越中瀬戸焼のあらまし
越中瀬戸焼は、加賀藩主前田利家・利長が設置した最初の加賀藩窯です。
戦国時代天正年間末頃に、尾張国瀬戸から陶工小二郎を招き、上末の地に窯を築いたのが始まりとされており、当時の古文書も残っています。
尾張瀬戸からの陶工招聘は、数人が続き、加賀藩の庇護を受けながら展開しました。
その後、初期陶工の子が二世窯を開くなどし、尾張とは異なる技術的発展を遂げました。
しかし、江戸前期に九州伊万里などで磁器生産が始まると、白地に染付等の絵を描いた磁器が次第に好まれるようになり、加賀藩領でも九谷焼が成立しました。
以後、旧態依然とした陶器は需要が減り、越中瀬戸は実質的な藩窯としての立場を失っていったのです。注文が少ない時も多く、半農半窯の経営となりました。窯も「胴窯」と呼ばれる小型窯となり、新たに瓦を生産する瓦陶兼業を取り入れたものの、明治初期には廃窯が続出しました。
中には、瓦専業窯として継続する者もいましたが、昭和40年代にすべての瓦工場は閉鎖したのです。
現在の越中瀬戸焼は、昭和に入って以降復興された陶窯です。
当研究会では、越中瀬戸焼に興味のある方がつどい、調査・研究を行い、研究成果などを刊行物としてホームページで公開します。
プロジェクト 越中瀬戸焼の解明
越中瀬戸窯は、明治期の廃窯まで、総数30基を超える数の窯が築かれました。
現在、史跡として保存され現存する遺構は、甚兵衛窯跡1基、共同物原(陶片塚)1か所のみです。
ほかの窯跡の位置や操業年代などは、ほとんどわかっていません。
このようなことから、窯や製品などを中心に、基礎的な調査研究・整理を行い、越中瀬戸焼の歴史について明らかにしたいと考えています。
活動
研究会としての活動予定を紹介します。
古文書の解明
初期窯に関する古文書解読などから、これまでの説を検証します
編年構築
陶器と窯道具の編年構築に取り組みます。
遺構・遺物
写真・図などで、越中瀬戸焼への理解を深めます。
YouTube動画も紹介します。
刊行物
最新情報・短報は「越中瀬戸焼歴史通信」(随時)、研究報告は『越中瀬戸焼歴史研究』に掲載し、オンライン刊行物として公開します。
*ISSN取得予定
研究用データベース
文献・史料、窯に関する各種データを掲載します。
研究テーマなど参考提示 PDF
©越中瀬戸焼歴史研究会 無断転載を禁じます