セックスしないと出られない部屋
セックスしないと出られない部屋
「メドローア!」
壁に向かって光の矢を放つ。
ズゴオオン!
半端ない質量のエネルギーが壁に直撃し、派手な音が鳴り響く。
だが、やはり、というべきか壁は傷一つつかなかった。
「ポップ、もう一度だ。今度は一緒に放つぞ」
「いや、でもよ……」
「どうした、ポップ。いつものおまえならこんなことぐらいで諦めんだろう?」
ヒュンケルが眉根を寄せる。
そんなにもするのがいやなのだろうか。
ポップの胸につきり、と痛みが走った。
そこまでいやがることねえだろ……
さっき助けられて喜んだのが馬鹿みたいだ。
最初はいけ好かない奴だと思っていた。
恋した姉弟子の心をあっさりと奪っていくこの男に嫉妬して、けれどいつだって頼りになって側にいてくれるだけで心強くて、こいつになら姉弟子の隣にならんでも許せると思うようになって。けれど、姉弟子はどちらの手も取らない道を選んで。
そんな兄弟子を優しい顔で見つめる姿に目を奪われ、そして恋に落ちてしまった。
なんて間抜けな話だろう。
ヒュンケルは一番星のような男だ。いつもずっと高いところで輝いて、そこにいるだけでどんな暗闇のなかにいても力をくれる。けれど地を這いずるしかできないポップがどんなに手を伸ばしても決して届かない。
そんな男に恋するなんて。
だからずっと自分のなかに芽生えた気持ちが認められなくて、否定したくて、嫌われるような振る舞いをずっと続けてきた。
それでも思いは膨らむばかりで。
ポップはきゅっと口唇を噛んだ。
「ポップ、どうした?」
名前を呼ばれてはっと我に返る。
ヒュンケルは既に剣を構えていた。
「おれ、おれは……」
口唇が震える。
「もう、打てねえ……さっきので魔法力を使い切っちまった」
そして、震える掌をじっと見つめた。
ヒュンケルが目を見開いた。
「どういうことだ……いつもならもっと……」
「わかんねえ……この部屋が神域だからかもな……」
自分の役立たずを責めるように、自嘲気味に口の端を上げる。
「そうか……」
ヒュンケルが剣を下ろした。
ああ、よかった。うまいこと騙されてくれたようだ。
手が震えているのは嘘をついた罪悪感からだ。
自嘲するのは己の矮小さ加減に嫌気が差すから。
けれど、たった一度で良い。
この思いが叶うことがなくても。
ただ、この男の体温が知りたいと思ってしまったから。
「ごめんな……こんなことになっちまって」
「いや……力及ばずなのはオレも同じだ。すまない」
ヒュンケルの手が伸びて、そっとポップの頬に触れた。
「いやではないか?」
「なにが?」
「オレに触れられるのが」
「だ、いじょうぶ……」
かさついた掌の感触に胸が跳ねた。
「本当か、声が震えてるが……?」
「ほ、本当だって! ただ、ちょっと緊張してるだけだ!」
ここでやっぱり止めたなんて言われるのはごめんなので必死で否定した。
「おれ、したことねえから……」
言ってから恥ずかしくなって顔が熱くなる。
「そ、そうか……」
ポップの緊張が移ったのか、ヒュンケルが珍しくどもった。
「おまえは……?」
「な、なにがだ?」
「だから、したことあんのかって聞いてんだよ」
「一応、それなりには」
さらりと言われた言葉に胸が締め付けれた。
「そ、そうなんだ。まあ、おまえ顔いいし、もてるもんな。相手って……」
頭のなかに初恋の少女と美しい賢者の顔が浮かぶ。
「魔王軍にいたころの話だ。相手のことはもう覚えていない」
ヒュンケルが困った顔で笑った。
「薄情だと思うか?」
その顔で、ヒュンケル自身が望んでしたことではないことを悟る。
「ごめん」
さすがに踏み込みすぎた。傷つけるつもりはなかったのに。反省する一方で、ポップの良く知る人物とそういう関係ではなかったことに安堵する最低な自分がいた。
「いや。あの頃のオレは最低の人間だったからな」
「そんなことねぇよ!」
思ったより大きな声が出た。
「おっさんが言ってた。ヒュンケルは女子供には手を出さなかったって。それにおれのことも見逃してくれるって言ったじゃねえか。あの時は敵だったけど、ヒュンケルはやっぱりヒュンケルだったよ」
こんなことを言っても、なんの慰めにならないかもしれない。けれど、ポップはこれ以上、自分の言葉で傷つくヒュンケルを見たくなかった。
「そうか……」
ヒュンケルの肩の力が抜ける。
「おまえは、優しいな。ポップ」
ふっと力の抜けた笑みに胸が跳ねた。鼓動が勝手に早くなる。勘弁してほしい。こんな顔を見たら、ますます好きになってしまう。
「そ、それより、さっさとやって早くこの部屋とおさらばしようぜ!」
ポップは努めてなんでもないことのように振る舞った。そうしないと、胸が破裂してしまいそうだ。
「そうだな……」
ヒュンケルが真剣な顔に戻った。
「ポップ、おまえはどっちがいい?」
「どっち?」
「その……挿入するほうと、されるほうと……」
ヒュンケルの口から具体的な話が出てきて、心臓が止りそうになった。
それをする姿を頭に浮かべる。けれどやはり経験がないからうまく想像ができない。
「えっと、おれ、やったことねえから、おまえにまかせる」
「……わかった。確認するが男同士のやりかたは知っているのか?」
「いちおう……尻の穴にちんこ入れるってことくらいは……」
ヒュンケルへの思いを自覚してから、こっそり調べたなんて言えない。
「男同士の場合は、潤滑油が必要なことは?」
「うん。尻の穴は濡れねえから、その代わりだよな」
「そうだ。あの棚の瓶はそういうものを集めたのだろう。好きなのを選ぶといい。匂いなど好みのもあるだろう」
「わ、わかった」
ポップは棚の側に近づくと、一番手前の瓶を取り蓋を開けた。甘ったるい匂いがして頭がくらりとした。これは無理だ。それから何本か開けて匂いを嗅いだり液体の状態をみたりして、最終邸に無臭で粘度の強いものを選んだ。
「これ……」
ヒュンケルに差し出す。穴をどうこうするのはヒュンケルがするなら当然だ。
「では、服を脱いでうつ伏せになってくれ」
「えっ?」
「未経験なら後ろからしたほうが負担が少ない」
「そ、そうなのか……」
淡々とした口調に心が軋む。当たり前だ。ヒュンケルとは恋人でもなんでもないのだから。震える手で肩当てとマントを外し、首元に手をかけたところで制止の声がした。
「脱ぐのは下だけで大丈夫だ」
「あ、ああ。入ればいいんだもんな、そうだよなっ!」
慌ててズボンに手をかける。だが、なぜか上手に止め紐がほどけない。
「あ、あれ……?」
首を傾げるポップに、ヒュンケルの手が伸びた。
「指が震えている」
「えっ」
ポップは自分の手を見つめた。自分では気づかなかったが、ヒュンケルの言う通り、手がガクガクと揺れていた。
ヒュンケルが震えるポップの手を包み込んだ。
固くて温かい感触に、ほっと息をついた。
「手が冷たくなっているな。すまない。オレの力が及ばぬばかりに、おまえに辛い思いをさせる」
自分の身勝手でこの優しい兄弟子を傷つけている事実に胸が詰まった。
今なら、まだ引き返せる。
少し横になって寝ても良いか?
そうしたら魔法力が戻ると思う。
そんなことを嘯いて、回復した振りをしてしまえばいい。
果たして、グランドクロスとの合わせ技でも壁が破壊できるかはわからない。けど、なにもしないよりはずっといい。
「ヒュンケル……」