γράφω を
未来形に
⇩
語幹・語尾の間に
「σ」を挿入
⇩
子音と衝突
(φとσ)
⇩
ψ に化ける
⇩
γράψω
語幹と語尾の間に「未来の印:σ」を挿入
直前の子音と衝突する場合➡ψ、ξ に化ける
ギリシャ語を学んでいて、避けて通れない壁のひとつが「アオリスト」だと思う。
日本語にも英語にもぴったり対応する時制がないので、最初はどう感覚をつかめばいいのか戸惑った。
自分なりに整理していてしっくりきたのが、「過去の1点を切り取った写真」というイメージだった。
今回はそのイメージがなぜ的確なのか、「現在完了」や「未完了過去」と比較しながら、自分用のメモとして書き残しておく。
ギリシャ語の「未完了過去」は、過去の出来事をビデオカメラで回し続けるように、「継続的・反復的・習慣的」な動作を描写する時制だ。
それに対してアオリストは、「瞬間的」「1回的」な事実をただ記述するという性格を持っている。
たとえば「書く(γράφω)」という動詞で見てみると、違いがはっきりする。
未完了過去(ἔγραφον):「私は(あのとき何度も、あるいはしばらくの間)書き続けていた」。動作が持続しているビデオ映像のようなニュアンス。
アオリスト(ἔγραψα):「私は書いた」。過去の事実だけをパシャリと1枚の写真に収めて、「一応片付いた事実」として報告するイメージ。
この対比を意識すると、アオリストが「動作の様子」ではなく「事実そのもの」を淡々と述べる時制だということが腑に落ちてくる。
もうひとつ引っかかっていたのが、「アオリストで語られたことは、今どうなっているかには言及しない」という感覚だった。これは実は、ギリシャ語における「アオリスト」と「現在完了」の決定的な違いを言い当てていたらしい。
過去に行った動作の結果が、現在にも残って影響していることを表したい場合、ギリシャ語ではアオリストではなく「現在完了」という別の時制を使う。
「信じる(πιστεύω)」という動詞で比べてみるとわかりやすい。
現在完了形(πεπίστευκα):「私は(過去に)信じた。そして今もその結果として信じ続けている」。
アオリスト形(ἐπίστευσα):「私は(あの時)信じた」。
その過去の1点に焦点を当てて事実を語っているだけで、今も信じているかどうかは時制のルールとしては不問になる。
つまりアオリストは、「今との繋がり」をあえて主張しない時制なのだと言える。
写真は撮った瞬間を記録するだけで、その後被写体がどうなったかは写真自体には写らない——そのイメージのままだった。
こうして比べてみると、「写真」という直感的なイメージが、文法的な説明とかなりきれいに対応していることがわかる。
時制のニュアンスは頭で覚えるより、こういう感覚的なイメージを一度掴んでおくほうが忘れにくい。