「越中瀬戸焼歴史研究」・「越中瀬戸焼歴史通信」・「個別論考」を掲載しています。下へお進みください。
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越中瀬戸焼歴史研究 ONLINE ISSN 2760-0920
第1号 (2025,8,12改訂版) 特集:復興期の越中瀬戸焼研究 PDF
昭和初期から戦後の活動や人びとについて探っています。 2025,4,30掲載
越中瀬戸焼歴史通信 ONLINE ISSN 2758-6731
第5号 (2025,5,19) PDF (内容)福岡作光氏に関すること、日なたミニ企画展の紹介、研究の動向などを掲載。
第4号 (2024,10,13) PDF (内容)ミズトウシのこと、日なたミニ企画展の紹介、研究の動向などを掲載。
第3号 (2024,6,29) PDF (内容)日なたミニ企画展の紹介、関連座談会、研究者の紹介、研究の動向などを掲載。
第2号 (2024,3,1) PDF (内容)日なたミニ企画展の紹介、研究者の紹介、研究の動向などを掲載。
創刊号 (2023,6,15) PDF (内容)会の活動への展望、日なたでミニ企画展、対話型AIの検証、論文案内などを掲載。
論考 投稿された論考を掲載します。まとまったら歴史通信・紀要等に掲載します。
以下に掲載の各論考のうち、『越中瀬戸焼歴史研究』に掲載したものについては、一定期間経過後削除します。なお、『越中瀬戸焼歴史研究』に掲載した論考内容が最新であり、以下の論考の内容を改訂していることがありますので、論考を引用等される場合は、『越中瀬戸焼歴史研究』に掲載したもので引用等をお願いします。
2024,7,6掲載の本稿について、一部情報を追加し、改訂しました。
昭和前期越中瀬焼復興期において、文人翁久允が越中瀬戸焼復興にどのように寄与したのかを、周囲の人々との関係性から探ったもの。 初出2025,1,31
立山町下瀬戸にある三十番神堂跡には、鯱瓦の破片がある。これは庵堂の屋根の棟飾りであったことが古写真から推定される。この鯱瓦は能登鬼師が製作し、越中瀬戸瓦窯で焼いたことを、類例の検討から推定したもの。
昭和前期越中瀬焼復興期に東京帝室博物館の越中瀬戸窯発掘調査等に資金を提供した北陸配電(北陸電力の前身)の社長山田昌作について、これまで語られなかった父の詳細を探るとともに、なぜ越中瀬戸焼復興に肩入れすることになったか、人間関係から探る試みを行ったもの。 初出2024,12,6
昭和初期以降の越中瀬戸焼復興期において、富山のと越中瀬戸焼収集家萩中喜代治の親交から、特に陶工顕彰碑建設の過程を明らかにしたもの。 初出2024,8,31
高岡出身京都在住の陶芸家北島北朗は、尾張瀬戸・美濃での作陶経験、越中瀬戸焼での作陶を通じ、陶芸家として技術的側面から、年代観などを示し、富山での好事家による誤説を批判した。内島の言及を紹介するもの。
昭和15年東京帝室博物館が発掘調査した越中瀬戸焼上末山下窯の発掘品は、現在富山市郷土博物館に収蔵されている。それを裏付けるための検証を、多方面から行ったもの。 初出2024,8,24
東京帝室博物館の鷹巣豊治の報告は、東京空襲対応のため中断し、14年後にようやく完結した。現在までの遺物の行方や、鷹巣の発掘調査に至る動機を検証したもの。 初出2024,8,19
東京帝室博物館の鷹巣豊治は、越中瀬戸窯の発掘調査を行った。昭和15年に実施された3つの窯の報告内容について、検証したもの。 初出2024,6,25
東京国立博物館の前身、帝室博物館の国内陶磁器の権威鷹巣豊治は、越中瀬戸焼に魅せられ、富山に赴いて発掘調査を行った。調査前の下見の際、国分寺研究の権威堀井三友がそのお膳立てをしたことは知るものが少ない。本稿では、発掘に至る経緯と、鷹巣の下見行程をたどることによって、発掘調査を行った理由について迫る。 初出2024,9,16
富山県の文化財保護の第一人者で、越中瀬戸焼普及・研究に貢献した長島勝正氏は、戦前「越中陶瓷概観」を著していた。その草稿について掘り下げ、長島氏の研究背景を明らかにする。 初出2024,8,13
越中瀬戸焼の窯場に現在唯一残る甚兵衛窯跡(町史跡)は、1937年に越中瀬戸焼ではじめて発掘が行われた。どのような発掘だったのかを検証するとともに、それが招いた余波についても分析・検証したもの。 初出2024,8,7
越中瀬戸焼との関連が伝えられる岐阜県飛騨市神岡町瀬戸の「山之村窯」について、立山町歴史交流ステーション日なたにおいて展示紹介された。この成果について、考古学的視点から調査・記録・検討したもの。
立山町上末の字大坊谷から出土したと伝える400枚に及ぶ埋納銭について、郷土史研究家石原与作がかつて調査していた。その成果が立山町史編さん資料に残されていた。その成果について分析・検証したもの。
郷土史研究家石原与作は、「立山町上末瀬戸方面 須恵器・越中瀬戸古窯分布図」を作成した。越中瀬戸焼の里に生まれた石原は、昭和4年新瀬戸小学校長古川喜代吉が作成した越中瀬戸焼窯分布図をより正確化した。この図の意義について分析・検証したもの。
昭和4年指定された県史蹟「上末陶器窯阯」は、昭和25年指定が解除され、最終的に埋蔵文化財包蔵地「上末古窯跡群」として現在まで保存されている。窯谷1号窯付近には現在も旧指定石標が残っており、かつての文化財保護の歴史を示す貴重な石造文化財である。
昭和35年越中瀬戸焼展の図録に長島勝正氏が発見、掲載した「茶入」がある。現物の所在は今も不明であるが、写真から判明することについて明らかにしたもの。2024,6,20掲載
天正期から江戸前期の古文書について、再翻刻を行うとともに、写文書の掘り起こしなどから、発給者の同定や発給年代等を再検証したもの。
立山町上瀬戸の陶公園に置かれた初期陶工彦右衛門の墓石などついて分析したもの。 初出2024,4,7
越中瀬戸焼瓦に関する史料について、その内容が正当かどうか再評価したもの。
立山町下瀬戸で出土した赤瓦について、その由来を明らかにしたもの。
12月9日からはじまった同展の展示解説書です。
越中瀬戸焼の研究は、中世から近世の古文書の解読、伝世品や出土品の美術的・考古学的評価などを中心に進められてきた。明治期以来8期に分けて段階的に研究が進んだと評価できる。
現在の到達点としては、最初期の古文書の内容の見直し、考古学的な窯場の同定と編年研究の構築などが大きな課題がなお残されたままである。 初出2023,10,26
標準フォーマット:A4サイズ、横書き。史料の翻刻が多い場合は縦書きも可。
既発表の再録も受け付けます。著作権については投稿者において処理してください。
原稿の採否および掲載刊行物は、世話人において決定させていただきます。
フォーマットの詳細は、右のバナーを押してご覧ください。
フォーマットについて
1 横書き
タイトル:MSゴシック 18ポイント、サブタイトル:MS明朝 14ポイント
名前:MS明朝・太字 14ポイント
本文:MS明朝 12ポイント
注:MS明朝 10.5ポイント
注番号は、本文中該当箇所に右上(番号)とする。
文字数:40字×45行設定
ページ番号(下中央)は最初を1頁とします(付けないでも可)
2 縦書き
文字数:45字×36行設定
その他は横書きと同じ
図・表・写真等
見やすい大きさ・色で、本文中・文末に挿入する。
番号・タイトルを入れ、本文中に明示することが望ましい。
オンライン上で見えるだけの最小容量にした上で組み込んでください。
(Ex. 写真の場合一枚100-400KBを目安)
英文抄録(Abstract)
200字以内で作成し、別に添付してください。
添付がない場合は、編集者において作成する場合があります。
データの提出(提出先:ettyuuseto@gmail.com)
PDFデータで提出してください。
データが10MBを越える場合は、大容量データサービス(ギガファイル便など)でお送りください。
受理後編集者等において確認・査読等を行い、変更依頼等をお知らせします。