人間・動物・機械の
コミュニケーション

人間・動物・機械のコミュニケーションの実際と、これらを包括的に取りまとめる目的についてを説明します。

人間、動物、機械のコミュニケーションの比較


人間と動物に共通するコミュニケーション機能と、共通しないコミュニケーション機能にはどのようなものがあるでしょうか?


例えば、動物のお母さんが赤ちゃんをかいがいしく世話するような場面を思い浮かべると、子育てにおける母子間の愛着関係上のコミュニケーションには人間と共通する部分も多くありそうです。また、人間は他者のあくびの様子を見ると自分もあくびをしたくなるといった傾向がありますが、これは動物でも同じことが報告されており、このような他個体に同調してしまうという現象も動物と人間で共通した特徴と言えるでしょう。

次に、共通しないものの例として、身体を伴う同調行動を考えてみます。

トリのヒナは生後初めて見た個体を親と認識しその親の後に付いて追いかけていくという、いわゆる刷り込みのための機能が生得的に備わっています。このため、親の後を綺麗な隊列を為して複数のヒナがヨチヨチ歩いている姿などは、実際にもよく遭遇することでしょう。また、ペンギンも複数の個体が一列になって氷上を歩く姿が観察できますが、これは先頭を行く個体が薄氷の足場を確認する役割を担うことで、後続の個体が安全に通過できるようにする生態学的意義を持つと言われています。

一方人間も、例えば有名ラーメン店の前での待機列や運動会での入場行進など、動物の例と同様に、列を為した行列や隊列の姿に出くわすことがよくあります。

このように、行動だけを観察すると動物も人間もどちらも同様な行動が観察される場合がありますが、果たしてこれらの行動は同じメカニズムや同じ目的を伴って実行されているのでしょうか?

よくよくこれらの裏側を考えてみると、動物では主に、生得的な行動や学習によって獲得した行動によって行列が自動的に形成される一方、人間では「一列に並んで待つ」ことや「隊列を組んで行進する」ことといった、個体間で共有された規範やルールや計画などによって意図的に実行されていることがわかります。

したがって、動物では生得的か学習に依存した自動的なコミュニケーションによってほとんど行動が形成されるのに対し、人間では自動的なコミュニケーションも持つ一方で、これとは別に意図的なコミュニケーションによって、これまでにない取り決めやルールを新たに作り出して行動を自ら決定していく、このような機能を追加で有しているという違いがありそうです。このギャップ、すなわち個体間の意図的で創発的なコミュニケーションは人間らしい、人間ならではの特徴と言ってもよいかもしれません(ただし近年、動物の行動に関する知見は加速度的に蓄積されつつあり、動物がどの程度人間と同様の心的メカニズムを有するのかについては諸説あります。)

人間のこの特徴は現在の人工知能やロボット工学ではまだ到達できていない領域でもあり、それゆえ機械のコミュニケーションとしてもまだ人間のコミュニケーションとは解離があることが知られています。

次に、身体を伴わない例も考えてみます。「共感」や「音楽/ダンス」や「言語」を例に出してみましょう。

動物でも一部、人間の共感や音楽、言語に相当するのではないかと期待されている機能や現象が報告されています。

 

共感

情動的共感(情動伝染)は、他者の情動状態を何らかのモダリティで知覚することで自己の情動状態が同調する現象を指し、これは動物でも人間でも行動レベルと神経レベルの両方で確認されています。一方、認知的共感と呼ばれる、他個体の心的状態や心的表象を推論してそれに応じて同情を示すことは、人間では可能ですが、動物では人間ほどの高次な「心の理論(theory of mind)」を持たないために、難しいとされています。また近年の技術の発展によって、人間とロボットとの間の心の通ったコミュニケーションもどんどん実現に近づいてきてはいますが、しかしながら本物の人間と比較するとまだまだ改良の余地は多く残っていると言えるでしょう。

音楽/ダンス

複数のトリが同時に美しい歌声を奏でる様子は、人間の音楽活動に近いものを感じさせます。一方、人間の音楽家が集うオーケストラや合唱の場面を見てみると、指揮者のリードに沿って、全員で息を合わせて一つの音楽を創り出す様子が見て取れます。さらに、この音楽に沿って全員で息を合わせて踊るチアリーディングやラインダンス、シンクロナイズドスイミングなどを見ても、これほど全体で動きが統一されて秩序だった構成、かつ、表現の内容が無限の創造性を備えるような行動は、野生の動物ではほとんどお目にかかれません。機械ではある意味人間よりももっと正確に同期した動作を実行できると言える部分もあることは事実ですが、どのような動作にも予め人間によるプログラミングが必要な以上、そこにはオリジナリティや創造性、芸術性などを見出すことは叶いません。

言語

動物でもフェロモンや発声、ジェスチャーなど、信号に何らかの記号的な意味を持たせてコミュニケーションしているように見える行動が、いくつか観察されます。しかし人間の言語とは異なり、恣意性(記号とその意味に必然的な関係性がないこと。動物では、ある信号が指示する意味が予め生得的に定められており、人間言語のように無限に新しい語や文章を確立していくことは困難)や階層性(ある記号と別の記号を結合して、あらたな意味を創発し、これを階層的に繰り返していくこと)を持たないことが示唆されており、動物と人間の言語コミュニケーションは質的に異なると言えます。また自然言語処理のように、機械やコンピュータによる言語理解や言語産出も進められていますが、例えば語用論(文脈を加味して語の意味を推論する)への対応への困難などから、完璧な理解にはまだまだ大きな解離があるのが現状です。

コミュニケーションを包括的に捉える目的と、そのための活動方針

 

ここまで紹介してきたように、人間のコミュニケーションと動物や機械のコミュニケーションには、いくつかの違いがあります。しかしながらこのような違いは、人間だけや動物だけ、機械だけのような、何か一つだけに注目していては気づくことができません。私たちが日本を飛び出して、まったく異なる文化に触れることでこそ、はじめて日本の良さや悪さにハッと気づかされるシーンがあるように、様々な特徴や機能を持つエージェント同士を比較して検討することが非常に重要だと考えます。このような包括的な視点を大切にして研究していくことで、例えば人間と動物の間の親和的で情緒的なコミュニケーションや、人間と機械の間のいわゆるヒューマンマシンインタラクションのあり方などの模索にアプローチできることも期待できます。

またこのことは研究分野や学問領域の融合についても同じことが適応されます。動物行動学や文化人類学、人間科学、心理学、神経科学、知能情報学など一つ一つの分野の中だけで過ごしていては、まるで井の中の蛙のように、気が付くべき重要な観点や本質に気が付くことができない場面も多いはずで、それゆえに、包括的な視点とその中での比較検討は、すべての研究分野の根底で共有するコミュニケーションの本質に迫るための必要不可欠な要素と言えるでしょう。

このような理由から、本研究会では動物・人間・機械(+その他のエージェント)や各専門領域を分け隔てなく取り扱い、分野の壁を取り払って、コミュニケーションに関する新しい学術領域を創成していくことを目指しています。また、このような異分野融合型、学際型の組織の活動では互いの理解の促進や信頼関係の構築が不可欠です。このため、方針としては「互いに共調的に、共調やコミュニケーションについて考えていく」こと、実際の運営については「自然に共調できるようなシステムやツールを積極的に活用・探索していく」ことを念頭に置きながら進めていきたいと考えています。さらに、互いの専門的な知見がそれぞれ全体のどのあたりに位置づけされるのか、俯瞰して眺めることのできる全体マップの作製にも随時取り掛かり、個別具体木を見て森を見ず」状態に陥ることなく、他者や他分野との関係性や接点の探索に貢献することも想定しています。

 

本研究会での活動によって、学術的な深化のみならず、多様性が向上したこれからの新時代に向けての新しいコミュニケーションのあり方や、発達障害や異なる価値観を有する個人間での共創や共調のあり方などについても提案できるように努めていきたいと思っています。