げろ」は自滅経済論7
34 オールドマスメディアよ、選挙終るまで中道左派を応援報道して
33 民主社会なら、学は人と成り、でなくてはならないのに
32 拝金主義者の愚考愚人は、全てを地に落とす。
31 形式は同じでも、問題は立ち位置と目標と意思だ。
30 民主主義出直しは、教材と教育再び
29 現代に蔓延った暗記学歴?保持者たち
28 合理主義は金裕福に近づき、不合理な精神性を降車、民主民は浅はかに
27 学歴に関係しない賢い人物は?
26 人の素養から成功、進化は、真実基調進み、嘘は消滅の一里塚
令和8 26年10月01日
ヘッドライン50 共産主義と独裁は何故残る?1
タイトルの答えは、「教室の中で生れる、優秀生徒と悪童生徒が存在してしまうが如し」これは、人間の感情、好かれる人、嫌われる人が出でる、が如しでもある。現代の社会主義、共産主義、独裁主義を、この期歳に置き換えると理解が進む。決して平和思想では判断できない、もっと人間的な「嫌われ者の、僻み反動と設定すると、理解が進む事を先に言って置く。嫌われ者が変わらないのは、人間性のスキル感が無いからである。もっと言うと、社会主義、共産主義、独裁主義、では「人間で有ってはならない、ただ働きバチであれ!」と言う事だ。こんな事は小学生でも解る事だが、効く耳で善良の振りをしてはダメ、ダメは何処まで言っても救えない、自分で変れる迄はダメが続く!。日本に居る、親中親露は、自分が嫌われ役から統制役に成れると持ってるらしいが、そうはいかない、彼等独裁は、極度の差別主義者だから、奥座敷で格子が無い監視で食べるだけ生活だけが有るだけだ。岡田淑子さん、この世の天国と地獄生活を北朝鮮移住の人々が無言で表している。
共産主義は、人の生善説俯瞰視を基に存在するから、見方としてはマルクスは度を越えた善人だったかも知れない。善人だったとして、このお坊ちゃまの側に寄り添ったレーニン、スターリンが、完全に生善人間の飼いならしと人としても知恵を奪い取って、現共産主義を作り上げた、と言って良いだろう。こう成り果てた訳は明確で、元々、学びが無意味な広大大地に住んで変化を好まない人間関係の環境とほんの少し前まで「農奴」がまかり通っていて、その変化の先を何も知らない農奴に宗教の善と生善で次の世界を示して、農奴からの脱却には手を差し伸べなかった。共産主義と言う変化でも強く残したものは、統率している者たちは慈悲ある別次元の人達と言う固定観念。裏を解釈すれば、宗教が有っても教えに沿って自己満足させ、それ以上に自己研鑽しない風土土壌的にも、成長進化を阻んだかも知れないが、最も阻害した事は、村人までの協力は有っても、地域人、、国民と言う権利は持てないでいた事だろう。この無知さを狡賢さで見つめて早々に知識を断ち、自由を断ち、切磋琢磨も断ち、競争も断ち、僅かな生活安定をニンジンにして今日明日の天気模様を見せて民の善悪を盲目幸福を作り上げた。それでも統率者が、それこそ善意の塊人間で有れば、現代共産党には成らなかったであろうが、事も有ろうに「街のチンピラ」がその座についてしまって、救われない蟻地獄かした共産主義になり果てた。何故チンピラがその座についてしまったのか?簡単に言えば、「強い者に弱く、弱い者に強く出る」の性格の押し活だ。何に対して強く出れたか?それは中間層とエリート層だ。上位層に対しては、「ただただゴマを擦りながら時期と言う虎視眈々と隙を狙い、中間層とエリート層は基本抹殺、同類チンピラは、配下支配。この構造の致命的欠陥は、頭脳が無い事、だから盗みと嘘と、脅しが交流と成るなるのは良いが、統率者自身が勉強する事はないから、世の、国の、個人の進化も発展も無い。この点の頼りは、盗みと騙しの技術のみ。これが伸び代なしの共産主義の実態だが、何故も、こんな未来の無い統制が続いてしまうのか?でもようやく1世紀近くも経ったが、1世紀近隣で本当に、今消滅期を迎えているかのように察している。それは、力ではなくて、基本は、時代的な情報力だと思うから、「本当に」の意味はこの情報の力が止められないものとの認識からだ。
共産主義に機軸が生善説と言う事なら、民主主義はどうなのか?生悪説?生悪説と言うには当たらないまでも、素の人間をそのままに、要は人の持つ強欲を認めつつも、豊かに成った者が先んじて貧困から脱して、貧困から救い上げて、豊かの底上げをし続ける。社会だ。豊かになると同時に善行を行う事が礎になるから、生善説を言い切る事も出来ず、生悪出発と言う事も出来兼ねる。
令和8 26年10月01日
ヘッドライン49 共産主義と独裁は何故残る?2
視方考え方を並べた時に、生悪も生善も居ても、未来をどう生き抜くか?その未来の切り開きには、生悪を贖罪する正善への心の信頼しかない。もちろん民主は法律国家だから、法文に善悪を書き込める事が出来るが、力を持って変貌する人間も常だから、その状況には民が決断して是正を進める責任と義務を持つ。民主主義も欠かしていないのが「人の善意」。こちらも関わって支える心はやはり原点的宗教だろうが、この宗教のスキルなしには民主主義は形にも成らなかったであろう。
民主主義も、共産主義も、生まれたその時はどちらも「生の善悪」で有った物が、現代に到っては「反目の両者」に成っている。だけれども、民主を考えた時に、独裁の野心を持って民主主義に君臨できるか?と言う問いには、その瞬間には民主独裁も有り、だけど無理だ。と判断できる。なぜか?民主の民には未来があるからだ。想定未来から自分を考えられる資質持ちだからだ。もっと砕いて言えば、民主人民は自由度の広い中で生き、常に賢さの中に居る。一方で表面上の善を生活苦でから見出そうとして来た共産主義の人民。しかし、信頼と信用を無防備に掲げるとこの世ではいつもいつも騙しと言う詐欺に遭う。この詐欺に遭う部分を考慮しなくても、どうして、同じ根源から二分と言う袂別れをして来たのだろうか?民主人民は、共産人民を愚かと見下して、共産人民は、民主人民を浮かれポンチと見下して、でも贅と進歩を望まなければ、共産人民が幸せか?より良い向上と進歩を希望するなら民主人民が幸せか?こう考えると「考えて歩むと考えなくて良い歩み」に集約してしまう。でもね。ほんの些細な違いで袂を分けた、とは言い難い違いがこの二つには有るんです。何でしょう?解かりますか、社会と言う集合体ですから、100%の人民が人民が幸せは有り得ないけれども、言うなれば人民の「笑顔の数が全く違うんです」「笑顔の広さも全然違うんです」民主は隣同士が競争相手でも互いに喜べる、けど共産は同じ平等化でも飛び出る人を妬む。人は聖人から社会は作れないものです。人と言うもの、未熟やらの劣等からの向上心で選別踏破が可能、これが民主。とは言え。民主の立場で言い、共産の立場で言い合いを始めても。どちらも論破制覇には至らないだろう、何故なら「笑顔の数に大差が有っても、じゃあ、極悪人は?と言うと、然程に変わる事も無い。互いに不足部分を言い合う訳だから、勝ち負けも優劣も民レベルでは判定できない。出来るのは「笑顔の数と物量の豊かさの差」くらいだ。ここまでは民主主義、共産主義の定義や論律、仕組み、運営方法、体制維持の基幹から比較して来た訳ではない。互いに100年もの歴史を積んで、表立った、国家繁栄状況やら、反りの合わない事情面、幸せの形態感覚から評価比較できるだけの「生活汗」が隠しようもなく滲み出て来ている情報時代2026だからこそ。出来る比較認識があると思う。それに定義だ、元論回帰を行ったところで、美化されて良い事しか、良い見栄え、言い映えを付くだけだろうから、それも無意味とも考えれば、表面的では有っても、生活の汗、シミ、生活温度、それこそ「笑顔の数」仕事と収入と幸福感から較べた方が、評価的には正しい位置が取れそうに考える。動物としての人間まで貶めて、社会を考えると、群れをつくる猿軍団から、渡り鳥軍団、あるいは象の軍団まで様々有って、人間で有っても、現在この二通りの群れで住む。そこに比較例を見てしまうと、人の生き方を単一にしてしまう事にも罪悪を感じてしまいそうなのだが、でもね、もっともっと欲を前面に出して行く事が人の生き方に固定する様に思える訳だ。話せる人間として、考えて、その結果を話せない生き方は21世紀に至っては不合の極みと考える。何故って、情報社会のこの時代、「隣が何する人?」が何時でも身近に有る。その情報に分かれ立つ事など人間動物としては無理な仕事だ。
令和8 26年10月01日
ヘッドライン48 共産主義と独裁は何故残る?3
人としての進化の過程では、隣の人の存在が大事で、この互に切磋琢磨してしまう人はその慣習を持っているから、言葉を放つ動物で居られる訳で、現代貧困さが有っても力の強弱が現れた現社会であっても、いずれは横一線化する。共産圏民衆は、この人の根源を潰して続けて成り立つとすれば、それが長く継続はしないであろう。共産主義の生末も民主主義の生末も、実は論理的に継続の限界がある訳ではなくて、車の運転と同様に、真っ正直で善意で運転する人は車社会を壊さないも。ちろん車も悪な道具ではない。この二つの社会の統制主義で言えば、一つ、時代の試金石?と言うか継続選定される篩がある。それは情報の行き届きに堪えられるか?耐えられないか?時代は情報と共に進み、秘密機密、隠す、誤魔化す嘘で張り替える、が出来なくなるのである。2020年代の今は、その小試金石と言って良いだろう。そこで綻びを大きくしているのは、現代の2つの主義に襲い掛かっているが、綻びの大きさで施しようが無くなりつつ有るのが、現共産主義の独裁国家である。結局は、実像を露わになった時、存続の判定が下る。と言う事だが、同時に存続できないと言うのは、統率者に善意が無い判定でもある訳だ。共産、民主同様に言えるが、「善人とは隠し事が無い人の事」共産独裁がこの時代に危機と言うのは、一様に隠して虚像で運営するからで、現民主では、隠しきれず、力で抑え切れずの、浅い段階で下克上が始まって最悪を避けれる。共にハッキリしているのは、悪い社会は、共産主義、民主主義の「乗用車」では無いと言う事。ここで、また不思議に出会ってしまう。何故も共産主義に「チンピラの反社人間が集ってしまうのか?」、民主の資本家、事業化も、ある意味チンピラと言えなくも無いが、たいていの場合は、失敗して学ぶ、機会に質されて行く。民主で怖いのはこの機会を持たないで大きくなった人間が共産の独裁者とほぼ同種と言う結果論。自浄の再度ロードを持つ民主と事情を持たない現共産、これがチンピラが共産に集って来る、一番の居心地に成って居るかここ迄、社会思想から、民主と社会主義を考察して、いつも思うのだが、机上の統制では、形は違えど、どちらでも国も民も幸せを作れる環境を持つ事は解る。互いに生育過程とすれば、民主のも躓きが有って成長して来た。社会共産主義も知られる当初は 理想社会としてロマンを持って、世界も向かい入れた部分が有った、ただ、市民的には、その理想ではなくて生活苦だけで選ばれたのが、混沌の理由でもあったし、世界大恐慌発生で大きく人も社会も理想も色分けに至ってしまった。誰によってでしょうか?それは、「火事場の盗人種族によって」です。暗躍から完全の色分け分立に至ったのは 第二戦争であったし、明々白々の思想対立化したのは、55年位じゃあないかな?そこまでは社会主義共産主義も存続に自信までも模索だったと思う。暴力活動が出でて以降が社会共産主義が自信を持った時であり、正体を現した時。それ以前の巷社会主義共産主義者は、理想社会として夢を掛けた、手法に目を瞑った、ある種のお花畑主義で、信望者にも至らない人達、要は浮かれ信者でしか無かった。偽物社会主義、共産主義をカモフラージュして、新エキスで反質させたものの正体、二人とは?「スターリン&毛沢東」と思っている。彼らが論理を作ったか?いえ、「ご都合のやりたい放題」を行って現在に引き継がれただけですけどね。責任なんか何も持たない遣りたい放題。
何故?反社の主人公勢力が「ヤクザでなくてチンピラなのか?」
ここからは、世に生きる連中らの分類から共産独裁を考えて見ると?こうなる。チンピラ性格、これらは日本にも存在して世界にも標準型で存在する世界共有語意チンピラには人間否定まで突っ込まないと抑えきれない。「普通、人として此処まで言わないだろう」の人の遠慮を前提して口攻めしてくるのがチンピラ論法。このスタート台にして、「脅し」「俺様の態度」「口先で勝てる」「謝罪しない」「反省の仕方も知らない」「人を見下げる」「見下げるから人を見る眼が育たない」「同じ仲間内にも感謝が無い」「仲間作りは金と煽て」「騙して利上げるが力」「強奪が生きる力」「知識は丸覚え」「知識の根源を正否吟味しない」「浅はか思い付きの口先だけ」「嫌がらせは、毎日の仕事」「狡賢さが最高の頭の良さ」「勉強はする必要が無い、しない方が弁を立たせれる」「でもラベルは欲しい、学卒、本を読んで博学」「新技術を見ると悪用発想する」「人の落ち度を見付けると嬉しい」「自分の間違いに気付かない」「金を原動力にする」「単純に馬鹿扱いされる事に反骨する事が燃料」「大衆は無知の馬鹿」「自分の言った事を忘れても言い訳でカバーできる自信」「人類は脅しで従属して、金を見せて従順になる」「配下の人間の賢い進化は許せない」チンピラの直上の中間層を排除すれば、脅しが幅を利かす」「弱い者には悪魔のように強く成り、強い者には手を合わせて平伏す」「正義は嘘力」「程度の低い悪戸さが上下の関係」「金には、従順が仲間資格」「上位中間層は理屈無しの敵」「自慢はするが、実力は哀れなポンコツ」「思考力が無いから、苛めをする」「馬鹿で利を持たないから脅す」「メンツを大事にするのは、馬鹿を隠す為」決定的主張「馬鹿の正体晒してもまだ晒し続ける」「真実よりも口で負けない事が大事」「素養の無い者が支配者になる為の手段、共産独裁」「嫌がらせを攻撃の旨とする」
令和8 26年10月01日
ヘッドライン47 共産主義と独裁は何故残る?4
チンピラ頭脳が運営する社会主義共産主義の運命は、その生ける手段、生業から、もう、自壊して散生縮小の決定されているのである。まあ現実に、始祖的ソビエト連邦共和国はもう、破綻解体してしまったし、それでも、その時点で決定的解体と体制変更できなかったから、今のロシアが存在している。でもそれも、ウクライナの侵略戦争に関係なく、いずれの約束事、破綻解体、これは宿命。チンピラ連中、種族の宿命、だから、でも生き残る、弱って生き続ける。何故でしょう??社会共産が労働者を旗に描きながら、チンピラは「労働しないし、労働をした事も無い。だってピンピラだから、おどしかつあげが生業だから、労働は遠い存在。出来る事と言えば、脅しとかつ上げと盗み、自分の米、パンも手に入れるのはこの三つ。もっと大事な事を言っておこう。民主は「働かざるもの食うべからず、」だから労働は物と金を稼ぎ出す。社会、共産、独裁は?「脅しを自分と自分国の実力にして、見せている」が、でも客観的に名前で自覚しているものは居ないのだと思う。「脅し、カツアゲ窃盗、もう一つの名を横取り窃盗」とも言う。ズバッと言えば、稼ぐ民主主義国家から横取りで生計を成す、と言うのが共産主義独裁の国家と言う事なのだ。ある意味では共に共生していると言えるが、民主側からすれば、それは完全なる「寄生虫思想国家」でしかない。寄生虫である以上、無意に増やしたら、母体を壊して生業を無くすとに匹敵する。でもさすがの寄生虫、そこまで頭脳が働きません。現在も、懸命に仲間作りをして増やそうと画策ししてる。増やして行き詰まったら「粛清」の名で減らすんだろうが、その刃はいつ自分達に向かって来るか?戦々恐々の筈。国家的繁栄の要素と言うもの、これっぽっちも無い。ヤクザと言わず「チンピラ」と言う理由も、もうお分かりと思うが、大昔、昭和の任侠劇のセリフ「世間様に迷惑掛けるな!」少なくとも、作家レベルでは善人社会に寄生している自覚が有ったと言う事だ。
そんなチンピラ国家の作り上げる商品も、ポンコツのマイナス進化しかしない。ともあれ、民主主義に対して何処までも上で強くて負けていない強心臓で対峙しているが、民主社会と言うのは彼らにとっては、食糧庫で有り、裕福は宝石で当然、窃盗対象になる。ここでハッキリさせて置く事が有る。民主主義に対する強き態度は、実質は民主の持つ豊かさを搾取する魂胆を隠すための事であり、それを導いてくれるピンピラもまた民主の中に居るし、民主にもチンピラを輩出している一面がある事。請う事を露わにすると、本当に相互互助に見えてくる。だから、社会、共産主義を否定して住み老いても事は変われないのである。同時に遣るべきは、民主が、もう、ピンピラを輩出しない事。教育か?ルールか?モラル統制か?様々が有っても、民主も拝金思想を止めて、民主社会の進歩発展の犠牲者、これらをサボリなどと偏見で見ず、一因として救い切って行かないと、この相互互助の関係は断ち切れない。あの~、これまでの民主の発展で言われてこなかった事、「世の進歩発展で、人が発展の中で人としての発展を並走すれば良いだけだったのだけれど、これまでの人達は金裕福と並走して、こんな相互互助を作ってしまった事。反省しないといけない。
超々蛇足、堕落思想で構成される社会共産主義社会のコネ賄賂社会、これも約束された堕落社会構造。何と言う侮辱、何と言う暴論、何と言う不見識。と反論してくるだろうが、現在の日本に居る反日種族、建設議論を怠ると、ぞ脳退化を起こす、この人も、あの人も、朝から晩迄「反対、反対」で自分達が言っている「反対」が台詞で言ってるかのような意の無い反対は、自分の頭脳を「反対」洗脳して劣化させている事にも気付かぬ、哀れな道化師。自分自身を時代遅れにしている「反対中毒の反時代人」これにも気付かないから元々のバカか?歴史に時々訪れる「真実、正直至上主義時代。ここに於いてあっけなく裁かれる、独裁の悪行は、不思議にも「真実、正直の暑さに溶ける氷の様に溶けて消える。復活が始まるのは、社会が生活の苦しさから立ち直った(我先に!)」からだ。
令和8 26年07月05日
ヘッドライン46 俳優 「いしだあゆみ」のすごさ
日本眼的アイドルのお一人、「いしだあゆみ」さんはもちろん歌手としてテレビに登場して、その後、時代が流れて俳優業に転身。でもやはり、キャラクター売りは「美貌と歌手時代のイメージ」定番的にヌード演技にも挑み、女優としても一つの格を取り付けて地位も固めた、と認知して来た。ここまでなら、歌手が女優転身して行くケースのアルゴに乗ってる、でもでも、でも、その人となりと、熱量と真迫?演技も新演技?を見せつけられた演技に出会う。当初は綺麗で可愛い娘の歌手時代のイメージを踏襲したテレビドラマ「七人の孫」だったけど、お茶の間、家族ドラマ。続く映画もアクション映画の娯楽、この頃、彼女は、「いしだの胆石持ち」等と揶揄もされて、テレビ出演は少なく成って居て、自分にとって、久しぶりのヒロインと言う色どり映画で「驚かされた、その映画は典型娯楽「寅さん映画」だった。「男はつらいよ、あじさいの恋」は自分の中では「寅さんか映画を、別の映画に取り換えてしまった。男はつらいよシリーズでも、別映画にしてしまった異様な映画だと、痛烈な印象を心に刻んだ。「人は余りの真実を見せつけられるとパニックと怖さで何も考えられなくなって目を避けるもの。男の自分に恐怖を覚えさせて、あの寅さん映画を寅さんで無くしてしまった「あじさいの恋」は果たして、寅さん映画なのだろうか?いしだあゆみ映画なのだろうか?今でも答えが出ない。監督の山田洋二さんはこのままの印象にした理由は、いかばかりか?「人の心の、ゾクッとするような艶かしさ」こんな演技は「初めて見た」このシリーズ数々の名女優が出る事の定番映画で、でも考えて見れば、このストーリーも定番からはチト外れた移植でもあった。いしだあゆみさんだからのストーリーで過去降ろされたのか?そこまで邪推したくなる、「いしだあゆみ」が煌いたドラマでは有ったが、余りの迫真と艶かしさ、その演技、自分には直視でなかった。だから、こうして、書くに憚る心も有るは有るが、一方で書き残して置かないとの気持ちも抑えられない。抑えきれない、と偉そうに言ったところで表現力が届かない現実の直面で胸がムカムカと訝しむ。「演技、芝居って何だろう?」この「いしだあゆみ」を見て言える人っているのだろうか?
そもそも、この映画のシナリオって「いしだあゆみ」のために書き下ろされたのか?この寅さんシリーズには、沢山の日本女優が登場して色を添えて来たが、この「あじさいの恋」は少し異質で、形的には、いつもと同じでも、「いしだあゆみ」が強烈過ぎて、寅さん映画を逸脱させてしまっている。これも計算されたシナリオなのか?自分が思うに寅さんの映画を乗っ取ってしまった唯一の一策と思っている。あのクライマックスの表情は今も浮かんで、女性裸の情念に到達させて、身震いした。あえて内容を抽象的にしているが、表現の無さと共に、価値として今からでも見て欲しい願望を持つからだ。人の欲には、物欲、食欲、色欲の3つ有るとされ、社会人としてはもっと細かくも栄誉欲、優位欲、顕示欲、金欲、もちろん幸福欲と願った分だけ存在するけど、基本の3つの内、物欲、食欲は賞賛、好意的にひょうかされ、が、色欲は誇るに誇れない品性との取引が有るもの。例え女優として演技には芝居がかる。つまり作り事に成ると言う事だが、ところがもう俳優を越えて、自分の生身の人生を表すと言うより、ぶつけて来た。言い方は難しいけど例えば、小説家が自分の人生を文字で表す訳だが、文字を使った時点で嘘が美辞麗句で入ってしまって有るパーセンテージを占有してしまう、そう言う物だ。文字に実質の真実は無い。なのにいしだあゆみの演技は、身震いさせて真実を語って来る。こんな女優は無二なのだ。だけれど、彼女の演技、場合によっては、直視できない、人として「触れてはいけない奥底にまで痛みを共感させる?ある意味演技を超えた境地と言うもの、観客と言う存在が「容認」してくれるかどうか?はちょっと疑問を持つ。役者としての役とは?シナリオに的確に合わせ切る、観客にもレベル的に合わせる。言いたい事は、実力が有り過ぎて受け入れられない、そんな俳優にも成り兼ねないと言う事。現実に一般観客に人気者、多くのファンの指示受け?には物足りなく思うし、何よりももう足跡しか残していない人となってしまっている。いや、そんな事より、この「いしだあゆみ」と言う実力に対して、必要とする作品が、シナリオが創出されなくて、その低さで、出演が少なかったのか?そんな思いもある。もっともっと心理的に深くて高度な作品、シナリオが描ける人にしか「いしだあゆみ」はキャスティングしないだろうし、生かし切らないだろう。これももはや過去形なのだが、もったいなさを込めて進行形にして置く。同じ年齢も光栄な事で、だから記憶に留めて置きたい人物。
令和8 26年07月05日
ヘッドライン45 高市首相に見る、本当に賢さとは?
優秀学卒とか、苦学だとか、人間に揉まれたとか、そんな賢さでは無いが、早苗、高市は賢人だ。何故か?何処が優秀か?真実と至誠上に忠節で、温故知新を旨として歴史に学び先人に学び、最後に学問に学んでいる処。これまでの人間達と何が違う?、裏切られても裏切らない。律心、律心で言えば、高い地位に居座るもの、高い地位を目指す者、清廉潔白を以て尊厳を保つ原理、かつても日本人は役職を持つ者、疑われただけで恥じ入って身を処する程、不正に関して律心していたように、早苗、高市さんは、その系図を踏む。ここから馬出る賢さを有していて、ラベルの有名校だとか成績優秀だとか、レベルで作られた人物評ではない。要は、若い嗜好と思考を持った年相応ながら、日本昔ながら、が何時も漂っている。真実と至誠を後光にしている姿勢は強く崩す事は難しい、もし、こういう人に勝とうとするならば、この人の姿勢以上に、真実性と至誠性で優れなければならない。そして、社会として、人として、最高の強さとは、自分を捨てて真実、と誠実の移行に沿い切った人間で有りその行動の事だ。周りの人々は、これを先に口にすると「考えの甘い人間として、馬鹿にして見下す」が、物言わず、貫き通して、行動で人の心を掴んだ時、それは、道徳、哲学、倫理をも下に置く程の偉能力になる。これはもう、清廉潔白と欲得汚心、との対峙となって、欲得汚心の人間達は、自ら墓穴を掘りまくって馬脚表しの果てに自滅して行く。清廉潔白は何もしていないのに、次々と躓き、転んで、掘論で行く不思議な程、潔白の趨勢風で正体が皆バレる。欲得悪心の人間は、「何も出来ない自分の力に、地団駄を踏んで虎の尾を踏む感じで、多数風も通用しない。まとめて墓穴嵐で仮面をはがされる感じになる。この賢さと言うもの、一つの武士道にも有って自分を捨ててこその強さ。ここに有り、も欲得汚心の心の頼りは、金権と威権と偽優権と言う嘘を作れる権力だから、そもそもに太刀打ちが出来ないのだ。現実を見ても、早苗 高市さんは「働いて、働いて、働いて、働いて参ります」って言っただけで、数々の反日がずっこけて、あの人もこの人も仮面をかぶったパヨクだった?が毎日のニュースに成っている。一見して汚れない人間は、甘い精神のお兄ちゃんお嬢ちゃんだが、それをガードすると言うか?追い落とそうとすると、「世の汚れを言わないと武器に成らない」「その武器を使うと、悪い奴」のレッテルが露わになるって感じだ。今では、反日工作して来た中国が、ドンドン追いやられて行く始末。我ら、改めて思わなければならない事「真摯、真実が最強」オールドメディアの「高市おろし?」どんなに束に成っても、無理、無理、無理、無理、無理!この無理の漢字が如く、理も無く負ける。勝ちたいなら、驕りが出るまで待つしかない。
でも我らは、次から次と馬脚が見れるから嬉しい。凄ざましい勢いでズッコケて行く様、爽快極まりない。男社会は戦う前に妥協を強度比較を事前工作でしてしまう事が、医師を取られる結果になって、妥協がてら、共に汚心で汚れ切る。これを目覚めさせてくれる早苗、登場に成っている。早苗さんを、正直者のボンクラの様に言う、そう聞こえるかも知れませんが、頭を使い処が違うんです。悪意は善意を肥料にしている。ここに力を尽くして悪意を伸ばさないように尽力している、悪意の物は、善意食い潰す寄生虫意識が無いものですから、責めに弱い、んです。日本憲政で初めての女性首相、たったそれだけの銘で、それだけの期待でしか無かった首相が、「どのようの貶めようとしても、返す刀も振られていないの、真空切りの様に切られてダメージを負う?どころか再改めの信用さえ切られるダメージだ。今や首相に近付くと火傷を負う位の威力に満ち満ちている。首相に物言えば、自分の馬鹿さ、勉強不足が露出してしまう。自分コンプレックスではなくて、そのまま見て居る国民に馬鹿さが伝わってしまうから恐ろしい。これまでの多くの男性首相は、信念の為に妥協しつつの前提で妥協が仕事と言わんばかりの治政遂行をして来た。単純にも「ジャンケンポイ」をして来た訳だが、その妥協の中身の取引知識ばかりで新治政、法律はどうでも良かった姿勢が、治政常識音痴に成ってしまっていたのだろうか?「野党様、お願いします」と言わせて手打ち?その手法が早苗治政では通用しない。「信念を固めた物に妥協はしない」野党諸氏たちは、これで面食らったと言って良い。誰が言ったか?「政治は妥協」でもね、最初から談合して妥協を探る結果が、政治家か妥協の一役になり下がって、戦後80年では、「政治の内容を語れない?妥協は語れる」恐ろしきかな馴れ合い、だ。まあ、言いたき事はまだまだ沢山有るが、ここでは「中国の孫子戦術のご都合解釈、変容戦略」真実無視の嘘捏造、裏切り戦略の対峙対抗は、真実、正直、誠実が勝てる手段、と言う事だ。青臭くもここに尽きる。では今までの日本の主宰は違ったのか?いいえ、その前に遣られました。真実、正直、誠実は、行動実証なので有って話し合い妥協が愚、と言う事です。何故なら、嘘や捏造、裏切り、もう一つ二つ、脅しと暴力、金懐柔は「話し合い、妥協で前進する」と言う相手を抱き込み、する様に考えて創られた、相手を堕落させる戦法戦術だからです。現代は、皆々、賢ぶって「狡賢さにこぞって手を染めて行くが、狡賢さは賢さの一部ではなくて、悪党の修行域」不変は、真実、正直、真摯誠実が、一番であると言う事を早苗 高市首相が表しているに過ぎない。これを壊そうとしての「狡賢さが有る」ので「狡賢さを修行する事は、言わば(ミイラ取りがミイラと化す事以外に結末が無い事)なのである。実際世ではどう言う事が起こっているのか?「働いて、働いて、働いて、働いて参ります」これに対して早苗 高市降ろし、バッシングをすると、その全部が「働きたくない、口先人間にされる」と評果されてしまう、まあ、実質バッシングする人間は「働かないで、搾取」する人間だけど、シッカリと区分の罠にはまって、それでも気付かない考え無しだから、ある意味、人評の大掃除の様にも見えるから良い事の時流に成ってる。
人は普通である事の努力が一番の賢さになる、と言うのは、その普通には上層民も有って下層民も有るバランス感覚が要るからだ。上層に成りたい、なんて言う奴は、その考えだけで単細胞が判明する、だって頭脳は要らないもの、力か?金か?ハッタリか?単細胞の代わりに言うなら「馬鹿」と言う言葉しか無いが。自分の事を賢いと思う人間は、普通界に居るものだ。頭脳も心も賢くなるのが普通界なのだ。日本には、心の文化も歴史だ。一重にそれは「日本語に息づいているから、日本語を極めれば、日本人が確立して行く。そして最も大事は、人の記憶の優秀さを「頭が良い」と言えども「賢い」とは言わない。日本をズ~と一つにしてきた心とは何か?これを紐解いて「賢い」が見えてくる。歴代の天皇の「心」。下民にまで寄せる「大御宝の心」これは、解かる言葉で唱えれば、国の最高に人が、「国の最下位層の民を基準に国を考えてる」と言う事。解釈を砕き過ぎて誤解も生まれそうだが続けます。「最高位が最下位にまで心を寄せる」言葉を変えると「最高位が最下位目線で考える事を」日本では「賢いと呼ぶ」のである。自分の立場とその目線で如何なる事を言っても「賢さから外される」のは日本。文化としては、「おもてなし、気遣い」で今も日本人に息づいている、賢さの象徴。だから一方において「自慢は御身の恥さらし」の言葉も並行している。この天皇家の教義のお陰で、日本国民は、時の権力者から虐待、迫害は受けなかった。学術会のトップだから、企業のトップだから、業界のトップだから、権力のトップだから、、、それだけで尊敬されないのも日本で、日本で賢く居る事は「我を持たない事」日本人は、肩書で偉いと言っても本音は違う、視点の物言いで「賢さを、尊敬を判断しているのである。にわか仕込みの民主教育の価値観とはレベルが違うのである。され、高市さんは、あくまで立場に奢らず、日本国、日本国民の為に「働いて働いて働いて働いて参ります」と言う。「この言葉自体で特上の賢さ」を差し上げられると言うものである。とは言え国民は「働いて」が見える内は献上するだろうが、人は、「心変りを起こすまでは」の条件もしっかり付けている。何の為か?「天皇陛下の「大御心に応える証し」?恩返しの為だ。この手の裏切りは下級層民は絶対に許さない。 日本国民を「甘ちゃんと思っている輩さん」思い違いにご注意、遊ばせ! 特に「我欲に満ち満ちたオールドメディア、反日の拝金主義、まとめて掛かって行った処で皆、返り討ち。同じ伊国のメローニ首相、苦労が学歴のような箔を持っても失わない庶民の母感覚も同類の賢さと言える、女性が世に浮上する事がそれなりの苦労の末、それが賢さを生んでいるし、信頼も得ている理由だろう。
面白くないものも見えますよね。主にはマスコミですけど、「強いバックボーンを持たない高市さんをか?女性だからか?、何か蔑みが有りますよね。その見方が横行してますよね?人物を見る、慧眼のケも無い差別感覚がある。まるで中国思考に見える、口では「差別はいけない」とか言ってるけどそもそもバックの力、資金の力、学の上下、性別の上下、ラベルの煌びやかさで価値を決める差別感でしか評価していない暗愚の迷惑。我が見解では、目的、目標に向かって本当にキメ細かい推進法、対応法、方法論一杯の引き出しを持っておられる天才肌。こちらが正しい、と賛同せよ、なんて言わ無いが、でも道徳にも有るように「人を侮るもの、民衆の信用は得られず、馬鹿で不信用のラベルが貼られるだけ」こんな子供向け説教をしないといけない、何なんだ、人を侮るオールドメディア。
序ににもう一言、 人を正確に評価できない者は、社会も正確な評価は出来ない。論じる資格は無い、言う内容は「不平不満」のレベルだ。序にもう一言、人を評価するには、文化と歴史を知らないと、方向を失う、この一連を理解した者が、教えを授ける教師の資格だ。教師が労働者に成ったらダメだ。その時点で資格無し!
彼女は、自分のPRが不得手のようだ、その代わりには人を批判しないし、下見もしない。あくまで普通人を装うから、実質、攻撃しにくい人種では有る、攻撃対象は実績一つとなると、追い落としを掛けようにも、手の打ちようは無くて、その意味では難敵に価する。この先を続けて実績を上げられてはたまらないから、この先、おそらくは嫁いびりに成って来るだろう。「一挙手一頭足、重箱の隅をつついてあら捜しだ。それだけ攻めての無い行動律志の清廉さを持つから、余計に悔しいのは、反日洗脳分子たち「普段の、弱い人間を助けて、平等で豊かを実現、を言いながら、逆の差別と揶揄の重箱の隅突き。つまり意に反したつつきを行っても崩せない。洗脳された子野犬連中に吠え処も無い、普通人である事、実は強い事でもある。現には、女性だとか?服装だとか?媚びるだとか?所作、生活ぶりまで?揶揄してくるだろう、けど、彼等の攻撃項、差別、不平等不公平をかなぐり捨てないとせめてが無い。まあ元々偽物だから馬脚が現れて良い事だけど、馬脚を暴く高市さんで定着して行くだろう。
総裁選以降は、能力、実績批評ではなくて、足の挫きの目的ばかりの中傷に近い。能力不足にしたいようだが、実は優秀で隙がないから、また中傷。特にマスメディア記者の言い方には、無礼と蔑みが酷いけど「怒り、もしない高市首相。これだけで人間に器の違いと言えるが、何となくの感だけど、「高市首相に会った事も無い人に言わされている台詞のように思えてならない」」中傷セリフ覚えも大変でしょうに。中国本土と同じ愚かさと同じ臭さが有るんだけど、。まあ、あそこは人物を見る眼の無い国だから。趙高を生んだ国だから。4千年?5千年?歴史の長さより全然、変われね~国よなあ。 それと、記憶力とちょっと深く考えるが、普通程度に持つ人は、高市首相に、刃を向けません。それだけ用意周到な頭脳です。表面的な上げ足取りの知恵では、皆、自分崩壊させられてしまう、馬鹿の馬脚を現して、ジ・エンド。あの「習趙高」も、日本国内の習趙高の子供達も、日本国民に能力不足の馬鹿を知らしめて退散して行く。ここ迄、計算された行動をとっているのが、高市早苗だよ。勝つ為には?勉強でしょう!政治と人間の行動の。弱いカナヘビと向かって行ったら、龍の反撃を食らって再起不能!アンタッチャブル首相、まだ凝りもせず、突っかかって行く「馬鹿議員が沢山、判明して国民は嬉しいけど」ね。
令和8 26年02月14日
ヘッドライン44 それからの田中派、でも偉業は消えず。
自民党 総裁 歴代総理 名を連ねて行くと日本戦後の歴史は歴代総理と共に、と言えるだろう。戦後は吉田、岸、池田、佐藤、田中、中曽根、小泉、阿部、そして今度は高市、と日本歴史に名を連ねて行くだろう。皆々、総理総裁を目指してその座に就いた、と言えるが、そこで名を記して遺す人と言うのは、努力以外に、時代に選ばれた人、その運の元に生まれた星持ちとも言える。人の記憶に残って歴史にも残ってしまうと言うのは、希望と努力以外に時代境遇に選ばれた運命も感じる訳だ、戦後に限らず歴史人物と言うのは、世界的、あるいは日本においても、時代に選ばれた人間、そう言っても妥当な程に運命的なものだ。そして選ばれて、その責務を果たした面々と言えるから、好き嫌いを除いて果たした人には敬意しかない。幸いにして戦後の日本に破壊するような負の人物がいない事は非常に幸いな事。この戦後に限っても、平穏日本では有っても、政治的には、簡単では無い波が起こって踏破してある達成した人物たちが並ぶ。つまり、一世を風靡した人達、その中でも、没40年近く立っても、綺羅星のように希望輝く名がある。その名こそ、田中角栄、総理とその時代実績。だが今回は、成し遂げた実績ではない、実績継承と派組織についてだ。実績の一方での、もう一つの代名詞と言えば、「ロッキードと金権政治」だが、推測の域では有るが、確かに金を自身の仲間周りに配っていたのは確かだろうが、返す刀、「受託は無かった」と思ってる。政治と言うのは、権力と説く言われるが、逆に法の眼の厳しい世界である。そこで金の受託を存在させる事は政治家リスクを非情なまでに高くする事だ。金をバラ蒔いて戻りを全く気にしない、と言うのであれば、それは私利私欲と言うよりは、懇親仲間作りの徹底でしか無いし、当然に法律違反でも無い。それでも「金」の威力からすれば、金権と言われても仕方の無い事ではある。本人もリスクになるとも思っていなかったが、リスクにした者が居た。アメリカ合衆国だ、もっと言えば、「キッシンジャー」だろう、と推理する。キッシンジャーと言う男は、特徴があって、自分より賢くて自分を喰ってしまう評判の人間が「大嫌いで、潰す男」とその性格から考え取る。そう受け取って、ドラマ創作で潰しに来たのが、ロッキード事件だ。今となっては証拠も論拠も無いが、で切り立場を考えれば、第一人者だ。何より、自分の優秀自負から人物排除を趣味的に行って来た。その後、何食わぬ顔をして「田中と接見するから、顏から名付ければ、策士キツネ人物。ただバレる事なく遣れたのは「軽い趣味的に行えた事からだろう」重い悪意の削除工作なら、陰謀解剖で表に出たろうが、余りに軽く、悪戯っぽく遣った事で、アメリカでの熱の冷め方が異常に速かった。これが、金権と揶揄されても派が維持できた理由と考えるが、さて、その維持も本人の逝去でバラバラになるも、バラバラになっても成した実績の輝きは輝くばかり、が現在も続いている。これはこれで驚異の世代を超えた輝く実績と言うしかない。有名実績の一つに「日中国交回復」が有るが、これも、アメリカへ事前打ち合わせなく成してしまったからこに時点で「田中角栄・親中」とレッテルを張られて、且つ、アメリカから、これ以上の阻止目的でロッキード事件を仕掛けられた。ここまでも、知る人は知る。この解説事項を前提に、その後の田中派は?って言うと、本人自身は、病気で倒れるまで「親中に傾いた偏向姿勢は持たなかったと思う」倒れて伏すまで、中国は大した経済力も無かったし、日本に媚びていた。「媚日中国」であったから、中国は逆の「媚日」を行っていた時代。今の「媚中議員」を増やす結果を作ったのは、江沢民主席時代からと判断できる。いみじくも共産党員らしく田中角栄没後に「媚中触手を活性させた。ただただ、中国に関してアメリカからは親中総理のイメージを付けられて、中国からは「大先生」と称された為に親中のイメージは剥がせ得ないものに成ってしまった。更には、田中派議員は「角栄・敬意の共通で見事に親中にとりこまれて、仕事としても親中が仕事の様に成り果てた。だから当時の派閥内の若手は「親中に媚中に取り込まれて、親中、媚中で居る事が政治思想の引き継ぎ、として来て当然に「中国口利き屋」議員の権威を振って来た。実は田中角栄自身は中国を下見してきた存在だったと思う。本題の田中派のそれぞれを評して見れば、「皆々、角栄遺志を引き継ぐ、名目で親中、媚中に成って、結局は、日本の為ではなくて中国の為に働く議員となり果てた。こんな議員たちは皆、「角栄先生を尊敬して遺志を継ぐ」旨を言って自民党支配層に君臨しても、そこからの歴史の残る政治実績を残した元田中派総理は出でてこなかった。権威を借りただけで不遜な総理ばかりだ。これを言い切ってしまったら、この書き綴りも終わってしまうが、角栄氏が亡くなってもう、令和の8年に成って見渡せば、彼(角栄氏)の行いは、未だ喝采の渦中にある。総理を追いやられた、その場を離れても尚、闇将軍とのあだ名を貰ったその時でも、何故か実績は輝き、尚も期待を込めて存在を見つめて来た国民は少なくない。案外にその見方を汚して来たのが、田中派の面々でその後、派出身の総理大臣も輩出したが、最初の述べたような歴史書に必ず名の上がる総理には成れなかった。派がほぼ解散状況に成って、そして亡くなってからは、「尊敬の人物だの、育てて貰った、だの、先生、大恩人だのと、虎の威を借りに来る、元田中派議員らが目立った処」にこう思ったものだ。「結局、金銭にせよ、世話にせよ、世の中は与えられて貰う人と、世話を成して、与え尽くす人の2種類。「与えられて貰う人は、一生そのスタイルを保ち、そこから成長しない」言い過ぎとは思うが、田中角栄亡き後、彼等に銭金、威厳を与えたのは中国と言う事か?と言う疑う程、親中のヒヨコと化したようだ。令和の8年で田中派を見ると、こう思わざるを得ない。元論の事全員では無いが。ただだ田中内閣から変わった事が一つある。それは、それまで主には役人草案の遂行が、総理草案遂行も増えて来た事、これを実践した内閣が、それぞれに、名を遺した内閣であると言う事。田中内閣以降は、これにより名を上げて来た感がある。つまりどう言う事か?と言えば、田中角栄さんは日本人にとって忘れ得ない人ではある。元田中派の多くの尽くの議員は「虎の威を借りた狐」に成り下がって、田中派と言う保守本流を貫く議員には疑問を持つ程居ない。きっと、先ほど言った如くに、物をたかる人間は、与える人間には成れないからかも知れない。ただただ、かつての隆盛、田中派の威厳で自分を飾り付ける人が多かったように思う。結局は学ぶ機会の多く有った環境を無にした。不肖息子とが目立つ存在、それを田中派の冒涜とまでは見ないが、ちょっとは情けないし、今もバックボーンにしようとする議員もいてしまう。本当に田中角栄氏の存在と実績を畏敬の念で見て来た人等は、別の処に居た様に、今では考えて居る。その議員達とは?、当時対抗馬として存在していた別派閥の面々だ。彼らは時間をかけて田中角栄を実績に憧れを含めて敬意をもって研究して来た?あるいは真似であっても自分と自分らしさをそれに乗せた。それが、中曽根以降に活躍して歴史書にも載りそうな総理の面々で、高市内閣の各大臣の言動を見ても、主張と謙虚さで役人を協力関係を作って使いこなす手法に、角栄内閣の幻を感じ取ってしまうのは、我だけだろうか?そこまで影響の浸透を言わなくても、政治家のある種のイメージに角栄氏の当て嵌めがあるように思う。実績のライバルには、池田隼人氏が居るが、今やその存在を恩寵に言う人はいない。、居ないは止めて居おこう、少ないと言おう。演説一つとってもそれは秀逸政治家モデルに成っている。は政策の作り方、遂行はもちろんの事、人間関係の作り方、政策事の遂行。やるべき方向は多少違えても、参考の後、を見出すのは私だけだろうか?角栄氏は当時、他派閥だった池田隼人氏を尊敬し自分を成長させたと良く聞くが、それと同様の事が今、亡くなった角栄氏に起こっている気がしてならない。時代の政界寵児としての姿勢が研究されていると言う事だ。同じ派閥からは後継者は出ずとも、若かりし頃、池田隼人に憧れたように、他派閥の政治家が、角栄氏の政治姿勢を参考にしている。かつての田中派議員は角栄氏の「虎の威を借りて狐」のように振舞ったが、他派閥で、威を借りれなかった議員達は、自分の政治力の成長の為に「他人を鑑とせよ!」このことわざに従って角栄氏を繋いいで居るようだ。特には、今回の高市内閣には、その傾向が強い、役とtの協調姿勢もそうだし、政治家の取る責任範囲もそうだし。かつてのいい伝えられていた角栄語録・のそれを見る場面が非常に多い。高市氏自身は安倍晋三の元に育ったかも知れない、阿部氏もまた、素直さの姿に影響の影を見れるし、高市氏の出身、松下政経塾の幸之助氏の眼鏡と共に火山のマグマのように力を貯め込んで謙虚に放出する、謙虚とは自分の為ではなくて天下国家、その国民への奉仕。角栄氏、幸之助氏は、我にはその言やラ語録を見る限り、同類としか見えないのである。共通は小学校卒のリーダー。パナソニックも幸之助神脱却を図っている処だし、だけれども、考して引き継ぐものは、確実に引く継がれている。思うんですが、日本の品質は、1950年 エドワード。デミング博士の元から始まった。出身地のアメリカはどうか?言わずもがな。本当に守り続け、引き継いでいるのは、誰が何と言おうが日本産業界でしょう。これと似た経緯を辿るのを見て、良きものは直伝では伝えられずに、万人に降る注ぐ光のように継続されるのかも知れない。それは敵でも有りたい項のライバルでも有る。ただ言える事、心と言う理解念力を素直に持った人のみが継続の資格者、そう思う偉業者の意味、と財産価値を思う2026年だ。「歴史に埋もれる」と言う言葉が存在するけれども、こうして顧みると、時が洗練を施して価値あるもの、世に貢献して来たものには歴史は、その包容力を以て、どんな形で有れ残してくれるのかも知れない。良く、歴史は勝者によって書き換えられる、と言う人が居るがそれは、信じるに値しない。消そうが書き換えようが細くも太くも縁のように引き継がれる。でも真実は決して解からないのが歴史と言うものでもある。ただ継続は信じてもいいらしく、残る。歴史は歴史自身が作りながら進む。これ歴史の奥深い不思議。野望が交差し、欲も張り合う政治の世界にも、正への回帰力が有るなら、何も「一子相伝」なんて考えも不要に思えて来るのだが。 最後に田中氏本人が、現在、親中派の権化の様に言われるが、それは違う、と思う。中国の扉を開いたのは事実の貢献だが、当時の、中国を次時代の経済開発として世界趨勢に従ったまでで、その後の中国の経済指導から中国より尊敬を受けるも、配下に成り下がる力関係では無かった筈。中国が今後どう?変貌するかの解からない時節に、親中配下は有り得ない図式である。あるとするなら、逆の田中支配の中国の親中の筈だ。つまり現親中は、田中氏逝去後の派中議員の体たらく展開と説くのが疑義の持たない推移と言えよう。あくまで個人見解だが、。
外から見た個人見解と言えば、小さくも些細な処を尊敬し、見習う意識を持つところがあるのです。あれだけの窮地を経験して来た政治家で、他人のせいにしたり、保身言い訳もしなかったし、何より人物中傷は、絶対にし無かった芯の太さです。そりゃあ、家の中での言動は知りませんけど、政治家として人前に立った時に一切なかった、と記憶している。その代わりには、御息嬢は事のほか、代弁のように人との言戦対峙が天才的な才能を持つようですが、どうも、これらは受け継がなかったように思う。事業者に言う評価ではないと思うが、少年時代の夢を持ちつづけるロマンチスト面が、憎まれない性格を作っている、と思って来た。
令和8 26年02月10日
ヘッドライン43
反日分子の特徴、「感謝の言葉、慈善行動が無い+敬意も礼節も無い」
気付いている人は気付いているとは思いますが、日本人として民主主義下の民として受け入れられない人、性格、人格的劣等が含まれている事を指摘したい。これは人格構成が、僻み起点で、顕示心を自負にした性格からだ。発心が何時も僻みが起点だから、人の性格、人の実績、人の善意を非難、誹謗、見下ししかしない。そもそも、こんな性格に成りたくない、思いからこうして分析を行う訳ではない。言わば、「馬鹿なのに、自分の馬鹿に気付かない」日本人劣化を質したい思いも有り、余計事だけど、そんな人間を救い上げたい、日本人の柔和心が作用しての事。そして気付いて見れば、何も知らずして時代錯誤の人間、気付いて見れば、見下してきた一般平均市民よりも、劣化の自分の位置に、いい加減「気づいた?」を言いたい。けど僻みと言う視点では「気付けないでしょうね?」「僻み妬み恨みを行動起点にする人は、素直からはねじ曲がっているから、解からないし、悟ろうともしない。偏屈に連れられて行く先は、人を貶めて満足する世界観しか無いし、そこにしか居心地を感じない人達。言わば、僻み病だから当然感謝も無いし、世の為人の為に働く事も出来ない。自分の僻み心に縛られた人間は表面的で浅い正義感の話しか出来ない。このいつもの自論「僻み、妬み、恨み、を心の主人にする人は、「自分様を育てて」実の処は、慈善行動も出来なければ、福祉活動も出来ない、ましてボランティアも、義捐寄付もしない人達、一時はやっても心無く恰好付け目的なだけ。そもそも、一時の恰好付けは遣れても継続は、国が遣れと言う。一刻と言えば、日常的な挨拶で「感謝は述べるけど、人としての「両足で立てて、食べて、物言う自分の育ち環境の感謝が無い」つまり身近な周囲支えや市町村地域の人育て、憲政の人育て、国の人育てに感謝が無い。そんな人は世の正義を言う、社会の差別を言う、不公平を言う、弱きに力添えを言う、口から偽善でしょう?今こうして、反日分子をマスメディアから離れて、出版書籍から離れて、SNS視点で見ると、それ等が露わにつぶさに見えるから、結果行動の逆を言おう。「心よりの感謝の言葉を言えない者、心よりのボランティアも義捐活動をしない者ども、不平不満病の反日分子で、チンピラのコンプレックス反動病でしょう?
所詮は、チンピラの勝利法
教養の有る話と、チンピラの勝てば良いルールも筋も無い話とは、もう土俵が違うから、その場で勝つのはチンピラでしょうけど、それで実益の有る話には成らない。論理に筋立てして諭しの屈服を迫っても、あっちからこっちからルール無視の勝ち材料だけ並べて話に付き合っても実が無い訳だから話さない方が、逃げるが勝ちの無手勝流がベスト。それだと負けた感が募るから向きに成るが、勝てる機会を待った方が賢明。あるいは、話を常に名題に戻す話術を研究してから話参加する事。彼らは子供以下ですから、本筋で負けそうになると「お前の母ちゃん出ベソ」って別話を持って来る、そう言う論法を知り尽くさないと、相手を閉口させられない。まあ、闘争の場合、相手を見下して対峙しないと対等に成れない意気も有るが、そんな中でも謙虚を忘れると、迷惑なばい菌でしかない。メディア、悉くは一般市民を口先でコントロール出来る思い上がりが見えて、馬鹿の不明が市民を見下すも、市民が見下しに対して、メディア「不信用を決している事」にも気付かない。不明の中のアホ不明。見下し性質をスタイルにして、ドンドン失って行く物についても言って置きます。、ドンドン失って行く物?それは自意識過剰の反対欠如。結局、過剰になって自分を見失って、そればかりではない、周りの人間の人物慧眼の欠如。一個の人間の人物実力を、認識できない。つまり、人物登用が出来ない、人物を見る眼がもう盲目状況、人の織り成す経済状況にも不明で把握できない、世界動向も把握できない。○○国、○○主席の不明無能の後に続く人材、当然、良由構成力も築けない。無能の兵隊が適した御身分。これは自分の能力をを貶める自己破壊である。ある意味の浦島太郎で、「目を覚まして見れば、世間も人も時間を超えた先を行く姿を見る立ち位置に成る」小学生でも分かる言葉で言えば、「人を見る眼が全く無い」のが反日分子の頭脳であり、当然、時勢を見る眼も無い、気運に乗れる事も無い。自己を過剰評価満足で自分を維持してるピエロ。人の対して敬意も無ければ、礼節も無い、だから嫌がられる。
令和8 26年02月06日
ヘッドライン42 それ見た事か?マイナンバーカード
まず最初の一言、マイナンバーカード反対論者ではない事。言って置きます。PC時代、デジタル化時代、高効率化時代を思えば、現代人はこうしたデジタルカードを持つ事も当然の時代の流れ、当然も必然と思うから賛成で、だけども、必然の携帯カードが何故?これほどに不誠実なのか?これに強く強く反発している。根が理路整然の筋論者だから、意固地で、融通も利かない性格だから、自分の主張も行き過ぎ、を感じつつも納得はなかなかできないで居て、終には懸念の「カード悪用コピー」事件も発生して、逆に警鐘鳴らしも異義有ったかな?で又のもの述べだ。運転免許証と健康保険証は身分証として一般的でもどちらにも、もう偽カード証が存在しているのは周知されている。それは日本人がと言うよりは中国人が手掛けるケースが圧倒的で、事はこのグローバル人種が交わる社会だから、その危険度で、反対。その理由も無くは無いが、そもそもが、マイナンバーなんて使用頻度が低い物を、わざわざ高くした上に、任意を、今では全員に持たせようのアピール?には閉口しかない。日本人は偽造して悪用にして儲ける、なんて考える人間は少なくても、海外は違う、特に後進国で為替レートの低い国では十分に儲けが出てしまうし、人のウッカリやら失敗、落ち度は自分の起死回生、出世の訪れと虎視眈々と隙を伺って、利を考えているのである。そこに「馬に人参」でもあるまいし、「さあどうぞ!」と言わんばかり「運転免許証タイプのカードにするとは?これにも閉口しかない」こんな世情と、この時代には、無知恵で、無工夫で全く考慮が無い。そもそもが表面に写真掲載と言うのは、「更新目的なのだろうし、その更新料の目的で儲け組織も出来てしまう。だから賛成で反対をしている訳だ。少し、自分だったら、どのようなカードにするか?だが、高普及で全員%を狙うなら、カード作成は無料で、更新も無料。カードはカタカナか?ローマ字名前のたったの一つ表示。記録データの照合で漢字名前で本人確認、次の確認は、生年月日、次の確認は写真、遠く深くする。こうなるとカード偽造と共に、個人データを盗まないといけなくなる。つまりカードには「マイナンバーカード・カタカナ名前だけ」安全と言う事だ。これであれば、最初のマイナンバー付与カードで十分に作れた筈だった。管理と更新で儲けようの、誰かの下心で全部だめにして、今回の偽造、悪用、横領被害まで出すに至ってしまった。このまま続ければ、中国系偽造グループとの「イタチごっこが永遠に続く」事に成るだろう。
26年2月の所見、今や、メディア報道の「反対行動すれば、それが正しい事」の雰囲気が止まらない。マスメディアは、「完全なるオオカミ少年に成った」今こう言う環境下に居る自分達を客観視すらできない頭脳には言葉が無いのだが?「馬鹿が妥当でも、次の裸の王様には、員数が多過ぎて合わないし、集団王様て有り得ない言葉だし、「エリート意識馬鹿」とか?新語が要るようだ。この臭さの元は、誰、何でしょうネ?大元は 〇国共産党としてもまるで集団催眠で操るかのような種を考えると「金欲」で洗脳、だけでは無さそうなんだけど、、兎にも角にも、それぞれのメディアが行う、アンケート、世論調査、街の声、専門家の見解。全部がヤラセと捏造の確定的疑念。その全部に信頼が失せて、TVに出演すると、反日思想家に見られてしまう程、匂い付けされてしまう。ギャラを頂いてもTVには出ない方が、身の安全。断った方が正義の律心。マスメディアの連中は「とにかく勉強をしない、進歩と言う成長の匂いさえ持たない、慢心の周りが全く見えない錯覚人類。これでも人類なんだ?そんな性悪性格が感染しそうで距離をつる人ばかりが増えても、それじゃあいけない、世の為、人の為、こんな性悪性格は減少させないといけない。ところがですよ。この人等を言い表す言葉が見つからないんです。「選民意識の悪」と言ってもまだ「言葉が奇麗すぎて違和感有」で程度、レベルの低さを言えていない。彼らは一般市民よりも低レベルなんですが、「自分達では(選ばれた唯一、優秀で偉い)と思っている」当然、目覚めさせたくなるじゃあないですか?国会野党も、マスメディアも、言動も遣り方も、中身の無さも、実態的には、中国共産党、指導部と同様に見える。所詮はチンピラ能力で、日本巷のチンピラよりも程度が低くい連中を「選民」を名乗らせるのでさえ悔しいですよね?こうした実情から見ても「適語」で無いし、もっともな適語が見つからないんです。彼らの存在状態は、裸王様ですけどね。どうしようもない、浸ける薬の無い病気。日本には、この手の低レベル者、居なかったと言う事でしょうかね?今広辞苑で検索中です(笑)どうなるのでしょうか?
令和8 26年02月01日
ヘッドライン41 「給料上げろ」は自滅経済論1
25年も戦争、不景気と明るい歳では無かった。地球規模を見渡しても心の軽い経済下で暮らせている国と国民は極少だ。経済はリードされる牽引力が不可欠の意味からすると、経済先進国、限定で考えれば、好景気とは言わずとも問題点の少なさで言えば、我が日本が正解で現在世界で一番の快活国家で快活経済と言える。でもこの結果は「俗に言う日本の失われた30年経済」のお陰である事、言う人は少ない。さて、ここから先は私分析の私論だ。結論を先に言って置こう、「給料を上げろ!収入をアップさせよ!」労働者が日常に願っている事を、そのまま要求にこたえる事は、自らの経済破綻を招く、自滅経済だ、と言う事。これまで、いろいろな機会に民主主義国家の国民は常にスキルを上げる義務を負う、主旨を言って来た。その中の一つの項目だ。そして現代の世界の国民を見て見よう。何故?に先進の列国は国は経済が閉塞気味なのか?単純な事だが、「労働の対価が給料収入だ」と言う事、個の鉄則を壊して、次の起こった事。「労働分よりも多い額の給料を得て、当たり前にした事」が労働者ハンディとして背中に背負った重い労働者の姿に成った。重くて辛い重労働が高給に成る時代から、軽くて楽な労働でも高給、これも進化進歩と言えばそうなのだろうが、先にも言ったように「労働の対価」と言う事は先に労働、結果の給料であるべき。ただ「高賃金が欲しい」は、自由経済の競争を狂わすし、何より自分の戦力度を上げられない、労働評価も曇って先の見えないものにしている。それもこれも労働評価に「これ幾ら?」が無くて曖昧もあるし、ただ経営者が、その時、その景気、周りの風で決めているに過ぎない。のである。経営者が将来を見つめて海外を目指しての見解から、日本の現状立ち位置からの考慮が有るとは思えない。もっとも有っても架空の将来事だから実務派現実に合わせないと成らない。「職業と給料は、社会の必要から産出される」と言われるが、それだけではないから経営者は強かなのだ。
令和8 26年02月01日
ヘッドライン40 「給料上げろ」は自滅経済論2
時代は今、ブローバル社会、ライバルも多く、「三日逢わざれば刮目せよ!」の時代。ライバルも多くて優秀なものばかり。その走りの時代の失われた30年経済時、日本は一体何を学んだのだろう?「個々の発展、個人の生活進歩、一個の企業の発展、全ての発展は国家の発展次第から降りて来ると言う鉄則」重要なのは、国の経済力の立ち位置。つまり給料は、ここでも後払いと言う事だ。そして冷徹にも経済ランキングはその国の国民の分相応と言う事に成る。ここには個人の生活要望は制限される。こう言うと経済のランキングが低い国の国民はただただ苦しい生活を強いられて逃れられないのか?この問いに答えなければならない。日本の成長無き、失われた30年間と呼称されたこの期間に、この答えを出してくれた。通説に考えれば、経済成長が止まった国では、その国の国民の生活レベルも落ちて悲惨な暮らしに陥るのは、当然事だった。日本は一体何をしたのか?この間「日本全体がこうせねばならない」と一丸になって成し遂げた事はない。ただ、国民、庶民は「仕方ない」の想いを30年間続けただけだ。一旦、挙げられた生活レベルを下げるのは、庶民運動からは拒否される事だろうが日本人はしなかった、だからと言って明確な指針、指示されて物も無かったけど、日本人が持つ何か形而上学的な和の輪だけは崩さなかった。そこから生まれたもののお陰で乗り越えれて、しかも次のパワーを得た。具体的には、給料の上げられない身分を物価を極力極力と抑え込む努力を成して、生活の安定と最低ラインの人を保護した。この対策に国家がどれだけ係わってくれたかは不明だが、ハッキリしているのは、日本産業界全体の努力と国民の我慢。産業と言うと企業トップがそう意志建てしたか?これも不明だが、ただ、どの企業も国民生活の苦しさを解って物価を上げないようにして来た事は確か?産業界の中の社員層が国民意識で行った事かも知れないが、「経済は生き物、物価も良きもの」と言われるアンタッチの物を、よくぞここまで物価コントロールで来たものと驚愕する。中でも食材関連は本当によくぞ、値上げも極少にして耐え切って庶民の食費を抑制貢献してくれたものと感謝と努力を褒め讃えたいと思うが、「はて?どなたに言えば良いのかしらん?」日本国全体が、が局面に、極地意識で纏まって成し遂げて特筆の部署も人も居ないまま、単なる危機意識対応で、まるで反射神経の如く成し遂げてしまったんだろうと推測する。まあ、その30年の間、上がらぬ給料に文句を言いつつも、政治悪を言いつつも、でもそんな仕掛けられたかのような「給料上げろ」の甘い誘惑にも載らず、意図の解からない我慢で、前代未聞、自分はこれを偉業と評するが、これを成し遂げた。これは有る種、どの国も成し得ないかった経済動向の制覇でもある。経済の新教科書に載るべき事項だ。
令和8 26年02月01日
ヘッドライン39 「給料上げろ」は自滅経済論3
もっと速い段階で給料は挙げられた日本では有るが、発展経済と下降経済の有り方、物価のコントロール、次第を噛みしめるが如くに、ジックリと次時代の日本を考えた?何を???日本の発展の構想をだ。「世界経済と言うもの、ランキングが分相応」と言ったが、それは経済のトップの国に身を委ねると言う事だ。大事な独個、独立は許されないのか?つまり「アメリカ様が風邪を惹くと日本も」ずっとずっと永遠続くのか?の問いの答えを出した「失われた30年間の意義に成る。意義とは?お金を持ったバブル日本人が、経済の鉄槌を受けて、転んだ。だけどキチンと経済を悟って、自分達が成すべき事の視点と付けるべき力を「成否の不明のまま耐えて、耐え切る事で「正を見て」悟り、掴んだ。人間、お金を掴み過ぎると、お金で何でも帳尻合わせまで出来る、と奢る。ここまで考えて30年を乗り切った、とは思っていないが、多分、また日本が、経済トップの一員に成る為には独立、独歩、独個の考え方と技術の取得。ただそれだけだったと思う。つまり、日本唯一無二の技術、創造、で未来を向いた時、花が開いた。バブル時は、まだ前を走ってきた無二の真似事三昧だったから鉄槌が刺さった。凡そ10年でバブルの後始末は出来、済んでいた。転んでもただでは起きない、その技術と威力は、基礎機技術の開発と未来へと拡大した新基礎は、未来を眺めた時威力に成ったが、他国へ威嚇には使わなかった。10年過ぎてまだ景気低迷の中。日本全体未来の力を着け走る。一つ象徴的なのは、Jポップもあの「達郎・山下のクリスマス・イブが生まれた」のもこの時代と合致する。今やJポップ、Jシティポップのクラシック化したと言って良い程の存在だ。そこからの人材は、今、世界ツアーをする程に開花、それもこれもあの「失われた30年の下積み」を経ての貯えパワーだ。今、日本のニューパワーと言われているパートパートは、この失った30年に蓄えたものだ。因果で言う比喩に正しいかどうかは解らないが、もし日本人があの時あの時代に「給料上げろ!」を叫んで「社会運動の走っていたら、現代の誇らしいパワーは持てなかった」度ある毎に言っていたのは、「オールドメディア前身のメディア達だけ」だった。ついでにもう一点言って置かないといけない事、これは対比だから、大声で言う事は憚るけれど、世界の他の民主国家は、民主国家の行政府は、ただただ民衆の「給料上げろ!」の要望を選挙のご機嫌取りで叶えてしまった。その結果と言うものは、慢性不景気、移民受け入れ、失業者が増えて、治安を悪いくして産業は営業停滞をし、金縛りで一つ二つの対策で金縛りも解けないでいる。何を間違えてしまったのか?、モノの価格と言うのは、人件費なのだから、要求で給料を上げるのは筋が違うと言う事。営業の結果で給料は上げられる鉄則を曲げた結果、これが思ったよりも、考えが及ばない程の取り返しのつかない負の教訓、と言って良い事なのだが、他の民主国家は、アメリカでさえ気付いていない負の下降経済に陥っている。民主と言えども民意を我儘的に通せば、原則破壊。この「給料上げろ!」は、邪推をすれば、社会主義、共産主義独裁政権が自国の輸出に有利さを得る為に仕掛けた事、仕掛けた民衆運動だった、かも知れないと言う事。ともかくも給料上げろ!が通ると、人は働かなくなる。これらのリセットを考えると本当に深刻な事だ。本来経済大国アメリカは唯一「給料上げろ!」に応えて良い国だった筈だが、ここでも、経済閉塞が深刻だ。アメリカの場合は給料を上げた結果、3K 仕事を差別を持つ民衆に成った事が戻れない一番原因のようで、高級労働者、低級労働者この差別感が経済パイプを詰まらせる結果を作っている。
令和8 26年02月01日
ヘッドライン38 「給料上げろ」は自滅経済論4
自由経済の国が集まった時、大事な事は自国経済の身の丈だ。残念ながら経済には高低差がある。金や儲けは高い所から低い処に流れると言う大鉄則だ。今の時代にややもすれば、差別国家観と非難されそうだが、金と言う冷金属はその鉄則を変えてくれない。金を持つ者が儲けて金を持たない者の手には少ない手取りに成る。つまり給料と言うのは、自由経済の法則下では、労働者には決められないと言う事です。もし、労働者が決めたとすれば、経済は自由経済は壊れる事を意味する。ヨーロッパ、特にアメリカでは誰もが知る「契約社会」で自由経済では、社長の給料は自分で決めれて、社員は契約で交渉も有りだ、がそれでも纏まらなければ冷徹にも即居場所も席もなくなる。しかしながらだ。日本は違う事日本人は解ると思うが、そんな契約もどちらか路言えば好景気上での鉄則ルールで、不景気下ではルールも名に無く、経営者は逃げて、社員労働者は路頭に迷うは、昔も今もだ。日本企業も日本労働者もこの姿とはちと違う暗黙ルールを互いに持っている。「社員である以上会社を守る、会社経営として社員は守り切る」だ。経済の荒波下で、全員がこれが貫けるか?は別として思いは関係を作っている。給料交渉はスタイル色々でも本来は労使間で決められるのがスタンダードでは有った。だが民主も自由経済よりも政治と強く関わる事で、政治が票取りや指示集めでゆがめる。ガードラインを造る事は賛成で来ても強力な鉄則にすると、企業と反立してくるだけでなく産業活性も次第に力を失って協調性を無くす。まだこの状態では経済支障とは言えないが、最初に言ったような、労働対価から外れてしまうと、労働者はタダの我儘だけを貫く労働者か?役員か?解からない存在に成るともう、経済も下流方から上流に流れる川の水に成る。つまり経済のスタイルが目茶苦茶だ。高給取りの労働者に対して、経営良運営の為に低給料の労働者をエスコートする。労働者移民の政策だ。ここまでに至ると、もう、経済の未来が見えなくなる、何故なら市場に出せる適価格製品で無くて、自社、ご都合価格で市場に出して、約束事は「ジリ貧」営業。 給料は高い方が良いに決まっているけど、未来予測の働かない給料は、対応が出来ない程の破壊に繋がってしまう。それら積算集約してしまっているのが西洋先進国とアメリカ合衆国。ただアメリカはランキング一位で経済対策は何でもできる立場だから、経済順位2位以下の国と言うものは、残念ながら給料フィールドも、経済順位に従うべきが当然の定位置なのだが、現代の、実情は、無視した「給料上げろ!」の野放し状況で、上げられた給料のツケは、直ぐ様商品の値で補填され「給料は上がったけど、商品値も高くなって手が出ない」これって、まやかし経済の給料でしょう。これはグローバル経済ではない、鎖国経済の給料決定だ。これが自分の生活向上と、胸を張って言える事でしょうか?
令和8 26年02月01日
ヘッドライン37 「給料上げろ」は自滅経済論5
鎖国ならば値はどうでも良い。ただ他国と付き合うなら価値観も通貨レベルも同等にしないと交流が成り立たない。本当にこの現実に悔しく思うのは、例え民主政治の政府にでも、民衆は都合よく飼いならしばかりをし、飼いならされ続ける現状だ。これでは独裁下の民衆の扱いと何ら変わる事も無い。民主国家と言うものは、その名の通り民主が主役。主役は妙な言い方だが映画でも舞台でも主役は「立派でなければならない、賢くも観察鋭く無ければ成らない」民主が壊れる時と言うのは、民衆が烏合の衆や大衆馬鹿に陥った時。主役が大根に成った時は物語が消える。政治家が汚職しても、行政役人がズルしても、警察が、裁判官が間違いを起こしても、兵士が暴走しても、民主は壊れない。何故なら本当の裁判官は民主国民だからだ。社会主義も民主主義も変わらないと言う人も居るが、「腐った部分を排除再生できるのが、民主主義なのです。」その為に民主主義も人民は常にスキルを上げていないといけない、と言って来ている。民主主義は国民が我儘に成れる制度ではなくて自尊、自立して個々結集の判断力で厳しい舵取りをする役だ。だからと言って「給料上げろ!」を言う事もタブーとは言わない。民一人がが生き続ける事、町内、県民、皆が生き続けれる事、国民皆が生き続けれる事、そして、国自体どう生き伸びるかが大事と考えないと民主国民ではない、と言う事だ。幸いにして日本は比較的貧富の差も抑えられた理想の国で、ここより右に並べる国は無い、と見ている。それは民衆が、民が優秀だからの一言だ。だが、どんな良い世の中を造れても不幸が重なる人も家族もいる。これらも大昔から日本国は救済してきた歴史を持つ。これも世界唯一と思う。日本は誇っていい「封建民主主義国」だった。民は生活と格闘していて生活の事は正論を言える、けど、世界と格闘している国の立場を言うには生資料に乏しい。そんな中で心情として「給料アップ!を言う事はかまわない。だけれども他国の国民が高給だから、「我らにも高給を!」は控えて欲しいもの。ましてそれが独裁政権のプロパで有ったら国力の衰退へ導かれる。だから「我慢だけで欲しがりません」の国民に成れ!ではない。我ら一人一人が国の立ち位置や産業の立ち位置が解り中長期の計画も理解できて平等位置で意見が交わせると言うもの。仮に今、日本がアメリカの給与レベルを超えて給料を上げたなら、産業から連鎖で自滅して行く事に成るだろう。まやかし法が無い訳では無いが、競争相手国から苦境を読み取らた後、ジ・エンド。ここまで辿り着いた日本、第一は国民の優秀さ、第二に役人の優秀さ。良く役人が自分達の職場守りするって、言われるけれども、考えて見れば「相手が居る」相手は政治家で、政治家が余りに無能だと、役人たちが考えて立案した事を通すしかない。これが正解で正体でしょう。だから財務省権益を守りに入っている、とか言われるけど、政治家が無能だったと言う結果。政治家が優秀だと役人は矛を収めますって。だって、その優秀政治家立案実行の政策で我らは今を生きているんだから。余計な事を一言、天下り役人は全部現役ダメ役人です。活躍し切った役人は、少なくとも高級天下りなどはしませんて、それは自分達が実行して来た政策に泥で汚す事だから。自己誉に尊厳の無い事をしないと思う。判断としては「甘い」ですけど、役人さんには味方が居ないので、つい余分の一言。民主人民の高スキルの時代、SNS社会が本当の民主主義の精神面を支える。かつては、この意味を果たすべく、新聞、TVも存在意義を持って身近に居たのだろうが、何時の間にか、真っ先に某国と、某国のプロパ洗脳を受けて逆の、国民のスキルダウン画策をしている。そんな馬鹿教育を受けるくらいなら、まだ荒野のSNSの方に明日の光がある。
令和8 26年02月01日
ヘッドライン36 「給料上げろ」は自滅経済論6
民主国家の国民は、その生活の中でスキルを上げ付付けなければならない、義務があると申し上げた。だからと言って国民全員が教師に成る訳にも行かない、政治家に成る訳にも行かない。全員が経営者や労働使用者になってしまったら、生産性はゼロに近付けてしまう。大事な事は仕事とは上下関係の「チーム」を理解した上で、それが給料の差別ではない事、を理解された上で、ここの「スキル」を受け止める評価熟が必要と思う。国の主役である民は、どう働くべきか?_ここからは偏りある個人の提案かも知れないが、どんな仕事に就こうが、自分と職業のプライドを守るシステム。今でも汚い仕事をする人は「人としての価値が低い」との偏見が有るが、そんな仕事についても起死回生を成すシステムだ。本当の人間価値高と考慮著述を預ける「評価熟」。「評価熟」はPC人材図書倉庫だ。笑う人も居るだろうが、昔の芸人は人攫いと呼ばれるくらいに程度を低く見られた半端者だった。が今ではどうだ?国に予算を作り加算する程の重要で貴重な才能だ。稼ぎが高い事が、その人のやりたい職業とは限らない。農業だってそうだ。生きる為の上流に居るのに、頭が無くても出来るなどの揶揄もされた。巡り巡って誰が偉い?に成れば、大きな屋敷に住む者でも無く、必要あって物を買う人に成る。偏見と言うのは多くは「上下」「大小」「高い低い」のイメージだけなのだ、少なくとも幸せと言うのも、金銭の多い少ないでは、無いのだし。そうだとしても稼げない歌で身を立てる、成功してもしなくても。好んで人の居ない一戸の山奥に住もうとする。それを後押しするには、金銭保有以外に別の評価保証が必要と言う意味での提案だが、人間の能力は一個っきりではない。好きな職業に就いたとしても、そこから第二面,第三面、第四面の才能を持つかもしれない。能力は無限で、例え本人で有っても固定的に決め付けられないものなのです。それも進捗性で能力が能力を生む形もある。こうした有り余っても漏らしてはいけない能力を認めて、能力の保管と解放、誣いてはこの人間の能力データストック場を設置して、いつでも引き出せるようにすれば、能力ストレスの解放場に成れて、しかも、本人が逝った後でも、能力が生かされる。小さなマインドでも、「生きた証の「泉」が有る事は、人生の前向きに支え的満足を与えてくれるだろう。人には身体と言う見える命も有れば、思考や魂で残せる命もある、のですから、次世代では、その辺の満足を作って遣らないといけない。逝ったその人にも、スキル隙を自己評価、他己評価、論評評価含めて「評価熟に留め置く」、その生き様や能力に、何時でも触れられると言う事だ。こうしたバックボーン倉庫が有れば、見下しもされずに、好きな仕事に携われる。ただ、仕事の流れ製造の流れ、役職の流れが上から下だから、給料のレベルは、そこで概ね決められる事は、承知しないといけない。先ほども言ったように給料と言うもの時代が作る評価でもあるから、ドサマワリ芸が現代のような、現代では、エンター長者作りに変わるかも知れない。昔、体力馬鹿も、現代スポーツの世界ではスターで長者出世の一つ。それもこれも時代の折々だ。これからは物の価値感も多様に変遷して行くから、尚更に評価バックボーンが必要となる。現代に生きる、そして必要を知る。これ全く労働の対価と一緒。平たく一言で、もちろん端的に言えば、給料と言うものは未来が見えてから降りて来るのが基本だ。だが鉄則だ、なんて言わないが、守る事を止めた時、明日が無くなり未来も無くなる。その兆候が現代に多くの国々に見えている。
令和8 26年02月01日
ヘッドライン35 「給料上げろ」は自滅経済論7
自らの高給で自国の経済の流れを止めた国々。西洋先進国の躓きに見える。アメリカにも見える。これが極端化した時の形態とは、因縁なのか?社会主義の独裁者とその幹部の豊富と庶民の貧困に似る。けどこれはローリングなのかも知れない。こうは成らない為に、民主主義の人民は、常日頃に於いてスキルを高めていないと、これが言いたくあった。単純に豊、物生活、楽生活を望めばすぐに壊れる。民主はみんなが豊かに楽に成れる制度、で重い義務が科せられる制度と言う面を忘れてはならない。2020以降、民主主義は民意のスキルを求めている。民主の人民よ、ヒューマンニズムを高めよ!フィロソフィーを研磨して高めよ、世界観念を高めよ!宇宙観念を高めよ、それぞれの永遠を飲んゼよ!精神論から逃げてはならない。逃げたらば破壊が台頭して混乱を繰り返すだけ時間つぶし。これは、「誰もが言えない事」もし、言えるとしたら学校の教師立場くらだろうけど、過去の教育下では軽んじられて来た精神性のスキル、ある意味、軽んじられたツケがこの時代に現れただけ、社会主義独裁に近付くだけ。日本国には3つの義務がある、一つは働く義務、一つは納税の義務、一つは教育の義務だが、その教育に義務の中に、民主の進歩に合わせて自己スキルする義務に成ろうかと思うが、「これは言えないよなあ?言えても、義務教育を終えて、(以後も時代に合わせてスキルして行くように)」贈る言葉の中の軽い言葉、後で言えば差別、強く言えば差別、と微妙だ。だから、代わりにこの場で拙者が言ったら「そうかもなア」思ってくるかも知れない。少なくとも、古国文に長けて居たら賛成はともかくも理解はされるだろう。それにしても、つくづくも「反日政党やオールドメディアの連中って、勉強してスキルを上げる事も大嫌いのようで、働く事も大嫌いが嫌いなようで呆れ果てますね~。毎度毎度、同じパターン、同じ程度に留まった低い成長の無い事ばっかり言い、明らかに時代が変わって風向きもかわっても同じ事を言い、焦燥も持たないで無く平気で居られる。日本の野党は、端的に言っても半世紀+30年も、政治と言うより難癖付けで税金給与で飯を食い、日本貢献の一人も輩出していない。オールドマスメディアに至っては、日露戦争で扇動力を身に付け、自己心酔し、奢って成長もせず時代遅れの化石、貝塚化して変われないでいる。変わらないと言えば、山河のように優雅だが、そこは腐容堆積場、その堆積場で物見して、下降社会へ我らを誘導する。馬鹿の極み。か?これ!成長の拒否の性格の典型ですよね?、義務教育を受けて、この日本住める人達では無いと言い切れる。あ~あ。 #また、こんなに長くしてしまった。中学生が理解できる、守れているかどうか?表現に困るとみぃうな言葉を使う癖、改めなくては。
令和8 26年01月24日
ヘッドライン34
オールドマスメディアよ、選挙終るまで中道左派を応援報道して
今やメディアは偏向報道を飛び越えて、褒め殺し作用しか果たせない。惨めなオオカミ少年たちだ。滑稽なのは、彼等の言う優しい政党「中革連」「共産党」「令和新」国民民主」等が異議を唱えない事。まさか?褒めてもらっれいると勘違いしているのか?この二つの組織ものどもは小学生よりも判断力も基点も無い連中だね。こんな人たちに日本の未来は任せられない。オールドメディアとあだ名を貰ってからは、、もう、誰もメディアの言う事を信じていないし、信じないばかりか、メディアの言った事の反対が正しいと反応するまでになっているのに、この二つ組織は、如何に日本平民の感覚と遊離していたか?を表す様な無知、無脳な人間達か?自分達を客観視さえできない。この能力は?と言えば、独裁政権下の広報やら議員やラの言う言葉にそっくりで、「100回言えば真実になる」を信じての事だろうがもっと共通項がある、人を道上げつつ、その実見下しが激しい事。人種差別も男女平等も言うだけは言っても、それは下々の生活権の生活かであって、そもそも独裁構成員の立場を揺るがすようなスターは出さないのが基本だ。独裁では「出る釘は打たれる」どころではなくて「出る釘は切られる」だから今でも理不尽を解って居て、それを続けられている。これから選挙戦に入って増々の偏向も捏造のばら撒かれるであろうが、オールドメディアが偏向応援するなら、彼等の言う「優しい政党はボロ負けでもない「ボロボロ負けの結果に成る」だろう。そうなると反日政党とメディアにはスパイ法と本格的な日本倫理で新待遇が下されるだろう、でも大丈夫、そのままの思考力を保てば、中国、ロシアに再雇用されるでしょうから、ただし下々の下々として、私は笑顔の無い国は嫌だけど、でも元々働く事が好きでは無いようだから彼らのレベルでは理想の国家でしょう。おめでとう、めでたし!めでたし!
令和8 26年01月14日
ヘッドライン33
民主社会なら、学は人と成り、でなくてはならないのに
今、令和7年・学歴評価の人は地に落ちた。は言い過ぎだろうか?我らは幼き頃より学は苦学の果てに人を作って学問と同時に人間を作るものと信じ込んできた。これ、学のロマンでしかなかったか?現代の学に、いや現代の学卒の何に、嫌気が生まれるか? 民主は民衆が主権を持つ、その民衆が汚れてはいけない。何に?真実以外の「嘘」にである。嘘が生きる世界は「学の世界とは言えない」 学と言うのは、哲則は、別名「真実追求に有る」だから本来、嘘を信じ、活用しる人間などは踏み入ってはいけない聖域が学の世界で有り入り口を学問と言う。少なくとも、我ら日本古来の民主主義は、聖学で有り、聖人を輩出して来た、我らその伝説を学の神聖逸話にして来た。青臭くも「立派な人の成る道筋上に学問が有った訳だ。それがどうだ。学問に金の色がついて、楽な暮らしの芳香を話し始めた。戦後の西洋から輸入の民主主義。実質はもっともっと昔の維新後だったかも知れぬ。我ら子供が知らなかっただけで、子供は綺麗なロマンスの花学の中で押し込められていただけかも知れない。だが、いずれにしても同じ呼び名、「学問」も古来の日本では「人材そのもの」だった。特に人を救う人物造りで存在してきた学問だった。しかるに、西洋の同じ名の学問は、「自分の身を助ける」苦学に他ならない。兎にも角にも「学と言う門を潜って、明かし証を小脇に抱えて門を出れば暮らしが一段も二段も上位に上がる。その為に、贈賄行為まで創り出して来た西洋民主の学問。だが、学問は罪の主役ではない。教育の発生当時は西洋も、日本も聖学であった。教養の主体であった。一体誰が、聖学をこんな奈落に貶めたのか?
令和8 26年01月14日
ヘッドライン32 拝金主義者の愚考愚人は、全てを地に落とす。
真面だった、皆で苦しい生活を乗り越えよう!だが、学を身に付けて「他人よりも上の生活」欲にも個人主義導入とは?真面ではない、が現代ではこれも許されたシステム化して来て近年では、金銭裕福を目指さぬ者、骨董品扱いだ。ヨーロッパ諸国や中国ならば、いざ知らず、日本国主、日本人ならば、「皆で裕福に成ろうとは、何故しない?」、この際、他国事は、さて置いて、この日本は、???どうなってしまったのか?何事にも進歩発展は大事で生活向上も、教育向上も言わば、競争原理に放り込まれてその大事を為そうとする。その意味合いも理解すれば、全員が高度に成ろうとする意識向上も理解する。けれども、人はそんな努力でトコロテンの様な成果が出てその成果に乗れるほど、人生も社会も甘くなく、努力で希望を叶えた人が居る一方で、その努力で逆に奈落に落ちてしまう人も多い、のが現実。人々が希望を失わないように成功例は後世に繫ぎ、奈落落ちなどは、社会の季節風で吹き飛ばし、心に傷を持ちつつも再度に挑む、これ、正直な現実と思う。賭け事のように、当選くじと同様に、当り額が多ければ、極小が豊かで、大勢が金に追い駆けられる生活。そんな背筋の仕組みにも文句を言わないのは、結果はどうあれ、チャンスだけは全員に平等が有るからだ。これが戦後持ち込まれた民主社会とその教育だった。これを嘆いてまた古来日本の制度に立ち返る?そんな事は思わないし立ち返えろうとしてももう立ち返れないのが社会と言う生き物成長体。それを皆解って見詰めれば、この拝金主義の効率を意識で変える必要がある。根本的に、社会とは?その中の個々とは?自分だけが凸すれば、社会は不安定にグラ付く、社会を凸すれば、競争の強靭を忘れ脆弱しか残さない。
令和8 26年01月14日
ヘッドライン31
形式は同じでも、問題は立ち位置と目標と意思だ。
ほんの少し俯瞰してみれば、「人よりも上に立って自分の独裁王に成って人を顎の下で使いたい」足りない頭脳ではこのような発想しかしない、足りた頭脳で溢れ切った発想で描く事は、「社会は自分一人では運営できない、社会の為に人の生活を格上げに知恵を使う」に成る。民所の競争の目的が地位向上や金稼ぎでも、単純な事に目線の違いで向かう世界観が変わる。今、どちらが正しい優れて居るは、控えるが、日本は後者だ。日本人で日本びいき、そう言う判断で済ませないで欲しい。美的に盛って飾った美談でも無い。日本に続いて来た、男の力社会歴史を掻い潜って来た古くも民主主義論理でもある。こう考えると1945以降の民主主義に、日本の継続して来た古来民主主義が西洋民主主義に浸食された、と考えるか?の分岐時代かも知れない。我らは戦後民主主義の子らだ。だが今、その戦後民主主義に原点的な違いと比較の選別可否が出来る、数少ない「子ら」でもある訳だ。最初の例えのように西洋民主主義、戦後民主主義には深みが無い、要は、裕福層と貧困層の闘争の結果を未だに引きずった統制制度で、根本的に述べれば、貧困層の下克上のアイテムから成長が無い。止まったままだ。ただその裕福層は盛者必衰で入れ替わりも有れば続いても居る。こんな恨み辛みをの籠った統制民主主義に未来は有るのか?。片や対極の社会主義の独裁から見れば、貧困層が唱える事は、社会主義独裁の前段階にも見えてくる。がしかし一つの大きな違いがある。社会主義の独裁政治下では、貧困層は無知識無教養でなければならない。使用人主主義の平民以下、貧困層を含めて、知識も有れば教養もある。ただそこには妙な共通項を言うと拝金が社会主義の独裁者と考えは一致。この場合、一緒の仲間となり得るか?成り得ない。かつての彼らが行った廃除儀式そのままの「知識層撲滅の運動」を独裁者はするだろう。考えて見れば、この辺、西洋民主主義は全くと言って良い程、進化しない進歩しない事がタブーの如く動かせなかった。けど、グローバル時代、具体的には、移民時代、基本人権が基調に成って更に民主は進化進歩が阻まれる時代と言う負い込まれ方をしている。西洋民主は一時しのぎの統制度だったと言う事なのか?
令和8 26年01月14日
ヘッドライン30 民主主義出直しは、教材と教育再び
個人的な感覚で戦後西洋民主主義は、日本に限らず全世界的に「そのままに、そのままにのパンドラボックスのように開ける事をタブーにして居た感がある。どうしてそうなってしまったか?これも別の機会に紐解き挑戦してみたいと思うが、民主主義発足としては歴史的に議会政治と被って長い歴史ともつ、と思われているようだが、実質は、第二大戦後で最も先進して来たのは、王の居なかったアメリカ。厳密にはフランスからアメリカ。そのアメリカでさえ、民主を進化進歩させる事を憚って来た感がある。これは恐らくは、宗教の教義が原理的に作用していると言うのが自分の考えなのだが、今、そんな理由はどうでも良いくらいに民主主義統制が危機だ。ことわざの如く「変わらぬ者は腐る」「川流れの如く流れを忘れると澱む」そのままに買われていない事が原因だ。民主主義は変わる必要があったか?。時代と言う流れに同流しないから「今は房利しか見えてこない」そして対抗の社会独裁の腐敗チョッカイに直接作腐してしまう。で戦後80年~この危機的機会変らないと不穏な腐敗の暴力に立ち返ってしまいそうなのだ。その因子が、一言で教養、「学と言うよりは教養違い摩擦が起こっている危機だ。 ここでは教材を日本古来として置いて、現教育の実態をして行こう。想像力、想構力、想像力、読解力、考解力、全体視考、対面視考、上下思考、横拡思考、思い遣り思考、個人幸福思考、全体幸福思考、そして総合した未来思考の構築思考。一方で、合格、昇進、卒業、資格試験などを突破するだけの学もある。暗記の彼方で形としても学歴を掴み取る事に特化したような暗記学問で卒業証書を撮って学歴誇示する人間、近年はこの手の人間が同じ学問の器から生まれ増え続けている、今まで小さな側面だったものが、次第に大きな側面として、今や対壁に成って何が起きているか?金が全て拝金社会の台頭で、この雰囲気と言うものは、まるで社会主義独裁社会の影と臭いの濃いもので、この濃さが、社会主義独裁主人と使用人の関係を近づけているから危険を危惧する。そのような心配よりも先に、暗記学問、暗記学歴の特徴を上げて置こうか?と思う。この人達、暗記が戦闘力か?と思いきや、そうではない。暗記の目的達成が第一優先で目的を達成すると暗記した者は簡単に忘却する、出来てしまう。大特徴は、その場、その時の突破が大事で、過ぎれば自分が言い放った事も忘れる事が出来る徳体質。例えば論戦が始まって、勝つ為に通常論材料から極論から極論左右上下どこからでも勝つ為の材料を持って来る。普通の人は「自分の筋論を大切にして勝つにしても筋論を維持する」が暗記学問の人等は、そんな事には頓着しない、目の前の人間に勝つのみ、が当面目標。こんな勝つと金になるか?の価値感だけだから、人間的にもハッキリした特徴が身から醸し出している。 本当の実力が無い事を自分が知ってるから、「虚勢を張る」常にに比較して「自分の上下を探る」学歴は「頭の良さの証明書」自分よりも上と感じた者の「劣を探して詰る」勝てば良い論法は材料を持ち出し過ぎて、「自分が言った事を覚えていない、言った事の矛盾もどうでも良い」人が言わないマナー違反を「付け付けと堂々と言って反撃を防ぐ」暗記は内容の薄い卑怯者部類だから「自分を犠牲者、被害者にして置く」これは暗記実力のハンディの反面癖で、「勝てる話は暗記で留め、同じ話を呆れるほど繰り返す」伴なって「勝てた話は、絶対に改訂しない」口先で負けない事が前提だから、「口に自信を持つ一方で人間の頻度を上げられない。このように、この手の人間は、「成る、を知らないから思考分類は出来ない。ただただ負けが嫌で勝つと言う絶対実力を持とうとしない。他人の落ち度だけに眼を注ぐ姑息な馬鹿。「負けて勉強するは、実は賢い人の遣れる特技。これすら遣れないのが暗記学力持ちの連中。言い切って良いか?迷いも有るが、第一の特徴は、自慢する学歴の割に「新たな勉強をしない、自己成長を拒む」成長する人間を攻撃する器の小ささ。こう言う人達を民主主義の中にシェアを与えては民主を滅ぼしてしまうだけとなるから、この教育改革は早急に為さないといけない。
令和8 26年01月14日
ヘッドライン29 現代に蔓延った暗記学歴?保持者たち
今や、ピンキリ、広範囲な社会機構の隅々に至るまで、でも安心は、見分けが付く事だけが救いだ。先ほど言った、言った蔓延りの浸透度を考えると、その判定を誰に託すか?これは先ず以って国民一人一人のアンケート集合を第一資料として司法権成り行政権に続いて託し最後は警察権に終託す。何故の判断方法か?って言うと、本来はこの責務はマスメディアの役割であるが、今、世界中でマスメディアがヨロめきが見られ、平等感は、マスメディアもよろめきが見られ、この種族の浸透度が激しい、と見るからだ。つまりは学歴だけがエリートでも思考はコンプレックスから偏向を放つ、極めて人間欲的な起源、恨み行動、妬み行動、僻み行動だがいみじくも民主主義人民に成る為には、こんな起源の行動は抑えないと民主が腐る。同時にこの根源に頓着した行動は「個人主義にも似た我儘の横暴であり、一番の非点は、この種の人間は、自らは勉強せず、スキルアップもしないから、いずれ後々から、コンプレックスだけを拡大した「時代の落ち零れに成る運命」を持つ。民主主義の人民の資格とは?沢山は有るが、民主そのものの特徴から言えば「進歩、進化して時代に迎合して行く事。暗記学歴で体面を繕っても、運命として時代に裁かれる、のである。民主主義、民主主義と喜び勇んで、システム造りまでしても「魂が込めれていない」これが今、世界に現存の民主主義なのである。法律を作って行政して、崩れないように裁きも設置。日本には「魂入れず」の言葉が、世界では一番の民主主義も先進と言える。これまでは、「日本は社会主義民主主義のようだ」と揶揄もされて来たが、先進で異常に見えたのである。とは言え、日本にも、この種族は、政治家にも居る、司法にも居る、高級役人にも居る、学術界にも居る、弁護士会にも居る、マスメディアにはもっと居る、教師に至っても、大学教授にも、有知識者なんてもっと危なく居る。上げたらピンキリ、しかし彼らも解っている、まともな努力者には勝てない事、ここまでシステムを蝕んでも、勝てない事を。何故か?その種族の形は寄生虫そのものだからだ。寄生虫は大きくなると、母体を喰って自分の命を無くしてしまう事を、感覚で知っているからだ。どちらにしても自分代で金を以て、権威を以て威嚇現存来ても、滅びるのに、そうは時間が掛からない。悠久な時代の流れは別にあるのだ。時代錯誤で裁かれると言う事だ。
令和8 26年01月14日
ヘッドライン28
合理主義は金裕福に近づき、不合理な精神性を降車、民主民は浅はかに
「学問に王道なし!」は有名な格言だが、教養としての学問は時間も掛かって苦痛も感じる作業である。ここに「試験だけ突破すれば」と特化合理化すれば、それは「暗記憶学習に成る、記述の問題だって暗記で何とかなる」合理な考え方からは、暗記は次々と忘れ、次々と覚えれば言い訳で、それが金と言う力を呼び寄せる、その考えが、また人を寄せてくれる、人は寄っても、相手も合理だから合理な自分に寄って来るのではなくて「金の気配」に寄って来るだけ。「通じ合う心と心、心豊かなんて、そこには無い」 合理主義をこう、扱き下ろして悪の権化にしようとの事では無い。合理主義と言うもの、「合理主義は行き当たりバッタリ、合理主義者は拙速馬鹿の側面有り」を先立って言いたいだけで不要とは言うつもつも無い。ただ民主が民衆に降りて来た時には、金も民主も「合理主義の同格を示して、民衆が喜び勇んで有頂天になって、ここまで繋いでしまった。暗記学歴者には、「自分達の時代が来たかのようで喜びしか無かった」けど一方で今後は、金で奴隷化できる、と思った人種も同時に発生。なんせ、不合理な精神論が消えた訳だから「この世が春」と思い込んだ人が大勢だっただろう。精神論者はどう?実を隠したか?昔の教訓を言う人間を、時代遅れ人間として息を潜め古い価値世界で弾きながら同居して来た。民主主義の成り立ちと言うのは。それまでの貧困層が掴み取った新時代、世界の多くの国は貧困層を苛めて国を成り立たせていたから、その事情から言えば新時代の夜明け、だが、そこから民主体形を無視した「金、金、有頂天で発足して今、そのツケが来た、2020年代。本当の賢さって何だ?。本当の利発な頭脳で何だ?2020年代もう、学歴など地に落ちた。汚す輩が増えたからだが、学歴はもう、利発や優秀性の証書ではない。学歴を見ても再検証する時代と言う事だが、こうして学歴人でも、二通り、暗記学歴など排除して行く事が学歴の再構築には成るが、評価として視点は何か?それは古臭くも永遠な「温故知新を持った人間だ。」これはある意味、教育の歴史の長い日本人だけと言って良い。もちろん全員を言う事ではなくて、強い傾向を言う。他国は何故に選漏れなのか?それは余りに不遇な身分からの立ち上がりが歴史上遅くて積んだものが無いから、と尊敬する人物を上げられない人物h足に有る。歴史上に尊敬できる人物は居ても、身近に居ない、有るのは学を積んで裕福になると言う使命だけ。これを言うと、日本でも増殖中、は言えるのだが、テレビ雑誌を見ても解るように、学の目的を裕福出世や、拝金を叶えようとする者には、社会的な貢献が無いからる叶えられないだろうし、出来ても1代限りで、悲運で崩壊しるだろう?何故?温故知新の進歩が出来ない能力だからだ。
令和8 26年01月14日
ヘッドライン27 学歴に関係しない賢い人物は?
近年で良い例人と言えば、「田中角栄氏」その人。それに比べてダメな人は多いけれども、誹謗中傷に成るから、名を上げられない。だから、遠巻きの団体人で例えれるか?暗記実力者たちは、「寄らば大樹、が好む人間が多い」から、話として理解も容易いだろう。 先ずは、田中角栄氏だが、彼の経歴の特筆は、やはり中卒で、最高学府の学歴を持ち合わせない事、そこに併せ持つ苦労の数々。もう一つは、誰もが下を撒く記憶力の良さ、そして誰もが考え得ない奇想天外の発想力。その発想も自分の為の発送では無く人の苦難を開放する発想やら、日本が独自で考えて遂行する独立性の実施。たったのこれだけの印象を以てして、賢い頭も善良の頭も想像できるが、そこは政治家、良さと善良では人の上に立つ力にはならない。その力の為に金権などと言う名も貰ってはいたが、実情では出金が有っても入金が無い、自前損を隠すような記憶の誇示と気遣いと人を発想を使い切る人情を裏付けた上手さの際立ち。考えようでは、人たらしなのだが、長く繋げた裏付けでは人の垂らし込みも否定される。結局は政治家と言う賢さの表現に優れていた、知っていたと言う事で、ご本人的に大事にして来たのは、日本の心、日本の平民、日本の故郷、日本の将来、未来。このブレの無さから、筋のある賢さを通した人物と言え、学歴を劣等ともしなかったし、その身分に於いて学歴者を使った力は?賢さの評価にして良いと思う。頭脳は社会の為に、人のために使って評価される壇上に上がる。そんな評価も、良くも悪くも「中国国交開始を実現して、アメリカからも国内からも親中宰相のように思われて来た」けれども、米国だけでなく国内および、自派閥の身内内からも、親中のボス的地位のように思われてるようだが、この氏の学歴、努力、創発想、行動から垣間見れるのは、「中国は信用しない」「信用したいが、」のタイプなのである。理由、第一に拝金主義では無い事。第二に記憶と発想を持つ人間は中国の一番の要人物に成るから。第三に、中国が手の平で転がせるのは、野心の強い頭脳。この野心と言うものは、頭が良くても悪くても中国戦術では恰好の餌人物に他ならない、第四は、煽てる人間の素性を知ってる人物だから、縁切りも知っている。だから一度、犯罪者となり、失脚した人間は基本、レッテル張りをして中国は使用しない。ただロシアよりは、民主主義への近付きが近いと彼は考えて、願っては居たかも知れない。彼程の明晰頭脳ならば、独裁者の性癖も解っていたと思う。独裁者は自分より頭脳明晰な良識を持った人間と恐怖で共存は出来ないもの。頭脳の質が有っても洗脳できるか?出来ないか?で配下人を決め、性格的には「世間の評価と自己評価が合わずに、(自分はもっと評価されるべき)と不満持ちの人間が洗脳対象に成る。境遇不満タラタラ人間は学歴を持っても人としても頭脳としても下級だ。だからこの選定でも真の賢者で素養を以て筋通し人間は洗脳対象から外される、と言う事だ。事実に近い例を言うと、「金は出しても、貰って高笑いするタイプでは無いし出した金を事業で取り返すタイプ。ロッキードも米国の捏造と考えるのが証拠から見える事。もっと言えば、人間は大雑把に二通り、一つは与える人間と一つは貰う人間だ、角栄氏は与える人物としても、田中派の大多数は貰い側人物、これを皮肉と見るか?こんなもの、と見るか?でも派内から受け継ぐ人は出なくとも、ライバルや反目した人物たちに受け継がれて行く、これも世の中なのだ。もっと皮肉なのは本当に角栄を評価したのは多派閥人間で、軽かったのは自派閥の人間たち、この事実は私利私欲を否定している。田中派ってのは、角栄有って、正常な派活動で扇の要が消えた時、花と散った、が残した物は多かった。親中ボスって言われても、時代は恩を着せても返せない中国が相手では、何も語れないだろうに。ただ先見の明、人の賢さ評価の中で自分の利益野心か?人の為への野心か?その一点で賢さが際立ち、自分の利益の野心は、言う事が左右上下にブレ捲る、浅墓こそが暗記学歴者の特徴で、この特徴を生かす職業がある。弁護士だ、このどっちで有っても弁護士と言う職業を遂行できる。自分の学の無さを自覚して、しかし高学歴者に基本経緯持つ、と言う人間が沢山居るようで実はいない、のは世の中。しかも亡くなって見て、残した遺産を見れば、自分の為の政治家を遣ってこなかったが言えるのでなかろうか?賢さの頭脳の優秀さ。野心の向きによって、善悪に振り分けられる。本人も解っていなくて、この世を去ってから、言い伝えられる評だ。去って、かつ浮上してくる人物には信用評が与えられる、と定義をしている。何度も何度も再評価される田中角栄氏は政治の賢者なら、ビジネス界の無学は、松下幸之助氏、だけどこの二人を手本に、敢えて無学に学び活躍を夢見る者は殆どの皆無だ。民主主義社会では、排他されるからだ。
令和8 26年01月14日
ヘッドライン26
人の素養から成功、進化は、真実基調進み、嘘は消滅の一里塚
温故知新、頭が動くと言う言葉には、「これで?」と思ってしまうが、考えが動くってどういう事か?考えが動かないってどういう事か?温故知新って、言うなれば頭脳の究極、過去から現代、未来へ思慮がワープすると言う事だ。ただ、昔の事ばかり言えば、動かない事だし、現代にケチばかり付ければ迷子だし、未来を解った風に言えば妄想癖と言われる。思慮の固定は病気まがいに言われてしまい、それでも「ボケた」と言う頭でも藻を考えない訳ではない、動く幅がせまいだけ、でいよいよ動かない思慮は、身体の機能さえ止める、そこから腐敗へ向かう。人の考える事の大事を知って、行き着く果てはいつも腐敗だ。これ個々の身体だけでなく、ここが集まった組織体でも言える。人の頭って、常に新しさを求めて「生きている」を証明している。良く居る「自分は大丈夫だ!」も何時も何度も言えば、使わないと一緒。人間が作る組織もステン組織とステンレス組織が対局に有る。ステン組織とは、配下の人に物を考えさせない組織で、ステンレス組織は配下の人が物を考えて上へ上申する組織である。では、ここでテーマの暗記学歴者とはどう言う頭なのか?実は暗記学歴者には大きな特徴がある。それは何でしょう?「何時でも何処でも何度でもどんな状況でも口先三寸で取り直しが出来ると言う自信の持ち主」である事。これが一見に於いて論客者の賢者と思われて、本人も巣の気成る根深い病気。病気と言い切るのは、自分で気付く事が無くて自分でも治す気も全く無いからである。この定義からすると日本人は、本当に賢い人ばかりと思う。何故そう思うか?嘘を嫌い嘘を付かない、嘘を利用しない。民主主義で反する人も増えたけ、言わば日本人は、ほぼ全員が、学者肌で、職人肌、嘘は身を亡ぼすを知った国民なのだ。しかるにどうだろう?近年に眼にするマスメディア登場の人達、違い人種で、暗記学歴者で、社会の寄生虫っぽいよ?、現在は腐りの時代から再生へ、社会主義、独裁は腐り果てるのは当然の道筋として、当の民主主義の腐敗進度に気付かないといけない。そこに重大貢献したのはネット界だ、それもそもそも広がりを始めたのは、業務PR+顕示欲+独占欲から広まった筈が、思わぬ展開、これまでの民主の嘘部分が続々と暴かれ始めて、終には、スタ誕を成すようになった、と成ればもう、後戻りはしないと言う事。皮肉と言うのか?腐旧交代を促す責務まで受け負って信頼を得てしまう。皮肉?と言うのはここ、本来ならば、メディアこそ、この責務を請け負って期待されて来たものを、ミイラ取りがミイラに成った格好のところ。併せて暴露されて来た事は「この人、本当に〇〇大卒?」と言う嫌疑。どう考えても世間ズレしていて教養も察知できない。マスコミ出演者の肩書を見る度の人種不信感にまで至り、更には、政治家、警察、司法界の人間まで、その眼がフィルタを発揮する。喜んで良いやら、疑い深さを卑しんで良いやら。でもでも、専門道で他の世界を知らないだけかも? そこへ持って来て、眼に造反日輩の症候群ら、これらがどうも、一致な同芳香を嗅いでしまうんだよなあ?この妙な学歴者、肩書者には、二つ特徴が有るんです。一つは、話には自分が頂上、頂上を崩されない為に他人へ気遣いを示さない。一つは、他人の失敗を見ると嬉しい顔をして、見下しが激しい上、また繰り返す。この態度と言うもの、この章のテーマである暗記学歴者その人たちとも、同じ芳香を放つ、これはあくまで感が分類する匂いなのだが、もう一つ決定づける特徴を言って置くと、得てして自分の立ち位置を考えないで、口では負けない執念深さを持つ。これらの人々がどうして?民主の教育から生まれ出て来たのか?その問題を言うのも言いたいのだが、実はそう言う人間が出た時点で民主の腐りが深く進んでいる事後の状態を嘆き、早急な改定を急がないといけない。実は日本だけなんです。これほど嘘を嫌うのは。他国では自分を守る為の嘘は権利で肩を並べている。まあその日本に、これだけの嘘を言う人間がテレビ画面などに居るのも嘆きだけど、増やし続ける民主の教育からシステムの改革が避けられない位置に来ている、と思う。
Presented by
プロシード研究所 山岸 の趣味HP2です。
当初は、視力の維持と体力維持を目的に歩き、鳥たちの囀りからレンズを向けたのが始まり。毎日、鳥たちのフィールドに入り、歓迎されるように出会った写真も増えて参りましたので、ここに日誌ホームページとして発足した趣味、経緯です。
鳥の存在は、花と同様の「癒し」ですし、その土地の自然環境の良さ証明でもある。鳥の「生き生き」は町の「生き生き」住民の「生き生き」ご来訪の皆さまには、近くを通った際、鳥フィールドに立ち寄って頂けたら幸いに存じます。あのジュラ紀の恐竜のDNAを受け継いでいると言われる鳥類、鳥を観察して特徴的なのは「汚れた、汚い鳥が居ない事」「皆々、清潔で美しい事」・・ほんの少しでも、皆さまの御身多忙と眼の保養に成れば幸いです。
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