言葉を話せない乳児にとって,視線は養育者とのコミュニケーションに用いられる手段の1つになります.親子の視線のやりとりは,言葉の発達を導く社会的学習の基盤となることが知られており,これまで他者の視線に対する乳児の行動・反応について,多くの知見が蓄積されてきました.
近年,ウェアラブルカメラやウェアラブルアイトラッカーを乳児に用いた研究で,実際の親子のコミュニケーション場面では,乳児が養育者の顔をあまり見ようとしないことが報告されています.乳児が養育者の顔をあまり見ようとしないことは,親子で視線のやりとりが起こりにくいことを意味します.一方で,乳児と「目があう」という経験が私たちの日常生活で起こることは確かなはずです.日常生活において,親子の視線のやりとりはどのような状況で起こるのでしょうか?
これまで,日常生活で親子の視線行動を記録した研究の状況設定は,親子の位置どりを近距離で固定した対面コミュニケーション場面に限定されていました.ヒトは霊長類のなかでも視線方向を強調するような目の形態(白目)をもち,遠くからでも他者からの視線を知覚できることが知られています.親子の視線のやりとりは,近距離よりも中距離・遠距離で生じやすい可能性があるかもしれません.しかし,日常生活で親子がさまざまな距離をとることができるような場面での視線行動の計測は,これまで行われてきませんでした.
このことには,方法論的な問題が関係しています.ビデオカメラ(乳児の3人称視点)からの記録では,親子の位置や環境の複雑さによっては,双方の視線がどこに向けられているのか,正確に分析することはできません.乳児に装着したウェアラブルアイトラッカー(乳児の1人称視点)からの記録では,乳児の転倒による怪我を防ぐために研究者が十分な安全対策をとる必要があり,日常生活で親子が自由に動けるような場面での視線計測には適していません.
私たちの研究グループは,養育者に装着したウェアラブルアイトラッカー(乳児の2人称視点)から親子の視線のやりとりを記録することで,世界で初めて,日常生活で親子が自由に動ける場面での親子の視線コミュニケーションの記録を行いました.乳児が生後10か月から15.5か月になるまで,日常生活での親子の視線のやりとりを縦断的に記録し,親子の視線のやりとりがどのような対人距離で生じるのかを分析しました.以下の2つの研究は,日常生活での親子の視線コミュニケーションが生じる状況を検討していくなかで得られた成果になります.
日常生活で親子の視線のやりとりがどのような対人距離で続くのか,養育者視点から記録した3138個のアイコンタクト場面を分析しました.
対人距離が近すぎても遠すぎても,親子のアイコンタクトのやりとりは続かない傾向があり,視線のやりとりが長く続くような対人距離があることがわかりました.
乳児からのアイコンタクトは,養育者からのアイコンタクトよりも遠い対人距離で生じる傾向があり,対人距離が親子それぞれの相手の顔を見る行動(社会的注視)の傾向に異なる影響を与えている可能性が示唆されました.
この研究は富山大学 佐藤德教授・京都大学 板倉昭二教授(現・同志社大学)との共同研究として実施され,研究成果は「Scientific Reports」誌に掲載されました.
日常生活で親子のアイコンタクトが生じる対人距離が,乳児の歩行発達とともにどのように変化していくのか検討しました.
乳児の歩行発達に伴い,乳児からのアイコンタクトはより大きな対人距離から生じる傾向があった一方,養育者からのアイコンタクトにはそのような傾向はみられませんでした.
歩行発達に伴う乳児の視野の変化が,親子で視線のやりとりが生じる際の対人距離も変化させる可能性が示唆されました.
この研究は富山大学 佐藤德教授・京都大学 板倉昭二教授(現・同志社大学)との共同研究として実施され,研究成果は「Frontiers in Psychology」誌に掲載されました.