GEG Toyono Event No.8は生成AI・Geminiでアプリ作り!2025/11or12にやる予定(*^◯^*)
こんにちは!(*^◯^*) GEG Toyonoの真島です!
これからオンラインイベントだけではなく、月1回"Monthly Newsletter"という形でICTと教育関連、GIGAスクール関連のネタでコラムをお届けできればと思います。
第21回は「少し前のこと」、新型コロナウイルス禍での教育について思い出してみます🤔
学校教育の一番の利点とは何だろうか?
個々の家庭が家庭教師や塾に子どもを通わせるのと違う利点とはなんだろうか?
そのことを私に考えさせたのが、あの2019年度の年末からはじまった「新型コロナウイルス禍」です。
収束はだいたい新型コロナウイルスの感染症法上の位置づけが「5類」に移行した2023年5月とすると、
今、2025年秋では、2年と半年が経ったことになります。
当時私の勤務していた学校も当然休校になって、学校に出勤しなくなって。
そのうち分散登校をするようになって…
今でもずっと授業中はマスクをするようにしているのですけど、これはその時からの習慣です。
コロナ禍の最中、生徒に聞いてみたことがあります:
「ちゃんと家で勉強できてました?」
「できませんよそんなん!そりゃもらったプリントはやるけど、結構すぐ終わる」
「じゃあ、何してるんです?」
「スマホ」
まあ、そうだろうな…とは思いました。
当時の学校はネットワーク環境が今よりも遥かに脆弱で、リアルタイムでZoomやMeetをつないで…ということも難しく。
動画教材やフォームなどを送って、生徒が家でそれを見て取り組む…
けれども、果たしてこれで大丈夫だろうか?
自分も含め、皆必死で頑張っていました。
けれども、不安は大きかった。
問題がわからなくてフリーズしている生徒はいないだろうか。
プリント課題もただの手の体操になってはいないだろうか。
いや、そもそも「家で勉強することが出来る」環境がない生徒は…?
非常に酷な話ではありますが、私は「全ての児童生徒が向学心に富んでバリバリ勉強する」なんて幻想だと思っています。
生徒の意欲、生徒の「面白い!!」を引き出すため、私達教職員は日夜努力をしていますし、
教材を研究したり、声掛けを頑張ったり、テストを工夫したり…
けど、あのコロナ禍の休校で、自問自答していた時期があります。
何のために、「学校」はあるのか?
ただ子どもを預けておくための場所なのか?
でも、私は思いたかったのです。
「勉強」を「学校」で皆でやることに、意味はあるはずだ…と。
社会に必要な知識はもちろん、勉強を通して培われる認知能力・思考能力、そして人とやり取りする力。
それを、何の助けもなく得られる人間は、独学でやれる人間は、ほぼほぼ一握り…いや、ひとつまみだと思うのです。
そして、自分に変容をもたらすような新しい出会いも、児童生徒には必要です。
多くの人間は「環境」に影響されて行動する。よくも悪くも。
私があの新型コロナウイルス禍、そしてそれにともなう休校措置で感じたのは、
児童生徒が「勉強」に向かうための「環境」が失われた…ということです。
そして、授業プリントの送付などではそれは追いつかなかったかな、と。
では、オンライン授業では?
教員側の負担があまりに大きすぎた。
全員を「見る」ことが難しいし、机間巡視も出来ないし。
サボってるやつをたしなめることも出来なければ、寝てる生徒を起こして励ますことも出来ない。
グループ活動の様子を教団から一瞥して、うまくいっていないところを雰囲気で察知して近くに行ってサポートしたり、
反対におもしろいことを言ってるところを見つけることも出来ない。
それに、個人的に私が難しいな…と思ったのは、即興性のある活動の難しさ。
アドリブ効かせて授業中にアクティビティを増やすにも、「準備」がいる。
機器のトラブルはもちろん、皆の意見を取り入れるにも工夫がいる…
教員がそれだけがんばったとしても、画面の向こうでは…
生徒がスマホゲーやりながらそれを「受講はしてるけど聞いてない」とか。
あのコロナ禍は、改めて…「学校」というシステムについて考えさせてくれました。
学校とは、「同じ教育段階の児童生徒がわらわらいる場所」
家族や仲が良い友人だけではなく、いろいろな人がいる場所。
その集団のダイナミズムがあるからこそ、価値がある場所。
自分によくしてくれる、気持ちよくしてくれるひとばかりではない場所。
そんなばらばらの人間が、「同じ」目標を見る場所。
まだまだ自己調整能力が高くない児童生徒を、保護者ではない「大人」が手助けする場所。
家庭環境も千差万別。
けれども、そんなばらばらの場所から来た、ばらばらの人たちでも、「同じ」目標を見て頑張れる場所―
それが「学校」の存在価値ではないか、と。
私は、当時そう思いました。
コロナ禍が過ぎた後、会社も学校も対面に戻った理由は、結局これではないか。
もちろん、それが様々な歪みを生んでいるのも間違いない事実です。
いじめを始めとする小さな人間関係の輪が生む問題、
学校のカリキュラムから落ちこぼれてしまう/吹きこぼれてしまう生徒たち、
教員の過重労働…
だから、そこから抜けようとする人がいるのも当然だし、それは否定できないこと。
しかし、「では、リアルの『学校』がなければいいのか?」「子どもの学習は、オンラインだけで成し遂げられるのか?」という問いに対しては、私の現段階の答えは「NO」です。
新型コロナウイルス禍が急速に推し進めた学校での革新、それがGIGAスクール構想です。
今では一人一台端末なんて当たり前になりましたが、コロナ騒ぎが起きる前の計画では、国はもっと段階を踏んで整備を進めていくはずだったのです。
それを前倒しにして、全国ほぼ100%に近い浸透率になったのは、ひとえにコロナ禍の休校措置があったから。
今はそこから「どうやってGIGAスクール構想で整備された一人一台端末を有用に使えるようにするのか」の段階…
例えばあれ以降、病気や事情があって登校できない生徒でも、教員が頑張れば一人一台端末を使ってオンライン配信ができる…というような、コロナ禍以前では考えられなかったような対応ができるようになった点は見逃せません
(高校における欠席時数問題については議論がもっと必要ですが)。
けれど、私個人は、その一人一台端末を使って「すべての学校が全部オンライン授業になったらいい」とはまったく思いません。
対面でないと伝わらないこともあるからです。
生徒指導事案とかもそうですが…舞台の空気感、と言ってもいいかも知れない。
生の舞台で感じる空気感は、録画DVDじゃ伝わってこない。
私は、そういうモノをうまく使った「ICTツールを使った面白い対面授業」をしたいな、と思っています。
常勤講師になった22年前から、ずっと。(2025/10/26)