SDGsに学ぶ
SDGsを学ぶ研修会に参加した。企業の社員や行政職員、そして議員など30名が参加。
研修会ではカードゲームを通じた地方創生に資するSDGsのほか、地方自治体の役割やビジネスとの関係を学んだ。すべてを理解したり、ゲームのシステムを理解するには時間が足りなかったが、その基礎となる考え方を改めて学ぶことができた。
今や環境や貧困、教育などから「誰一人取り残さない」という理念であるSDGsが生活の中に取り込まれていく時代にもなった。地球規模の課題から身近な地域や社会、企業を持続可能なものにするための目標が掲げられ、それに向けての様々な行動が求められている。SDGsは国連が定めた世界共通の開発目標ではあることから、自分の生活とは遠く離れた目標に受け取られがちでもあるが、その内容は我々の身近な生活と関連するものが多くある。食品ロス、ゴミ処理、海ごみやプラスチックなどがそれであり、特にも2050年にはプラスチックをはじめとする海洋ごみの量が、魚の量より多くなるともいわれている。このような背景から持続可能な社会をつくるために、私たちはSDGsの達成に向けて何ができるのか。まず言えることはこれらの課題を「自分ごと」として捉えることであろう。自分たちの身近な生活を見直す初めの一歩が「持続可能なまち」を創っていくものであろう。(2022年1月)
いいイロプロモーションで街のイメージアップ
「浄土ヶ浜いい色プロモーション2021」の応募が100通を超えたという。地域の魅力を発信するため新たなまちのイメージとしての色を作り、シティプロモーションに活用していこうというもので、市内や全国からの応募があったという。これから選定委員会などで絞り込み、11月に市民総選挙で浄土ヶ浜の地域色を決定するということだが、やはり地域振興につなげるためにはイメージとともに、そこに文化や歴史、物語が加わることでその価値を高めていくものでなければならないだろう。現在、岩手には12色の地域色があり、それぞれが地域ブランドとしてその魅力を発信していくのだという。本市では浄土ヶ浜の色を決定した後、新しい観光船への使用、ロゴマーク、地場産品への活用へと幅広く展開を考えているようだ。個人的に地域色を思い浮かべる時、海との関わりが多いことからブルー系をイメージするが、四季によってその色の表情は全く違うものだったり、あるいは時間帯によっても変化する。「マジックアワー」という言葉がある。映画の作品もある撮影用語だが、日没後の「太陽は沈み切っていながら、まだ辺りが残光に照らされているほんのわずかな、しかし最も美しい時間帯」のことを言う。個人的にこの時間帯の色も大好きである。特にも夏に海の上から早池峰山を眺めると、淡い金色に輝く背景に山のシルエットが浮かび上がる風景は至福な時間でもある。改めてそんな色のことを考える機会にもなった今回の「いいイロプロモーション」。宮古といえばどんな色か、皆さんもイメージしてみてはいかがか。 (2021年10月)
災害の記憶を伝える
秋は台風や洪水などの災害シーズンでもある。かつてのカスリン、アイオン台風、そして近年の台風10号(2016年)、19号(2019年)は大きな被害をこの地域にもたらしている。近年は地球温暖化のせいでもあるのか豪雨が頻繁に発生し、各地で大きな被害が発生している。災害はもちろんこれだけではない。この地域においては地震津波の災害は歴史上において宿命的なものであるほか、火災や戦災、そして陸海空の事故など過去には実に様々な災害が起こっている。幾度となく襲われた災害の記憶の中で、2011年3月の東日本大震災は「歴史に学べ」という大きな教訓を残した。これを機に防災については、過去から学ぶという考え方も広まっている。過去、この地域で起こった様々な災害は津波、台風、洪水、火災、戦争による空襲、そして遭難や航空機事故などがある。もちろんこれ以外にも多くの災害の記録がある。これらはともすれば時間の経過とともに風化し忘れ去られがちとなり、後世に語り継ぐ機会も少なくなっているであろう。災害の記憶を伝えていくことは、来るべき災害から命を守り、防災意識を高めるためにとても重要である。過去の災害を知りそこから学び、これからの災害にどう備えるのか。その地域や土地が過去に経験した災害の記録と記憶は、後の防災や減災につながるものになるものだろう。いずれ過去の災害を忘れて、想定外の大災害にしないためにも過去に学びたいものである。 (2021年9月)
山笑うー。
山笑う。とは俳句の春の季語で、まさしくそんな春の山が明るい日々が続いた5月のある日、閉伊川支流の小国川流域でアユの放流が始まったので足を伸ばした。汗ばむような陽気だが川を渡る風と清流の音が心地良い。そんな清流に住む川魚は人々の詩情をそそり、閉伊川においても様々な歌が詠まれ、いろんな作品が多く残されている。宮古の歌人、故駒井雅三は「若鮎ののぼる季なり瀬は速に 淙々として川波白し」と詠んだ。季節の情景が浮かび上がるとともに、風の匂いも感じられる。高原や渓谷の自然の風の香りほど私たちの心を和ませてくれるものはない。アユたちが放流された川の水はキラキラと光を反射していた。新緑の上を駆け抜け、水面を渡る風には初夏の香りもほのかに感じさせてくれた。さて、6月に入ると梅雨の季節にもなる。梅雨は梅雨でまた詩情をそそる。昭和の歌謡曲ではよく「雨」が降る。そしてよく「ぬれる」のである。そんな雨を歌ったものが多かった。一方で「しっぽりぬれる」という言葉もある。これは男女間のきびの切なさが込められているものでもあり、雨にぬれるというのもそのきびの延長にあるものであろう。西日本ではもう梅雨の季節に入った。今年の当地はどんな梅雨になるのか。長いのか、空梅雨になるのか。ともあれ雨は万象をぬらすことであり、昭和の雨の歌を思いこしながら季節の変わり目を楽しみたいものだ。(2021年6月)
失われた校歌
(その1)宮古市の北西部に位置する田代地区。東西に流れる田代川とその支流に点在する集落のあつまりで、西に亀岳山(1,112m)、峠の神山(1,229m)がそびえ、山と山にはさまれた細長い盆地を形成している。この地に明治9年に創立した亀岳小学校(前身は田代小学校)が2021年3月で145年の歴史に幕を閉じた。これでまた一つ学校が消え、千人余の同窓生が歌い継いできた校歌も消える。ここの校歌は駒井雅三によるものだった。昭和37年に制定されたもので、同小中学校の校歌として歌われていた。詩の内容は1番が、亀岳小中学校が自然の恵まれた環境の中にあることをあらわし、2番ではその昔、この地域の産業の基盤となっていた豊富な地下資源や森林資源、そして信仰の山である亀ヶ岳の様子を誇らしく、3番では活気ある宮古と子どもたちのことについてのべ、ゆったりと堂々とした曲調で歌われている。学校の統廃合と共に消えゆく校歌。それぞれの校歌にはその土地の歴史や文化、産業、そして教訓などが記され歌い継がれてきた。震災後、校歌で注目されたのが田老第一中学校のもので、「防浪堤を仰ぎ見よ〜」の歌詞の一節が、防災のまちとしての進むべき道が示されているとのことだった。震災を教訓にこの校歌そのものが生徒たちの精神的な「防波堤」になっているようにも思える校歌でもある。これも駒井雅三の作詞である。いずれにしても校歌は自分が通っていた学校の象徴の一つでもあり、自分自身の青春の証でもある。統廃合で失われていく校歌だが、これらを復活させ音源として保存し歴史の証として残していくことも望まれる。
(その2)小中学校、あるいは高校の校歌には、地域の山河や海などの自然景観、地元の歴史や文化の誇り、そして産業などを歌い上げている内容のもので作られている。ふるさとのまちを象徴する景観資源の価値を、在校生たちに認識してもらいながら地域愛に結びつけてほしい願いが込められているものだろう。しかし、閉校して失われた校歌に限らず、その歌詞にある風景や社会事象が時代とともに大きく変化していることにも気づく。校舎の移転や在校生の減少、産業の変化などにより、校歌の内容と学校の窓から見える実際の景観とが著しく異なっていることもある。在校生の数を高らかに歌い上げているものもあるが、今やその数も遠い昔。それでも校歌が描写してきたその地域の文化や歩み、景観は大切にしたいものだ。昔には戻れないが、大切なことはこれらの歌詞の中の文脈を読み取り、その地域の歩んできた価値を知ることであろう。早池峰、閉伊川、太平洋とこの地域に生まれ育った人々が自然と親しみながら歌い繋いできた校歌。そしてこれからの子どもたちが校歌に残されている原風景を、時代とともにどのように感じとっていくのか興味深いところでもある。 (2021年3月)