特別福音集会は終了しました。
ご来場ありがとうございました。引きつづき定期集会にお越しください。
2025年
キリストの
特別福音集会の御案内
10月3日 (金) 夜 7:30~8:30
4日 (土) 昼 2:00~3:00
4日 (土) 夜 7:30~8:30
5日 (日) 昼 2:00~3:00
語る人:竹尾 潤 氏
ところ:福井県国際交流会館
(第三会議室)
福井市宝永3-1-1
tel:0776-28-8800
駐車場無料
どうぞお気軽にお越しください。
入場無料、出入り自由です。
どうぞお気軽においでください。入退室自由です。
特別福音集会は終了しました。
ご来場ありがとうございました。引きつづき定期集会にお越しください。
2025年
キリストの
特別福音集会の御案内
10月3日 (金) 夜 7:30~8:30
4日 (土) 昼 2:00~3:00
4日 (土) 夜 7:30~8:30
5日 (日) 昼 2:00~3:00
語る人:竹尾 潤 氏
ところ:福井県国際交流会館
(第三会議室)
福井市宝永3-1-1
tel:0776-28-8800
駐車場無料
どうぞお気軽にお越しください。
入場無料、出入り自由です。
福音・・・よい知らせ
福音は「よい知らせ」という意味です。
長いあいだ難病に苦しんでいる人にとって、治療法が見つかったという知らせは福音です。
聖書は全ての人が罪という病気に冒されていると教えています。
聖書の福音は、罪人に対する福音で、誰にとってもよい知らせです。しかし、自分が罪人であるということが分からなければ福音も理解できません。
病気は、熱や痛みなどの症状で分かります。罪という病気も同じです。殺人や泥棒だけでなく、悪口や意地悪な態度も罪の症状です。
高慢、憎しみ、ねたみなどの心の思いも、実はこの病気にかかっている証拠です。罪の病に冒されていない人は、この世に一人もいないのです。
聖書は、「人間には罪がある。人間は神の前に罪人である」と指摘します。
「義人はいない。一人もいない。悟る者はいない。神を求める者はいない。すべての者が離れて行き、
だれもかれも無用の者となった。善を行う者はいない。だれ一人いない。」
「彼らの喉は開いた墓。彼らはその舌で欺く。」
「彼らの唇の下にはまむしの毒がある。」
「彼らの口は、呪いと苦みに満ちている。」
「彼らの足は血を流すのに早く、彼らの道には破壊と悲惨がある。彼らは平和の道を知らない。」
「彼らの目の前には、神に対する恐れがない。」(聖書のことば)
罪は人に永遠の不幸をもたらします。楽しいことや悲しい事を経験しながら人は年をとり、やがてこの世を去って行きます。
そして、神様の裁(さば)きを受けなければなりません。神は、正しい方ですから、審判を曲げることはお出来にならないのです。
しかし、神様は、人を不幸にしたいと思っておられません。天国に迎えて、永遠の幸せを与えたいと願っておられます。罪に対する裁きを正しく実行することと、罪人を天国に迎えて幸せにするという、この相反する二つのことを共に行うことが出来るでしょうか。
神様がなさったことは、本当にすばらしいことです。神様は、罪人である私たちのために、愛する御子キリストを身代わりに裁かれたのです。
罪も汚れもなく、愛と憐れみに満ちておられたキリストに、神は私たちの全ての罪を負わせ、手かげんすることなく裁かれました。それが十字架です。そして、罪の裁きが完全に終わったことと、天国があることをお示しになるために、神様はキリストを三日目に生き返らせられました。ですから、神様は、十字架によって、もはや罪の裁きが終わったとして、私たちを天国に迎え、永遠の祝福を与えて下さるのです。
ところで、どんなに素晴らしい治療法が開発されたとしても、病人がそれを受け入れなければ、何の恩恵にもあずかれません。それを認めて治療を受けて初めて癒されるのです。神の福音もこれと同じです。キリストの十字架の福音を信じて初めてその罪の赦しと、永遠のいのちにあずかれるのです。
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世(世界の人々)を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためでなく、御子によって世が救われるためである。」 (聖書のことば)
どうかあなたが、聖書の語るまことの神様をお知りになられますように、またイエスが神の子キリスト(救い主の意味)であることをお知りになられますように。
このたびの特別福音集会にお越しください。
入場無料、出入り自由です。(文中青文字は聖書のことば)
キリストの
特別福音集会のご案内
この特別集会は終了しました.
ご来場いただきありがとうございました。
引き続き定期の集会においでください。
2025年
5月31日 (土) 昼 2:00~3:00
5月31日 (土) 夜 7:30~8:30
6月 1日 (日) 昼 2:00~3:00
語る人:J. E.フェアフィールド氏
ところ:福井県国際交流会館 第一会議室
福井市宝永 3-1-1 Tel : 0776-28-8800
入退室自由です。 駐車場無料
どうぞ、お気軽にお越しください。
永遠のいのちとは、唯一のまことの神であるあなたと、あなたが遣わされ たイエス・キリストを知ることです。(聖書)
聖書には「神の人モーセの祈り」という題名の詩があります。モーセ自身の詩です。モーセは「十戒」で知られる実在の人物です。その詩の一部をご紹介します。
あなた(神)は私たちの咎を御前に
私たちの秘め事を御顔の光の中に置かれます。
私たちのすべての日は
あなた(神)の激しい怒りの中に消え去り
私たちは自分の齢を一息のように終わらせます。
私たちの齢は七十年。健やかであっても八十年。そのほとんどは、労苦とわざわいです。
瞬く間に時は過ぎ、私たちは飛び去ります。だれが御怒りの力を
あなた(神)の激しい怒りの力を知っているでしょう。
ふさわしい恐れを持つほどに。
どうか教えてください。自分の日を数えることを。
そうして私たちに、知恵の心を得させてください。」
(聖書 詩編90 モーセの祈りから抜粋)
モーセは神のしもべとして神のご用のため働き、120歳まで生きたことが聖書に書かれています。
モーセの詩には、人生の短さ、労苦、わざわいが書かれています。しかし神への期待と神の慈愛を求め、また神の正しい審判にも言い及んでいます。
私たちはいつまでも生きたい。誰もが願うことです。しかし、肉体のいのちは限りがあります。
私たちが知る死は、肉体の死です。人はそこから先は何も語れません。誰も知らないからです。
しかし、聖書は「死と死後」について語り、「永遠のいのち」について教えます。このいのちは、永遠の幸いの中に生きる「いのち」です。真実で信頼できる神の確かなことばなのです。
どのようにしてその「永遠のいのち」を得ることができるでしょうか。本当なのでしょうか。
聖書は二つのことを知るようにと教えています。
■ 唯一のまことの神を知ること。
神の存在の証明のためには、人間の知恵による精巧に造り上げた弁証などは不要です。神はご自身の創造のみわざを通してご自身をお知らせしています。
「主(神)よ あなたのみわざはなんと多いことでしょう。あなたは知恵をもってそれらをみな造られました。地は あなたのもので満ちています。」(聖書 詩編104から)
この世界とその中にあるすべてのものをお造りになった方は神です。聖書は「私たちは神の中に生き、動き、存在しているのです。」と教えます。神の正義、神の哀れみ、神の愛を知ることはとても幸いです。
■ 神の御子イエス・キリストを知ること。
「神は、すべての人が救われて、真理を知るようになることを望んでおられます。
神は唯一です。神と人との間の仲介者も唯一であり、それは人としてのキリスト・イエスです。
キリストは、すべての人の贖いの代価として、ご自分を与えてくださいました。これは、定められた時になされた証(あか)しなのです。」(聖書 テモテへの手紙から)
聖書は罪について教えます。罪とは神を認めず神に逆らうことです。その結果が報いとしての「死」です。「罪の支払う報酬は死です。」と書かれています。
しかし、神は人に罪の赦しと永遠のいのち(救い)を与えるため、この世界に神の子であるイエス・キリストをお遣わしになりました。そして十字架で私たちの罪の身代わりとしてキリストを裁かれました。神はイエス・キリストを神の子、救い主と信じ受け入れる人に賜物(たまもの)として「永遠のいのち」を与えることを約束し、聖書を通し世界に知らせておられるのです。
幸いな神の福音をお知りになられますように。(文中青色文字は聖書のことば)
この特別集会は終了しました。
皆さまご来場いただきありがとうございました。引き続き定期の集会においでください。
キリストの福音
特別集会のご案内 (2024年)
10月18日(金)夜 7:30~8:30
19日(土)昼 2:00~3:00
19日(土)夜 7:30~8:30
20日(日)昼 2:00~3:00
語る人:福岡 満雄 氏
ところ:福井キリスト集会所
福井市文京 1-3-19
0776-21-9321 (駐車場有り)
― 二つの荷(に) ―
「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心が柔和でへりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすれば、たましいに安らぎを得ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」
(マタイの福音書11章28節~30節)
イエス・キリストが語られたことばに大きく異なる二つの「荷」があります。
1.『重荷』
すべての人は「罪と死」という重荷を負っています。
人は罪を犯すと、良心のとがめに悩まされます。聖書は真の神を無視することが根本的な罪だと指摘します。
人は死の重荷を負っています。聖書は「死の恐怖によって一生涯奴隷としてつながれている」と告げています。
人生には喜び、楽しみはありますが、一時的です。この「重荷」から解放されない限り、真の平安はありません。しかし、イエス・キリストは、その重荷を取り除くことができます。
神の御子イエス・キリストは、罪のないご生涯を歩み、私たちの罪の身代わりとして十字架にかかり神のさばきを受けてくださいました。しかし、三日目に死よりよみがえり、永遠のいのちがあることを明らかにされました。
イエス・キリストは言われました。「わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」それは「罪と死の重荷」から解放された平安な人生への約束です。
2.『わたしのくびき、わたしの荷』
イエス・キリストのくびきとは、この方と一緒に歩むことです。それは、決して重荷となりません。かえって、有益であり、有用で幸いな人生です。罪と死の重荷から解放されるからです。
この方とともに歩む人生は喜びと希望に満ちたものになります。
イエス・キリストは「わたしは心が柔和でへりくだっている」と言われます。
だれでも、この方のもとへ行くことができます。
この方は恵みとまことに満(み)ちておられました。人々に語られた恵と力(ちから)にあふれた言葉は、罪のない聖(きよ)いご生涯と全く一致していました。そのイエス・キリストが「わたしから学びなさい。そうすれば、たましいに安らぎを得ます。」と言われるのです。
この幸いな招きに、心から信頼し、イエス・キリストとともに歩む人となられますように。そして、イエス・キリストにある永遠のいのちをご自分のものとされますようお勧めいたします。
聖書のことば
「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きます。」(ヨハネの福音書11章25節)
どうぞ福音集会にお越しください。入場無料、出入りは自由です。文中青色文字は聖書のことばです。
ご来場いただきありがとうございました。
引き続き定期集会にお越しください。
キリストの福音
特別集会のご案内
2024年
5月10日(金)夜 7:30~8:30
11日(土)昼 2:00~3:00
11日(土)夜 7:30~8:30
12日(日)昼 2:00~3:00
語る人:菅原 真 氏
ところ:福井県国際交流会館
福井市宝永3-1-1
Tel :0776-28-8800
駐車場は無料
出入りは自自由です。
お気軽にお越しください。
― い の ち ー
★人に「いのち」を与えられた神★
神である主は、その大地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。それで人は、生きものとなった。 (旧約聖書、創世記から)
耳を植えつけた方が、聞かないだろうか。
目を造った方が、見ないだろうか。
(旧約聖書 詩編から)
わたし(神)が、あなたの神、主・・・救い主である。わたし(神)の目には、あなたは高価で尊い。わたし(神)はあなたを愛している。(旧約聖書から)
この世界とその中に在るすべてのものをお造りになった方は神です。神があなたに「いのち」を与えられました。神の目には、あなたは高価で尊く、愛される存在なのです。
しかし、尊い「いのち」をくださった神を多くの人は知らないのです。また、知ろうとしたがらないのです。人は自分の造り主である神から遠く離れている状態です。聖書はそのように指摘しています。
今日、世界各地のさまざまな出来事を報道で毎日のように知らされています。その中でも、人の「いのち」が日々、失われているニュースには、誰もが心を痛めるのでないでしょうか。
日本でも、令和2年4月から令和3年3月までの一年間で、0歳~17歳の子供が77人、虐待で「いのち」を失ったことが報告されています。1週間に1人の子供が生きることを絶たれ、「いのち」を落としています。
聖書は人の「いのち」の価値を教えています。
人は、たとえ全世界を手に入れても、自分のいのちを失ったら、何の益があるでしょうか。そのいのちを買い戻すのに、人は何を差し出せばよいのでしょうか。(新約聖書から)
★神を見失い、迷子の羊のような人間★
私たちはみな、羊のようにさまよい、それぞれ、自分勝手な道に向かって行った。しかし、主(神)は、私たちのすべての者の咎を彼に負わせた。・・(省略)・・彼は多くの人の罪を負い、背いた者たちのために、とりなしをする。(旧約聖書、イザヤ書から)
上記聖書のことばは、キリスト誕生以前約700年前に、神の預言者イザヤを通して記されました。人は神から離れた迷子の羊のようであり、自分の欲望のままに生きていること。また人は罪の重荷を負っていることも教えています。
聖書は、神が人を導き、罪の赦しを与え、新しく永遠の「いのち」を与えることを約束しています。
とても不思議な話のようですが、神の子イエス・キリストをとおして実現されたのです。“彼”とはキリストのことです。
★神の子イエス・キリスト★
イエス・キリストはどんな人?と問うなら、多くの人は道徳の素晴らしい教師、あるいは、キリスト教の開祖と言う答えが返って来るでしょう。しかし、キリストの弟子ペテロは「あなたは、生ける神の子キリストです。」と告白しました。キリストとは、救い主という意味です。
さらに、ペテロはイエス様に対して「主よ、私たちはだれのところに行けるでしょうか。あなたは、永遠のいのちのことばを持っておられます。」と答えています。イエスが神の子であり、私たちに永遠の「いのち」を与えることのできる方ですと答えたのです。
その永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストとを知ることです。(新約聖書から)
どうぞ福音集会においでください。
入場無料、出入りは自由(文中青文字は聖書のことば)
この特別福音集会は終了しました。
ご来場ありがとうございました。
引き続き定期の集会にお越しください。
キリストの
特別福音集会のご案内
2023年
10月20日(金)夜7:30~8:30
21日(土)昼2:00~3:00
21日(土)夜7:30~8:30
22日(日)昼2:00~3:00
語る人:菅原 一榮 氏
ところ:フェニックスプラザ
(301号A )
福井市田原1-13-6
Tel:0776-20-5060
入場無料 出入り自由
皆様のご来場お待ちしています。
人間と同じようになられた神
― 神を知る方法 ―
人の目には見えないが、宇宙には大きな力が働いていて、人間を超えた存在者がいるのではないだろうか?
もしかすると、私たち一人ひとりの心も知っているのではと漠然とした神に対する意識を持つ方もおられるのではと思います。
広大無辺の宇宙、永遠の時の流れ、いのちの不思議さ、さらに自然界の驚異の姿に神の存在を感じるのでないでしょうか。
聖書には「いまだかつて神を見た者はいない。」と記されています。
神を見たり、或いは、納得がいくまで神を知った人はいないのです。
しかし、聖書には「父のふところにおられるひとり子の神が、神を説き明かされたのである」と書かれています。
「父のふところにおられるひとり子の神」とは、イエス・キリストのことです。
神は理論や哲学の中に、ご自分を示すことしませんでした。また幻や個人の奇跡的体験の中にご自分を現わされませんでした。
ただイエス・キリストによってご自分を示されたのです。
― 人となられた神 ―
イエス・キリストは、約二千年前にイスラエルの地に誕生し、三十数年の生涯を送られました。
このイエス・キリストこそ永遠の神が人間となられた方です。
聖書には、「ことば(キリスト)は人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父(神)のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。」と書かれています。
聖書は神について知識的に教えているのではありません。神が私たちと同じ人となられることにより、ご自身を示して下さったのです。
私たちは、人と人の交わりの中に、真実、愛、美しさ等を見出し、理解を深め共感し、お互いの間に強い絆が形成されていくことを知っています。
丁度これと同じように、神を知り交わりが可能となるよう、永遠の絶対者である神が人となられて、私たちの間に住まわれました。そして、私たちが経験する人生を共に味わって下さったのです。
― あなたとの関係 ―
イエス・キリストは、十字架の上で死なれました。しかし、三日目に墓よりよみがえられました。
その後四十日にわたってご自分が生きていることを多くの人々に示されました。それから天にお帰りになりました。今も天で生きておられます。
私たちと同じように人として生まれた方は、あなたの人生の悲しみや苦しみに同情出来ない方ではありません。
この地上で多くの人に哀れみと恵みに満ちたわざをなさったイエス・キリストはあなたを愛しておられます。
十字架の死は、実にあなたの罪のための身代わりの死であり、父なる神のご計画による出来事なのです。
「わたし(イエス・キリスト)は、道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれも父(神)のみもとに行くことはできません。」(聖書)(文中青色文字は聖書の言葉です。)
ぜひこの度の特別福音集会にお越しください。入場無料、出入り自由です。
引き続き定期の集会にお越しください。
5月19日 (金) 夜 7:30~8:30
20日 (土) 昼 2:00~3:00
20日 (土) 夜 7:30~8:30
21日 (日) 昼 2:00~3:00
語る人:碇 修 氏
ところ : 福井県国際交流会館
福井市宝永3-1-1
Tel : 0776-28-8800
入場無料、出入り自由、駐車場無料
皆様のご来場お待ちしています。
「神の福音」をご存じですか?
福音は良い知らせのこと。聖書には次のように記されています。
初めに聖書についてー聖書は旧約聖書と新約聖書の二つの部分から成る書物です。
旧約聖書は、BC1500年~BC400年頃に書かれ、新約聖書は、AD50年~1世紀終わり頃までに記されました。
旧約、新約、合わせて約1600年要しました。著者は40人ほどですが、聖書の真の著者は神です。
神が私たちに下さる祝福(永遠のいのち)それは、イエス・キリストによって与えられます。
キリストの死、葬り、よみがえり、について聖書から神の福音をご紹介します。
■ キリストは、聖書(旧約聖書)の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、
(新約聖書、コリント人への手紙から)
キリストの死は十字架刑による死です。
イスラエルの指導者たちは、キリストへのねたみから、総督ピラトに十字架刑にするよう訴えました。総督は「この方には罪がない」と判決を下しました。しかし、指導者たちは聞き入れず群衆を扇動しついに十字架にかけてしまいました。
実は、旧約聖書にはキリスト(救い主の意味)が十字架にかけられる様子や、その苦しみが詳細に記されていました。
キリストの十字架刑は、私たちの神に対する罪の身代わりの刑罰でした。私たちの罪を許す為、神が計画された出来事でした。
キリストは、神の御姿(神の子)であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、
ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。 キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。(新約聖書より)
キリストも一度罪(人々の罪)のために死なれました。正しい方が悪い人々の身代わりとなったのです。(新約聖書より)
■ 葬られたこと、
キリストは朝の9時に十字架にかけられ、午後3時に息を引き取りました。
・・・さて、十二時になったとき、全地が暗くなって、午後三時まで続いた。 そして、三時に、イエスは大声で、「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ。」と叫ばれた。それは訳すと「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」という意味である。・・・それから、イエスは大声をあげて息を引き取られた。(新約聖書より)
葬りは、ユダヤ人議会の議員であるヨセフと、ニコデモによって、ヨセフ所有の新しい墓に葬られました。この葬りについても旧約聖書に書かれています。
■ 聖書に従って三日目によみがえられたこと、
キリストの死とよみがえりは、キリストご自身、前もって弟子たちに何度も話しておられました。
・・ イエス・キリストは、ご自分がエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、そして三日目によみがえらなければならないことを弟子たちに示し始められた。・・・(新約聖書より)
新約聖書は、キリストの復活を詳細に記しています。復活は、キリストが神の子であり、私たちの救いが成就したことを明らかにしました。
キリストの十字架刑、葬り、よみがえり、これらすべてキリスト誕生以前に神が旧約聖書において予言していたことであり、そのすべてが神の御子「イエス・キリスト」において成就しました。
神はそのひとり子(イエス・キリスト)を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。(新約聖書より)
誰もがキリストの十字架を知っています。しかし、この方は神が遣わされた神の子であり、救い主であることを知りません。
神はすべての人に神の救い、(罪の許しによる永遠のいのち)を明らかにしておられます。
どうぞ「神の福音」をお知りになりますように。
(文中青文字は聖書のことば)
此の特別福音集会は終了しました。
ご来場いただきありがとうございました。
キリストの
特別福音集会のご案内
会場 : 福井キリスト集会所
福井市文京1-3-19
Tel/Fax:0776-21-9321
2022年
10月28日 (金) 夜 7:30~8:30
29日 (土) 昼 2:00~3:00
29日 (土) 夜 7:30~8:30
30日 (日) 昼 2:00~3:00
語る人:竹尾 潤 氏
お気軽にお越しください
入場無料、出入り自由。
―どちらを選びますか?―
一時的なもの・・いつまでも続くもの・・あなたはどちらを望みますか?
私たちは、病気や困難なことは一時的であることを望みます。その反対に幸せなことや楽しいことはいつまでも続くことを望みます。苦しいことがいつまでも続いて欲しいと望む人は、ほとんどいないでしょう。
では、あなたの命については、いかがでしょうか。私たちの肉体の命には限りがあり、それは一時的なものです。いつまでも続くことを望んでも、誰もがやがて必ず「死」を迎えなければなりません。
しかし、人間は肉体の死を迎えて、すべてが終わるというわけではないのです。
「ちりはもとあった地に帰り、霊はこれを下さった神に帰る」と聖書に書かれてあるとおり、体は朽ちても、人の内にある霊は神のもとに帰ります。
聖書には、全ての人が神の審判を受け、永遠のいのちを得るか、永遠の滅びに入るか、ふたつにひとつであることが記されています。
神は、聖書をとおして、私たちに大切な「いのち」の問題について教えています。それは永遠に続くいのちのことです。
この限りある肉体の命がある間に、私たちすべての人がこのいのちを手に入れることを、神は望んでおられます。
イエス・キリストの弟子のひとり、ヨハネは、このいのちについて次のように記しています。
「このいのちが現われ、私たちはそれを見たので、そのあかしをし、あなたがたにこの永遠のいのちを伝えます。すなわち、御父(神)とともにあって、私たちに現わされた永遠のいのちです。」(聖書)
この場合のいのちとは、イエス・キリストご自身のことです。このお方は永遠のいのちを持っておられるので、それを私たちにも与えることができるのです。
この限りある肉体の命がある今、私たちの罪を背負い、身代わりとして十字架にかかってくださった主イエス・キリストを信じる方となってください。この方は、十字架で死なれ、墓に葬られましたが、三日目に、預言のとおり死よりよみがえられました。
あなたは、限りある命だけに目を留め、この世の事柄だけに心を配り続けて、永遠のいのちを失う道を選ぶでしょうか?
あるいは、この一時な肉体の命があるうちに、永遠について心を向け、永遠のいのちであるイエス・キリストを受け入れる道を選ぶでしょうか?
この世での生活は一時的ですが、死んだ後のことは永遠なのです。
最後に、パウロというクリスチャンの記したみことばをご紹介します。
「私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見える者は一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。」(聖書)
ぜひ、この度の特別福音集会にお越し下さいますようご案内申し上げます。
入場無料、出入り自由です。
(文中青文字は聖書のことば)
キリストの福音
特別伝道集会のご案内
(終了しました。ご来場ありがとうございました。)
2022年
27日(金)夜 7:30~8:30
28日(土)昼 2:00~3:00
28日(土)夜 7:30~8:30
29日(日)昼 2:00~3:00
語る人:滝根 進 氏
会場:福井キリスト集会所
福井市文京1-3-19
入場無料、出入り自由
お気軽にお越しください
世界のベストセラー・・聖書 Bible
ベストセラー(best seller)とは、最もよく売れた商品の事。特に書籍について言うことが多いようです。
書籍のベストセラーをご存じでしょうか。それは聖書です。聖書は、世界で毎年一億冊以上頒布されていると言われます。
聖書はどのような本・・?
聖書は旧約聖書と新約聖書の二大部分から成る書物です。
旧約聖書はBC:1500年頃から書き始められ、新約聖書は、一世紀の終わり頃に書き終えました。
著者は40人ほどの人たちで、羊飼い、王、大臣、学者、官吏、農夫、医者、漁師、税務官、等々で身分も職業も様々です。また、住む場所も、生きた時代も異なりました。
著者たち自身互いを知らない中で記されましたが、初めからお終いまで一貫した主題があり、各書簡の内容に矛盾がありません。そして歴史的事実においても正確でありすべて整然としています。
「聖書はすべて、神の霊感によるもので、・・・」と書かれてあり、真の著者は神であることを示します。
聖書の主題・・神の愛と義
神のひとり子、イエス・キリストによる救い、永遠のいのちの約束です。
イエス・キリストの弟子ヨハネはすべての人々宛てに手紙を書きました。以下はその一節です。
「神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。」 (ヨハネの手紙 第一から)
聖書のことばから・・
天地万物の創造者、神についてー(旧約聖書から)
「主よ。あなたのみわざはなんと多いことでしょう。あなたは知恵をもってそれらをみな造られました。地は あなたのもので満ちています。
そこには大きく広い海があり、這うものや生き物は数えきれません。小さなものも大きなものも。
「耳を植えつけた方が、聞かないだろうか。目を造った方が、見ないだろうか。」
神は美しい自然を造られました。また、神は人のすべてをご覧になる方です。
人の内側にある罪ー争いの原因ー(新約聖書から)
「何が原因で、あなたがたの間に戦いや争いがあるのでしょう。あなたがたのからだの中で戦う欲望が原因ではありませんか。
あなたがたは、ほしがっても自分のものにならないと、人殺しをするのです。うらやんでも手に入れることができないと、争ったり、戦ったりするのです。」・・・ (ヤコブの手紙から)
人間の歴史は、紛争の歴史と言えます。絶え間なく戦いがあります。聖書は人の内側にある欲望が原因と語ります。様々な欲望が罪を生み、人を駆り立て悲惨な結果をもたらしています。近年200年間だけでも世界で紛争、戦争、内戦210件以上起きています。
人の死と救いについてー(新約聖書から)
「罪からくる報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。」
人は必ず死を迎える時が来ます。死は罪の報いであると聖書は語ります。同時に神の子イエス・キリストによる罪の赦しと救いを教えています。神は私たちの罪をキリストに負わせ十字架でさばかれました。罪を取り除き永遠のいのちを与えるためです。キリストは三日目によみがえり、救いの確証となりました。
どうぞ福音特別集会にお越しください。入場無料、出入り自由です。(文中青色文字は聖書のことばです。)
2021年10月度の特別伝道集会は終了しました。
ご来場いただきありがとうございました。
引き続き定期の集会にお越しくださいますようお待ち申し上げます。
特別伝道集会
(終了しました。)
ー 日時 ー
2021年
10月8日(金)夜 7:30~8:30
10月9日(土)昼 2:00~3:00
10月9日(土)夜 7:30~8:30
10月10 日(日)昼 2:00~3:00
語る人:菅 原 真 氏
場 所:福井市文京1-3-19
福井キリスト集会所
(当集会所にて開催します)
幸福の基準
皆さんは、「今、幸福ですか?」と聞かれたら、なんとお答えになりますか。
幸福の基準は、千差万別であると思いますが、人は誰でも何らかの幸福を求めて生きています。
ある方は幸福と思える項目と、そうでない項目との差し引きをして、幸福の数が多いかどうかで判断されるかもしれません。
フランスの哲学者パスカルは、人間の全ての行動の動機について、「すべての人間は幸福を求めている。これには例外はない。その手段がいかに異なっていようとも、みなこの目的に向かってでなければ、一歩も前に進まない・・・」と記しています。
また別のある人は、幸福の最もシンプルの判断方法として、「生きている喜びが、あるかないか、直感的に判断する」と答えています。
皆さんも、直感的に判断されてはいかがでしょうか。
生きていることを喜んでおられるでしょうか。喜んでおられるならば、「今、幸福です」と言うことが出来ると思います。
また、そこから一歩進んで、その幸福が将来にわたって継続する幸福でしょうか。この点を判断するシンプルな方法は「将来にわたって揺るがない希望があるかどうか」を自問自答してみることだそうです。いかがでしょうか。
パスカルは、「真の幸福は、死の問題を解決すること、そして死後の世界で幸福が保証されること」と確信したそうです。それに対し、虚しさを紛らわすために、快楽 を求める人間があまりにも多い現実を憂いています。
そこで「人間は生まれながらの死刑囚」とも表現しました。
人間は死の問題の解決について、何の力も持ち合わせていません。しかし、パスカルは、聖書にこそ、その解決があると見出しました。
では、聖書は死について何と言っているでしょうか。「罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。」と記しています。すなわち死は罪の報いです。しかし、神は罪の許しの道も同時に教えています。
聖書には、イエス・キリストが、罪人(つみびと)である私たちの罪を背負い、身代わりに十字架にかかって死んでくださり、三日目によみがえられたことが記されています。
そしてイエス・キリストを「救い主」と信じる信仰によって、死の問題の解決と永遠のいのちが与えられることを約束しています。
聖書は、私たちに将来の揺るがない幸福を提供する素晴らしい書物です。そこには神様が与えてくださる真の幸福が記されています。
「私は(イエス・キリスト)、よみがえりです。命です。私を信じる者は死んでも生きるのです。また生きていて私を信じる者は、決して死ぬことがありません。」
ぜひ、この度の特別伝道集会にお越しくださいますようご案内申し上げます。
皆様のご来場を心からお待ち申し上げます。(青文字は聖書のことば )
2021年5月14、15,16日の [ 特別伝道集会 ] は終了しました。
ご来場有難うございました。次回は10月予定しています。
5月14日 (金) 夜 7:30 ~ 8:30
5月15日 (土) 昼 2:00 ~ 3:00
5月15日 (土) 夜 7:30 ~ 8:30
5月16日 (日) 昼 2:00 ~ 3:00
語り手:四谷 証 氏
― 会場 ―
福 井 県 国 際 交 流 会 館
(2階第3会議室 にて)
福井市宝永3丁目1-1
Tel:0776-28-8800
駐車場有り(無料)