訪問日:2021年1月11日
公開日:2021年5月19日
修正・追記:2023年7月28日
1. 現地調査
2021年初の訪問物件は北野天満宮の帰りに寄った洛北発電所となったが、勿論今年の初ダム詣も済ませておかねばという訳でこの日はまず天ケ瀬ダムに数か月ぶりにご挨拶しに行く。明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
志津川發電所の建屋前の斜面木が伐採されて妙に綺麗になっているなぁなどと思いつつウロウロ。この建屋をホテルに転用するとかいうかなり突拍子もない構想があることを昨年の新聞記事で見かけたが、どうなるんでしょうね。
本題はというと、宇治市の志津川にどうも気になる場所があったので、ついでに見てきた件について。
いきなりピンポイントの地図だが、赤丸の部分。
明らかに、川が山を貫いている…。
何だか不可解な様相を呈している。どうも川廻し的な穴が存在するらしい。(川廻しって房総半島特有の名称だったか?)
※地理院地図に加筆
まるで自分が探し当てたかのような書き方をしてしまったが、かなり以前の先人の方々が訪問する様子が複数のWebページに上がっており、昔それを見た記憶があったがしばらく忘れていた。そしてその有難きサイトにこのたび再会したため、ちょうど冬、藪もおとなしいので行ってみようと思った次第。
冬季のためほとんど水の流れていない志津川に沿って上流へ。
宇治発電所導水路の第8号開渠が見えてくる。今日も不気味に大量の水が通過中。
上の開渠の写真を撮った方向から道路を挟んで反対側、判りにくいがこちらは宇治発電所の志津川渓流取水堰堤である。
手前の白いフェンス、よく見ると井戸のような穴を囲っている。あの穴の真下を水がチャプチャプ流れているのだろうか。
ズームして水利看板の内容をゲットしてみたところ、「取水量 最大0.22㎥/s(第2取水口)とある。
第1はきっと南郷の制水門のことであろう。
それにしても微々たる取水量である。宇治発電所は基本的に南郷から常時50㎥/sの取水を行っているが、ここでこの量の取水、ほとんど意味が無いように思えてしまう。これだけのために定期的に水利権を更新するのも面倒なのでは?
まぁ、地域の水力資源の有効活用という点では決して悪い事ではないと思うが。。
本日のメインである河川隧道と渓流取水は何らかの関係を持っているはずだが(持っていないとただのオーパーツと化してしまう)、渓流取水の周辺を見ても隧道がどこか分からん。というわけで下流から。いちおう楽なアプローチ(廃府道?廃腐道?)があるらしいので、変に藪に突っ込んだりせず大人しく歩いていく。
府道と廃道の分岐にある柵の脇から少し失敬。柵はあるが容易い。
道はかなり荒れており、路肩は大部分が決壊、ガードレールが谷底に紐のように垂れているが、いつだったか、2012年の集中豪雨時の爪痕だろうか。京都府南部を中心とした集中豪雨で、下流の志津川集落では河岸の家が流されるなど甚大な被害が生じた。城陽の自宅に居た自分も、異常な雷と土砂降りに一晩恐怖して眠れなかった記憶がある。
来た道を振り返る。
奥の方を見たらわかるが、かなりしっかりと石垣が組んである。最近のものなのか、はたまた古くから残っているものなのか…。それを判断できるほどよく観察しなかった。
廃道ウォークは一瞬。
路肩が落ちて視界が開けた地点から隧道出口を確認!
やはり、普通ではあり得ない違和感すごめの地形。
何がどうなってこう改変されたのか、今のところ良い説が思いつかない。
近づいて見てみる。
変な開口部!!
よくある、道路敷や線路敷の下の暗渠みたいな感じ(参考:国道1号/旧東海道線音羽台一号橋梁)である。ただ、それらとは断面が比にならないほど違うことが一目で理解できる。思ってたよりデカい。ワクワク
落石や倒木に散々叩かれてきた感じのするボコボコのガードレールの向こうに、立派な煉瓦アーチ。今となっては、アーチを取り囲む石積みがどこか特徴的な感じ(アーチに沿って練積してあるような?)がするが、不覚にも訪問時ちゃんと見なかった。あとから写真を見て気づくという…。
煉瓦アーチは4重。端部が剥落しており、多少のガタが来ているようではある。
洞内をちょっと覗く。
積みがイギリス→長手に変わってる高さが起拱線?
そもそも馬蹄形断面の起拱線ってどういう定義なのか、知識が曖昧なので断定出来ない。お勉強が足りないね。
これが当隧道の洞内の様子。(はじめからカメラ突き出して撮れよ。)
さほど長くないし水量も少ない。ただ向こう側の坑口まで総じて煉瓦が続いているさまが、個人的には心突き動かされるものがあった。
この辺は砕石のダンプくらいしか通らず、至る所に不法投棄がなされている正直あまり気持ちの良くない場所だが、ひっそりとこんなものが存在しているとは思いもよらなかった。
ただ、今回は下見くらいの心持ちでやってきたため、入るまでの時間と装備を有していなかった。写真だと入るの簡単そうに見えると思うし自分もそう思ってたが、実際は割と注意が要りそうな感じだった。外から内部を見通せたし改めてわざわざ入る必要は無いような。。。でもやっぱ入りたい。渓流取水の石積みを確認したい。
という訳で、次の機会にと保留したらそのまま忙しく時は過ぎはや5月。もう虫が多そうなので次のチャンスは秋かな…。
↓こんな感じで、隧道前の橋の標識とかも残っていて、中々趣のある廃景を作り出していた。
2. 事後調査
大袈裟な言葉を使ってみたものの、ほぼ何も調べが付いていない。
当隧道は、非力な渓流取水堰堤の直下流に穿たれており、その取水堰堤は導水路暗渠の直上?に位置している。
考えられるのは、
①発電所の導水路を造る際に、発電所の方の水路隧道の掘削残土などを受け入れる土捨て場を設けるために、蛇行していた川をこのように短絡し、旧流路を埋めて残土処分を兼ねた。
②何かしら、地形的・取水上の都合?からどうしても蛇行を修正する必要があり、隧道でパスした。
雑すぎる考察ですが…。
みなさま、情報お待ちしております。
初回の公開から随分と隔たってしまったが、探していた情報との出会いはやはり突然だ。
別件で京都府立京都学・歴彩館にて調べものをしていた際、普通に開架に出ていた
「淀川百年史(淀川百年史編集委員会編・建設省近畿地方建設局出版・1974年)」
をペラペラめくっていたら、宇治川電氣の第一期事業(宇治発電所)についてそこそこ丁寧な説明があった。以下に示すのは「第4章 利水と河川管理 4.3 宇治川の発電事業 4.3.1 第一期発電事業」にあった記述である。
『第八号開渠は莵道地内字坂川から同桝谷へ。志津川の渓流は著しく曲がっており、S字形のところを横切って水路を築設すると渓流と三たび交差して、まるで弗字形のようになる。そこで渓流に対しては別に疎水路を新設し、旧川敷を土砂置場に利用して埋築し、また三度目の交差個所とその付近は水路を陸巻きにし、その上に渓流を通して単に十字形の交差にとどめる。
開渠の中央部は地質が堅牢なため深い開削を避けて隧道とする。すなわち延長183.6mの同開渠は85.4mの開渠、21.8mの隧道、76.3mの陸巻き部分から構成される。』
欲しかった回答にピッタリすぎてむしろ拍子抜けするレベルではあるが、つまり自分の予想①の大体は正しかったということになる。
しかもどさくさに紛れて、今まで見ていた第8号開渠と渓流取水部の間に、宇治発電所導水路では最短のプチ隧道が存在していたという事実が記されている。記述を基に大体の様子をまとめるとこんな感じか?長さは適当です。
上の画像で、丁度道路の真下がその「地質が堅牢な」開渠の中央部ということになるだろう。そもそも、青線を添えた部分の導水路は地下に潜っているものの、コンクリートの覆工が航空写真からも判るほど地表に露出している。隧道の土被りが浅すぎて志津川の沢水に洗われてしまったため、後年にコンクリートで補修したものかと想像していたが、なるほど、初めから陸巻きで施工された区間であったのならばこのようになっているのも理解できる。
現在、一般的に「開渠」と認識されているのは府道から見えるこの部分だけだが、以上の記述を踏まえると、工事を行った宇治電としてはこの谷の全幅が開渠で、その中に短い隧道と明かり巻(陸巻き)部分を有するという考え方が正しいらしい。京都府庁文書を漁ったらもう少し、当時の図面とかが出土しそうなのでまだ調査の余地はあるが、ひとまず納得のいく答えを得ることが出来たと思われる。
おまけ、と言っても何のお得感も無いかもしれないが、隧道を観察し終えて元来たルートを歩いていると・・・
また案件が増えたのであった。
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