interview

福たすにかかわってくれた方々の

インタビュー内容後日公開

岩瀬 浩介(いわせ こうすけ)社長

ブラウブリッツ秋田代表取締役社長

小林先生とともに福たすプロジェクトをスタート

ー選手だった時代と社長になってからのチームの見え方に違いはありますか?

いろんな目線があるから一概には言えないけれども、社長になってからチームを見る目線は変わってきています。それこそ社員に幸せになってほしいなって思う気持ちが強くなっています。社員のみんなにもこのクラブを通じて自己実現みたいなものを果たしてほしいという想いがあって、大好きな社員と大好きな選手たちっていう気持ちが年々すごく増していっていますね。選手だった時にはそんなことは一切なくて。プロサッカー選手はある意味自分を結果で守っていかなければいけないから、極端なことを言えば自己中でなければいけない一面もあります。もちろんその中に協調性が必要なんだけど、社長になってからは自己中的なことをやっていては成り立たなくなってしまうので、そこが全然変わったと思います。プロはとにかく結果を残さなければいけないんですが、今度は結果を出させてあげたい。選手たちは結果で生きている。プロの選手である以上、結果を残させる為に一切の言い訳ができない環境づくりをするのが、会社として、社長としてのチームへの役割かなってすごく思います。


ーサポーターの方々とは結構コミュニケーションをとられるんですか?

もちろん。今までだと本当に「また同じ人しか来てないな」っていう感覚だったんだけど、今は知らない人ばっかりになってきたし、そういう知らない人たちと会話をして、どうやって好きになっていったのかとか、なぜここにいるのかとか、どのような間柄なのかとか。そういったことを聞くのがすごく楽しいです。サポーターの方々は他のスタッフには言えないことでも、僕には「ちょっと社長さあれさ、」と言ってくれることもあります。この間もあったのは、ベビーカーの試験的な運用を始めたんだけど「試験的って書いてあったんだけど続けてもらえませんか?」というような要望が直接きたりするんです。なので、そういう意味で本当にサポーターの方々と距離を近づけておくことは、ファンサービスとか来場者サービスに繋がる話だと思います。どうしても僕らが一生懸命やっていてもそれが実はお客さんのためになっていないこともある。そうならないためにもコミュニケーションはたくさんとります。


ースタッフの方と接するときに意識してることはありますか?

結果よりもプロセスを大事にしてあげたいなっていうのは自分の中で意識しています。細かいことかもしれないけど例えば、僕が仕事してる時にスタッフが来る。そしたら絶対パソコンを閉じて話を聞くなど、ちゃんと向き合うことを意識しています。あとはそれぞれ長所と短所があるので、長所を引き出してあげたい。それをちゃんと見出してあげたい。もっと言ったら得意分野に配置してあげることで最大のパフォーマンスを出せるのかなと思います。そういう組織マネジメントは実は選手時代にサッカーから学んだことなのかなって。本当にサッカーの全てが、会社であったり、チームであったり、プロジェクトであったり、人生の全てにおける指針になるっていうのはすごくあるんじゃないかなと思っています。例えば、うちの社員にも言ったことがあるんですけど、仲間がボールを持っていてドリブルをする。このドリブルをしている選手を信じてみんなゴールに向かって走って、ゴール前にセンタリングが上がってくることを信じて走るでしょう。でも取られちゃったってなったらどうする?


ー 戻る


もしくは近くの人は?


ー取りに行く


そうだよね。もうずっと永遠にその繰り返しです。でもいくら仲間でも例えば「いやこの間この人手伝ってくれなかったじゃん」みたいなことって多分今もプロジェクトをやってると出てくると思う。申し訳ないけどもサッカーにおいてはそんなことやってる暇はないです。センタリングがこなかったらふてくされているような人がいたら成立しなくなるでしょう。そんな世界で生きている選手たちを私たちはサポートしていかなきゃいけない。その組織がそんなんでどうすんのっていうことは、サッカーに置き換えると分かりやすい。今でも気づきがいっぱいあるところですね。


ー社長から見たチームの魅力は何ですか?

「AKITA STYLE」がすべてです。どんどん「誠実・献身」「躍動」「粘り強さ」「挑戦」の質が上がってきているんじゃないかな、と思います。この指針はJリーグの中でNo.1だと思っているし、選手達も「AKITA STYLE」の意図を知るとすごくスパンっと腹に決めて、秋田のために頑張ろうって思ってもらえることなので、もっとクオリティを上げたものにしていきたいと思っています。


ー目指すクラブの将来像はどんなものですか?

「ブラウブリッツ秋田があるから◯◯だよね」って言ってもらえるストーリーが県内にあふれるクラブです。例えば「ブラウブリッツ秋田があるからコロナ禍でもうちのホテルは満室だったよ。」「ブラウブリッツ秋田があったから自分はあの時勇気をもらったんだ。」とか、若い子たちも「この地で働こうと思った。」とか。それをサッカーに限らずいろんな分野で言ってもらえるようにしていきたいです。


ーそういう話はサポーターの方々とコミュニケーションをとっている中で聞くのですか?

そうだね。印象深かったのは、そこそこの老夫婦の方々が言ってくださった言葉。「正直2人で土日にどっかに出かけるなんてなかなかない。どっちかの趣味に付き合うって感じだったけど、おかげさまでサッカーだけは2人で本当に楽しめてる。」「そうですよね。ちなみに今お二人ペアルックじゃないですか?」「何ペアルックなんて~!」っていう会話がありました。確かにそうなんです。日常で彼氏あるいは彼女と一緒に同じ物を着て歩ける?なかなかできないでしょう。でもあの空間だったらできるんです。かつその方が言ってくれたのは、「それとうちの娘なんか、秋田市内に住んでるのに帰ってくるのなんか年1回よ。でもいつの間にかブラウブリッツのファンになっててね。毎週2週間に一度孫と会えるのよ。」と。あるお父さんはいつも酔っ払ってる。隣に娘2人つけてね。その娘2人は僕もよく知ってるんだけど、ここから1時間かけて来てくれる。「行きはお父さんが運転する。帰りは私たちが運転して帰るんです。」ってもうお父さんデレデレしているわけで。考えてみたら20歳を超えた娘とお父さんが2週間に一度土曜日か日曜日のどっちかを1日中過ごしているってことですら日常で考えたらなかなかないわけじゃない。そういうものを僕らを通してたくさんつくれているってことは実感もしているし、これからもっともっと溢れさせたいなっていう風に思っています。


ーすごい素敵な話で、そういったことを聞けるのも嬉しいです。福たすプロジェクトのはじまりについてお聞きしたいです。

うちのチームのマネージャーさんが中央大学小林ゼミの卒業生で、「実は僕が卒業したゼミで小林先生って人がいて、多分社長と話したら結構フィーリング合うと思います」って言われたんです。それで会って、「今度中大のみんなの授業に来て喋ってくださいよ」って話をして、講義しに行きました。そこで「せっかくの出会いだし何か形にしたいよね」って話になってやっちゃおうよってなって始まったのが福たすプロジェクトです。それは勢いというか、良いことならやってもいいじゃないですかっていうような感じで始まりました。ただやっぱり0から1にする人たちっていうのはすごい大変だったと思うし、それを引き継いでいくプレッシャーもあると思います。ましてや今年で10周年ってところで言うと、先輩たちは本当によくやったなと思いますね。10年ってことは2014年でしょう?その頃はうちの会社が経営再建がようやくできて軌道に乗り始めた時だったから、まだ会社組織として考えたら劣悪な環境でした。あのときの社員はめちゃくちゃ大変だったと思うし、そんな中で皆さんを迎えてプロジェクトをやることはこんなに歓迎されてない時期もあったし、正直不穏な空気感っていうのはありました。今は社員が18人いるけど、当時なんか本当に6人ぐらいでやってた時期で。だから多分2016~2017年ぐらいの時なんか本当に学生に対して失礼だったと思います。


ーそんな大変なスタートを切った中で、福たすプロジェクトが10年も続いた理由は何だと思いますか?

学生の皆さんによる努力と熱量が絶え間なく続いているからこそだと思います。2年間ゼミに関わっていくからこそ、先輩の姿を見て今度は自分たちがメインになって、それを後輩に託していく。自分たちの役割を皆が全うしてくれてたからじゃないかなと思います。


ー福たすプロジェクトをもうここで辞めたいとは思わなかったですか?

微塵もないです。だって僕らにとってはすごく勉強になって刺激にもなってるし、やっぱりみんなが生まれて生きてきた時代と我々は全然違う時代で生きてきているから、新生物を見てるみたいな感じで俺は見てる(笑)。今の子たちってどう考えているのかな、人とのコミュニケーションのあり方だとかね。情報が多様化して、僕らはみんな情報に左右される時代。その中で生きてきた人たちってどういう風な感覚を持って物事を進めていくのかなってことは冷静に観察していたりするし、すごく興味深いです。 


ー今後の福たすプロジェクトで将来的に実現させたいことや何か期待するものはありますか?

期待することはみんながこのプロジェクトを通じて、仲間同士の絆であったり、友情であったり、この地を舞台にしてやってきたことで秋田を好きになって、中大生の同窓会の場になってくれればいいなと思います。考えてみたら卒業して1年目はまだしも、3,4,5年経ったらゼミのみんなで会う事なんてまずないと思うんです。ましてや次の世代、その次の世代の子たちと同じ日に会う事なんてまずない。でも小林ゼミとしてつながっていて、東京で会えばいいけど会わない。でもその機会がこの福たすプロジェクトにあると思うと、それだけで意義あることだと思います。別に僕らにメリットがあることを期待してるっていうよりかは、みんなにとって一番良いものになってほしいなって思います。みんなにとって良いものであった時に僕らにとっても良いものになってるはず。そこを期待しています。


外山 新平(とやま しんぺい)さん

ブラウブリッツ秋田常務取締役

福たすプロジェクトをスタート時から支える

ーブラウブリッツ秋田で仕事をすることになった経緯やきっかけは何だったのですか?

前の仕事を辞めることになってどうしようと思ってたときに、知り合いが岩瀬社長に電話して、私のことを紹介してくれ、会うことになりました。会いに行ったら、岩瀬社長だけと話す予定が、初代社長で、私と同じ苗字の外山さんがいて。実は外山さんは、私の高校のときのサッカー部の監督で、恩師。事務所で岩瀬社長と外山さんと話した次の日から仕事をしてました。それがきっかけです。秋田県って東北6県の中だったら一番出張で来る方も旅行で来るお客さんも少ない。だからなんとかそれを増やしたくて、交流人口を増やしたかったんです。俺は年間で例えば3000人ぐらい呼びたいなと思ってたんだけど、Jリーグだったらもっと交流人口だったりお客さんを呼ぶってことをスケールがでかくできると思いました。だからやりたいことも一致していましたね。


ー仕事において譲れないことや心掛けていることは何ですか?

海外なんか見たら百年も続くクラブがたくさんあって、日本でJリーグが続く限りブラウブリッツ秋田は百年後もある。そのうちの今は14年目をお預かりしてるというか、務めさせてもらっているというか。いろんな人の思いがあって、いろんな人の支えがあってこの会社ができ上がって、ここまで来れてるんですよね。選手、スタッフ含めて、当然だけどもずっと続けられないし、辞めたり移籍したりする中で、それでもみんな人生かけてクラブに関わったっていうのがある。そういう人たちの思いとか、頑張り、努力に対してのリスペクトは絶対しなくちゃいけないと思います。あとは、個人的な自分の仕事っていうので言うと、俺なんかたかが知れてるっていつも思うようにしています。この人たちがいなければこの会社って回らないし、この人たちがいなければ百年後もブラウブリッツ秋田がそこにあるってことは実現できない。俺が一人でできることなんてたかが知れてるから、たくさんの人たちと一緒にできる組織を作っていくこと。そういう関係性をつくっていかなくちゃいけないなと思ってやっています。


ーブラウブリッツ秋田というチームの魅力は何ですか?

うちが掲げる「AKITA STYLE」は、サッカーのコンセプトであり、チームのコンセプトでもあります。「誠実・献身」「粘り強さ」、最後の1秒まで諦めないで戦うということ。「躍動」が表す多彩な攻撃も、たくさんのお祭りみたいな攻撃でっていう意味が込められていて、秋田の文化だったり風習だったりがコンセプトになっています。秋田の文化や風習、県民性を踏襲してるコンセプトだから、チームがそれを体現できると、それを見たファン・サポーター、もしくは初めて来た人が共感するところもすごくあるのかなと思っています。ここ3年でサポーターも「AKITA STYLE」になってきていると感じますね。最後にある「挑戦」っていうのは、「誠実・献身」「躍動」「粘り強さ」っていう、これだけいいところをもってる秋田の人だから、そこに自信を持って挑戦していきましょうっていう意味なんです。秋田の人って、意外とシャイで自信がない人が多いんです。だけど「AKITA STYLE」で我々がやってきているサッカーが、いろんな秋田の人たちに自信を与えているんじゃないかな、という気がします。「俺らは秋田の人間だ」「俺らがやっているサッカーはこれだ」「ぼくたちはこうやって生きてきているんだ」っていうのが体現できていて、だから応援する俺らもそうじゃなきゃいけない、ってなってきてるんじゃないかな。だからそれが魅力になっていくんじゃないかなと思います。


ー実際私もサポーターの方々に挨拶した時、すごく皆さん愛想が良くて。東京とはちょっと違う感じがしました。

きっと全然違いますね。彼らも自信を持ってきているような気がします。チームの魅力を、サポーターの人たちも友達だったり知り合いに伝えてくれているのかなっていう気がするし、そうやって応援してくれる人を増やしていくんだろうな、と思います。


ー最終的にブラウブリッツ秋田っていうチームが目指すチーム像みたいなものをお伺いしたいです。

やっぱり「AKITA STYLE」に尽きます。僕たちは秋田の皆さんの良いところを体現しているんですよ、と言うことで、彼らの姿、戦っている姿を見て秋田の人たちが自信を持つんじゃないかなって気がします。県外にもブラウブリッツ秋田のファンがいるんだったら、県外から認められるっていうこと。国内だけじゃなくて海外にファンがいるなら、海外からも秋田っていうチームが認められる、秋田の素晴らしさを認められる。なんでかっていったら「AKITA STYLE」でやっているから。そんな秋田で暮らしている、生まれ育ったっていうだけでも秋田の人間は自慢できるようになります。「見てってうちのサッカーを」って言えるだけでも、勇気を持てるんじゃないかなって思うんです。まずは我々のサッカーで秋田スタイルをやり続けて、関わる人たちに対して「AKITA STYLE」をしっかり伝えていくことが必要です。「うちのサッカーってこうなんだよ」って。「でもそれは皆さん持ってるんですよ。だからちょっと1回サッカー見てってください。」それだけで秋田の人たちは変わると思います。「AKITA STYLE」の魅力を、いろんな形で伝えていくことが必要になってきます。


ー長く福たすプロジェクトに関わってくださっていると思うんですけど、最初にかかわることになった経緯は何だったのですか?

ご縁ですね。小林ゼミとのプロジェクトが始まったのも縁だし、たまたまその年に俺がチームに入ったのもご縁。「中大のプロジェクトを担当して」って言われたから「OKです」って。それでやり始めたんです。


ー最初その話を聞いた時はどう思いましたか

学生と一緒になってやれるっていうのは面白そうだと思いました。初代の学生のメンバーは5人。やりたいことを聞いて、関係者の人と接点をつけてあげて、あとはスポンサー、OBの方々への営業に一緒に行ったりして。学生たちがやる気まんまんで聞いてくれてて。俺も刺激をもらったかもしれないです。俺も入りたてだったし、まだクラブのこともわかんないんだけれども、それを一緒に経験しながらやっていました。学生たちは可愛かったです。一生懸命だし、謙虚な子が多いし、「教えてください」のスタンスなので、可愛かった。クラブのことを知りつつ俺のこれまでの経験を教えつつ、彼らは彼らで学んできたことを活かす。俺ひとりじゃたかが知れてて、俺が学んでないことを彼らは学んでいたから、上手く組み合わせていけば成功するんじゃないかなと思ってやっていました。


ーなかなかJリーグチームと学生がコラボすることはないと思うんですけど、そこに対する不安とかマイナスな感じはなかったですか?

全然なかったです。そもそも岩瀬社長が一つ返事でやりましょうって小林先生に言ってるから、やるんだ、っていう感じです。当時はたかができたばっかりのJ3ですし。


ー小さなクラブだったからそこまで抵抗はなかったということですか?

抵抗はないし、一緒にがんばっていこうよ、って思えました。逆に一緒にやろうって言ってくれたのは嬉しかったしありがたいなって。


ー今年で10周年ですが、こんなに続くと思ってましたか?

思ってなかったですね。けど毎年毎年、プロジェクト当日はその次の年のメンバーが来るから、紹介されて、続いていくんだなぁと思いました。それから俺は俺で毎年反省があるんです。もっとこういう風な対応をしてあげればよかったとか、こうやってフォローしてあげればよかったとか。じゃあ来年は俺自身も直していこうと。毎年毎年それをとにかく積み上げてきただけっていう感じがします。


ー外山さんにとって福たすプロジェクト、小林ゼミはどういった存在ですか?

私が入社したのと同じ年数だから、ブラウブリッツ秋田で一緒に歩んできているという感覚です。最初の頃はお兄さんだ、と思ってたんだけど途中からお父さんかな、みたいな(笑)。主体は学生たち。我々の役割は学生のみんなが叶えたいところに導いてあげることだと思います。私が想像していた以上のことをやってくれたりするんです。だから毎年楽しみにしています。


ー福たすプロジェクトの魅力ってどんなものだと思いますか?

俺にとっての魅力をまず言うと、 だいたい4月、5月からプロジェクトが始まって、そこから9月に向けて学生のみんなが成長する姿を見れるのが魅力です。それに影響されて僕らも成長したりするんです。クラブにとっての魅力は、毎年中央大学っていう立派な大学で学んでいる学生とプロジェクトができて、地域活性化ってそういうもんかなとか、僕らがやってきたこと以外でもこういう風にロジックもって考えていることもあるんだな、っていうのを学べる機会でもあります。クラブにとっては新しいものをみんなが持ち込んでくれることがものすごく大きいことなんじゃないかって思いますね。


ーサポーターの皆さんへ

毎年学生を応援してくれてありがとうございます。3年目ぐらいからサポーターの方々にもプロジェクトが認知されてきたなって気がします。福たすのときは負けないっていう不敗神話があったから、サポーターの皆さんが中大生のことを応援してくれるようになった、可愛がってくれるようになった、というのもありますね。これからも面倒見てください、ご協力お願いします。



伊東 佑多(いとう ゆうた)さん

ブラウブリッツ秋田に新卒で入社

福たすプロジェクト5周年のときのゼミ生

ー小林ゼミに入った理由は何ですか?

小中高ずっとサッカーをやっていて、スポーツに関わっていたというところと、俺は福島出身なので、中1のときに震災を経験して、地域のために何かできることはないかって想いがあったんです。自分がこれまでやってきたスポーツで、地域のために何かできないかってところを思ったときに、たまたまFLPの話を聞いて、小林ゼミを知りました。自分がずっとやっていたサッカーのJリーグクラブと連携して社会にインパクトを与えようとしているところはすごく魅力的でした。まずは入ってみたいなと思って、たまたま小林先生と同じ高校だったこともあるし、入りました。


ーゼミ生の頃の印象的なエピソードを教えてください。

プロジェクトが終わった日に、どうしても宿がなかったのか、宿をとる感覚がなかったのか、ゼミ生全員宿をとっていませんでした。超疲れていて、前日もほぼ寝てないし、当日の朝も早く起きて。外山さんが、温泉に学生を連れて行ってくれて、お風呂入って事務所に帰ってきて事務所の地べたに寝転んで爆睡したのが印象に残っています。


ープロジェクトが終わったあとに涙を流したと聞きました。そのときはどんな感情だったんですか?

やりきったっていう達成感はあったけど、プロジェクト自体をうまく成功させられたかっていうとそうではなかったと感じていて。参加された方はすごく笑顔で、色んな方々に多く参加してもらって、そこはすごくと良かったなと思いながら、もっとできたし、なんでこの人がこの動きしちゃったのかなとか、俺がもっとこうしておけばこの人はもっとこういう動き方をできて、おそらくもっと良いプロジェクトになったなとか。そういうのを終わった瞬間だからこそ色々考えてしまいました。泣いていた覚えはないけど(笑)。


ー新卒でブラウブリッツ秋田に入社した経緯は何だったのですか?

プロジェクトで何度も秋田に来ている中で、外山さんから「うちで働かないか」ってホームゲームの前日準備のときにフランクな感じで言われたんです。普通に就活していた中で、長い時間考えて、新卒という立場でJリーグクラブに入れるチャンスって中々ないなと思って、新卒だからこそチャレンジできると思って、決断をしました。


ーゼミ生としてクラブを見ていたからこそ、入ってからのギャップは少なかったですか?

ギャップは何もなかったですね。関係性を築くのが不得意ではないからすぐに輪に入れたし、大変だったのは、整備が整っていないからこそ、自分で色々なことを学びながら、自分でつくっていくことがすごく多くて、そこでの相談相手が少ないことです。相談相手が社長とかになってしまう。それってクラブとしていいのかなって。社長や専務に相談するような案件なんだっけ、ってところとか。だからこそ学ぶことはめちゃくちゃ多かったし、逆に言うとやりがいにもつながっていたかなと思います。


ーゼミ生から見るブラウブリッツ秋田とスタッフとして見るブラウブリッツ秋田で何か発見はありましたか?

ゼミ生の頃は、いかにクラブを使って自分たちのプロジェクトをうまく運用するかを考えていました。クラブスタッフになって思うのは、プロジェクトの意義とか社会的インパクトをクラブ目線で見ると、すごく価値のあるコンテンツの一つだなっていうのは感じます。プロジェクトを見る見方はすごく変わりました。でも学生の頃からクラブの目線で見れていた方が良かったのかなとは思います。学生たちが自分たちのプロジェクトのためにブラウブリッツ秋田を使ってやっていくけど、それってブラウブリッツ秋田にとっても価値があるよねってことを知りながらやるのと、知らないでやるのとでは多分違うと思っていて。それをクラブスタッフはみんな知らないといけない。このプロジェクトってこんな価値があるんだよっていう気付きはクラブスタッフにも与えていかないといけない。自分はこのプロジェクト出身だからこそ、それができる存在だと思っています。


ーゼミ生と接するときに意識していること

俺が学生のときにめちゃくちゃ気を付けてやっていて、それがうまくいったことに関しては、絶対にそうした方がうまくいくからそうしてほしい、っていうのはすごく思っています。こうやったら絶対にうまくいかないよねってところも、俺だからこそ伝えられることなのかなと思っていますね。プロジェクトを経験したからこそ、それぞれの代が取り組んでいる中で、できる限り学生が実現したいことをブラウブリッツ秋田のフロントスタッフとして導いていくことを、とても意識しています。


ー長く関わっているからこそ感じる秋田の魅力は何ですか?

人がとても良いです。秋田の人って引っ込み思案って言われるんですが、入ってしまえばそんなことなくて。東京から来た学生をすごく優しく迎えてくれます。特にそれを感じたのは、8人制バレーボール連盟の方々がすごく優しくて、ただ行っただけなのにたくさんご飯が出てくるんです。そんなに温かく迎え入れてもらうことなんて人生でなかなかない。秋田の人の魅力を感じます。あとはご飯が美味しいですね。


ースタッフとしてゼミ生と接してきた中での思い出はありますか?

その年その年で感じていること、覚えていることはとてもあります。コロナ禍で秋田に来れない環境で、2021年度はゼミ生が1回も秋田に来れなくて、ずっとオンラインで打ち合わせ、準備をしてました。最後までやりきって、試合後、オンラインであいさつをしてもらったんですが、そのときみんな泣いてたんです。オンラインなのにここまで想いをもってやれるって相当すごいし、やりきったからなのか、やりきれなかったからなのかわからないけど、オンラインなのに涙するほどの想いをもってやってくれていた姿は、とても印象に残っています。みんなの感情として、こんなに想いをもってやっているんだ、それって相当すごいなっていうのを感じました。泣いている学生たちを見て、驚いたけど、それだけ努力したということだと思います。


ーゆうたさんにとって福たすプロジェクトとは?

あらゆる面で自分を成長させてくれた存在です。このプロジェクトがなかったらこの会社に入ってないから、成長という言葉で終わらせられないけど、今でも学生のみんなから学ぶことは多いし、それを通して自分が考えることも成長だし、色んな意味で成長させてくれているプロジェクトだなと感じています。「自分はこんなこともできないんだ」ってこともプロジェクトを通じて知って、成長できました。学生の頃はわからないことがたくさんあって、先輩や会社の人たちに教えてもらって、ただただやってた。それが今こうして会社に入って、学生のみんなが発揮できてないところってまだまだあるんです。自分は発揮させてあげなきゃいけない存在だけど、それを十分にやらせてあげられていないのは日々感じています。今も成長させてもらっているんだろうなって感覚です。


ー今後の福たすプロジェクトに期待することはありますか?

ブラウブリッツ秋田の社員として話すのであれば、続けてもらえると嬉しいなと思っています。このプロジェクトがあることでクラブにとってのメリットもあると思っています。どんな内容であれ、継続してやっていけるなら嬉しいです。個人的な意見を言うと、大前提として継続してほしいのもあるけど、もっともっと学生とフロントスタッフの目線を合わせていきたい。学生たちはプロジェクトを”させてもらっている”立場になっているけど、個人的にはそうではないプロジェクトにしていければ、本当の意味での共同プロジェクトになると思います。2つの組織がプロジェクトをつくっていくってなったときに、クラブは学生を使ってこうやりたいし、学生はブラウブリッツ秋田を使ってこうやりたいしっていうのをしっかりディスカッションして、会社にとっても学生の経験としてももっと良いものがつくれるんじゃないかな、とぼんやり思っています。

小林 勉(こばやし つとむ)先生

中央大学総合政策学部教授

岩瀬社長とともに福たすプロジェクトをスタート

ー先生とブラウブリッツ秋田の出会いと福たすプロジェクトが始まる経緯についてお聞きしたいです。

プロジェクトが始まる前の小林ゼミの先輩がJリーグのフロントスタッフとして働いていたんですけど、「先生知らないかもしれないですけど、ブラウブリッツ秋田っていうクラブに移りました」っていう話がきて。申し訳ないことに当時はブラウブリッツ秋田のことは存じ上げなくて、「監督さんどなた?」みたいな話をしたら、「与那城ジョージさんです。」って。この方はサッカー界では非常に著名な方で、僕が小さい頃のアイドル的な存在でした。ダメもとで「そっちに行ったら写真とか、撮れるかな?」 と言ったら「全然大丈夫ですよ」とのことで、当時の練習場に車でお邪魔して無事写真を撮っていただいたんです。そこが初めての接点でした。そしたら小さい交流会かなんかで、元ゼミ生、僕、 岩瀬さんとご飯に行って、っていうのが最初の出会いですね。岩瀬さんはお若いのに非常にいろんな経験をされている事と、お若いが故に柔軟な発想力を持たれてるところをすぐに感じて、お互い意気投合しました。そんな中、「うちの試合、学生さんのアイディアで何かやりませんか?」とご提案いただいたんです。 最初は「そんなうちの学生が」っていう思いがあったんですけど、「うちのようなちっちゃいクラブだから失敗しても失うものは少ないんです。どんなものでもアイデアがあればお借りしたい」っていうような話を岩瀬さんがされて、その実直さが僕に響いて、「それでしたら」ってところが始まりですね。本当にそんなところから始まりました。


ーその時は10年続くことは全然頭になかったですか?

そうですね、今話した通りひょんなところから始まったので、10年とかそんなロングスパンではお互い全く考えていませんでした。ただやらないよりやって後悔した方がいいだろう、そっちの方がクラブ側にとっても、うちの研究室にとってもプラスになるかな、と思いました。そんな形で初代のメンバーたちが秋田にコミットするようになったんですが、むしろ学生たちがすごかったですね。レールがないところで色々暗中模索・手探りしながら、メンバー間でもちろん軋轢もあったと思うし、泣けるようなこともいっぱいあったと思います。岩瀬さんはもとより、ブラウブリッツ秋田のスタッフの方々のお力添えは大前提なんですが、その大前提のもとに、僕がどうこうというよりは当時始めた学生さんがぶつかり合いながらいろんな爪痕を良い意味で残してくださったっていうのが、次の年もその翌年もという形で続いてきたのかなって。もちろん「元気な街、秋田」というテーマは一貫してるんですけど 、その壮大なテーマとは裏腹に現場で頑張る学生たち、スタッフの皆さんが目の前のことに直面して挑戦していった結果が、気付いたら10年も続いてたんですねってこの間岩瀬さんとも話しました。


ー社長は「福たす1年目の頃はクラブの体制も整ってなくてあんまり学生を歓迎してないスタッフもいたかもしれない」とおっしゃっていました。そういうのは小林先生自身も感じてましたか?また、そういう中でブラウブリッツ秋田のスタッフの方々に接する中で意識していたことはありますか?

歓迎されてない風に感じたことは一度もなくて、ただ普段の日常業務でさえお忙しい中、プラスアルファでご負担をかけてしまうので、申し訳ないなっていうのはずっと感じています。 心がけていたことは、申し訳ないのはずっと根底にあるので、やれることはとにかくやろうということ。僕も学生も時間なり労力を割いていただいているわけだから、だったらこっちも本気でやれることはやらなきゃいけないっていうのは、学生にも言ってきました。小林ゼミの歴代のOB・OGの皆さんも、大学のキャンパス内だけでは感じ取れない”現場の凄さ”  みたいなものを秋田の現地に入ると肌身で感じる。本当に岩瀬さんをはじめとしたブラウブリッツの皆さんを中心に、この上ない貴重な実践現場をご提供いただいていることに、本当に感謝しかないです。現場のプロと学生との力量では大きな違いがあると思うんですが、ブラウブリッツの方々のすごい素敵な所は、それがあったとしても感じさせないというか。なので学生も本気になる。学生は学生なりにすごくセンシティブで、大人の考えることを感じちゃうことがあるんですよね。それを感じちゃった瞬間、若い人であれば 一定数自分たちはこのぐらいでいいんだって自分たちでボーダーラインを引いちゃう。でもブラウブリッツとの共同プロジェクトではそれがないんです。クラブも「君たちがやりたいことをやってみなさい」っていう懐の深さがある。本当のプロの人達っていうのはこういうことなんだろうな 、と僕自身常日頃感じています。僕自身も非常に学ばせていただいているような、そんな空間です。


ーゼミ生と接する時意識していることはありますか?

引き受けた以上はやれるだけやる、エネルギーがなくなるまで。とにかく手を抜かない。手を抜くぐらいだったら引き受けない。そうやって実直にどこまでも突き進んでエネルギーでぶつかっていくと、楽しくなってくる。予想だにしなかった世界が、視界が開けてくる。僕のモットーで「どうせやるなら楽しくやろう」ってよく言ってると思うんですが、まさにそうなってくる。やっぱり中途半端にしかやってないと全然楽しくない。手抜いたままだと余裕でできちゃうからいくつもやれちゃう。こっちもやってこっちもやってってそれは別に悪くないんだけど、絶対10年経ったら忘れてる。ここは学生に分かってほしいなって思います。僕自身も学生に言う以上は、どんな活動、プロジェクトでも本気です。その方が絶対楽しい。それは俺が実感してるから学生にも感じてほしいなって思っているし、僕なんか比べ物にならないくらい、加藤さん、外山さん、岩瀬さん、ブラウブリッツの方々は本当に常にぶつかって全力で、その成果が今のクラブの結果に表れています。そういうものを身近で若い人たちに感じてもらいたいですね。


ー9年間関わってきたからこそブラウブリッツ秋田のチームの変化とかは感じますか?

規模感はかなり大きくなりましたよね。物理的にクラブの事務所が大きくなったりスタッフの数が増加したり、クラブのマネジメントの規模感は大きくなりました。チーム自体は、J3で優勝したけど最初はスタジアムが基準に達していないっていうことで J2に昇格できず、だけどそれにめげずにしっかり J3で優勝を果たしてスタジアムの基準をクリアして今に至る。順風満帆じゃないですよね。スタッフの皆さんにとっては非常に苦労の連続だと思うんですね。でも本質的なところであんまり変わってるとは感じないです。皆さん最初から本気だったし今も本気だし。ただやっぱりクラブがスケールアップするに従って業務も多岐にあたってくると思うので、それこそうちのプロジェクトはご迷惑じゃないのかなって。それは岩瀬さんとお話した時に「全然大丈夫です」みたいにおっしゃってくださるので、今のところはその言葉に甘えてるっていう状態ですね。


ーこれまでの福たすプロジェクトでの一番の思い出や印象に残ったエピソードを教えてください。

これだっていう一番のはなくて、その年その年の写真を見るだけでいろんな出来事がフラッシュバックしてきます。しいて言うと、泣けるほど頑張ったのを見れる時ですね。プロジェクトが終わった時に学生の皆さんがおのずと涙するときがあります。やりきった感があるのか、いろんな重圧から解放された反動なのか、その理由は人それぞれだと思うんですけど、泣けるほどの経験をしてるっていうのを毎年のごとく目の当たりにすると、それはやっぱり記憶に残ります。泣くタイプじゃないじゃんっていう学生が号泣したりね。コロナでオンラインの時でさえありましたからね。オンラインの時は教職員は現地に入れるってことで学生は行けなかったんです。プロジェクトが終わった直後の反省会をZoomでつないでやったんですけど、学生が画面上で泣いていたから、よっぽど思い起こすものがあるのかなっていうのは感じます。結論を言うと一つには絞りきれなくて、むしろ毎年泣けるぐらいの思いをしてる学生たちの姿は、印象に残っています。


ーサポーターのみなさんへ

福たすプロジェクトは、今年で10周年を迎えることができました。こうした歴史を刻むことができたのも、ひとえにサポーターの皆様の温かいご支援があってこそです。これまでのご支援に心より感謝申し上げます。ちょっとしたご縁で開始された本プロジェクトですが、学生たちにとっては何物にも代え難い貴重な経験の場となってきました。大学に進学するまで秋田の来訪経験がなかった学生たちも、皆様方との触れ合いを通じて、秋田が大好きになって卒業し、その後も秋田で学んだ経験を活かしながら自身の人生を切り拓いていく。このような歴史が構築されていること自体「皆様の存在の大きさ」を物語っていると思います。学生たちがこのプロジェクトで習得してきたことを大切にしながら、これからも秋田の地域活性化に微力ながらもお役に立てるように担当教員として邁進してまいりたいと思います。今後ともどうぞよろしくお願いします!