観葉植物TRPG

現代社会における非生産的な日常を一緒に物語ろう。

一鉢の盆栽となり、うまく行かなかったことに対する悔しさをぶちまけよう。

Talking Role-Play Game

テーブルやデスクは仕事のために存在しているため、このゲームには無用である。

◎ゲームに必要なもの

心が荒んでいる現代人2から4人

通話できる環境

雨の日の低気圧

雨の日の効果音

◎プレイヤーが演じるもの

このゲームにおけるプレイヤーは部屋のどこかに飾られている観葉植物である。あなたは窓際に、PCのスクリーンの横、あるいはベランダーなどに置かれているでしょう。あなたは自分の無力さを噛み締めながら、変化なくただ存在し続けるご主人様の仕事風景を遠目で眺めると同時に光合成をしている日常を過ごしているに違いない。

一人ゲームマスターを選出してもいいでしょう。ゲームマスターの役割はルールを熟読すること、ただその一点にある。他のプレイヤーのガイド役を担いましょう。

◎準備フェイズ

雨の音のBGMを掛けましょう。ベッドに横たわり、エアコンを付け、目を閉じましょう。自分の日常を顧みると、不思議と観葉植物として生きた方が幸せかもしれないと実感できるでしょう。そうすればあなたは盆栽になる準備を整えることが出来るでしょう。

ゲームマスターはこのフェイズからゲームのガイドを開始してもいいでしょう。今回の物語の基調を独断で決めた後説明するか、みんなと相談しましょう。物語の完成度は構築フェイズで更に上げることが出来る。

◎脳死カードの用意

プレイヤーごと、三つのイベントを設計し公開しましょう。イベントは日常の中で発生する「あなたの手元の作業を妨げた出来事」である。例えば、誰かが断りもなく突然ドアを開け放った。クッソ忙しい時にあのいつも暇そうな友人からくるオンラインゲームのお誘い。プライベートタイムで受信した上司のライン。歯医者さんを予約したことを思い出し、せっかくの休日の半分はおじゃんに。電気水道代未納の催促電話。大家さんの礼儀正しさの中に冷淡さを秘めたノックの音……

プレイヤー達が公開した脳死カードが脳死カードプールを形成する。ゲームマスターが予め脳死カードプールを準備してもいいし、脳死カードプールの中身を非公開にすることも選択の内に入る。一定のシュールさのある脳死カードはゲームの醍醐味となるでしょう。

◎構築フェイズ

以上の準備を済ますと、いよいよ構築フェイズに入る。

ゲームマスターが記録の任を背負ってくれれば、他のプレイヤー達は優勝するための一番のヤツを用意したのち、意識の浅瀬に記憶を置き去りにし、自由になれるでしょう。

プレイヤー達の話し合い、あるいはゲームマスターのガイドにより、プレイヤー達が今身を置く環境を設計しましょう。

最初はこういったことから話し合うのもいいでしょう。

1. 君はどんな観葉植物だろう?

2. 君は部屋のどこに飾られていると思う?

3. この部屋はどんな部屋だろう?

4. 日常の中で部屋の主とはどんなコミュニケーションをしていると思う?

5. 部屋の主を一言で形容しよう。

この五つの相談が終わったのち、プレイヤー達はお互いのことと部屋の主に対する基本的な認識を持てるでしょう。

◎部屋の主の一日

構築フェイズを終えた後、プレイヤー達による部屋の主の一日が想像されるでしょう。プレイヤー1が部屋の主が何時に起き、どう自分(植物)の面倒を見たのかを描写し、そして一つ目の「質問」を次のプレイヤーに投げましょう。この「質問」によって、この一日の発展は続いていく。

例えばこうだ:

P1:観葉植物の水やりを終えて、翔太は昨日持ち帰った仕事を片付けようと思った。その仕事の内容とは?

P2:翔太は福祉のお仕事をしているので、昨日持ち帰った仕事とは扶養家庭のマッチングについての話だ。色んなトラブルを起こして、前回の扶養家庭と上手く行かず次の扶養家庭を探している六歳の女児に関する案件だ。

P2はそれから部屋の主が案件に対して思うところを述べてもいいでしょう。そして、更なる質問を次のプレイヤーに投げましょう。

例えば、P3に翔太はどうやって会社に行くのかを聞いたり、今日の天気を聞いたりしてもいいでしょう。

質問して→次のプレイヤーの回答→部屋の主に関する描写→質問が更なる質問を呼び、更なる部屋の主に関する描写を呼ぶ

プレイヤー達は脳がそもそも存在しない(ないよね?)植物なので、何も思いつかなくて途方に暮れることもあるでしょう。

そんな時にこそ、脳死カードの登場です。脳死カードで書かれたイベントの発生と部屋の主の対応を描写した後、次の質問を次のプレイヤーにしよう。

特別な設定をしない限り、部屋の主の一日を物語の軸にしよう。部屋の主が朝起きる時から物語が始まり、眠りにつくと物語が終息する。

叙事のロジックから考えると、部屋の主が部屋を離れると、盆栽達は窓口から見える部屋の主の後ろ姿を見送るのが行動の限界でしょう。それから起こり得る物語はぼんやりとした憶測でしかないのだが、部屋の主が帰宅すると、全てはまだ具体的になってくるだろう。

◎いいナラティブの例

このゲームは社会という名の圧政の中、もがき苦しみながら生きようとしているサラリーマン(あるいはそれに準ずる我が同志達)らが自身の欲望と経験を虚構な存在に代入することによって、昇華と救済を得るためのツールとなるべく誕生した。はず。論理上は。

それを達成するために、ここで物語の色をより良くするためのちょっとした経験則をシェアさせて頂きたいと思う。

一、 物の詳細を強調する

部屋の壁の材質、築年、雨漏れの染みや壁の風解の跡、床はタイルか?木質か?

ベッドの上にはもしかしてぬいぐるみが?あるいはドデカい抱き枕とか?

猫は飼っているか?品種は?

部屋の主が外出しようとしている。何の靴を履いている?ズック靴か?スニーカーか?それともヒール?化粧とかしている?

こういった「物」のディーテールを一歩引いたところで観察することによって、人物そのものとは隔離された冷たいリアリティーを生み出す。されどその冷たさはまだプレイヤー達の現代社会に対する連想と共鳴を引き起こすでしょう。

ポケモン、Ikeaのサメ、ねこのプシーン、すみっコぐらしとかのぬいぐるみでワビサビが表現出来る時代に今我々は生きている。豊な物質的生活で心の虚ろさを映し出すのは何時いかなる時も有効的な手法である。紅楼夢読みなさい。古典だよ。

二、 否定と重複する質問を恐れるな

例え前のプレイヤーの質問は冷蔵庫の中の食材は何かありますか?であっても、「何もない」という答えは選択肢の一つでしょう。賞味期限切れの弁当も、缶詰めもまだ選択肢の一つでしょう。

こういった小さなフラストレーションは蓄積する。質問が川のように流れてくる中で、重複して「どこかの棚を開けでは食いもんを探せずにいる」という命題は情緒の集中や文学性に意味を持つ。だが天丼ばっかりではつまらないので、使える回数の限界を考えましょう。数回で新しい展開、あるいは究極な虚無が提示されるべきでしょう。逆に言えばそういった命題を解決することによって、部屋の主が達成感と共に眠りにつくことも出来るだろう。

三、 心の往くままに、そして流れに逆らわず

安心して欲しい。部屋の主がどのように素晴らしい(嘆かわしい)一日を過ごすのかは、最初の段階では誰も知らないことだ。

何も思いつかない時は、自然に流れを汲め。直感で思いついたことを言い出そう。誰から提出したイベントが興味深い時はそれについて掘り下げよう。そしていずれプレイヤーには共通の見解が生まれる、物語は静かに流れ、あるいは大きな波と共に来るだろう。

四、 余白を意識して

質問をする時、次のプレイヤーに自由を与えよう。例えれば部屋の主が電話を受け取って、眉をひそめると描写した。その時、電話の相手を必ずしも自分で指定する必要はない。次のプレイヤーに任せるのも一興だろう。何ならそれをあえて答えないことによって、プレイヤー全員が気になる伏線になるのやもしれない。一人の一存ではなく、部屋の主の行動で伏線当てゲームを皆でするのはきっと楽しいでしょう。

それは美味なるマクガフィンになるかはプレイヤー達の頑張り次第。マジシャンの手口を開示する必要は永遠に来ないのかもしれない。そのジューシーな秘密にナイフを入れる時、十分に衝撃的な展開を準備しよう。

五、 距離感を保とう

お前らは盆栽だ。そこんとこ弁えろ。

という事は重要なことでしょう。君たちが真の意味で部屋の主の考えを理解することは不可能だ。全ては絵空事、ただの観測に過ぎない。笑顔が見られることはあるかもしれないが、その喜びと幸福を解釈することは叶わない。

部屋の主が札束の中やハーレムに囲まれながら眠りにつくことも可能でしょう。でも彼、彼女が真に満足しているのだろうか。

それは誰も分からない。

◎ダイスロール

このゲームにダイスロールは要らない。「人生は悲惨」という事象は確定されているのだから。ダイスを振ってもその悲惨さを数字で解釈しようとしているに過ぎない。

どうしてもダイスが振りたい禁断症状な方がいれば、部屋の主の一日が終わる頃に1D6を振って植物達の成長具合を判定してもいいでしょう。一番高く成長した植物が部屋の主が最後どんな行動を取た後に眠りに付くかを決める権利を獲得するのもいいかもしれない。知らんけど。

◎新しいキャラシよ、アンパンマン!

どうしても新しい盆栽になりたい時は部屋の主の手を借りで自分をぶち壊せばいい。

◎未来への展望

私はサボテン、造花、緊急兵糧モヤシなどの一風変わったDLC盆栽キャラを書こうと思いましたが、盆栽なるものはすべからく平等に無力と気付き、まあいいかってなりました。