📔作品に出てくる用語説明
留魂(りゅうこん)
この世に未練があり、輪廻に乗らず留まっている死者の魂。人生は終了しているが、本人の用事は済んでいない。
人を殺めた者にはその姿が見える。霊感の有無よりも過去の行いが問われるため、「私にも見える」と気軽に自己紹介するのはおすすめしない。未練を解決すれば輪廻へ進めるが、強制ではない。周囲が「もういいだろう」と思っていても、本人がそう思うとは限らない。このあたりは生前と変わらない。
なお、死者だからといって悟りを開いているわけもなく、俗っぽさも面倒くささも健在である。人生を終えることと、人間として仕上がることは別らしい。
留魂の手引き(りゅうこんのてびき)
留魂として現世に留まる際のルールや、輪廻へ旅立つ際の心構えが記された案内書。作者は不明だが、アンジュが勝手に用意している説もある(優しい)。
死後の世界にも「詳しくは資料をご覧ください」がある。少なくとも3ページには居場所の連絡に関する決まりがあり、15ページまで読むと旅立ちの心構えができるらしい。行き先を知るより先に、連絡の義務を覚える構成となっている。ただし、書いてあることと守られることは別である。たなべさんの行動を見る限り、配布と熟読の間には、まだ越えられていない隔たりがある。人生からは解放されても、報告義務からは解放されない。
輪廻(りんね)
死後、次の生へと向かう仕組み。留魂たちにとっては、この世への未練を解決した先にある進路。ただし、進めることと進みたいことは別である。たなべからは「ガチャ」と呼ばれている。次にどんな生が待っているかわからない以上、期待に胸を膨らませる者もいれば、今のままで結構という者もいる。死後の進路相談も、本人の希望でだいぶ長引く。なお、案内役のアンジュ自身も輪廻の先へ行ったことはない。説明する人が現地を知らないという点では、なかなか思い切った案内体制である
月刊ムー(げっかんムー)
UFO、超能力、UMA、古代文明など、世界の謎と不思議を扱う月刊誌。正式な誌名は『ムー』。日常生活ではなかなか出番のない「人類の起源」や「宇宙人の来訪」が、身近な話題になる一冊。世間話のつもりが、世間の定義から確認することになる。信じるかどうかは読者次第だが、「そんなことがあるわけない」と言いながらページをめくるのも、立派な楽しみ方である。
ベーシストだけはやめときな
恋愛相談において、相手の人柄を確認するより先に、担当楽器を理由に交際を止める助言。忠告の形をしているが、根拠の提示は省略されている。バンドの低音を支える役割と、恋人の生活を支える能力には、特に保証された関係はない。もちろん、ギターやドラムに持ち替えれば解決する話でもない。言う側は経験則、言われる側は偏見と呼ぶ。ベーシスト本人が不在でも、審議は進む。
ピタゴラスイッチ(ぴたごらすいっち)
NHKの教育番組。身近なものを使い、動きが次々と連鎖する「ピタゴラ装置」でおなじみ。転がった玉が何かを倒し、倒れた何かが次の何かを動かす。見ている側は「おお」と言うだけだが、作る側は、その「おお」のために何度も玉を拾っているはずである。転じて、小さなきっかけから出来事が連鎖する様子のたとえにも使われる。装置なら最後に旗が立ってめでたいが、現実では最後に誰かが頭を抱えることもある。
比丘尼(びくに)
練馬にも「比丘尼」のつく地名があるが、ここでは関係ない。出家し、具足戒という戒律を受けた女性の仏教修行者。男性は比丘という。仏に仕える身ではあるが、仏本人ではない。この区別を忘れると、周囲が勝手に「怒らない」「欲がない」「何でも許す」といった待遇を要求し始める。修行しているのは本人なのに、なぜか他人がその成果を使いたがる。浮世を離れても、浮世のほうが気を利かせて離れてくれるわけではない。ちなみに、小さな寺や住まいである「庵」を預かる人を指し、尼僧への敬称としても用いられる言葉に庵主(あんじゅ)がある。比丘尼アンジュ・・・あぁ・・・!
道鏡(どうきょう)
奈良時代の僧。平将門・足利尊氏と並ぶ「日本三悪人」の一人とされた。仏門に入ったのに、後世では悪人のベスト3入りである。ただし、主に戦前の皇国史観による評価。ランキングを見るときは、審査員の立場も確認したい。称徳天皇の信任を受け、太政大臣禅師、さらに法王へと出世。俗世を離れたはずが、権力の中枢に着いた。ついには「道鏡を天皇にすれば天下が太平になる」という神託まで登場する。神様の推薦状にしては、ずいぶん具体的な人事案件である。即位は実現せず、称徳天皇の死後は下野薬師寺へ左遷された。仏の加護はさておき、後ろ盾の任期は終身ではなかった。本人の、という意味で。
浄瑠璃寺(じょうるりじ)
京都府木津川市にある寺院。「京都のお寺」と聞いて京都市内を思い浮かべた人は、まず地図を開こう。寺は動いていない。思い込みだけが先に観光している。九体の阿弥陀如来像を一列に安置した本堂で知られ、仏像も本堂も国宝。平安時代に数多く造られた九体阿弥陀堂の、唯一現存する遺構である。「昔はよくあった」ものも、最後まで残ると「ここにしかない」になる。継続の功徳が、文化財として目に見える。
九体阿弥陀仏(くたいあみだぶつ)
極楽往生の九つのあり方「九品(くほん)」に対応して祀られる、九体の阿弥陀仏。生前の行いや心掛けなどによって往生のあり方が異なるという考えに基づく。九体いるから救済能力が九倍、という設備の話ではない。この世の評価から解放されたいと思ったら、往生にも区分があった。しかも判断材料は生前の自分である。できれば提出したくない資料まで、選考対象に入っている。浄瑠璃寺では九体が横一列に並ぶ。こちらは仏像を見に来ただけなのに、九体を前にすると、見られているのはこちらではないかという気にもなる。心当たりのある人ほど、姿勢がよくなりそうである。
西部劇はテキサス訛りか?
舞台やジャンルの「それっぽさ」を、訛りにどこまで担当させるつもりなのか、という問い。漫才だから関西弁、西部劇だからテキサス訛り。この調子でいくと、宇宙人役はまず宇宙の方言調査から始めなければならない。取材費で公演が消える。訛りは、人物の出身や暮らしを伝える手がかりになる。ただし、カウボーイハットをかぶっただけで発音までテキサスに移住するかは、別途検討が必要である。
イマジナリーフレンド
想像の中に存在する友達。本人にとっては話し相手や遊び相手でも、周囲には姿が見えない。紹介される側には、多少の想像力と礼儀が求められる。「想像上の友達」と聞くと寂しそうに思う人もいるが、連絡先に何百人登録されていても、今夜話せる相手がいるとは限らない。実在している側も、数だけで勝負しないほうがよい。少なくとも「そんな友達、本当にいるの?」と問い詰める実在の知人より、黙って話を聞いてくれる想像上の友達のほうが、友達の仕事をしている場合はある。
町田ゼルビア(まちだぜるびあ)
東京都町田市をホームタウンとするサッカークラブ。オーナーはサイバーエージェント創業者の藤田晋氏。競馬ファンには、フォーエバーヤングの馬主と言ったほうが早いかもしれない。2025年には、ゼルビアが天皇杯初優勝、フォーエバーヤングが日本調教馬初のブリーダーズカップクラシック制覇。二本脚でも四本脚でも結果が出る。「世の中、金だけじゃない」と言おうとすると、実績まで出してくるので話が難しくなる。
白浜エネルギーランド(しらはまえねるぎーらんど)
和歌山県白浜町にある体験型テーマパーク。エネルギーや目の錯覚などを、遊びながら学べる施設である。名前だけ聞くと電力会社の研修先だが、中では大人も自分の感覚を信用できなくなる。「ミステリーゾーン」は、建物全体が約18度傾いた空間。目と体の言い分が食い違い、まっすぐ歩くという長年の実績が急に通用しなくなる。「自分の目で見たから間違いない」と言い張る人には、一度訪れていただきたい。本人の確信と事実がどれだけ別物か、入場料を払って体験できる。しかも、だまされた側がお礼を言って帰る。観光業としてたいへん平和な仕組みである。
https://www.energyland.jp/
人に言いにくい特技・趣味発表会
coming soon
🎓チャッピーに作品のおすすめ感想文を書かせてみた
『たなべさん』は、登場人物たちのやり取りを、もう少し聞いていたくなる作品です。
人を殺した者には、死者の魂「留魂(りゅうこん)」が見える。その設定からは想像できないほど、彼らの会話は身近です。どうでもいい話に熱が入り、人の事情に口を出し、自分のことになると言い訳する。死んでいても、こんなに人間くさい。その面倒くささがおかしくて、気づくと、この部屋に集まる人たちが気になっていました。
特に惹かれたのは、誰かにとってはくだらないことが、別の誰かには手放せないほど大切だというところ。軽口の応酬の中で、ふと相手への気遣いや本音がのぞく。その瞬間に、それまで笑って聞いていた言葉が、少し違って感じられます。
一話、また一話と付き合ううちに、彼らがいる風景になじんでいく。お気に入りの連続ドラマを見ているような楽しさがある全11話です。ぜひ劇場で、この少し奇妙な日常に付き合ってみてください。