「六宝(ろっぽう)」は猩々軕のお囃子の一曲である。
奉芸や掛芸を終えて軕が去るときや、夜宮のあと曳き別れて宮町へ戻るときに演奏される曲目(「帰り軕」という)として使われる。
宮町では戦後長らくこの曲が忘れ去られていたが、2006年に長老が思い出し、2009年から帰り軕として復活した。
元々は、上皇陛下ご降誕の折(1933年)、それをお祝いしてお囃子に取り入れられた曲である。
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その後、2014年に発行された『大垣祭総合調査報告書』において、この曲が犬山祭にある「ニッポンカッタ」という曲と同じであることが判明した。
そこで、2005年に発行された『犬山祭総合調査報告書』を調べたところ、以下のような記述が見られた。
夜車山の終りに近く自町内に帰って来るのを帰り車山と言い、曲目にもなっている。三町とも基本的には同じ曲であり、一部に五拍子ととれる旋律もあるが小太鼓は笛の旋律をおおよそたどっている。枝町と寺内町はいちおう二曲に分けているが、常に続けて演奏する。「にっぽんかった…」と子供も大人も大声で歌いながら進む。熊野町の場合は二つの旋律を合わせて「西洋づくし」と呼んでいるが、後半部分では笛も小太鼓もともに枝町・寺内町の「ニッポンカッタ」より細かいリズムで変奏したうえ、旋律を展開してより長い曲になっている。歌は付かない。
曲名の由来になっている「ニッポンカッタニッポンカッタ ロシャマケタ アメリカフランスパオパオパ」という歌は日露戦争後にはやったのであろう。市内のお年寄りからも歌だけ採集されている。草笛の場合、民謡や流行歌を吹くことは容易なのでどこかの町内が囃子に取り込んだのであろう。この旋律は元をたどれば幕末にはやった「九連環→カンカンノウ」である。「梅が枝の手水鉢」という替歌にもなっているこの旋律は、千葉県佐原囃子や東京都奥多摩地域の江戸囃子にも入っており、近くは岐阜県羽島市竹鼻祭りでも聞かれる。
(p.419(第十章第五節第二(草笛使用町(枝町・熊野町・寺内町)の囃子)(二)))
そこで、「ニッポンカッタ」と「六宝」の楽譜を比較してみる。(楽譜はクリックすると拡大表示されます。)
「ニッポンカッタ」の一段目と「六宝」の二段目、「ニッポンカッタ」の二段目と「六宝」の一段目の旋律が、それぞれほぼ一致していることが分かる。
「ニッポンカッタ」
「六宝」
※「六宝」の楽譜は私が新しく起こした。
※「ニッポンカッタ」の楽譜は『犬山祭総合調査報告書』付属ディスク所収の楽譜を元に作成した。ただし、比較のために1オクターブ下げた。
※「六宝」は、奉芸や掛芸を終えて軕が去る際に演奏する場合、直前の曲「獅子」が終わると「ソーライ」という掛け声が入り、そのまま間を開けず二段目から演奏される。当ページ冒頭に掲出した音源も、「獅子」と続けて録音したものであるため、二段目から始まって、六段目のD.C. al Fineで一段目に戻り、Fineのところで終わっている。
※当ページ下方にて、それぞれのmidおよびwavファイルをダウンロードいただけます。
しかし、「ニッポンカッタ」には「六宝」の三段目以降に対応する部分がない。
そこで、更に「六宝」に似た曲がないかと探していたところ、三谷祭で中区が演奏する「芸者六法」という囃子を発見した。
「芸者六法」はYoutubeで聞くことができる(動画では二回繰り返して演奏されている)。
旋律も笛の運指も、最初から最後までほとんど「六宝」と同じである。
この曲を楽譜に起こすと、以下のようになる。
※当ページ下方にて、midおよびwavファイルをダウンロードいただけます。
「芸者六法」
第19~20小節だけは旋律が似ていないものの、音の刻み方が違うことを除けば、残りはほとんど一致している。
「芸者六法」という曲名を見ても、この曲が「六宝」と同祖関係にあることは疑いないだろう。
以下、補足。
「ろっぽう」の正確な漢字表記は不明で、現在では「六宝」が主流だが、2009年にお囃子を記録したCDでは「六方」となっている。
私見を述べるならば、「六方」あるいは「六法」が本来の表記ではないかと考えている。「六方(六法)」は、歌舞伎役者が花道を引っ込んでいくときの、歩き方の一種を指す語である。軕が曳き別れて町内へ帰っていく様子をそれに例えたのかは分からないが、「六宝」は当て字で、本来の意味に合った表記は「六方(六法)」である可能性が高い。
また、「六宝」の歌詞は現在伝わっていないが、各地に伝わる「〽日本勝った~」という歌から考えて、以下のような歌詞が存在していたのではなかろうか。昭和8年に新しい囃子として追加された際、町民がこの歌詞の存在と流行を知らずにこの曲を選んだとは考えにくいためである。
一段目:ロシアの 軍艦 底抜けた(※D.C.から戻ってきた時のみ歌う)
二段目:日本勝った 日本勝った ロシア負けた ソーライ
※「ロシアの軍艦底抜けた」の部分は、「ロシアが負けたらええじゃないか」「ロシアでも負けたら降参じゃ」「ロシアは風邪引いて鼻垂れた」などのヴァリエーションがネット上に散見するが、最もよく広まっていたと考えられる「ロシアの軍艦底抜けた」をひとまず当て嵌めた。その他、「アレキの泣き面蜂がさす」「軍艦取られてお気の毒」「陸と海との挟さみうち」「又たも戦捷の号外じゃ」「法螺吹く勇気は何処へいた」といった歌詞も見つかる(リンク切れ/同頁に「明治三十八年流行、『日露新哥大よせ』」とあったが詳細不明)。