ふるさとで映画人材を育てなければと2015年 無料「映画づくりワークショップ」を始めました。そのWSを手伝ってくれた宇都大作 小松蓮 といった地元の演劇人たちに出会い 歯をくしばりながら表現を続けている人々を知り敬意を抱きました。鹿児島で映画を作るなら 彼らと組みたいという思いを持つように…
愛を込めて〝役者バカ〟と呼びたい方々です。
19年 宇都大作演出作品「大造じいさんとガン」を名山小と皆与志小で上演する機会があり ボランティアで手伝わせてもらいました。その小さな舞台で ひときわ熱量たかく演じる德田英太郎がいて その立ち姿に一目ぼれ!しかしその後コロナ禍となり彼らとの接触も乏しくなっていたのです。ところが―
23年5月末、音楽の種子田博邦と「何か作品を創ろう」と話しあった時ふと「英太郎と仕事をしたい」とつぶやいていました。
その2日後、大隅の海を観たいと桜島フェリーに乗り うどんを食い 丼を返しにいった所「理茎さん!」と背後から声が… 空耳かと思ったらもう一度。振り返ると英太郎が妻 早希奈と男の子といました。4歳の息子を恐竜公園に連れていくのだと言います。
すべては偶然ではないと直感しました。公園に一緒に行き、彼の語る近況と半生に聴き入りました。とても個別具体的でありながら普遍性をたたえた物語でした。
世界中の地方に、ほとんど非正規の仕事をしながら、懸命に芸術活動を続けるひとたちがいます(心を豊かにすることに最も価値を置く人々)。鹿児島にも、こんな素敵な〝役者バカ〟がいるんだ!と心底ほれ直し、エピソード1をその晩書き始めました。
2週間後の6/10㈯。早朝の名山堀、梅雨空の下たった5人でクランクイン。
最初は数話の短編で終え「次の長編映画づくりに備えるか」とも考えていました。が、撮れば撮るほど、役者陣の魅力が次の脚本を書かせ、旧知の児玉剛に脚本参加を依頼しを内容を膨らませ、秘伝のタレをつぎたすような撮影が、23-24年の年末年始を越え 続きました。気が付けば、たくさんの仲間や協力者が増え、もう長編に仕上げるしかない状況になりました。
いま多事多難な時代だからこそ地方で生きる人間を見つめ、地方を照らす映画をつくる意味はある。城山で散ったラストサムライに 役者たちの姿を重ねた オリジナル劇中劇「最期の弁明 /Apology of Saigo」で、この映画はフィナーレを迎え、のべ500人もの観客役エキストラの皆様と圧巻のシーン撮影に成功!みなさんのご尽力に、深く感謝しております。 久保 理茎