ごあいさつ
ごあいさつ
ごあいさつ
ご来訪、有難う御座います。ここ「瞳と視線」より心からお礼申し上げます。
上表題写真、アオバズクの眼の意味は、「Ninox japonica」の学名を持つ鳥で、「日本の」「瞳は心」「視線は未来思考」と言う意味と思いを込めて命名しました。
俺流 考え方のストック
瞳と視線・20世紀に民主主義が広まって、そのルーツから主導は当然、西洋先進国として普及と展開しながらも21世紀に入って、民主主義の崩壊への揺らぎが見え始めている。民主主義を何故か?守って維持する完璧統制手法と神が如くに擁護してしまっている。その結果が崩壊の揺らぎとなると。民主の考え直しの時代到来と考えた場合に、素人で、何を考えて、何が言えるか?このテーマを一介の日本人市民の一人が情報弱者をそのままに、「民主の立て直し」を素養感覚のみで考えて見た、そのストック集として創設したブログです。日本の一般人の「瞳と視線」が元ですので、拙く思われて当然、読み居る価値無しも当然でしょうし、認識間違いもある。でも、書いて自分で読まないと始まらない、そんな思いと内容の俺流に、成長を見て、万が一にも貴方様の参考に成ったとしたら誠に幸甚に存じます。一介市民の歴史心理からの現代批評批判に成ろうか?と思うけれど、重きを置く事は「批判には提案を加える事」を旨とし、未来を裁判長にする事。
静かな刻に・喧騒生活で空いた穴を埋めよう!
テーマ 50 ライン目次
53
52
51
令和8 26年10月19日
ヘッドライン64 たかがカワラ版屋だろう?マスメディア1
たかがカワラ版屋だろう?を言う前に、カワラ版屋は一般庶民だった、それがどうだ?国の第4権力などと煽てられ、思い上がって上級市民に成ったつもりの「一般市民の見下しぶり」は、筆舌する。カワラ版屋時代が良き時代だったと言いたい訳ではない。カワラ版屋が庶民の中に生きて来た事実だ。日本において通信社が新聞社が必要要求されたのは、明治文明開化以後だ。そこから戦争など国の大事の度に、必要要求が高まって己の力を過信する様に成って行った。転機は第二大戦後だろう。民主化の掛け声が飛び交う中で、再びの戦争判断が成されない様にマスコミチェック機構として期待されてから変貌きっかけに成った。いわゆるマスコミの第四権力の役割が言われた時に完全の庶民カワラ版屋を捨てて、思い上がった国を変えれる権力勢力を抱くようになって、魂胆が鼻を憑く。これは、今もそうだが、潜在意識がもう、遺伝子の様な強さを以て、表面上は市民のために国の為にだが、そもそも、この意識がもう庶民をより下見目線の思い上がり。この思い上がりにも今昔物語を感じ取れて、戦争と度に自分達を上級に仕立ててきて、それはその時その時の力を有して来た、団体と組んで上級意識を育んだ。ある時は、時の与党であり、ある時は時の野党であり、ある時は、時の軍部であったりと、何時の間にか、国を変える意識に昇華してきた、それでも、昭和が終える頃までは、国体維持の立場も見られたし、上級であろうして、それなりに、して居たであろう勉強がカモフラージュしていて、国民には、一番信用されていた時代、だったかも知れない。おそらくは上級と言っても実質生活が上級で無かったと言う事がうかがえる感生えからがエリートで上級。そんな半端な地位に君臨して、本当の金満上級に近付けたのは、バブル経済崩壊時の「日本経済、失われた○○年」と時、以後だろうか?かつての カワラ版屋がそのように思い上がった「上級意識を持たなかった」のは何故か?。もう遠い過去だから想像するしか無いが、と維持の階級意識がしっかりと規則化していたからだろう。そこから変遷して、文明開化、民主化と時代が移るにつけドンドンとカワラ版屋を逸脱して行って、最後は、戦争を仰いで国を崩壊しかけた事実からすると、少しも国体の役に立っていないし国民の為にも成って居なかった。むしろは戦争助力して、当時の若者を戦死に向かわせた。戦後は手の平返しの戦争は間違いだったと他人事のように教師の様に言う。経緯と役割を担いを言うならば、「自分達に向けて戦争を煽った事を改心すべきだろうに。まるで狡賢い狐のよう、変わり身の早いコウモリの様に変化する。当然信用もしないが、自分らは自分らのメンツだけを守るように「あ~言えば、こう言う」狡賢さを賢さと勘違いしている。結局は世の仕組みの「分相応」を壊した文明開化と言う政治体制変化でしか無かったと言う事か?今こうして、カワラ版屋と現マスメディアと比較して正しい位置関係はカワラ版屋が持っていたように思う。カワラ版屋とて情報集めには苦労も素養も要った筈。
だから「教えて遣る」姿勢は有ったと思うけど、取材発信にはプライドを、もめた姿勢を足らぬ裏付けと想像する、が、「そもそも知らない、が当たり前で、庶民に知らない馬鹿扱いはしてこなかった。江戸の庶民には競争意識が小さいから、自慢する馬鹿、が一般で、カワラ版内容も下見姿勢の記事は無かったと思う。何かに付けて、自分の方が上、自慢獲得を旨とした価値観を持ったのは、西洋文化と民主主義も台頭が日本社会を変えた。江戸では、知らない事を持って馬鹿扱いしないし、知っても利巧扱いもしない、まず働いたら負い目を受けないし、重宝人物で居られた。極端すぎる程の平等主義が敷かれていた江戸だった。しかるに今のメディアはどうか?そもそも庶民に頭を下げない高慢だ。国政の第4権と思い上がって庶民を下見して自分の主張と時の体制と反目する。基本、主義主張ではなくて勝って優生作りを果たす。その心情は、劣等を作って優位に立つ。血から、頭脳から、性格から勝つ為の手段と材料を摘み他人には情報を与えないで狡競争をする。この状況では、狡くて意地悪で脅し騙しの悪辣性格にしか成れない、この環境で自分らが正しいと自己満足してる。言ったように別に日本だけではなくて世界中のマスメディア陥ってる、職権が性格まで変える競争と自惚れの罠。民主競争にはこのような大罠が有る、その象徴が現代東西南北のカワラ版屋なのだ。序に言えば、独裁者を頂点としたチンピラ性格、血筋流れとも言える。彼らの頭には「自分、優位、優勢」しか頭には無い。側面を言って置こうか?「ドンドン視野が狭まって馬鹿に成って行く秦の趙高に利用される馬と鹿」もちろん本人達は気付いていないし目の前の金の数が自分の価値と思ってる輩のに成り果て本来はこの職業は、このように成らない様に人選選別しないといけないが、ここが西洋人の間抜け部分で、「本人達も 働かず、金践欲しがり」だから「馬に人参、猫に木天蓼」放置してたら最悪しか訪れ無い。それが2026年現代なのだ。進化した社会を作る右派として置こうか?その相手は「嫌われ性格種族」と「チンピラ逆上せ上り種族」とするなら、ぐうの音が出ない程に議論論破は出来ないものか?誰もが考えた点と思うし、自分も幼き頃、決め事となるといつもいつも反対文句を言う人間に対して思って来た議論論破。だけど、敵わないから?では無くて、敵っても誰も行わない。
令和8 26年10月19日
ヘッドライン63 たかがカワラ版屋だろう?マスメディア2
これが不思議でしょうがなかった。今も「何故?」を強く思ってはいるのだが、「相手にする事事態で自分を下げる」この言い訳を作るのだが、結局は、「面倒臭い」だけのほったらかし。この因についての紐時には、西洋からつくられて来た議会政治、民主主義の成り立ちから、解か無いといけない。これら先駆として多くの日本人は、西洋列国を敬意を持って見て来たが、考えて見ると議会治政も民主治政も生命危険で放棄の譲り渡しの結果にも見えてくる。日本人の感覚では愛国心を具現した制度に大いなる進歩と捉えるが、「単純に、生命の窮地の放り出して、責任からも逃げて「多数決」そもそも西洋列国の庶民は、愛国に強い思いは無い。宗教的にも自分優先。で戦参加は金儲けの一面が強かった。理想を貫いて勝ち取った議会治政と民主治政は、我らの大きな勘違いだったと思ってしまう。そう思わないと、素養を引っ張ってきたエリートが簡単に経済論や哲学等捨てて譲る理由が、不可解でならないのだ。自己主張したエリートは事の如く不幸になってる史実も有る。その意味では、西洋列国の庶民は、努力も嘘も無く権を手にして、いきなり舞い降りた満喫に失ったのは他人との和ごみ。そもそもが宗教が個を守ると有っては、振り返る期間をも無くしてる。そして何処へ行ったのか?あれだけ理知的だった知識層とその作り上げてきた思想や哲学、文明を支えて進歩させてきた文学などどこに消えた?例え欲得意識でもあった筈の先進性意識が消えた!消えた?戦争が起こって、敗北して更に消えた?消えただけではない。人と社会の根の蔓延りまで無くした。そして皆、良識ぶりっ子の浅い言葉を言って、場替えはするが解決はしない。「言う事と言えば、名は成し合おう、議論して決めよう!」のみ。
民主の治政は、努力に努力を重ねて庶民が手にしたものか?そうとも言えなくもない、が見方によれば、それまでの貴族教養層が治政を命おしさに放り出した結果、としか思えないのである。当然、民主移行は民の願いであり、実現するべき時代趨勢でああかもしれない。よくよく眺めれば、貴族特権を庶民特権にしただけで、内容的に大変革とは成って居ない。何が言いたいのか?具体が見えてこない?アメリカは建国時に「自由と平等を謳い、伴なった国民努力を行って来た」建国精神とも言えるのもがしっかり掲げられた。けれども時代が進むと、またグローバル化が進むと精神論は面倒臭くなって語られなくなる。アメリカ同様で新たな移民、が多くなると反比例して精神論は縮こまる。もっと具体的なら、スポーツで言うスポーツマンシップ。オリンピックで言えば、オリンピック精神・・・・これらは近年では、もう死語に近い。死語の先には?そう、金銭であり欲得だ。精神を無意識に飛ばすものとは?金と言う利益であり、自分の損得の追求で脆くも確実に白蟻が如くに蝕まれ崩壊させられる。精神論で飯は食えない。でも、労働対価で飯を食うか?精神を投げ捨てて、狡さが効率的になる。こんな理屈、小学生なのに、大都市は、無法を許すと錯覚させる。
この崩れ実が現民主主義に起こっている???何やら、もう時すでに遅し、雰囲気が漂っている。この状態に日本を見習え?いえ、なぜ日本は?教育が、厳密には教育歴史が違う。日本はにわか仕込みの教育ではない。識字も千年以上だし、精神においては、階級上位が人としても手本として教授して来た。これが日本の礎だ。がその日本においても戦後輸入の日本の民主主義は、完全に消化は仕切れていない。身分が変わった事で、西洋各国の庶民の様に棚ボタ民主に義務、人への尊敬、国体への信頼を忘れて、浮遊民主庶民も増えた。真理レベルの精神や議論闘争を止め、軽口でさえも勝てば官軍意識で生きる者達。輸入されて、元々精神は無くて自由、自由の勘違い義務すらも軽口で蔑ろにする。如何にに内容が無いか?勘違いしている事を見てみよう!。
「議論して物事を決めて、将来未来へ賢道で導いて行く」で最後は多数決結果だ。これについて、右派も左派も勘違いをし続ける。「議論で決まった事で、反対者、敗北者は考えや心を変えた」と言う思い込み。決めれば決める程、分断亀裂が大きくなる、のにで決まった事で治まると言う勘違い。そんな筈はないだろう?その素の議論で人は勝った理論に服従などしない、平伏して改心など更にしない。民主が100年200年と続けば、亀裂の溝が大きくなるばかり。個人尊重は良いとしても「その考え、間違っているよ!」、何時、何処で誰がどのように言うのか?個人尊重で子供にすら教えられない壁になる自由って本当に自由なのか?そりゃあ、面倒くさい精神なんか置き去りにするわな?議論をすればするほど民主主義内は単純に多様が増えて纏まらなくなる。それを纏めて一つになったと代勘違いをしたまま世紀を変えた。その一方で、民主の魂を取り戻すどころか?事も有ろうか社会主義共産独裁に買われて平気な顔をしている。まるで砂山を崩す為に登っているようなものだ。魂は伝統文化を作って教育から育てられる。多様は結構、でもそれを纏め上げる魂と魂の高度進歩が無いと成せないのに、魂より金と言う「豊か?」では無い強欲だ、強欲で自分勝手で自分を貶め乍ら金を求めて行く。同時に多様、多様も、全てが金目的と来ているから将来に希望なんて有りはしない。
令和8 26年10月19日
ヘッドライン62 たかがカワラ版屋だろう?マスメディア3
何故なら、金を使って金を取りに行くからだ。人の為、社会の為、は影も作らなくなって金ピカ時代に成った。「民主の義務って何か?」、解かる人いるでしょうか? これを羅列すると、ニューメディア?でしょうか?カワラ版屋の意気でしょうか?オールドメディアの中傷でしょうか? それとも、人間形成学でしょうか?まず、真摯で誠実、嘘、捏造の無い、誤報には即と謝罪する。民主主義論と権と言うのは、貴族治政が放棄した事に依って、民衆に権が移った偶然性での誕生だ。構想やシステム論と言う絵が有って、庶民が闘争で勝ち取った。ケースではない。つまり準備の無い民主概念に勝手に落ちて来た感の概念民主主義治政なのだ。だから、民主の概念も無いのに、手の平に落ちて来て使いながらの同時スタート、それが民主でありスタート。当然、民主主義概念も、シップも後付け感の有る形骸感をぬぐえない、現民主主義にはそんな未然が沢山有って、そこに贈収賄文化も生きづかせている。良く言われる事だが、ルールに従った金の追求は、身を、心を滅ぼさないが、ルールに従わない金稼ぎには、もう身も心も滅んでいる拝金だ。いみじくも拝金は差別主義の極みでもある。差別とは、人の地位ではなくて、同種、同族、役割すらない、力の評価さえ無い位置決めだ。カワラ版屋は 庶民が庶民による庶民の必要な報を提供して来たのに対して、今のジャーナリズム、オールドメディア、事ある毎に庶民を先導して庶民を下見して侮っている。特に日本庶民は見下されるほどの「馬鹿、では有りませんよ」日本庶民は、日本が建国以来、教養の種で育てられて来た、日本の朱宝ですよ。農、魚、林の育てた食物を「いただきますと首を垂れる」日本全体の主軸を「見下しはしない」礼節確かな国に「汗水流して、働く者は卑しい」の見下しと態度は「日本以外からの価値観だ。」これを以てじゃ^なリズム、オールドメディアを評すれば、「よその国の意向で業目的を果たしている」としか言いようがない。今のうちに、カワラ版屋に立ち返れ!。もっともっと、豊かを求めて、未来思考から進歩発展を個人と社会に起草するカワラ版屋に立ち返れ!自分達の特徴を解っているのか?「絶対に謝らない、絶対に感謝しない、絶対に助けない」口では「庶民の為、子供の為、貧困の人達の為、と言いながら助けない」口先で、ペン先で言って役割終了。後は、人のせいにする。彼等の口先、ペン先の世の中は、皆、豊かで楽しいか?助け合いを拒否した世の中って、今よりも豊かで楽しいか?いいや、オールドマスメディア、自社の財産を投じて社会貢献??聞いた事も見た事も無い。有るのは市民から募集した金を自分の寄付の様に言う事だけだ。 もう一つ、視点の無い事は自国防衛の意識ゼロの口先、ペン先だ。自国を「大変だ!」と言いつつ、外国圧力には「黙って容認」まるで外国が日本を治して質してくれるかのようにだ。根腐れ極まれり。哲学が幼稚で低くて酷いよね?と言うより哲学がない。日本は哲学国家でもある、哲学国民でもある。我ら庶民がマスコミの行った事を洗い出し、突きつける事だってできる。それをしないのは、マグマ溜めしているに過ぎない。
個々の民主自覚は?気に入った、自由、平等の文言を言うだけで何もない。民主治政が良い?それは代わり映えが無いから支持しているだけでは無いのか? 内容に味も味わいも無い食べ物さえ形骸化で美味しさや栄養摂取にも進歩が無いし、考えられてもいない。解かるでしょうか?一見は、自由と平等で飾られても切り取りの自由と平等。これで行き着くところは?民主以前と然程の違いは無いのです。 あまりに深掘って行くと収拾がつかなくなるので、民主未熟の話は別の機会として、カワラ版に話を戻すとカワラ版から現代では情報操作、未熟な内に情報操作の誘導、メディアはこれを遣って来る。庶民の能力を余りに低く見積もった所業だ。その一端をテーマにしよう!ヒューマンシップ、議論、話合い、皆で決める相談、人が知恵を持てば持つ程、人よりも知恵を持とうすれば、消えて行くのは、「事の正しさや正義だ」 知恵を持つ人間に「正しさ」なんかは無い。知恵を持って人は何をする。自分以外は自分の糧と考えたいのが知恵だ。植物を引き契り、動物を罠に掛けて食らい、人は邪魔と虐げる、これが知恵だ。そんな人間が「正しさを解く?」これも知恵の中の正か?そもそもっと言えばこの地球は、正しさでは生きられ無い。生きるなら自然節理に従うのが方法だ。それでも人は、自然節理を良心と言う恩を返しながらこの地球で生きようとする。その良心とは何者か?、必然悪行を重ねながらも、地球上の皆で未来に向かう、だ。欲得知恵頭脳を、地球の保全未来を向ける事で正しさとなす!だから人は生きねばならない、動物も生かし続けなければならない。植物も色で輝く花で香らなければならない。大地の変化に黄変しないといけない。地球寿命で果てる迄は。そこに辿り着くまでは、人類哲学を自然節理に近づけて行く努力を成す。ここ迄は、子供の理想で、でもこれは真理だろう。ただ人間の哲学も未熟段階だ。哲学が拝金に負けている。知恵は貧困や飢えで反転してしまう、まだまだの時代だ。こんな冷ややか時代に問いを掲げた遺作が有る。誰有ろう?手塚御大の遺作だ。なを「アドルフに告ぐ!」だ。実の処自分は読んでいない。あらすじもほんの少しだ。この頃、自分も「皆、正しいと言いながら悲惨を招聘している馬鹿人類」を思って居たからだ。
令和8 26年10月19日
ヘッドライン61 たかがカワラ版屋だろう?マスメディア4
それ以来「単に正しい」を言う人間は信用しない事にした。「正しいは、あくまで仮に正しいで前へ進み気合」と言うスタンス。それならば、民主は常に是正しながら前に進む議論有り、多数派決の良策作りも洗練されている?そうは思わない。一言で言えば、「議論で人の心は変らない」これには世界中が「錯覚に陥っている」議論の内容と言うのは、「利益の協議であり、利益予定の決定だ」その次の人を何も見て居ない。教義の論破に「やれ弱者の為、公平の為とか、綺麗な事由を言うけれど「取り敢えず決定を下して前へ進める事は由、としても利と言う野望の火を消してはいないものだ。利を追う者は、追う時点で、「取るとられる」の勝負の中に居てゲームの一回戦、二回戦でしかなのだ。が、伴なう結果が現れない内に自分達に引き寄せるだけの目的で主義主張の協議はして居なくて数の劣勢の対策口論に過ぎない訳だ。でも傍観者は、決定され、前へ動き出すと、その政策、その決定文に、統一されて前に進むと錯覚している。私は憂いる、政治行政が進化しないこのシステムを。多かれ少なかれ、決定事項と言うのは、その決定に、幸、不幸が発生しているのに、何時まで経っても、いつもの議論、変わり映えのしない利益支配の思惑しか無い議論ばかりだ。決定事項の検証すらない。これで世の為人の為て言える事が不思議だ。ゲームで有れば「勝った、負けた、今度」も良いけど対象は、国家、国民だ。同じ事ばかり繰り返して国家国民に結果、由を検証しない、議論が良かったか?悪かったか?も無い。この21世紀にも成って決定システムに進化も無ければ、心も無い、「仕方が無いの乾いた寒風」に成れた国民?飼いならされた国民?いくら信じる主義主張が有っても10年、20年、50年、80年も経過すれば、「その反対、その賛成」成果、結果ももう読めてくるだろうに、生かして未来を作る事が無い。大きな国統制で、民主と社会主義では結論が出ている。人類は、民主主義で発展すべき、の事。社会、共産はうまく運営しても40年70年は持たない、持たないとは、大量の人を犠牲にして崩壊する、運命と言って良い。これが解らないと言うなら統計検証して見れば良い、するまでも無いと思うが、何が足りないのか?無欲な国民なら看過してくれそうだが、人よりも金銭幸福を願って、その奪い合い。勝ちとって進化とするのか?不幸な人の少なさで勝敗を決するのか?と成れば、人の人の幸せ論を追求しないといけないし、国民庶民は幸とは?利とは?精神整理して行かないと、何時までも体臭馬鹿扱いで、良いようにあしらわれて終わりだ。金の幸福と突出、本当に頑張った人の利と幸福。ほどほど幸福と不幸のない社会。求めと精神は両輪では無いのか?金と幸せの両輪はもう、論理荒廃しているけど。しつこく、まだ諦めていないのが、人を見下す者達。これも結果が出ている。社会主義国の裕福層を見て汚職の多さを見れば、それは、公平社会とは大違いの差別社会にしか成り果てていない。国民に学問を与えても拝金がまり通るなら、それは社会ではなくて、前時代の、働く人、支配する人、何も変わっていない事の証明でしかない。それが国民に中で起こっても「働き人、支配する人」主従関係、拝金は最終的に着くところは差別階級社会で、なんとまあ、西暦1世紀前後の太古の社会だ。ああ、日本は、そんな過去を持たない日本は太古から良い国だ。こんな国に住んでも、「自分さえ、」と言うシミ汚れて綺麗を忘れる人間も育つから、世の中油断が出来ぬ。価値観の向上も有れば、汚れも、奈落落ちも有ると言う事か?だからこその、自分と言う個を離れた哲学も精神も境地を目指す義務が平和社会には存在する、それをサボり切った、偽物の戦後80年の平穏。先ず壊れたのが、敵味方をハッキリさせた種相、共産の社会、それから自分だけ金満優先を望む報道関連の人材たち、これ時、同時性の世界趨勢的な表れだ。マスコミに携わると、どうにも、自分だけ、自分達だけ、意識が天邪鬼が芽生えて反方向に導くようで、何処の国にも居るジャーナリスト、マスメディア達は、社会主義や共産独裁の匂いを放つ。本来、マスメディアの偏り是正の問題もどうしても車飯主義、共産主義の考え方と指摘を持ち出してしまう。そして金で繋がる匂いもプンプンと。天邪鬼は金が大好きのようで、天邪鬼胎児を考えるなら、まあ、まあ簡単で、大好きな金の出どころ二千止めするだけ。さて、問題は、問題の汚れオールドメディアを如何なる方法で、ニューメディアにして行くか?だ。どう遣ってカワラ版屋に戻すか?考えも悪し、精神的思惑も悪どいし、何せ拝金が強い。これ、全く逆反したニューメディアのモデルを先に造るが一丁目一番地かな?
最後に、日本のオールドメディアの浮世離れ、ならぬ庶民隔離した思い上がりと、何を行っても誤魔化しも言い訳も、無視すらも許されると言う特待意識はもう、人の道迄踏襲していない事を列記しよう! メディア経験で庶民が愚かに見て来て、弾みで態度に出てしまった。このような慣れ過ぎ愚かな所業では無いのであって、最初の新入社員から庶民は「大衆馬鹿と教えられて、その延長上司展開した特権意識そのままなのだ。これで庶民出のカワラ版屋に戻れるか?染まった者は、戻る事は無いだろう。「民主は庶民に滅私奉公、それに沿っていないと思った人は内部告発から抜けきると思う。」
令和8 26年10月19日
ヘッドライン60 たかがカワラ版屋だろう?マスメディア5
一般庶民で有っても「自慢して威張り散らかす人間も居るが、最初の新人からとなると、社員教育が洗脳、と言う事になるが、手の平で転がす「煽て」も使うから本当に悪質だと思う。メディアの面々も、ほんの少し前は学生だっただろうに、そこの普通意識なら、「日本国民は最高位の民度の高さと賢さともう一つ、向上心を持った大和人を知ってる筈。にも拘らず、口先で誤魔化せる、文脈で煙に巻ける。考え行動する事がおかしい?ここからはじき出されるのは、一般庶民とは違う金福が有ると言う事になる。これは単純に一部の人間の「魔が差し」と言う事件?言動?行動?と思って来た事が有る。「N協会のアナウンサーがタクシー運転手を殴った」、とか新聞配達店の主人が、人の落ち度を、新聞に書いて貰う、追求脅しを行うとか?これらの人を貶めの意識は一体どこから来るのでしょうか?日本庶民をどの程度と思っているのだろう?、日本人は一々は反応しないで看過はしてるけど、無礼で理不尽な事、決して忘れる事はしない、特徴持ちだから気を付けた方が良い、今現在がそれを溜めに溜めた時期かもだから、反撃は覚悟した方が良い、決して「人の噂も75日」には成りませんから。彼らの庶民に対する態度、庶民は、小学生、企業は青年、学者やエキスパート煽て豚、老齢者に至っては赤子と思って接してくる。「彼らが映像番組に登場させてくる、コメンテータ、専門家、学者も酷いものばかりで、輪を掛けて考えが無くて、馬鹿にされるには非常な敏感さで怒る。腐ってるとは言え、情報の最先端にいて、歪曲する性格が、情報として成立させない、人を貶める材料としか見ない情報は、トンチンカンで、役立ちを終えた鈍間で遅れた揶揄材料。一言で、教科書がそこに有るのに見ない、寺社もそこに有るの勉強しない人間ばかり。用意されたセリフを言えたら来週また使う、そんな人選にしか見えない。庶民の方が勉強して情報の洗練して持っているから、馬鹿にする趣味を持たないけど、凝りもせず不勉強を電波に乗せるから、今は呆れたの段階か?考えてみればマスメディアの部署と言うのは、勉強の場として適場の筈なんだけど?結局、勉強の調べも嫌いなんでしょうね。学歴にはこだわってるけど。
自分達の存在栄養の知らないで続ける、調べない、勉強しない、確認しない、しかも遅い情報、不要な付加情報、の垂れ流しで掃除も無し、当然、不足を満たそうとしても、人を貶めるのに「嘘が好き」だから、勉強しても教養に成らないのだけど。どんなに勉強したところで、オオカミ少年、放火趣味、に見られるのは変わらないが、でも、目的で言っても、愉快犯と浮名の目的ではない。個の行為を行うマスメディアは一体何をしたいのでしょうか?解からないから中国忖度って言われている。性格も「弱い者には強く!強い者には弱い!」合致は頑なにチンピラ性格を狡心も改心しない、までも一致。絆が強いのか?何だか?本能的な悪者探しをして、反論できない立場の人を追い詰める常習確信犯だ。学びを放棄したマスメディアはその時点で役割を果たせないが、果たせると思っている節もある。と言う事は、信頼する誰かの情報に従い、指示通りの事を成す。なのだが、この時点では、一般庶民の知識、情報からも遅れ取って居ながらも、まだ、自分達が先端を走っている、思ってる様はどう表現したら良いのだろう?広い世の中には、これに当てはまる人、居ないではない。言いたくなしだが、敢えて言うなら覚悟しなさい。その人等は、刑務を務め、終えて出て来て現在と「進歩ずれ」を起こしてる人等とそっくりでも有る。哀れな姿と揶揄も出来るが、信じるものの違いでここ迄の哀れと惨めさ、金福が有るからそこに住むと言う自己責任そのままに、もう救いようが無いのかも知れない。バッサリと葬って、親切、と新人に期待を寄せるしかない。新しい新聞会社、新しい放送局、新しい出版社、これが出始めた時、オールドメディアのお葬式は始まる。お葬式なんて悠長を言えるのは、日本は、洗脳され分子が多く入国する割に実害が少ない。ヨロッパ列国は、悲惨だ。国民自身が深くは考えなくて自分優先の金福だけを要求する。金福を齎してくれる移民の政策で、国政が行き詰って尚も、綺麗ごとを貫く危機意識が無いなら、行き詰まり感さえも感受していない。これもまた恐ろしい事だ。事前を遣れる余裕も無いのに理想を掴もうとする。これももはや盲目治政と盲目メディア、こんな風になる筈じゃあないのだけれど。アメリカを避難対象にするのは良い。だけどアメリカから学べない頭で五金促進なんかするもんじゃアない。アメリカは他からは「差別の国」と非難されて来た、でもね、アメリカは世界で唯一移民を受け入れて、しかも発展した国で存在している。ここに学びは無いのか?学ぶ精神は無いのか?ヨーロッパ庶民は、基本、働くのが地位の低さと考えているようで、これが真の思いと姿勢だとすると、中国の狡さや賄賂、煽て上げ、に引っ掛かって多くを失う、、この事態、すこぶる納得!馬鹿に気付かないのは馬鹿の常套、一生気遣いのも常套、点ける薬は無いにだ。悲惨から改善、しかないかもだ。日本はカワラ版屋待望論でも流布して、一刻も早く革新を期待したいものだ。ここまで来て革新を、方向背も無しに掲げるのも無責任、と思うし、オオカミ少年の、放火魔の改心になるような、示唆を言って置こう。アメリカと日本を訪れて,鄧小平はポツリと言った。「アメリカと仲良くする国はドンドン豊かに成って行く、中国と付き合う国は、ドンドン貧しく成って行く」加えて私が言う「日本と仲良くする国は、笑顔が増えてドンドン未来を期待する。」蛇足ながらもう一つ、「愛国心は、笑顔から生まれ強く育つ。」笑顔を消すオールドメディアはもう有っては成らない。有って良い、お役目として、私見を言うなら、政治ではなく司法を特に質して貰いたく思う。
令和8 26年10月19日
ヘッドライン59 たかがカワラ版屋だろう?マスメディア6
何故なら、政治、行政には選挙が有って、三権の中で、国民には選挙と言う意志を使える手段がある。ただ司法は、弾劾が有っても生活的にも記憶的にも関係性が濃くも無く、半ば放任に成ってる部所である。しかも弁護士会たるや、反日分子が巣を喰ってる脇の甘さがある。本来は?そこの是正だが、何かね~オールドメディアは、ここからミイラ取りがミイラになるが始まったようにも推測できるので、時すでに遅し。の希望かも知れぬ。司法を質すにはスパイ防止法が先か?
言葉を贈ろう、 「驕る平家は久しからず」の鉄則に裁かれているだけ。仏心で心配も一言、「彼等には、平家の落ち武者村が有るだろうか?情報網が発達した現代、それは無いだろうな~!意地悪ばっかり続けても理解もしてくれないだろうから、「何の因果で庶民を下見するのか?自分に問うて、要は、庶民の庶民による庶民の為の、カワラ版屋に戻れ!って事だ。この言い方の方が意地悪かな?意地悪だろうな?「だって、流れ着いた話をするな!自分で取材しろ!もっと勉強しろ!」言っても伝わらないんだから、意地悪を言うしかない。
思うんだけど、真実の神を恐れないオールドメディアの信じている神って何だ?彼らの言葉尻を積んで積んで俯瞰してみると言ってる事の地位が見えてくる。罠でも仕掛けでも引っかけ切ったら、成功。そして妙な一致は、対象である国民、庶民の、その地位だ。「道無能の馬鹿人に朗報を教えてやる」の態度。「どうせすぐに忘れる低能頭だから、大丈夫」が何時も心の裏にある。ただ似ていると看過は出来ないモデルがある。中国共産政府の広報の態度とそっくりで、もっとある。昨今の地上波TV、SNS内のの中国系コマーシャル。商売界隈の話。「人気商品で100万本売れたけど、倒産した」から助けてくれ」???んな?馬鹿な?実に馬鹿以下の話を堂々として来る。世界の詐欺の発生を辿れば、全部が中国発祥、と言う言葉が有るが、世界のオールドメディアも中国資本と詐欺甘言の雰囲気と臭いがプンプン、しかしないんだけど。我ら日本国民は真偽の調査も出来る教養持ちなんだから、馬鹿にしないでくれ!これを同じ日本のオールドメディアに言うアホ事態、一重にメディアの成り下がり、大きな鳴り下がり、「今も気付かないから」超成り下がり。こ~んなに下がって、メディアを追い出されて、国内で再就職って叶うのかなあ?彼等が行って来た事、は現代では、全部記録されている。これを言い出すと拙者も気も尋常を失う。太平洋戦争を参戦に煽りに煽って来たのは誰だ。もうその時代の人間は居ないかも知れない。戦争の臨場で参戦を煽って、敗戦して苦業の果てに、やっと手にした笑顔一杯の平穏時には、無防備な平和を目指せって言う。そんなもの到底、平和の築きには至らない「魂無き者、は笑わない人々の国にするつもりか?」あの戦争で亡くなった方々が、そんな魂の抜けた国の為に命を差し出した、と言うのか? 今の民主で賢くて、豊かな経済で、笑顔にあふれた日本を作ったのは、マスメディアだ!とでも言うのか? まるっきり反対だろう! 事ある毎に、政治、行政の試行錯誤の不一致でさえ、民主と社会主義の論戦にしてしまう。何か?労を成して貢献した事が有るなら言って見るが良い、何も無い淡々と時流と政流が流れて舵を切り続けた、一見ダメ政治と一見ダメ行政と、一見ダメ国民が選択して来た事だ。いみじくも言うなら、マスメディアの反対を選んで現代日本が構築された。ここまで言われても、自分を見つめれない人種がマスメディア。2000年以降はもう、迷惑スピーカー如何に思われている事も知らない厚顔無恥。江戸のカワラ版屋より魂無し、素養無し、責任なし、信用もまた無し。オオカミ少年よりも「カオナシで悪質」皆思っているのに、今日も、誰が書いたか?妄言台詞を言って「仕事をしているつもり」いい加減目覚めなさい。何度でも言う、「たかがカワラ版屋の仕事もまともに出来ない、利益拝尊者が遣ってる事は主役気分の権力に平伏す奴隷でしかない」禅で自分の行いを比喩して見ると良い。善を言いたくなる程に自分の行いが見ない自分の落ちた追い込みを恥じるが良い、まるで人生の終盤を生きる高齢者の様に会う人見る人、自分達を支える人全手全員を下見にしてその自治はどうか?自分を粋がって見せているつもりでも、相手をしてくれない。馬鹿も馬鹿だけど、時代の遺物でしかない人間が、価値をひけらかして嫌われる、後期高齢の浦島太郎、を演じているのが解らないでいる情報乞食の戯言。自慢自負は、時代の落伍者のやる事。だがそれを我慢できるのは、彼等には成し遂げて来た確かな足跡が有る、輝いた足跡を持っている。一方のオールドメディアはどうか?何も持たず、人を見下して、人を浅い、知恵も力も無いように報じる?一体、何様なのでしょう?何を報じたいのでしょう?事に「正視」が出来ず「誠心」も示せないなら、そもそもメディアの資格無し、の、ただの迷惑なんだけど。あっ、一つの方法でバイブル化できる方法有った。「マスコミと金魚の糞の専門家の言う事の反対が、日本の取る正しい道」制作能力不足の放送なら「お笑いコメディ」で笑い飛ばすだけで済むが、その能力不足が中国政府に似て間抜けだから、看過できないでいる。日本国民の身になって見よ!カワラ版屋は同じ夢ん観人で同等目線。マスメディアの目線は、人としても品格の無い中国の低レベル目線、国民が文句を言わず看過しているのは、馬鹿でも脳天気だからでも無い、余りの下衆で言葉を失っているからだ。「大人しくしている者を弱い者」、と思い込むのは、これ「チンピラ目線の大特徴」それくらい全部、解かっていて、且つ、遊んでやってたんだよ。まっ!彼らにとっては、何処まで行っても、何処まで言っても、下級人民の戯言で重箱の角位置だろうけど、得意の世論調査、アンケートの「世論、動向、対応、意識・・アンケート」を国民にさせて、国民の位置を急流に流すのではなくて、一度、自分達の方向性そのものを国民にアンケートして見てはどうか?、きっと出来ないと思うが、勇気でも出来ないし、自身の無さでも出来ないし、怖さに勝てずに出来ないだろう! 勇気行動で、自分達をアンケートに掛けた処で、今の日本国民は、また「嘘と捏造で誤魔化してくる」と思っている。もう、そこまでオールドメディアの信用が失墜していますよ。そうですよね?
選挙で高市総理に対して50%~70%の敬意の支持をした国民に、現マスコミについてアンケート実施すれば、 不正直 不誠実、不礼節 不見識 何を報道しても、いい加減で不届き で、ゴミの行為でしか評価されないでしょう事、想像に難くない。さらに不思議と懸念で言うと、視聴者が離れる今、?この状態で、スポンサーが離れない??株主も離れない??この日本?は今?多数派が正ではなくて、少数派のしかも不誠実が地固めしていると言うのか?これ、すなわち、すでに民主国家では無いよね?・今直ぐ、カワラ版屋に戻れ!
令和8 26年10月17日
ヘッドライン58 芸術家は、真実を祖としない限り、発展が無い。1
芸術で大事は、独創性と創造性、これ無しには価値が低い。これは何も芸術だけではない工業技術でも学問の発展でも一際大事な点である。つまり学問に貫く人、工業技術で開発を貫く人、絵でも、音楽でも芸術を貫く人、これを信じて止まず、信仰して来たし、故に真実を大事に嘘は付かない様にして来た。これは民主社会の下地であるとも信仰して来た。これを言うと新詐欺の開発、新噓の捏造も同区創生も創造性が有る、と言われてしまった。ん~確かに。確かにそうだよね~。でもです。詐欺、泥棒の発起の心は、正直に、真実に生きる者を、如何に騙すか?の発想だから、詐欺、泥棒も大事にするのは?基軸に多く居て欲しいのは正直者と、真実信仰者になる。科学で有名な「天動説、地動説」が有りましたが、これは、実は天動説が間違いだ、と言う事、殆どの人々は解かって居ながら否定しなかった、と思っている。相手が宗教で教義だったから、でもそのせいで、宇宙科学が全くの進化も発展もしない。低迷期が続く事に我慢が出来なかった人が立ち上がったと言う事です。では先ほどの詐欺泥棒が低迷したら、どう言う世界か?全員が、詐欺と泥棒を遣る世界。具体的には?騙して正直者を生産する教育、指導の世界。正直者は、搾取される事を知って居るから、過分に働かず、財産も造らない。つまり志向が住む者同士の「化かし合い」で人や社会の進化や向上、発展は全く無い世界。ただ生きれば良い、の生活感が人にとって幸福か?生きる限り、生きた証で何かを達成を果たし、充足の達成感と達成した子孫を残して幸福とするか?人の有り方を、この夢と達成と充足、とすると、詐欺と嘘と泥棒の世界に、この「夢と達成と充足」は有り得ないから、当然、学者にしろ研究者にしろ、開発家、美術家、芸術家、創造家は、詐欺、嘘、捏造、泥棒の世界は選ばないと思うんだが、現代において、嘘つき国家に着いて行こうとする学者、、、らも多いんですよね。おそらくは、此処まで、と言うか結果や未来を考えないで加わっていると思うのだけれど、自分の見解では、このような思考者は、学者でも無ければ、創造者でも無いのだから、即刻に学者や教授の肩書を外すべきと思う。人にとっても「真実」と言うのは、最初で最後のルールと思っている。「嘘から真」の言葉も有るから、嘘も創造の一部の面は否定できずも、その面を弁えても更に嘘、詐欺、捏造、泥棒の世界に傾倒する人間には、単純かつ悔しい怨念で生きる特徴がある。要はこの民主、自由経済社会で、悔しくも劣等を抱かされた体験が怨念化している心だ。同じ真実を起点としても、互いの結果たるは、非常な時に向かう「真実から正直に生き、誠実に活き、思考が解明に向かう時、それは未来を拓く」「真実を嘲り、正直を嘲り、嘘を言い、捏造して、詐欺を行い、泥棒で奪い取る時、それは原始的で未熟な人を圧殺する原始社会に向かう」この事は世界中のどの国にも、真実に生き、嘘の無い社会を目指す教訓として残している。もう一つは、民主は、皆が豊かになる事を目指す、に対して、嘘社会は、我欲で争い、我欲で人を踏み台にする、騙す人間の為に騙される人間を作って置く、社会、つまりは、原始社会の奴隷社会だ。このような社会になる道筋と袂の分かち方など、ほんの少しの想像力で、誰もが描ける盛夏の筈。そのような難しくも無い創像が出来ないで、学術では「教授身分で、嘘、詐欺、捏造、泥棒社会を支持する現代事情?美術家、芸術家、まとめて創造者、は何の為の学問か?何の為の美術、芸術か?誰の為の創造活動か?人類の未来の為の活動では無いのか」行先が、みすぼらしい自分の損得、我欲の為とならば、学問も創造も剥奪しないと社会の害獣生物に他ならない。これを「寄生虫種族」と自らは言う。21世紀に成って、何故もこのような思考者が出でるか?ですが、荒唐無稽と思われるでしょうが、過去の「歴史体験DNAを持つ人が、予備軍に成っている。です。日本にはDNAは無いのですが、チャイナ、アングロサクソン人種は、ほぼ奴隷及び農奴を体験して来ている。だから、あらゆる場面、DNAが目覚めて嘘を言い逃げる内に詐欺を覚え捏造を覚え泥棒行為をする。人類にとって21世紀に時が進んでも、消せないDNAだと思う。民主で成功すれば、消えてくれるも、敗北の憂き目にあう時、出て来る、嘘、捏造、詐欺、泥棒のDNA.そろそろ卒業しないと。何の為の創造と進歩か?学問、美術、芸術、創造者は、未来の先駆者の位置付けも危い今日この頃。
日本で庶民文化が生まれ栄華を放った江戸時代が有った。それは庶民の自由奔放な生活が有ったからか?いいえ、平等公平かつ統制されたルールが有ったからです。単純な享楽からは身勝手しか生まれないもの。その江戸に突然現れた創造の素か?って言えばそうでも無くて、古来から日本庶民は圧制された事も無ければ、虐げられた事も無い、ただただ自然災害に備えてばかりで、貧しかっただけ。争いの多い時代は創造に余裕はないだろうが、江戸の安定期には楽しいと言う創造発揮が出来た。鎖国と言う情報の偏りの中、進んだものが有って遅れた物も有って、でも創造堕落はしなかった。これが真であり、実情だろう。見逃せない事は、創造発揮の時代と言うもの、心の在り処も良くて精神的な向上、発展もグンと上がる事、精神が社会形成に支えとなる。江戸と言う庶民文化は、ここ迄を昇華させた。当時を生きた庶民の人々に「これが正しい、これが真実」の意識はあったのか?これは無かったと思う。創造の産物が一挙に出る結果が「正しいと真実を基調とした社会だった」と言う、結果証明なのだ。
令和8 26年10月17日
ヘッドライン57 芸術家は、真実を祖としない限り、発展が無い。2
スポーツ選手も成長過程では、自分の現状と対峙して進歩、発展を目論む創造の人種で、成功者は他を指導する地下を持つ、絵を描いても、音楽を奏でても、歌うたっても、切り詰めて会社の開発部に居ても、もっと切り詰めて会社員で自分らしく行動する者は皆創造者?日本に有る「八百万の神」の宗教に似て、どんな職業に関わっても自分の個性を出そうとすると「八百万の創造」に繋がって行き、自分の心に立ち返れる創造者に育っていく事になる。それはやがて私利私欲から乖離して国全体が創造聖人だらけの社会にして行く結果を生む。日本のこの考えが無くても、どの国にだって想像聖人は生まれる筈が、そこには至らない。何故だろう?一言で言えば、他人とだけ競争するからで有り、金と言う方満を手にして力が増強すると考えるから世が汚れ切る。確かに金は力が有って幸福の一つかも知れないが、金への欲求は、掴む競争から馬出る知恵にこそ本当の価値でこの輪廻を修礼未来を築くエネルギー、とは考えないらしい。そこが残念ではある。本当なら、民主主義、自由経済が教える教材部分ではなくて、社会主義国が「道徳的に教え教育する処だけど、、社会主義はチンピラに乗っ取られて、その荷いを果たせない。民主、自由経済にこの考えが残って支え、社会主義は、今や拝金主義者の坩堝化している。釈迦主義国にはボランティアが無いし忌避寄贈も無い、心の狭い金属の硬い心ばかりだ。創造は心の浄化の様に話しては来たが、創造が齎し原起を言うだけで、正否を言えば正しくも有るのだが、人間の社会はそう単純ではない。創造と言う人間修行の果てに成功を果たして後、手にした栄誉と金によって急転直下考えが変わる人間も居るし、創造で突き進んで独自性を求めて変わり果てる人間も居る、創造に突き進んで終わらない競争に疲れ果てる人間も居るだろう。だからこそ、創造と言う社会を知り尽くさないと民主の社会、自由経済の社会でどう生きて行くか?生き場探しの学習もしないといけない。我らからすれば、無教養で居る事が金を求める合理に走るか?と思いきや、そうでもないらしい。現代は競争の社会を支える土台の層にまで想像から離れた「金、金」の欲求が凄まじく、教育者や、創造を評価する層にまで汚れた人が現れる始末、この意味で創造にはそれなりの具体的な利益も無いと買収崩しに有ってルールも形骸化してしまうようだ。創造は宗教の様に精神だけでの取り込みは出来ない。先ず以って正当な評価のインフラやら、人で固めないと汚職腐敗してしまう。原則的に「自分を過信、誇張するとそれは嘘と泥棒と一緒。自分に真実を見れないと、創造には関われない」と言う代物だから「崩れない誠実社会を構築されないと創造は時代に翻弄される浮き沈みに有って価値を広げられない。嘘の世界と言うものは、嘘でも信じ込むと真実に変わる魔法も作用するから、そんな中で創造らしきは出来るのだが、誇るに誇れない独り善がりのもの、自分達が陶酔する為のもの。創造能力と言うものは決して個人のレベルに納まるものではなくて、社会の為に、人間と社会の未来の為のエネルギーを持つものでなければならない。この観点に立った時、嘘から育った創造と言うものは、例え内容が十分でも評価はギャグでしかない。そしてその創造は、何年も、何百年も過ぎても嘘から逃げられなくて忘却の藻屑となる。この創造の正品を保つのに必要な事とは?評価してきた人物も、団体も品性、評価を保てるか?今、世界のコンテスト会で言われてる問題、評価員が、買収の魂売りに会って、評価不正で捏造されている問題。民主社会でも、こうした問題が起こるようになっての対策とは?一般市民の創造慧眼を育て上げる事、しか無い。しか無い。と言う事だと絶望に聞こえるかも知れないが、創造にしろ生活、治政にしろ、民主だから、最終的には、日本の様に民衆のレベルを常に高く高く教育して行く事が想像に限らず事を正しく運営して行くメソッド。これを忘れてはならない。こうした創造を起点に正しく、を考えた時に、簡単ではない、絡みの難しさで途方に暮れる、けれども、この時代にこの問題が目ざとくも現れている事の意味は、「この時代に解決しなさいと言う」啓示と察する。結局は人の善悪、社会の善悪、未来への善悪、消化解決する時代と言う事、時として今、SNS時代だから合致した構築機会かもしれない。決め付け処理は避けて、成否は時間をかけて、改めるの憚らず、の姿勢。自分の心の現状や正しさに戻れない、人間は金を頼りにする、故に、創造者は自分の信念や社会の信念に立ち返れて、立身して同じ同等者か?と思えば、こうした旅も健全、点検の機会になる。
じゃあ、ここ日本の様に、国の隅々まで、創作意識を持った人々、その意識で運営される国家活動で、真実誠実の真摯な発展が当然として可能なのか?と言われれば、そうとも言えない程、複雑性を持つ。それは、競争から生まれる上下の意識や感情の優劣が、もっともなマジョ、マイノリの分子群を作り反目し合う様に義務付けられていて、反分子は何時もこの世が生み、育てて来た運命と実情を持つ。だから、人、皆、創造心やら芸術心を持って、理想社会へあゆむか?それが、そうでもなさそうなのだ。
令和8 26年10月17日
ヘッドライン56 芸術家は、真実を祖としない限り、発展が無い。3
ここで、難しさを表しとして、手塚治虫氏と宮崎駿氏の二人の巨匠に登場願うと。微妙にも違って、同じくそれ程の大儲けもしていない共有が有る、けど今、日本アニメは最高潮と言う現実。その日本のアニメが決して放棄していない哲学が有る、それは日本そのものとも言える文化哲学でも有るのだが、尊敬感謝の事、特には、手塚系作品には、これらを守る為に強くなって侵すものには勝って居場所と為す。が、貫かれる。宮崎系では、間違いと戦う事で、天が形而の解決や悟りをくれる。ともあれ、最終的な創造が生まれ続ける社会とは?どう言う社会か?先ずは、民衆が高レベルな知識人である事。学力と言わず、知識人と言った理由は、応用力を言いたいからで、学力では、学問追求と学歴欲求と二分の現実が有るからです。個人と社会を弁えた上で、行動が「尊敬する人が居て、尊敬出来る人が活躍、尊敬される生き方を探って、尊敬される心を持ち、尊敬を後継に残し、尊敬を広める創作を作り、創作が伝わる為の創出をする。その尊敬の環境に感謝する。これだけ並べて頭に浮かぶ国、古来からの日本だ。現代で言うと、尊敬も感謝もしない反日人間を排斥して来た日本人達が、創造者で、それを支えて来た客観かつ創造者。この人材が居るのが日本と言う国。
アニメついでに言うと、日本には多くの偉人アニメターが居るが、二人の巨匠、手塚治虫氏と宮崎駿氏の似て非を表すと、前提として漫画ではなくて「アニメ」その創造についてだ。アニメ先駆として自負を強く持つのは、宮崎氏だと思う、だが余りの精度を求め過ぎて、手塚氏に先行を許してしまって、特に宮崎氏にとって手塚氏のアニメは自分のアニメよりも劣るものなのに先攻と脚光を浴びた事に遺恨を残して見て居た。創作と言えども、黎明期の先が見えない時代には、「勝った、負けた」の感情的なもので装ってしまうものか?この感情が今でも手塚アニメ、宮崎アニメと名付けられる様に袂を分けたままだ。共に人間をテーマにした創造に関わっても、人間同士として近づける事はしなかったようだ。こう言う事実が有っても、アニメ自身は、日本アニメの広い種々として認められて収まってはいるけれども、これを知ると創作界も追及で平和、とはなかなかいかない様子も見える。確かに日本アニメーションの先駆としては宮崎師匠だろうけど、漫画家から漫画をアニメ―ションとしてテレビ画面のお茶の間創入したのは手塚師匠だ。週一放送の為に、映像の質を落としてでも、とにかく、乗せる、間に合わせるの格闘をし、自身の経済とも格闘して、然程も儲からない開発黎明期漫画界の隅々までアニメーション時代を誘導した。漫画、テレビ、映画と普及を広げて、時代にアニメ認知させて、世界にもアニメ日本の礎と成った。そしてその報酬もごく少なかった筈。漫画の商業ベースを切り開いた手塚師匠に対して、こちら宮崎師匠は、主な活躍の場は映画アニメーションで、その意味では秀逸先駆と立派に言える、けれども、質を落としてでもTV放送にした事に宮崎師匠は反目が有るようで、その後、同志として交わる事が無かった、と言われる。ただ両師匠はアニメ日本の両輪で有った事、間違いなく、世界が認める巨匠二人では有る。作品の内容的のも相応の違いも特徴的だ。その前に手塚師匠は、とにかく漫画とアニメの将来未来の為に数えきれない同輩と後進を多く育てながらの功績が有って、漫画アニメを骨太文化にした。これを言えば大師匠は手塚思想には成るのだが、宮崎作品はノスタルジック、ミラクルでファンタジーの異世界感、ポエムチック、少年小僧が持つ、テーマとして強い未来は較べれば見えない。手塚作品は、形態様々でもストーリーも様々でも、「自分で戦い切り開いて行く未来」があって、後進にもそれは受け継がれているかのよう。「全部」ではなくて、これは傾向だ。海外で強い人気も宮崎作品は、幸せを壊す事件が有って、幸せを求めて戦いが有って、最後は天の形而が降りて来て、平穏を取り戻す。この啓示が折りてくる観善戒め的のところが、宮崎作品が西洋各国の宗教下の子供たちに受ける理由と思っている。こんな当てに成らない。民主主義と創作の関係は切磋琢磨でそれ自体が高度に進化して作品や実績、成果と言ったものが自動的に洗練されて行く、がしかしその一方では、この競争の中で評価を得た者、得られなかった者、がハッキリ区分けされる現実があって、当然にこれが民主の階級制区別を型取りする。平和だ、公正、平等だ、と言いながら民主の暮らしの中では、着々と勝者、敗者が寄り分けられる社会でもある。またこの二人でも解るように、目標値と完結で、分断、区分けさえ行われるのも民主で、名目とは別で、人の上下や、力の差異、考え方で区別区分も行われる。こう指摘網羅して見ると、民主主義には人をいろんな区別差別する日常も有るのが解る。これって、現代存在する、共産主義、独裁の要件を民主の社会が作っている感じがしてならない。つまり、民主主義の逃げ場が社会主義国家で有って、一方の共産独裁社会では、人々がもう、差別区別を諦めて受け入れ、文句、一つ言わない人間が構成する社会。従って共産、独裁社会には、差別区別の声が皆無。差別を認めて言わない皮肉な国家だ。民主を悲観して行ってるのではない。共産独裁に溶け込まれる要素を作っている裏側が民主にはある、事、民主はもっともっと、負け組を民主の戦士として扱う制度を作り、充実させないといけない、と言う事だ。
令和8 26年10月17日
ヘッドライン55 芸術家は、真実を祖としない限り、発展が無い。4
この手塚、宮崎の両師匠を個々に持ち出したのは、真実、正直、誠実の創に歩んでも、同列、同志の人物に成らないと言う事、、現代の風潮は色々な考え自由、色々な言い方自由、、自由、自由、を我儘的に利用するが、このような民主に差別区別の実態が有っても、フォローケアの要素を社会に造らないとそのまま共産独裁社会に利用されてしまう。彼らは、「働かずに、人の物金を奪うスペシャリスト教育をする社会の人間だから、。最低でも民主に必要なのは、敗者復活の機会の設置で有ろう。このお二人、創作活動で、同輩やら後進やら仲間と観客視聴者を増やしてきた手塚師匠と創作から作品を観覧視聴を以て自分の仲間をつくって行こうと言うスタイルに分かれる。創作と言うものにエネルギーを継続的に持たせてくれるのは、手塚師匠スタイルで、作品傾向も作者主張傾向も自由と言う言葉に託されている。考えやら自分の主張が作品に込められている事をからすれば、小説文学的と言えるのが、宮崎師匠スタイル。単純に並べるだけでは可も否も非も無い事だが、創作の意義を更なる展開しようとするか?利用しようとするか?利用活用から考えてしまうと、人々への人気と普及が、洗脳に摺り替えられてしまう事、対象が子供主役、アニメと言う事に、宮崎作品スタイルに少々の懸念を抱く。何か足りない?創作と言うのは、第一に心が原動力、第二が未来に続く思い、第三が未来へ主役の勇気。こんな意義を上げれば、未来に対しての読者に主人公感を与えない。現状問題と戻そう観と棚ボタ感。これも一つの創作観念で良いとは思うが足りない、日本人には足りない。何故なら、日本人の庶民は何時でも行動できる主人公だったから、これからも主人公なのだから。それは良いとして、創作を語る時、日本人の先人や文化が教えて来た事は、神羅万象への経緯。話は少々ズレるけれども、この意味で日本国と言う国は、生来の創作国で、そこで住む民は全員が創作人で、その敬意こそが創作を導いてきた。だからたくさんの文化を残して来た日本なのだ。創作DNAを持つ日本国と日本人でさえ、民主と言うグローバルな社会化で価値が、競争を舞台に、勝つと負ける、損と得、努力が怠惰、稼ぐが搾取、裕を求め貧を嫌う、日本のかつて、創作で裕の豊かな心を勝ち取って来た社会に同じようでも、質の違う裕が現れて揺らぐ現代。だが創作の生み種は変わらずとも多様に変わって、今、多様が揺らいで新しい創作芯を求めているように思える。これもこの先の時代に必然で社会の変化で成されるだろう。この日本が輩出した二人巨匠が意味するものは、逆の遡及で言い切れる事は、日本の創作環境は、実に自由度が高いと言う事。これほどの自由度を持つ国は存在しているか?確かに国のルールでは自由は保障していても、民族意識の中に本当に自由を考えれる、民族は、日本民族しかない、でしょう。と言う話。それは、日本の真実感覚が光を放って放射拡散する様に輝く。つまり他の国の真実は、一つでアプローチも解明も一つ、とガチガチ固定するのに対して、日本は、八百万の神が如し、に真実は一つとしてもアプローチを一つとしない、解釈をも一つとしない、
この自由度を持てるのは、日本独自なのである。日本人が日本人としてまとまっている現在は良くても、将来的には、日本人の敵は日本人なんて時代が来るのかも知れない。ともあれ、日本人の真実感覚は特殊で且つ、真実の宇宙を見せてくれるもの。かつてなら、他国と交わる事は、啓蒙の刺激で、増々の発展では有ったが、近年の民主の真髄が解った今は、真実も金に毒されて置き換えをさせられている様だ。先ずは発想の狭小化しない様に銭金に流されない事を肝に銘じ、他を敬い居てこれまで同様に真実と向き合う事が大事。故に、日本の中で創作に携わる者は、この自由度を自覚しなければならなしし、ここの流れを持たず、ただの異質の表現をする創作は、日本では異他の創作と受け取り、断固、創作とは認めたくないものである。それと創作と言うのは、自由と平等と言う社会から生まれない、と意味が無いと信じるものである。何故ならば、その視線、その世界から生まれないと、世のより良い自由、より良い平等に貢献しないからだ。第一には、非自由、不平等の社会が創作を、芸術を評価も価値も造れる訳が無い、からだ。どうしてか?って言えば、不自由、不平等社会で、人々が切望するのは、直接的な「金による裕福」だからだ。創作と言うのはそこから離れた、心と精神を豊かにするものとしての価値。そもそもに於いて「物差しも測ろうとする対象が違う」言わば、不自由、不平等は、口に入るものを求め、自由、平等は頭に入って豊の確認を求めるものなのだ。そして現代世情での争いは、「不自由、不平等から起こっている」この二人の巨匠の作品をを思う時、現世界の状況と合観すると、同じ創作でも 原点からそれぞれの歴史を踏み固めて到達した多様の匂いがするのである。同じ民主の社会に乗っかっても、歴史が様々と言う事、ルーツの違いはあると言う事。一つは、社会を築き続け、一つは、善き行動で、社会は保ち続けられる。微妙で大きな能動と多動の違いだが、これが民主の社会に、同じ顔をして存在していて、違和も間違いでも無く共存している。ですが、貢献とか、怠慢とか、狡さとか、義務とかが、鋭く浮き出てくる世の中になるとと、微妙な対立で共に、創作の意義を成し遂げる、と言えなくなってくる。創作の中で対立さえ生まれて来る。創作には激しい競争が無いから、争い事に成らずに隠れ通して来たのかも知れない。実際、この巨匠お二人は、争った事実などの事は聞こえていないが、フッと気付いてしまった。のと同時に、創作は自由、平等、発展のシンブル行動と言い切れない、不穏な疑問を持ってしまった。それは、現在の同じ民主でも欧州民主と米国民主の違いと微妙な対立と対峙だ。大問題か?って言われれば小さな修正事で収まるものかも知れぬが、創作を発展のシンボルと信じて来た自分には、今、傷を生じている。逆に「創作心が自由、平等、発展社会に導いてくれる」と、まだ信じたいから、付いた傷だ。
令和8 26年10月17日
ヘッドライン54 芸術家は、真実を祖としない限り、発展が無い。5
こうした面とは別に、全く違う次元の世界の大局観で「手塚VS宮崎」見ると、??何となく今のアメリカVSヨーロッパのすれ違い、反目が浮かんで来るんですよね。民主主義発祥のフランス国等の欧州各国と、民主主義を揺るぎない強化に尽力して来たアメリカ。元々の、元話をすれば、アメリカ大陸へ渡った人達と言うのは、ヨーロッパの旧体制に憤りを感じた、主には中級階級層の人が、旧体制から飛び出すチャレンジャーで、新民主主義のパイオニアに成ろうとした人々で国のテーゼも「自由とパイオニア精神」で今も変わらない。ヨーロッパ文化の何に対して反動行動したのか?それは、凝り固まった事なかれ主義と、産業革命の革新時代に、梃子でも変ろうとしない宗教の腐った教会権威主義の生活、言わばこれの反動分子がアメリカ国民で有った筈。移民国家であるこの国は、そんなテーゼを揺るがせながらも特に、自由とパイオニア精神は、今も尚、なのだ。片や欧州各国は?と言えば、下位層が市民革命を起こして勝ち取った民主主義の中に居る市民構成の国々だ、一応は市民が行政権を持つ国で国王、貴族は一線から退いた民政の中で生活しているが、参考意識は、自分達が妥当して来た、貴族社会に異様なほどの憧れ目標を生活に持つ。要は、ヨーロッパの一般市民は、貴族に憧れて、貴族に成りたいと思っている人達の社会。さあ、これで両者の反目の点?姿勢?が何となく見えてくる。アメリカがヨーロッパに対して袂を分けた因が、今また浮き彫りになって来て、袂を分けた後の歴史で埋め合わせが出来なった格好だ。元祖アンロラサクソンと新アングロサクソン、これ?簡単には埋めらない事かも? 先祖が有って生活が受け継がれ、考え方も受け継がれ、主役、対抗主役、脇役ら、その他の役柄、宗教も共通、文化も共通が多いのに、利益損得が埋まらない。埋まらないのは解かるとしても、理解して互いに近付く事さえできないのは何だろう?結局、土地に根を張る木の様にその土地その土地で生きる植物の様に種は一緒でも、育つ土地柄は、人にも及ぶと言う事かも知れない。考え方、価値観は土地と言う栄養で育つ、抽象的でも確かに有るようなのだ。現に現代の移民の問題もよその土地で育った者が、直ぐにその土地に馴染んで育つか?生活は馴染んでも考えや民族性、本能判断は、1世紀や2世紀でも難しい事なのだと推察する。このヨーロッパ国家とアメリカ国家でさえ話して解からない、溝が生じているのに、ここに移民民族が有って国家DNAも消えない者が同居できる、と思う方が甘いと言わざるを得ない。アメリカの黒人差別は有名無実か?
事実か?事実か?その前に、金銭と言う価値観一つでしか共存しようとしていない、お互いに。だから移民政策はそもそもがご都合主義であり、そもそもにおいて和合の生活が前提ではない訳だから、問題が起こって当たり前。スタンス的には300年400年は有に係るし、そもそもに於いて心同志の共存をしようとして居ないから時間で解決しようとしている事に可笑しさ?がある。土地で培われる心の文化、習癖、これを無視した同居は民族の対立しか生まない、それを見せている気がしてならない、ヨーロッパとアメリカの意欲の関係性。同じ民主主義を信念にして置きながら何故も、こんな形態の違いを生むのか?これを語る時、原点で話すのか?時流の変遷も必要なのか?社会と言うもの変化を願っても、変化を放置しても、関係無く変って行く、それぞれが原点回帰によって変わって、時代の新規性で変わって、交互する。だから、決め付けは出来ない、傾向推論でしかない。この日本でも全く同じで、古来日本が素晴らしいと言っても現代日本では芯の芯にしか古来が残っていないとか。故に時折、日本を物差しにして話して行く。先ず、アメリカ国だが、現行不満で移民として、またチャレンジとして、パイオニア精神で自由と平等の新社会を構築するために新大陸に上陸を果たした。自分達が移民と言う事も有って自分達が構築した新社会に、移民を積極的に受け入れた、その結果は?その信念を達成した片手には銃を持つ暴力支配の面も共有する。その事よりも、移民を受け入れていた事に依り、人の格差がどうしようもなく開いて差別意志を生んで、移民前の自国の姿に少しづつ回帰している状況だ。けど、アメリカは中級滝社会は、未だ不変で、今後は、貴族社会に戻らない様に現状把握と自覚が必要だ。ある意味アメリカは、白人優秀性を近代に実現したシンボル国でもある。国としての意識を同じ方向に向けることの難しさ、歴史文化を持たない新興国がよくぞ、出来たものと感心する。この先、民主じゃあないような指摘をすると、土地と共に育った国民と移民の価値観は、相当の格差が有って同じ国民として聞き入れると、壊れてバラバラになってしまう。一度は製造業を捨てたアメリカは、戻すのに国民一人一人の意識も変えて行かないと戻せないが、果たして出来るか?否か?が今後の発展だ。
令和8 26年10月17日
ヘッドライン53 芸術家は、真実を祖としない限り、発展が無い。6
真摯に見ないと、溝ができて、仲間内で損得格差が生じる民主主義国の基礎、事件を起こして礎にしたフランスはじめとした西洋先進国ら。だが、間もなくして、その余勢を利用するかのように、階級闘争から共産主義を生んでしまったのも、今の西洋先進国だ。こう言っては何だが、絶対王政の民主崩壊から、その後の社会主義共産主義の台頭で見える事、王政も階級もそれらの層の人達の役割を果たす人が皆無。皆逃げて留守政府にして、何やら命が脅かされない状況になると、自分が正論、自分が正義と名乗り出て来る。綺麗ごとでシャシャリ出てくる軽薄な国家観は、革命で主役に躍り出た市民の模範にすらならない自覚の無い、成長の無い市民そのままの民主権国家にして来たようにしか、我ら日本人には映らない。その中でも王家を残した国、王家を残せなかった国、何処かアイデンティティが有無が市民レベルを作っている。国力ではなくて、人間力としての事だが、決められない右往左往は、一気に左翼に降れを大きくするように思えてならない。一見して自由国家で自由市民なのだが、幼い自分勝手市民に見えてしまう。ほんの小さな利の為にムキになって、必要な全体俯瞰視が無い。困るとご都合主義で逃げる。このスタイルは、ある意味「社会、共産主義、独裁の逃げにそっくりで生き写しの無節操。ヨーロッパでは、これほどの学問が進み、哲学者が生まれて来たのに、その考え果は何処へ行った?その考え方を世代継続しているのか?見て居て本当に残念に思う処がある。この民主主義を生み、同時に共産(独裁主義)を生んだヨーロッパって、本当の処、一体何なのでしょう?。この差がアメリカとの差であると思ってるし、信じ切れない性格部分と思う。いや~言葉にしてしまうと、考え方のレベル程度、まで発展してしまいそうで、絞って行きたいと思います。アメリは国民は、国是から、大富裕になるアメリカンドリームが希望として輝かせている。従ってドリームに向かってアメリカ国民は「働きます、勉強もします、研究もします」対する西洋の各国の国民は何を考えて居るか?先ほどの「働きます、勉強もします、研究もします」のアメリカ国民の意識は感じ取れないんですよね?市民が民主を革命で手にした事で、これまでの上層市民は物を言わなくなってしまった。アイデンティティの行き場として主人公の才覚も品格も無いのに、主人公に成ってしまって浮遊して縋ったのが、国の伝統貴族社会、の貴族層の人々の世界と暮らしを願って今も続けている様だ。何時しか、貴族社会と貴族身分に赤枯れ生活の理想を抱くようになって、それは良いとしても、結構な我儘権利主張を通すから、「働きます、勉強もします、研究もします」を抱く事は無く、「何もしないで暮らせる生活」を念じて他はアウト オブ 眼中を持つ市民に成ってしまっている、しかも目標は貴族だから、自分の考えを顧みる事もしない、出来ない実に「働かない、我儘、愛国も無く、自分達の事も比較認知もしない。」個人が楽ちんを求める時、何処に向かうか?揺れない固定の世界、つまり頭の固定感で一杯にして外の影響で揺れない場作りに位置させ、変化も受け入れない、けど富裕の変化だけは望んでいる。この事は若き時代の青年の進歩性を削り取って、言わば、我儘な名家のお坊ちゃま、嬢様の自己スキルを知らない世間知らずな、民衆に変貌させてきた。アメリカは夢の実現のためのスキル磨き、日本は職人伝統の温故知新で発展、ヨロッパ各国では下々が国を発展させる、考えだが、その「下々は実は居ない」から実質的には面倒な事は先送る手法の民衆で、いよいよの時は、民衆が圧を掛けて解決する。特権を嫌って改革して、実は特権が好きだった。ミイラ取りがミイラになる。感情優先で思慮が足りない。日本がヨーロッパ国を見て、「綺麗ごとが言える国状なんだ」って考えるだけだけど、「アメリカはそうではない、人を国をいつも(下々の召使い)に扱う」付き合ったら損享受させられる反目がいつも胸に有る国、民衆との感情を持つ。民主民主を叫ぶ仲間同士で在りながら、益と損、受け持ちが不当を思う時、溝が生まれるのである。けど溝が開かないのは、「話せばわかる、の寛容」を持つからだが、そうかなあ?結局、解かると言うのは、境遇の共有だから、ヨロッパ国は、少し貧乏と言う窮地に行って学びから立ち直る必要が有るかも知れない。全体に所得アップさせて競争力を無くして、移民政策も破綻、経済学も有るのに機能していない、見えてくるのは行き詰まりしか無いのだが、、?本当の
自分の地位を把握して「働かないと」家から崩壊して行く。事例か?「森を見て木を見ない。木を見て、森を見ない」これは人間者位の永遠のテーマ程の難問だ。第一にこの「森見と木見」を提示されて何の事か?解からない人は、もう社会人ではないと名詞を上げる。これは「大自然でさえ全体の森、一本の木、考えて存在していると言う比喩だ。」木が我儘に生存す森が消える、混在した森でなければ、地盤も培養の無くしてしまう」人の社会と言うものの、実は自ずからのルールが存在している。言葉で言えば共存共栄だが、共存共栄の意志のある木が森を作っている訳だ。従って社会には個の我儘は許されない、個の偏プライドは社会を壊す。20世紀の、民主の森は、森を大事する恣意が有るか?個の伸びる栄養と地盤で考え生きる間が有るか?。これが人間や大自然のテーマで有ろうけれど、民主が現れて、個が前に出て、我儘に成り、競争で食えないプライドで他を傷付けて、ややもすれば殺伐化を進んでいる。漠然とした正義を振りかざして我儘と自尊と優位を得る事だけで社会意味の無い姑息論争をしてる。知識も経験も培った文化も、戦争やら平和やらの具体の顔をした抽象論で不安を煽る。この為に、日本のおもてなし文化が有るのに生かせない。
令和8 26年10月17日
ヘッドライン52 芸術家は、真実を祖としない限り、発展が無い。7
「おもてなしは日本国民の「個と全体のバランス取り手法」と言う事を言う人も居ない。だから、絡めて「具体的と抽象的」へ、具体と言うものは、極めて個であり、中傷と言うものは極めて総と言う全体だ。社会の上から下まで、ここに翻弄されて来てようやくの21世紀社会まで到達した。更に進化しようとしても何時もこの「個と全の対応で行き場不安定」に追い込まれて来た。そしていまだに戦争と平和で環境を揺さぶられる、何なんだ?これは?善人が平和願望持ちは偏見だ。悪人が戦争するも偏見だ。歴史を見れば、「我欲が平和を壊して善人が戦争させらる羽目」ハッキリしている結論が出ているのにだ。そもそも、具体も抽象も消化されていない、この状態では論議も論争も形骸化で意味の薄い結末で、元にこの結末体験も生きた試しがない。簡単なんだよ「戦争を仕掛ける奴を挫く」ちょっと横道にそれてしまったが、ヨーロッパと言えどもアメリカと言えども、日本と言えども、社会論議も曖昧、社会倫理も曖昧、そもそも個人の哲学も濃さが有り過ぎで基準無しの程度。この状態で「平和だの、悲惨だの、愛の力などと言う」この状態のまま「嫌だ嫌いだ」の感情で裁けば、それは個々の上が儘を通しただけ、それを面倒思って先送りすれば、代価は、悲惨の争いを連れて来て、それのマグマが、今世界中に散らばっている。「事は、気付いた時が行動の時」は鉄則なのにだ。創造と言うもの新しいものを想像して創造する、ここに先送りなどがあったら創造ではない、その時に正否が解らなくても、造りを優先にして形にする。それを土台に進化と言う完成度を上げて共に時代も進歩して行くのだ。思うんですよね。民主主義が出来て、社会主義が出来て、共産独裁が出来たとしても、科学発展はしたけど、構造と充実、何より心豊かに進化したか?、全くでしょう?大事な事を、置き去りにして放置して来たんです。それでも歴史と古いものを残してる国は心豊か、徹底して壊す事から進む国は、殺伐で有り、不合理ゴミ堆積している。これらを前に進めてくれるのが創造であり創造人と信じて皆その心を持てくれるように願っている。そのような世界は、先ずは嘘も捏造も無く誠実、建設が出来上がり間違いや不要の判定には冷徹に排除する。これが創造の世界。ヨロッパ文化としてあれだけの哲学も倫理も学問建設して来て、実際に生んだのは社会主義、共産独裁?それと片手落ち民主主義、今の世に成って「金、お金を欲求して拝金主義国家?あ~情けなか~!ヨーロッパ各国の民主主義は、試行錯誤の苦労が無い、単刀直入の暴力奪取の民主主義で、中身は後から、の内容足らず。形こそ民主主義だが、参考概念には、何時も貴族社会が有って、そこにプライドを仮説して市民核にしているが、当然プライドの高い市民は、学ばない、働かない、人の言う事も聞かない、気に入らない事は、被害者息を集めて、屁理屈押しをする。これに対して行政権力も国家運営も、怖がって従順になる。行政も国家運営も革命民主がトラウマに成って居て、市民は「お坊ちゃま、お嬢ちゃま」借りてきた猫ならず、借りてきた王様の様なのだ。日本の様に国民としての教養を学んでいない、にわか仕込みの民主市民、に進化発展は望めない、これがアメリカ国民との基本の違いの軋轢。これを是正するために可能なブームが有る「日本興味」だ。
市民の自由と義務と責任は、そのまま想像から創造行動に繋がり、文化を生み出す推進力となる。当然に「自由だけでは身に付く能力ではない、創造も一番スベル事はと言えば、「独り善がり」作品である。創造に必要は、見せると理解だから、作ると同時に観客意識が無いと成り立たないのである。その観客が、拝金の満足下、下見の卑下観念と言う、支えない脆弱脳では、想像なんて育める筈が無い。これが社会主義で、進化発展が見られない理由と共に、心が豊かに成らない理由と考える。具体的な物、何時も金、では民主も廃れますって。
なぜ?創造する人には、真実探求が必要か?だが、1から10まで創造する人は真実から離れられない、と言う事ではない。創造は、ある意味、旅人なのだ。創造のために、想像界に入った時、真実にも嘘にも旅をする。旅をして帰る処と言うのは、、出来上がった創造を、多くの人々に見て欲しい見せたいの意欲からの創造だから、人々の心の奥底に訴える創造、その訴える創造に真実が無いと見せても見て貰っても、関心を喚起できないし、創造人としても旅の帰還として真実処が無いと、また、そこからの創造活動が出来なくなる、行き詰ってしまう事になる。故に、創造人として真実世界が大事な理由がそこにあるけれど、どうしても偽物の創造人も言わないといけない。特徴的には、嘘や捏造、盗み解決する人間は、創造の価値もその未来の価値も、理解できないから、安心できる?では無いのだ。人類未来視野で思考すると、創造に尚を派す者は皆、大きな価値を作り出す。その価値を搾取するのが嘘世界人間で「創造人の天敵」となる。もう一つは、賢さを含めた人間の質の解離だ、噛み砕いて言い方を変えよう、「正直者と、嘘つき者の頭脳の差、品格価値の差は開く事が有っても無くなる事はない。馬鹿と言って良いのか?悪人を言って良いのか?真実回帰の無くした人間は真実に寄生するしかなくなる。この神聖な創造を語る時の比喩に相応しくないと思うが、真実人間と虚実人間の解離の例に浮き上がるのは、日本国会の野党質議、現代人間から遅れに遅れた「浦太郎」そのものではないか?」シナリオ読みに徹して考えないからこうなる時代落伍者。このような現象は真実の力と言えて、何を言うか?解かりますか?創造が主体化する社会は「嘘のない真実社会」逆も有ります。真実社会にしか想像は生まれない、と言う事。嘘、捏造、盗み、拝金などと言う外見的ながプライドを持つと、反省と改めに縁を切る。まあこれはプライドの操だけど、そもそも本当のプライドとは?自分で自分を律した自分の有りように対して持つものでしょう?それを実践できる自分の行動に持つもの。着飾る服ではない。そんなプライドの持ち方にさえ真実が無いのが嘘の社会、幸福も嘘と言う事だね。日本が過去からそうであったように、創造が真実を撒き、真実が創造を活性して、世を発展させる、このように考える創造信望の信者である。
令和8 26年10月17日
ヘッドライン51 芸術家は、真実を祖としない限り、発展が無い。8
ここで内容が濃く成り過ぎなので、もう一度、改めて定義して置きます。これは、個人の社会変遷を心理で解き明かすと言う、個人て見解で、論拠は心理解明で、そん解明が、何処まで真実見解に近付けるか、の実験の場であり仮説要素も有るものですので、正解の主張はして行きません。一つの考え方、一つのフェイクとと扱われて由、それに、ここのブログはです。これから出版の準備としての私的草案倉庫として利用しているので「是非、読んで!」PRもしていません。もし縁あって眼に触れたのであれば、公表物ではない「心理探索」としてお受け取りされますよう、お願い申し上げます。
日本の開国以来、美術、音楽、作家、芸能の世界にも社会主義支持者も多く居たようだ。これらのクリエーターが社会主義や共産主義に賛同する傾向は解るつもりだ。彼らは現実と理想社会を絶え行き来して創造を磨くからだ。けど、事に接するに当たり尊敬と感謝が無い人は創造を汚す。おおよそ1970年以前の社会主義指示と言うのは、大不況、戦争、貧困からの追い込まれに傾倒した人が多い。問題は時代が変わって、本来回帰しても変えられない社会主義傾倒の人達は、「時間を止めている」人としか思えない。の傾向の人々の特徴に「時間を止めた人の他、自分の進化進歩も出来ない人、考えなくて良い社会を望む」その性質を持つ。
一見、創造者も二分だが、道の極めた創造者は、歴史貢献で名を残して逝く、一方は、生活でも人間到達でも、ただの働きアリの如しの生命を生きて終える。先の手塚御大の作品内容が、勝ち取る理想と、勝ち得る人間性長、そして更なる善行で到達する理想郷、作品として創作であり善行行動の果てに戦って、神の評定は正しい方に降りる。これも想像と言う。これは自分の勝手な想像評価では有る。ロマンチック理想を現実に降臨させようとする創造と、ロマンチック理想を抱いて思考に降臨させる宮崎御大の創造作品。間違いなく創造作品では有る。どちらだどう?あえて言えば、手塚御大の作品には、日本古来オリジナルを強く感じ、宮崎御大の作品には、西洋文化を感じる、けど西洋の勧善懲悪とは違って、宗教教示の香りが自分には感じる。自分の生きた文化で教わった思考と作った理想を実現の為に戦って勝ち取る、勝ち取っても間違いならまた理想の作り直しをする。言わば、未熟者の修行の場のような考えと、 一方は、思考と理想をの形成までは一緒。理不尽が有れば戦うのも一緒、だけど戦っても勝って結果としない、理想の正しさは誰も判定できない、ものとして、何時も正しい事には形而の力が見方する、信じる神と言っても良い。最後の最後は、他力本願ぽく物語にする。未熟で修行する、創造者が多いか?と思えば、あながちは、違うようで、本当の正しさを自分で判断は出来兼ねる。これは絶対神に従うと言う宗教依存心だろう想像するが時として、これが絶対独裁者のする変ってしまうのが現代で、独裁者は、このような洗脳もしてくるし、疑心を持たせない為の拝金と利益供与も行う。まあ、創造努力に金、金って言われると抵抗を持つものだが、そうでもない創造者は現代に吠えて来ていると言う事だ。結果が同じならどちらでも?でも良い。と言うかも知れないが、私はこれを否定したい。この二つに有って、無いものは何か?、それは二つを挙げたい、一つは未来、一つは生物としての成長と進化だ。その判断理由は、宇宙、地球とて永遠ではない、地球はいずれ他の銀河と衝突して、粉粉になる事は約束だ。でもそれ以外に地球危機が有るやも知れぬ。だから間に合う合わないは別に、現地球盟主である人間は、地球上の生命を抱えて宇宙に旅立たないといけなくなる。だから人間は知も心も常に成長させる事がコレへの準備なのだ、と言いたい。故に、自身は手塚御大を支持して行くが、何より、知恵を後進に継続して行く、夢を語って全方位を見つめて、未来を託す。これが、創造の本当の意義と思うから。理想を心の幽体にしない為にも、叶えて笑顔を交わして安心の行き着く理想、にする為に創造は先駆であらねばならない。名声や拝金が額縁の目標の創造は、創造に価しない。と思ってる。創造を科学と心の位置、発展の未来性が融合したものと信じ、人類に欠かせないものと認識する。
Presented by
プロシード研究所 山岸 の趣味HP2です。
当初は、視力の維持と体力維持を目的に歩き、鳥たちの囀りからレンズを向けたのが始まり。毎日、鳥たちのフィールドに入り、歓迎されるように出会った写真も増えて参りましたので、ここに日誌ホームページとして発足した趣味、経緯です。
鳥の存在は、花と同様の「癒し」ですし、その土地の自然環境の良さ証明でもある。鳥の「生き生き」は町の「生き生き」住民の「生き生き」ご来訪の皆さまには、近くを通った際、鳥フィールドに立ち寄って頂けたら幸いに存じます。あのジュラ紀の恐竜のDNAを受け継いでいると言われる鳥類、鳥を観察して特徴的なのは「汚れた、汚い鳥が居ない事」「皆々、清潔で美しい事」・・ほんの少しでも、皆さまの御身多忙と眼の保養に成れば幸いです。
住所・新潟県上越市大潟区九戸浜492-12
TEL・080-9101-6273 (迷惑電話の多い時節柄、通話の前にSMSにてご連絡願います)
メール・ galileo-hrt@pro.email.ne.jp
視線1 タイトル目次
・25・米国のベネゼエラ攻撃は民主主義の進歩先送りのツケ?1・24・米国のベネゼエラ攻撃は民主主義の進歩先送りのツケ?2・23・嘘か?本当か?創技術開発の見解からは真実希望・22・高市首相へお願い!イチローさんへ国民栄誉賞を!・21・合衆国と日本との絆は、この人マーシャルD・M・20・SNS隆盛で、日本感覚的に不合致な品なきCMが・19・「中国圧力の損計算」オールドメディアの余裕なのか?・18・これから始まる、国内の「反日」分子の「魔女狩り」・17・平和と戦争?対義語としてふさわしくない1・16・平和と戦争?対義語としてふさわしくない2・15・先駆と後進 先輩と後輩・14・陰謀論に嵌ると理念理想を失う。日本では・13・日本笑顔が遠くに成りにけり!・12・日本人違反、日本人失格者 の増加・11・「嘘つきは政治家の始まり」は、今も昔も・10・至急セキュリティ・9・人間社会で同情心は基幹、被害者ぶる輩は、・8・この世界、正しい事も、正解も無い。・7・日本の若い才能、子供の才能が、今、世界へ飛翔・6・ウクライナが戦争勝利で終えたら、工業先進国に・5・慶長・キリシタン禁令 令和・媚中信仰禁・4・「戦争と平和」反対語関係を改訂論・3・筋が通る話は、小学生でも分かる話・2・失われた30年の「ロシア」・1・江戸の「士農工商」の意味合い
視線2 タイトル目次