身体を使いながら世界を感じて、発見と再発見をしていくこと。体を通して感じたことに意味を見出し、言葉にして自分と会話したり、仲間と共有したりしながら、自分の感性から学んでいくことです。そのための扉と鍵が、感動や驚き、ときめき、ついついオノマトペで表現してしまうこと、簡易的な表現でしか言い表せないことなどにあります。
クラシック写真とは古典的な技法で印刷する写真のことです。今回用いる技法であるCyanotype(シアノタイプ)は、1800年代に発明された写真方式であり、青色の発色が特徴です。この方法では銀塩を使用せず、代わりに鉄塩の化学反応を利用して青色を現します。(銀塩の場合は白黒写真になります)そのため、青写真とも呼ばれたり、日光でプリントすることができることから日光写真とも言われます。
銀塩写真で使用される硝酸銀は毒物や劇物として指定されているため、使用に注意が必要なのですが、シアノタイプではそのような指定はありませんので安全です。また、作業も簡単であり、手順の説明さえ受ければ、誰でもすぐに楽しんで、感動する写真を制作することができます。
青い写真ワークショップのプ流れを説明します。
自然の中を散策する中で自分の心の動きを見つめ、ときめくものを探索発見していきます。自然という言葉を聞くと、ある人は緑の植物や動物が生きる日常の外側の環境を想像したり、ある人は自分の生活しているいつもの日常を自然だと思うかもしれません。それぞれの自然の中でときめきを探していきます。
「ときめき」という言葉を、さらに具体的な言葉で表すとしたらどんな言葉になるでしょうか。ここでは、ときめきという言葉を「感覚情報に対する好的な違和感」と定義しよう思います。ようするに、「直感的に良いと思うんだけど、なんでそうなのかわからない感じ」です。知覚して言葉になる前の、直感的で無意識的な、心の小さい変化を捉える試みが、「ときめき」を摘んでいく工程です。
ここで大切にしていることがあります。それは、たくさん体の感覚を使うことです。例えば、花のいい香りや植物の青臭い匂い、摘むときの触った感触や、それをもった時の手の感覚、喜びに体を揺らした感覚、しゃがんでみたり、立ち上がったりする中で感じるバランス感覚などです。例をあげればキリが無いほどに色んな感覚をあげることができます。このようにたくさんの感覚を感じることが「ときめき」のきっかけになると想っています。
※開催場所に応じて探索・発見の方法(手段)は調整しています。
採集してきたときめきを印画紙(印刷するために液を塗布した紙)の上で、自分なりの解釈で表現します。社会的な美意識に寄せずに、その瞬間に自分の内面から湧き上がる感情や創造力、解釈のままに、想うがままに表現します。
日光を使ってプリントをしている様子です。室内でも、屋外でも、その場に応じて臨機応変に対応しながら、それすら楽しみます。
光が当たったところは化学反応によって青色になり、光が当たらなかったところは、その部分の薬品が水で流れ落ちて白くなります。この水洗作業で青色が徐々に浮かび上がり、写真に表情が生まれてきます。
オキシドール(過酸化水素水)に浸すと、発色の良い青色が浮かび上がってきます。とても感動的な作業で、参加者の誰もが感動するタイミングです。
自然乾燥、もしくは、ドライヤーを使用して乾燥を待ちます。乾燥すると、写真のコントラスト(明暗の差)にはっきりとしてくるので、表情に変化があります。
自分だけのサインを考えて、自分の作品に刻んでいきます。世界にひとつの作品を仕上げます。
自分が創意工夫した作品を額装します。額装することで写真がキリッと締まります。
作品はどのような考えを経てできたのか、作品が完成した時に何を想ったのか、作品に何を見てとれますか?など、作品ができるまでの間に、どのようなことを感じたのかを参加者同士でシェアします。
身体を使ってプリントする過程で自然に言葉になってきたこと。その内側から滲み出てきた、染み出してきた言葉を相手に伝えるようにします。
直感的だったものを言葉にしていくことは日常的にやらないことかもしれませんが、この直感的な認識の中に、自分のらしさが隠れています。らしさというのは、直感的な無意識の中に溢れています。シェアする中で、思いがけない気づきを得ることができます。
作品というのは自分の鏡で、そのときの自分を写しています。手刷りで写真をプリントする中で、潜在的な心にアクセスしています。ですから、自分を振り返るような、内省的な言葉が出てくることが多分にあります。それはポジティブなことで、自分の作品を見立てる時、そのような言葉が出てくるほどに作品の解釈が広がり、作品は豊かさを増していきます。内省をポジティブにとらまえなおすことができます。
ここで、大事にしたいことがあります。
それは、社会的な美的評価に自分の考えを寄せていかないということです。社会的な評価は「正解」という、前提になっている自分の「常識」を取り外す、もしくは、脱ぎ捨てて、自分の内側から湧き上がるものにフォーカスをして見立てる(解釈する)こと、それ全てが正解です。見立てる中で、作品は豊かさを増していきますから、作品の価値を創造していると言えます。
また、作者の見立てに対して、鑑賞者から感想や質問をいただきます。鑑賞者の視点から作品に対する感想を貰うことで、自分にはなかった視点(ものの見方)が得られます。視点が変われば、見立て(解釈)の幅が広がり、作品はより豊かなものになります。他にも、作品への疑問があれば、その問いに答える中で、多面的な視点で作品と向き合うことを強制されます。この多面的な視点は、日常の世界の切り取り方にも影響を与えるはずですから、自分の常識が揺らぐ体験となります。
対話の中で互いに触発し、当たり前(常識)が揺さぶられ、思いがけない気づきと創発が生まれることを期待しています。
直感的な心の動き(ときめき)をもとに、クラシック写真を刷り、そのプロセスの中で直感的な心の動きを理解していきます。社会評価に寄らない、内側から湧き上がる声をもって作品を見立てることは、自分のらしさを知ることでもありながら、自ら価値を創造する体験でもあります。
綺麗な写真を綺麗にプリントする技術は、人間を間に挟まない方が綺麗な写真に仕上がります。しかし、それが美しいかと聞かれると、私は人間を間に挟んだ写真には、それ以上に美しさが宿っているように感じています。
人間らしさとはなにかと考えた時に、浮かんできた僕の答えは身体性でした。身体性とは、「外界の環境と相互作用を持つ身体によって知覚や体験を得ることができ、そこからも学ぶことで高度な知能を獲得していくことが可能だと考えられるものです。」わかりやすくすると、「体を通して感じたことに意味を見出すことができ、そこから学ぶことができる」ということです。そして、私はここに人間らしさの本質を感じています。
その根っこになる部分が知覚であり、知覚とは、対象の意味を理解することで、入ってくる情報を整理して、ものごとの意味を理解することです。
なので、体を使って写真を刷るような手間のかかる、クラシックな技法のプリント技術を使っています。写真をする行為の中に身体を使うことは、「身体をプリンターとして使っている」ということですから、身体を使いながら世界を感じて、理解していくことに意味があります。
4歳〜80歳の方まで幅広い年代で、現在のところ150人ほどの方々に、楽しんでいただいています。
ここまで、興味を持って、ご覧いただきありがとうございます。