EMERGENCE II

〈蛇退治の剣〉のこと


今年(2018年4月10日火曜日)のブログに「布璢御魂(フルノミタマ)」と題して、スサノヲの斬蛇剣のことを書いた。

―― 整理し直して、抜粋すれば……


神武東征の際にタケミカヅチが天より投下した霊剣〈フツノミタマ〉の名称は、スサノヲがヲロチ(八岐大蛇)を斬った斬蛇剣、韓鋤(からさひ)の別名である、ともいう。

霊剣〈フツノミタマ〉の名は固有名詞ではなく、つまり個別の剣の名称として用いられるのではないから、その名をもつ剣は複数あっても構わないらしいのだ。


古事記と日本書紀「神代上 第八段〔正文〕」では、

ヲロチを斬った剣は〈十拳劒・十握劒(トツカノツルギ)〉と書かれている。

この〈十拳劒・十握劒〉も、特定の剣の固有名詞ではなく、

「十つかみほどの長さの剣」の意味で、剣の長さ・大きさを示しているのだという。


その、スサノヲの剣にまつわる名称を確認すると。


〈蛇之麁正(ヲロチノアラマサ)〉 日本書紀 「神代上 第八段一書〔第二〕」

→ 「此今在石上也(こはいま、いそのかみのみやにます)」と記されている。


〈蛇韓鋤之劒(ヲロチノカラサヒノツルギ)〉 日本書紀 「神代上 第八段一書〔第三〕」

→ 「今在吉備神部許也(いまきびのかむとものをのところにあり)」とする。


〈天蠅斫之劒(アマノハハキリノツルギ)〉 日本書紀 「神代上 第八段一書〔第四〕」


参考として、

→ 「此今在石上也」の「石上」は、現在は奈良県の「大和の石上神宮」とは限らない。

→ 「今在吉備神部許也」を気に留めれば、岡山県に「石上布都之魂神社」があることが注目される。


斬蛇剣〈フツノミタマ〉とは「平国剣(くにむけのたち)」すなわち国家平定の剣であったといわれる。

ちなみに、神武東征の際にタケミカヅチが天より投下した国家平定の霊剣〈フツノミタマ〉はその後、石上神宮(いそのかみじんぐう)にあると、記録されている。


石上神宮は、奈良県天理市布留にあって、祭神は布都御魂大神。

布留社(フルノヤシロ)ともいわれるらしい。

このあたりで、石上(いそのかみ)に関連する名に「布都(フツ)」と「布留(フル)」が混在していることがみてとれる。

詳しい資料をみていくと「石上振神宮(イソノカミフルノカミツミヤ)」という記述もある。


その祭神は、資料原文の漢字を使えば、

「第一 建布都大神」

「第二 布璢御魂神」

また「加祭之神」として

「第三 布都斯魂神」

と、されている。「璢」は「琉・瑠」と同じ漢字なので、

「布璢御魂」は「布瑠御魂」という表記と同等になる。


―― すなわち、第二の祭神は、布瑠御魂〈フルノミタマ〉の神である。


さて、タケミカヅチは神剣〈フツノミタマ〉を、出雲の国譲りの際にも用いていたようだ。

神武天皇が熊野で苦戦しているようすを見て、アマテラスが、タケミカヅチに、

「汝更往きて征て(いましまたゆきてうて)」と要請するのだけれども、

タケミカヅチは、自分が行くまでもなく「予が国を平けし剣を下さば、国自づからに平けなむ」

といって、〈フツノミタマ〉を投下するのだ。こうして〈フツノミタマ〉は国家平定の記録に名を留めた。


こういうことからも、日本書紀で出雲の国譲りの際に、タケミカヅチとともに使者となったフツヌシは、〈フツノミタマ〉の神格化であろうと推測される。


その由来として、国譲りの段、日本書紀「神代下 第九段〔正文〕」では、

タカミムスヒが国譲りの使者の最終候補を選んでいた際、まず、フツヌシが候補に挙がったのだけれど、

そこへ、タケミカヅチがみずから名乗りを上げたので、両者を葦原中国平定へと送り出した、となっている。

そのとき両者の類縁として書きならべられた神々の名が、イザナキがカグツチを斬り殺した際に誕生した神々の一部と合致する。

フツヌシ、タケミカヅチの両者ともに、イザナミの死に際して、カグツチを斬ったイザナキの「剣の刃よりしたたる血」から生まれた神なのである。

葦原中国の平定に送り出された神々は、破壊のうねりのなかで、それを活力として誕生した。

そして古来、霊剣〈フツノミタマ〉は宝剣として、新しい活力を得るための、生命力再生の祭り〈鎮魂(オホミタマフリ)〉の祭祀に用いられているという。