前住職 上山大峻 (莫高院釋大峻)は、令和4年12月19日に満88歳にて往生いたしました。約4年間の間、寝たきりとなっておりましたが、家族の見守る中での安らかな往生でございました。大峻生前中には、皆様方の多大なるご支援をいただき、ありがとうございました。
門徒葬が、令和5年1月23日(月)13時より浄泉寺にて執り行われました。多くの方々のご協力、ご会葬を得て、立派な葬儀が勤まりました。感謝申し上げます。
令和5年1月24日 浄泉寺住職 上山大信
問い合わせ先: HitomaruJyousenji@gmail.com (浄泉寺宛メール)
2023年5月25日に、上山大峻名誉教授追悼法要を龍谷大学大宮学舎本館講堂にて開催していただきました。当日配布いただいた業績を含む冊子のPDFはこちらからダウンロードできます。
龍谷大学のホームページに載せていただきました。
主な著書
略歴
昭和28年3月 山口県立大津高等学校卒業
昭和32年3月 龍谷大学文学部仏教学科卒業
昭和34年3月 龍谷大学大学院文学研究科修士課程仏教学仏教史学専攻修了
昭和37年3月 龍谷大学大学院文学研究科博士課程仏教学仏教史学専攻単位修得退学
昭和40年3月 本願寺派宗学院卒業
(学位)博士(文学)平成6年2月25日 龍谷大学乙第十号
主な職歴
昭和41年 1月 龍谷大学宗教部主事(嘱託)
昭和43年 4月 龍谷大学短期大学部講師
昭和43年 10月 京都大学人文科学研究所非常勤講師
昭和45年 4月 龍谷大学助教授
昭和54年 4月 龍谷大学文学部教授
平成7年 4月 龍谷大学宗教部長
平成8年 4月 龍谷大学国際文化学部教授
平成11年 4月 龍谷大学学長
平成15年 4月 浄土真宗教学伝道研究センター所長
平成28年 1月 筑紫女学園大学学長
得度年月日:昭和30年3月15日
教師年月日:昭和32年4月4日
住職就任年月日:昭和51年11月10日
上山大峻龍谷大学名誉教授の経歴と業績(詳細版)
縦書きPDF版はこちらからダウンロードしていただけます。
昭和九(一九三四)年五月二一日、山口県大津郡油谷町新別名八十に父城守・母綾子の長男として生れる。
令和四(二〇二二)年一二月一九日、御遷化
経 歴
〔学歴〕
昭和一六(一九四一)年四月、菱海村立啓迪国民学校初等科に入学。
昭和二二(一九四七)年三月、同校卒業。
昭和二二(一九四七)年四月、菱海村立菱海中学校に入学。
昭和二五(一九五〇)年三月、同校卒業。
昭和二五(一九五〇)年四月、山口県立大津高等学校入学。
昭和二八(一九五三)年三月、同校卒業。
昭和二八(一九五三)年四月、龍谷大学文学部仏教学科入学。
昭和三二(一九五七)年三月、龍谷大学文学部仏教学科卒業。
昭和三二(一九五七)年四月、龍谷大学大学院文学研究科仏教学仏教史専攻入学。
昭和三四(一九五九)年三月、同課程修了。
昭和三四(一九五九)年四月、龍谷大学大学院文学研究科博士課程仏教学仏教史専攻入学。
昭和三七(一九六二)年三月、同課程単位取得退学。
昭和三七(一九六二)年四月、本願寺派宗学院入学。
昭和四〇(一九六五)年三月、同学院卒業。
〔学位〕
平成六(一九九四)年二月二五日 博士(文学)、龍谷大学乙第十号。
〔職歴〕
昭和三七(一九六二)年四月〜昭和四一年三月、私立成徳学園高等学校教諭。
昭和四一(一九六六)年一月〜同四三年五月、龍谷大学宗教部主事(嘱託)。
昭和四一(一九六六)年四月〜同四三年三月、龍谷大学文学部非常勤講師。
昭和四三(一九六八)年四月〜同四五年三月、龍谷大学短期大学部講師。
昭和四三(一九六八)年一〇月〜同四四年三月、京都大学人文科学研究所非常勤講師。
昭和四五(一九七〇)年四月〜同五〇年三月、龍谷大学短期大学部助教授。
昭和四八(一九七三)年四月〜同五一年三月、帝塚山大学非常勤講師。
昭和五〇(一九七五)年四月〜同五四年三月、龍谷大学文学部助教授。
昭和五三(一九七八)年五月〜同五四年七月、龍谷大学学生部長。
昭和五四(一九七九)年四月〜平成一年三月、龍谷大学文学部教授。
昭和五五(一九八〇)年四月〜平成二年三月、龍谷大学文学研究科修士課程文献研究担当。
昭和六一(一九八六)年四月〜同六二年三月、天理大学非常勤講師。
平成一(一九八九)年四月〜同五年三月、龍谷大学理工学部教授。
平成二(一九九〇)年四月〜同八年三月、龍谷大学文学研究科修士課程及博士後期課程演習担当。
平成五(一九九三)年四月〜同八年三月、龍谷大学文学部教授。
平成五(一九九三)年四月〜同九年四月、全国市町村国際文化研修所講師。
平成六(一九九四)年三月九日〜二九日 米国バークレイGTU・IBSで講義
平成七(一九九五)年四月〜同九年三月、龍谷大学宗教部長。
平成八(一九九六)年四月〜同一五年三月、龍谷大学国際文化学部教授。
平成八(一九九六)年四月〜同一一年三月、奈良大学非常勤講師。
平成九(一九九七)年四月〜同一〇年三月、相愛大学非常勤講師。
平成一一(一九九九)年四月〜同一五年三月、龍谷大学・龍谷大学短期大学部学長。龍谷大学専務理事。
龍谷総合学園理事長。日本私立大学連盟理事。大学コンソーシアム京都副理事長。大学基準協会評議員。仏教伝道協会評議員。
平成一二(二〇〇〇)年四月〜同一七年三月、龍谷大学国際文化学研究科修士課程演習担当。
平成一四(二〇〇二)年四月、龍谷大学国際文化学研究科博士後期課程演習担当。
平成一五(二〇〇三)年四月、龍谷大学国際文化学部特別任用教授。
平成一五(二〇〇三)年四月、浄土真宗本願寺派教学伝道研究センター所長。
平成一七(二〇〇五)年四月、龍谷大学国際文化学部非常勤講師。
平成二八(二〇一六)年一月、筑紫女学園大学 学長
〔受賞〕 流沙海西奨学賞、一九六八(昭和四三)年一〇月一〇日。
〔学会活動〕日本印度学仏教学会。
日本西蔵学会。
日本宗教学会。
仏教史学会。
龍谷仏教学会。
〔主な役職〕龍谷総合学園理事長。
日本私立大学連盟理事。
大学コンソーシアム京都副理事長。
大学基準協会評議員。
仏教伝道協会評議員。
他
〔宗門関係履歴〕
昭和三〇(一九五五)年三月一五日、得度。
昭和三二(一九五七)年四月四月四日、教師に補さる。
昭和三三(一九五八)年一一月八日、本願寺学階助教を受く。
昭和三四(一九五九)年三月二三日、本願寺賞受賞。
昭和三八(一九六三)年一二月一四日、本願寺学階輔教を受く。
昭和四一(一九六六)年〜同四三年、本願寺前門主より紫水奨学金を賜る。
昭和五一(一九七六)年一一月一〇日、鯉原山浄泉寺住職に補任さる。
平成三〇(二〇一八)年八月八日、鯉原山浄泉寺住職退任。
〔宗門関係役職経歴〕
得度習礼講師。教師検定試験委員。本願寺社会福祉協議会専門委員。門主法語集編纂専門委員会委員。基幹運動本部員。人材育成対策生涯総合研修体系検討委員会委員。浄土真宗聖典編纂委員。本廟懇談会委員。教学専門委員会委員。教学研究所教授。中央仏教学院通信教育部講師。学階試験委員。宗門二十一世紀基本構想協議会委員。
他
研究業績
〔単著〕
・『梵漢蔵対照因明入正理論』(油印、私刊)、一九六一。
・『敦煌仏教の研究』、法藏館、一九八九。
・『仏教を読む—釈尊のさとり親鸞のおしえ』、本願寺出版社、一九九一。
・『金子みすゞがうたう心のふるさと』、 自照社出版、二〇一一。
・『増補 敦煌仏教の研究』、法藏館、二〇一二。
〔共編著〕
・共著『アジア仏教史・中国編V』、佼成出版、一九七五。
・共著『アジア文化史論叢・I』、山川出版社、一九七九。
・共著『隋唐帝国と東アジア世界』、汲古書店、一九七九。
・共著『僧伝の研究』(木村武夫教授古希記念)永田文昌堂、一九八一。
・共著『東方学論集』(小野勝年博士頌寿記年)朋友書店、一九八二。
・共著 Early Ch'an in China and Tibet,BERKELEY BUDDHIST STUDIES SERIES、1983.
・編著『如是我聞 上山城守遺語』、永田文昌堂、一九八三。
・共著『仏教学論集』(中村瑞隆博士古希記念論集)、春秋社、一九八五。
・共著『チベットの文化と宗教』、春秋社、一九八六。
・共著『中国都市の歴史的研究』、唐代史研究会、一八八八。
・編著『如是我聞 上山城守遺語 続』、永田文昌堂、一九九二。
・共著『親鸞の仏教』(中西智海先生還暦記年論集)、永田文昌堂、一九九四。
・編著『敦煌写本本草集注・比丘含注戒本』、法藏館、一九九七。
・編著『日本佛教文化論叢』上巻(北畠典生博士古稀記念論文集)、永田文昌堂、一九九八。
・共著『北朝隋唐中国仏教思想史』法藏館、二〇〇〇。
・編著『親鸞聖人に聞く生きる意味』、永田文昌堂、一九九九。
・共著『金子みすゞ祈りのうた』、JULA出版局、二〇〇一。
・共著『金子みすゞ いのちのうた』、JULA出版局、二〇〇二。
・共著『いのちはなぜ尊いか―福祉の原点を問う』仏教社会福祉ブックレット№1、二〇〇二。
・共著『禅学研究の諸相』(田中良昭博士古稀記念論集)、大東出版社、二〇〇三。
・共著『中国北方仏教文化研究における新視座』、永田文昌堂、二〇〇四。
・共著『仏の来た道―シルクロードの文物』東方出版、二〇〇四。
・共著『西域〜流沙に響く仏教の調べ』(龍谷大学仏教学叢書2)、自照社出版、二〇一一。
・共著『平等への視座―対談・歴史的課題と教団―』(新書シリーズ6)、本願寺出版社、二〇一三。
他
〔学術論文〕
・「毘婆沙師の系譜」(『印度学仏教学研究』七―一)一九五八。
・「シャーンタラクシタの教学的特質」(『印度学仏教学研究』八―二)一九六〇。
・「シャーンタラクシタの二諦説」(『印度学仏教学研究』九―二)一九六一。
・「瑜伽行―中観派における唯識説について」(『印度学仏教学研究』一〇―二)一九六二。
・「チベット訳『無量寿宗要経』の敦煌写本」(藤枝晃氏と共著『ビブリヤ』二三)一九六二。
・「敦煌出土法成訳『菩薩律儀二十頌』並びに『八転声頌』について」(『印度学仏教学研究』一一―二)一九六三。
・「敦煌仏教研究の方向」(『仏教学研究』二〇)一九六四。
・「曇曠と敦煌の仏教学」(『東方学報』京都三五冊)一九六四。
・「敦煌出土チベット訳『般若心経』」(『印度学仏教学研究』一三―二)一九六四。
・「『入大乗論』における大乗仏説の論証」(『宗学院論集』三七)一九六五。
・「大蕃国大徳三蔵法師沙門法成の研究(上)」(『東方学報』京都三八冊)一九六七。
・「大蕃国大徳三蔵法師沙門法成の研究(下)」(『東方学報』京都三九冊)一九六八。
・「チベット訳『楞伽師資記』について」(『仏教学研究』二五・二六合併号)一九六八。
・「八・九世紀における『維摩経』諸注釈の系譜」(『龍谷大学論集』三八七)一九六八。
・「敦煌出土チベット文マハエン禅師遺文」(『印度学仏教学研究』一九―二)一九七一。
・「曇倩訳『金剛壇広大清浄陀羅尼経』—八世紀安西における未伝漢訳経典—」(『龍谷大学論集』三九九)一九七二。
・「チベット訳『月蔵請問経』について」(『三蔵』五〇)一九七三。
・「チベット訳からみた『楞伽師資記』成立の問題点」(『印度学仏教学研究』二一―二)一九七三。
・「敦煌出土チベット文禅資料の研究—P.Tib.116とその問題点—」(『仏教文化研究所紀要』一三)一九七四。
・「チベット宗論における禅とカマラシーラとの争点」(『日本仏教学会年報』四〇)一九七五。
・「敦煌出土チベット文写本の資料性について」(『日本西蔵学会会報』二一)一九七五。
・「チベット訳『頓悟真宗要決』の研究」(『禅文化研究所紀要』八)一九七六。
・「敦煌出土『浄土法身讃』について」(『真宗研究』二一)一九七六。
・「エセイデの仏教綱要書」(『仏教学研究』三二・三三合併号)一九七七。
・「ペーヤン著の大瑜伽(Mahayoga) 文献 −P.tib.837について−」(『仏教文化研究所紀要』一六)一九七七。
・「エセイデの仏教綱要書(Ⅱ)」(『仏教学研究』三七)一九八一。
・「Etudes des manuscrits tibetains de Dunhuang relatifs au bouddhisme de Dhyana bilan et perspectives」, Journal Asiatique,Tome CCLXIX, 1981.
・「敦煌における禅の諸層」(『龍谷大学論集』四二一)一九八二。
・「敦煌資料と初期チベット仏教研究」(『東洋学術研究』二一―二)一九八二。
・「The Avikalpapraveśa-dhāraṇī: The Dhāraṇī of Entering Non-Discrimination 」(『仏教文化研究所紀要』二二)一九八三。
・「敦煌における因縁論の諸相—『因縁心釈論開決記』をめぐって—」(『仏教学研究』三九・四〇合併号)一九八四。
・「敦煌新出の唯識系論疏」『龍谷大学論集』四二八、一九八六。
・「敦煌出土チベット異訳『唯識二十頌』・『唯識三十頌』—P.Tib.125—」一九八七。
・「敦煌漢文写本中の仏教綱要書」『龍谷大学論集』四三六、一九九〇。
・「エセイデの仏教綱要書(Ⅲ)」(『仏教学研究』四五・四六合併号)一九九〇。
・「敦煌のチベット字人名資料—台湾本一二五文書—」(『東アジア古文書の史的研究』唐代史研究会報告第Ⅶ集)一九九〇。
・「敦煌仏教研究の現状」『仏教学セミナー』五三、一九九一。
・「仏教における二諦説—真宗の真俗二諦説との同異をめぐって」(『教学研究所紀要』二)一九九三。
・「敦煌仏教研究入門—出土写本からの解明—」(『仏教学研究』五〇)一九九四。
・「敦煌出土『大通方広経』とそのチベット訳」『龍谷大学論集』四四五、一九九五。
・「生命の尊重さるべき根拠について—生命倫理の原点を問う—」(『現代社会と浄土真宗』〈平成五年〜七年度部会報告〉浄土真宗教学研究所)一九七七。
・『菩薩惣持法』(題解・録文)「整理者:上山大峻・袁徳領、『蔵外仏教文献』第三輯、中国・宗教文化出版社、一九九七
・「呉和尚蔵書目録(効七六)について」『日本西蔵学会会報』四一・四二合併号、一九九七。(『増補 敦煌仏教の研究』、法藏館、二〇一二に再録)
・「龍谷大学所蔵敦煌本『比丘含注戒本』解説」(『敦煌写本本草集注・比丘含注戒本』(龍口明生氏と共著)、一九九七。
・「大谷光瑞師の仏教観」(龍谷大学東洋史学研究会『東洋史苑』五〇・五一合併号)一九九八。
・「親鸞における頓悟思想」(『禅文化研究書紀要』二四)一九九八。
・「真宗伝道論」(共同研究報告『教学研究所紀要』七)一九九九。
・「中国青州龍興寺破棄仏像考」(『龍谷大学国際社会文化研究所紀要』創刊号)一九九九。
・「旅順博物館蔵大谷探検隊将来資料について」(『国際社会文化研究所紀要』三(三谷真澄氏と共著))二〇〇〇。
・「仏教東漸の道を探る−大谷探検隊発遣百年に当たって」(『山口真宗教学』一四)、二〇〇二。
・How I came to be convinced that the Otani Collection contains forged manuscritpts, The British Library Studies in Conservatoion Science 3, Dunhuang Manuscript Forgeries,2002
・「日本が生んだ中央アジア探検家・大谷光瑞」(『シルクロード学研究叢書』6)、二〇〇二。
・「仏教と科学―比較、問題点、可能性」(『如実知見』《二一世紀、科学・技術に求められること》(龍谷大学理工学部創設一〇周年記念誌)二〇〇二。
・「敦煌文書封入考」(『仏教学研究』五六)二〇〇三。(『増補 敦煌仏教の研究』、法藏館、二〇一二に再録)
・「金子みすゞの慈愛の世界―真実の詩」(『仏教と日本のこころ』)自照社、二〇〇三。
・「仏教伝来の道〜大谷探検隊百年に当たって〜」(『印度哲学仏教学』一八)二〇〇三。
・「現代と浄土真宗―「伝道」の視点から―」『浄土真宗総合研究』第一号、二〇〇六
他
〔書評〕
・「中村瑞隆著『究竟一乗宝性論』」『仏教学研究』一八・一九合併号、一九六一。
〔講演録〕
・「公開公演・西域出土資料と仏教研究」『駒澤大学仏教学部論集』二四、一九九三
・「敦煌本『本草集注』について」(岡田至弘氏と共著)『杏雨』一三、二〇一〇。
〔図録解説〕
・「大谷探検隊とその蒐集品」『旅順博物館展〜西域仏教文化の精華』展観図録、二〇〇七。