近代日本キリスト教美術資料集
Resource Guide for Christian Art in Modern Japan
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尾竹越堂
Etsudō OTAKE, 1868-1931
明治から昭和初めにかけて活躍した日本画家である。同じく日本画家であった弟の尾竹竹坡と尾竹国観とともに「尾竹三兄弟」と称せられた。
越堂は、晩年にキリスト教に改宗し、彼が描いたキリストの絵はドイツのアーヘン宣教博物館が所蔵するところとなり、西洋の出版物に幾度も紹介された。
Etsudō Otake was a Japanese-style painter, active from the Meiji period to the early Shōwa period. Etsudō and his two younger brothers, Chikuha and Kokkan, who were also Japanese-style painters, were known as the “three Otake brothers.”
Etsudō converted to Christianity later in life. His painting of Christ entered the collection of the Aachen Mission Museum in Germany and was reproduced many times in publications in Europe.
尾竹越堂《復活のキリスト》
1928年
図版出典:RESURREXIT Rollbild von Franciscus Etsudo Otake, Sepp Schüller, Neue christliche Malerei in Japan, Freiburg im Breisgau: Verlag Herder, 1939, S.55
《復活のキリスト》が床の間に掛けられている写真。右のススキのような生け花と比較して、等身大ほどの大きさであることがわかる。
図版出典:OTAKE ETSUDO: CHRISTUS AUF EINEM HÄNGEBILD (KAKEMONO), Johann Baptist Aufhauser, »Christliche einheimische Kunst in nichtchristlichen Ländern«, Die christliche Kunst, 25(6), 1929, S.179
《復活のキリスト》が表紙に載ったドイツの本、ゼップ・シュラー著『日本の新しいキリスト教絵画』(1939年)
Sepp Schüller, Neue christliche Malerei in Japan, Freiburg im Breisgau: Verlag Herder, 1939
※上記の作品の題名は、《キリスト》、《復活》等、異同があるが、ここでは、第一回カトリック美術展の出品目録にもとづき《復活のキリスト》とする。
作品の現物は、後述のように、戦争で失われたと考えられる。
主要文献
尾竹越堂に関する研究で、最も包括的で詳細なものは次のものである。
・椎野晃史・田所泰 編『オタケ・インパクト―越堂・竹坡・国観、尾竹三兄弟の日本画アナキズム』求龍堂、2024年(泉屋博古館東京で2024年10月19日~12月15日に開催された展覧会の図録)
※越堂の《復活》について、同図録pp.141~144の堀川浩之「海外の尾竹三兄弟~海外に所蔵される尾竹作品と戦前の三兄弟の海外事績~」で紹介されている。
越堂のキリスト教関係の作品は、知られている限り、上記の《復活のキリスト》一点のみのようである。
越堂は、1928年にキリスト教の洗礼を受けた。
しかし、キリスト教のどの教派だったかをめぐっては、メソジストかカトリックかで関係者の記述が分かれている。
越堂の長女で、富本憲吉夫人の富本一枝が1958年に回顧して書いているところでは、越堂は大正14年、仏教の曹洞宗の寺で授戒を受けたが、その4年後にキリスト教の洗礼を受けたという。
ところが、それから四年後に、父は洗礼を受けて、メソヂスト派の信者フランシスコ・オタケとなつていたのである。しかし、考えるまでもなく、これは、父としてはほんとに自然のなりゆきだつたのだ。
母の突然の病死、父の後をつぐ妹夫婦の、父との別居、母の死後、ずつと父のささえとなって頂いていた日置黙仙禅師のなくなつたことなどが、父をいつそう孤独に追いやり、絶望させたにちがいない。
そんな父を見兼ねて手をさしのべたのが、父の家近くに住んでいた牧師Mだつた。父が洗礼を受けたのは、母が死んで一年後だつた。
「神によりて生まるる信仰の力こそ無限なり」
と父はその日の日記に書いている。
たしかに父はこのことを信じたにちがいない。そしてまた、基督者として逝つたにちがいない。
だが、父の葬儀は慣習に従つて、仏葬で行われた。「後素院越堂雪庵居士」とかいた位牌の前に進んで香をたき、私たちは父に告別したのである。
出典:富本一枝「愛者 父の信仰と母の信仰」『大法輪』第二十五巻第九号(1958年9月)、pp. 56-61
上記の「オタケ・インパクト」展(2024年)の図録では、富本一枝の記述に従って、越堂は「メソヂスト派の信者」となったとしている。
一方で、カトリック関係者による資料では、越堂がカトリックになったとしているものが複数ある。
1929年のドイツの雑誌『キリスト教美術』の記事「非キリスト教諸国の現地のキリスト教美術」では、作品図版とともに、「尾竹越堂は、現存する日本の画家のうちでも最も重要な人物の一人であり、昨年、61歳にしてカトリックとなった。」と紹介されている。
出典:Johann Baptist Aufhauser, »Christliche einheimische Kunst in nichtchristlichen Ländern«, Die christliche Kunst, 25(6), 1929, S.160-185
1934年にカトリック神父のヘルマン・ホイヴェルスが『現代日本のキリスト教美術』に書いているところによると、尾竹は60歳のときにカトリックになったとある。
下記のとおり、ドイツ語と英語が併記されおり、ドイツ語では単に「信仰」としか書いていないが、英語の方では「カトリック」となっている。
Otake, +1931, eine bekannte Künstergetalt Japans, fand mit 60 Jahren den Glauben und gab ihm obwohl schon krank, mit seinem "Christus" kraftvollen Ausdruck.
Otake, +1931, well-known among the artists of Japan, became a Catholic only at the age of 60 and, in spite of sickness, was able to give a powerful expression of his faith in his "Christ."
同じくホイヴェルス神父が、1964年(初出は1963年)に回顧している文章では次のようにある。
いまからおよそ三十五年前、越堂先生は六十歳のころ、キリストを信じるようになりました。病気のために家に引っ込んで、洗礼を受けられました。その後、時々、御聖体を玉川線の新町のお宅へ持って行きました。ある日の朝、客間にはいった時、床の間に大きい掛け物がかかっていました。“復活のキリスト”の姿は、暗い床の間から私の上に輝きを放つように感ぜられました。私は先生に向かって、「この絵をいつお描きになりましたか?」と問うと、「これは先生のために描きました」とのお言葉でした。この御年輩の方は若い私のような者にも常に先生といわれました。そこで重ねて、「いつ?・・・・・」とたずねますと、先生は笑って、「この間でした。自分の信仰の気持ちを、ホイヴェルス先生に見せてお喜ばせしてみたいと思い、ほとんど骨折りなしに描くことができました。どうぞこの掛け物をお受けとりください」と。私は心から感謝して、この先生の信仰の初穂をいただいたのであります。あとで、第一回目のカトリック美術協会の展覧会に出品した時は、すでに尾竹先生は天国にお帰りになっていました。その後この絵を西ドイツの博物館へ送り、多くの人びとがこの絵を見るようにいたしました。
出典:ヘルマン・ホイヴェルス「信仰と芸術」『日本で四十年』春秋社、1964年、pp. 86-87
(初出は、『カトリック新聞』の連載「日本で四十年」(1963年8月18日4面)。 『カトリック新聞』の掲載時には誤字があるが単行本では修正されている)
以上を考え合わせると、カトリックであった可能性が高いのではないかと思われる。
その理由の一つ目は、ホイヴェルス神父が「御聖体」(キリストの体であるパン)を家に持って行ったという記述があることである。カトリックの聖体拝領は、司祭によってミサの中で祝別されたパンを信徒が拝領するものであり、病気等でミサに参列できない信徒のところに神父が持って行くことがある。聖体はカトリックの洗礼を受けた信者しか拝領できない。
二つ目は、「フランシスコ」という洗礼名があることである(上記の富本一枝の文章だけでなく、後述のシュラーの『日本の新しいキリスト教絵画』でも、「Franciscus Etsudo Otake」と記されている)。メソジストでは通常は洗礼名は付けず、もし個人的にクリスチャン・ネームを名乗ることがあったとしても、旧新約聖書の人物名にちなむことはあっても、「フランシスコ」というカトリックの聖人名をとることはなさそうである。
一方で、富本の記述に「牧師M」のことが出てくるので、もしかしたら、最初はメソジストの牧師に教えを受けていて、その後なんらかの経緯でカトリックの神父とつながるようになり、最終的にカトリックで洗礼を受けたということかもしれず、それを彼女が混同して記憶していた可能性もある。
いずれにせよ、更なる資料による今後の検証がないと断定できないことである。
なお、作家の森まゆみによると、越堂の墓は谷中墓地にあり、「イエスも釈迦も笑わせる」と書いてあるという。
(参照:佐々木幹郎・鈴木博之・森まゆみ「座談会 古本屋を巡るように。」『東京人』1994年10月、p.31)
この作品は、1928年、越堂が洗礼を受けた後に描かれ、ホイヴェルス神父に贈られた。
その後、越堂が1931年に亡くなった後、1932年に東京で開かれたカトリック美術協会の第一回カトリック美術展にて展示された。
それから、おそらく1935年頃までに、ホイヴェルス神父によって、ドイツのアーヘン宣教博物館へ送られ、同館の収蔵品となった。
アーヘン宣教博物館の学芸員だったゼップ・シュラーによる本『日本の新しいキリスト教絵画』(1939年)の表紙を飾るなど、その図版は様々な媒体で紹介された。
しかし、アーヘン宣教博物館の収蔵品のほとんどは、第二次世界大戦の混乱の中、疎開先で保管箱が破壊され盗難にあって失われてしまった。本作品も、おそらくその時に失われたのではないかと思われる。
西洋での紹介
《復活のキリスト》の作品は、ドイツに渡る前から、作品写真が雑誌に掲載されるなど、ヨーロッパで紹介されていた。
1929年のドイツの雑誌『キリスト教美術』の記事「非キリスト教諸国の現地のキリスト教美術」は、図版を掲載し、次のような説明文がつけられている。
OTAKE ETSUDO: CHRISTUS AUF EINEM HÄNGEBILD (KAKEMONO)
Otake Etsudo ist einer der bedeutendsten lebenden japanischen Maler, der voriges Jahr im Alter von 61 Jahren katholisch wurde
AUSSCHNITT AUS DEM CHRISTUSBILD
Die Tracht in der Art des Hotokesama (Buddha) Gewandlinien blaßrot und schwarz
出典:Johann Baptist Aufhauser, »Christliche einheimische Kunst in nichtchristlichen Ländern«, Die christliche Kunst, 25(6), 1929, S.160-185
(上記の日本語訳)
尾竹越堂:《キリスト像》の掛物
尾竹越堂は、現存する日本の画家のうちでも最も重要な人物の一人であり、昨年、61歳にしてカトリックとなった。
《キリスト像》の部分
衣装はホトケサマ(仏陀)の様式によるもので、衣文の線は淡い赤色と黒で描かれている。
1931年、ドイツのドュッセルドルフで発行のカトリックの若者のための雑誌『若者の声 若いカトリック信者の雑誌』(1931年5月号)にも、図版が掲載されて紹介されている。
図版の説明には次のようにある。
Christus, von Otake Etsudo
Otake Etsudo ist einer der bedeutendsten japanischen Maler; er wurde vor drei Jahren Katholik
出典:»Christus, von Otake Etsudo«, Stimmen der Jugend: Zeitschrift junger Katholiken, mai 1931, S.Bild
(上記の日本語訳)
尾竹越堂のキリスト
尾竹越堂は、もっとも重要な日本の画家の一人である。彼は三年前にカトリックになった。
同誌のアンドレアス・エッカルト神父による記事「宣教地のキリスト教美術」の文中では、次のように言及されている。(おそらく、上述の『キリスト教美術』誌を参考にして書いているのだろうと思われる)
Siehe den Christus von einem japanischen Künstler. Die Tracht ist in der Art des Hotokesama (Buddha) gehalten, die Linienführung (Tuschmalerei) in blaßrot und schwarz ist japanisch (S. Bild).
出典:Andreas Eckardt, »Christliche Kunst in den Missionsländern«, Stimmen der Jugend: Zeitschrift junger Katholiken, mai 1931, S.190-193
(上記の日本語訳)
ある日本人芸術家によるキリストを見てください。衣装はホトケサマ(仏陀)の様式で表されており、淡紅色と黒による線描(墨絵)は日本的である(図参照)。
同じく1931年、ベルギーのサン・アンドレ修道院(ベネディクト会)の宣教の機関紙『宣教公報』は、上記の『若者の声 若いカトリック信者の雑誌』の記事を紹介するかたちで、次のように書いている。
Revue mensuelle de la jeunesse catholique allemande, cet organe vient de publier un numéro spécial sur les missions, qui mérite tous les éloges, tant pour le texte que pour les illustrations. Parmi ces dernières, signalons l'œuvre d'un peintre japonais, Otaké Etsudo, qui est un des plus célèbres artistes contemporains du Japon et qui, depuis trois ans, est catholique. Le tableau représente le Christ dans un costume, qui est, au Japon, traditionnellement, celui de Bouddha. L'original est en lavis, rose et noir ; l'exécution dénote bien le maître et rend vraiment le style japonais. C'est un choix très heureux qui illustre admirablement un article de Dom André Eckardt O. S. B. sur l'art chrétien aux pays de mission.
出典:«Stimmen der Jugend», Le Bulletin des Missions, 11(3), septembre 1931, pp.208-209
(上記の日本語訳)
ドイツのカトリック青年の月刊誌は、このたび宣教についての特集号を刊行したが、その内容は文章、挿絵ともに称賛に値するものである。挿絵の中でも特に注目すべきは、日本人画家・尾竹越堂の作品である。彼は日本の現代美術を代表する最も著名な芸術家の一人であり、三年前からカトリック信者となっている。この絵は、キリストを描いたもので、その衣装は日本において伝統的に仏陀のものである。原画は淡紅色と黒色による淡彩で制作され、その筆致には巨匠としての力量がよく示され、真に日本的な様式を見事に表現している。これは、宣教地におけるキリスト教美術について論じた、ベネディクト会士アンドレ・エッカルト師の記事を、きわめて巧みに、そして見事に彩る選択である。
1935年、ドイツの雑誌『カトリック宣教』の記事「日本の新しいキリスト教美術」でゼップ・シュラーは、次のように書いている。
Die erste Ausstellung der christlichen Künstler führte ein recht bemerkenswertes Werk eines bereits verstorbenen Urhebers vor und bot damit ein Beispiel, welch gute Werke früher im Verborgenen entstanden und unbekannt blieben, Gleich beim Betreten des ersten Raumes fiel das große Kakemono (japanisches Rollenbild) auf, welches das letzte und reifste Werk des 1931 verstorbenen Etsudo Otake darstellt. Mit 60 Jahren fand dieser in Japan sehr bekannte Künstler den Glauben und gab ihm, obwohl schon krank, mit dem hier gezeigten „Christus“ kraftvollen Ausdruck. Der auferstandene Heiland ist in Art des Hotokesama (Buddha) wiedergegeben ; blaßrot und schwarz sind schlicht die Gewandlinien angedeutet. Das Bild, das durch zahlreiche Vervielfältigungen in Europa verbreitet wurde, zeichnet sich durch den vornehmzarten Faltenwurf des Gewandes und das leider etwas europäisierte Christusantlitz besonders aus.
出典:Sepp Schüller, »Neue christliche Kunst in Japan«, Die katholischen Missionen, 63(10), oktober 1935, pp. 262-268
(上記の日本語訳)
キリスト教芸術家たちの第一回展では、すでに故人となった作者によるきわめて注目すべき作品が紹介され、かつては人知れず制作されながらも知られることのなかった優れた作品が、いかに存在していたかを示す一例となった。最初の展示室に足を踏み入れるとすぐに、1931年に没した尾竹越堂の最晩年にして円熟の作である大きな掛物が目を引いた。日本では非常に名高い画家であったこの人物は、60歳にして信仰を見出し、すでに病を得ていながらも、ここに展示された《キリスト》において、その信仰に力強い表現を与えた。復活した救い主は、ホトケサマ(仏陀)の様式にならって描かれており、衣の線は淡い赤色と黒色によって簡素に表現されている。この作品は、ヨーロッパで多数複製され広く知られるようになったが、気品に満ちた繊細な衣文のひだの表現と、残念ながらややヨーロッパ的に描かれたキリストの顔貌によって、とりわけ際立った特徴を示している。
訳注:「キリスト教芸術家たちの第一回展」とあるのは、カトリック美術協会の1932年の第一回カトリック美術展のことである。
同じくシュラーは、1938年、ドイツの雑誌『新しい種』の記事「極東にみるキリスト受難」で、越堂のキリストを掲載し、そばに次の説明を付している。
Etsudo Otake, ein bekannter japanischer Maler, schuf kurz vor seinem Tode, nach seinem Übertritt zum christlichen Glauben, dieses Bildnis des Auferstandenen. Überirdische Ruhe und sieghafte Größe im kraftvollen, innerlich gesicherten Überwinden des Leids sind in dieser Darstellung zum Ausdruck gebracht, wie es japanischer Denkweise, Weltanschauung und der Lebensart dieses östlichen Inselvolkes gemäß ist
出典:Sepp Schüller, »Passion im fernen Osten«, Die neue Saat, 1, 1938, pp.116-120 (p.117)
(上記の日本語訳)
著名な日本人画家・尾竹越堂は、キリスト教信仰に改宗したのち、死の直前にこの《復活のキリスト》の肖像を制作した。この表現には、苦難を力強く、内面的に確信をもって乗り越えていく姿における、超俗的な静けさと勝利的な崇高さが表されており、それは日本的な思考様式、世界観、そしてこの東方の島国の民族の生き方にふさわしいものとして示されている。
本文中では、次のように解説されている。
Zum Abschluß sei noch auf ein japanisches Auferstehungsbild verwiesen, das in einer bedeutsamen Form jene überirdische Ruhe und sieghafte Größe im kraftvollen Überwinden des Leides darstellt, wie es japanischer Denkweise, Weltanschauung und der Lebensart dieses östlichen Inselvolkes gemäß ist. Zwar erscheint zunächst ― etwa gegenüber dem chinesischen Tuschbild von der „Heiligen Morgenwache“ ― die Auffassung mehr noch von europäischen Vorbildern angeregt. Tatsächlich aber handelt es sich um ein Bildnis eines modernen japanischen Malers, der vielmehr hier Erinnerungen an buddhistische Bildformen umgeschmolzen haben dürfte, wobei er sich freilich vollauf hinüberwandte zu einer Christusgestalt, die ihren künstlerischen Ausdruck einer echten Glaubenstiefe und einer in der Reife des späten Lebens mit ganzer Intensität erfaßten neuen Lehre verdankt. Etsudo Otake, ein bedeutender moderner Maler Japans, fand mit 60 Jahren den christlichen Glauben. Kurz vor seinem Tode hat er ihn in diesem Bildnis bekannt, das wir hinnehmen müssen als sein Zeugnis eigensten Glaubens an die ihm zuteil werdende Auferstehung, die im Glanz des Meisters Christus Wirklichkeit werden wird. Der alternde, schwer kranke und kurz vor seinem Tod stehende Maler hat in dieses Bildnis von Auferstehung Christi jene inneren Erfahrungen und Vorgänge zu legen versucht, die dem japanischen Menschen, zumal den Gebildeten unter ihnen, zuteil werden angesichts der Begegnung mit Christus. Die Gestalt des Lehrers und Meisters wird mit einer neuen, überirdischen Wirklichkeit vorgestellt, gegen die alle bloßen Morallehren einer innerweltlichen Ethik noch nicht das letzte Maß der Erfüllung des Menschen bieten können, ohne dabei doch ihr Ansehen und ihre hohe Verpflichtung zu verlieren. Aber in dieser Gestalt wird alle innerweltliche Lehre überhöht durch das Aufscheinen einer wahrhaft überweltlichen Göttlichkeit, die durchaus mitten im Dasein dieses lebensmutigen und lebenskräftigen Volkes Platz gegriffen hat.
Dieses letzte und christliche Hauptwerk Etsudo Otakes, des sich heute im Besitz des Aachener Missionsmuseums befindet, wurde auf einer Anzahl großer japanischer Kunstausstellungen weithin bekannt und vielfach beachtet, Es verhalf der langsam wachsenden, neuen christlich-japanischen Kunst zu der Anerkennung, welche diese religiöse Kunstströmung im Lande der aufgehenden Sonne in letzter Zeit zu finden vermochte. Selbst heidnische kunstbetrachter waren von diesem Werk begeistert und verspürten darin die Größe und Weite einer Kirche, die auch heute noch “katholisch”, das heißt “allgemein”, ist und in jedem Lande ein eigenes bodenständiges Leben besitzt. Gerade diese äußerlich grundverschiedenen Darstellungen mit Wiedergaben aus der Leidenszeit des Heilandes zeigen uns, wie die christliche Wirklichkeit im fernen Osten eigenartig aufgenommen wird und wie sie uralten, durch viele Jahrtausende gewachsenen Kulturen begegnet, sie innerlich anspricht und ihrer Welt heilende und heiligende Kräfte zuführt, die wiederum dann im eigenständig-völkischen Kunstwerk ihre Ausformung und neuartige Gestaltung finden.
出典:Sepp Schüller, »Passion im fernen Osten«, Die neue Saat, 1, 1938, pp.116-120 (pp.119-120)
シュラーの1939年の著書『日本の新しいキリスト教絵画』は、越堂の《復活のキリスト》を表紙に白黒で掲載し(上の画像参照)、中にカラー図版を載せている。
本文中では、次のように解説されている。
Die erste Veranstaltung christlich-japanischer Künstler stellte das Werk eines damals bereits verstorbenen Malers heraus, das durch mehrere Ausstellungen im Fernen Osten und durch seine endgültige Aufstellung im Museum für Missions- und Völkerkunde zu Aachen sehr bekannt und viel bewundert wurde. In seinem Kakemono-Rollbild „Resurrexit“ hatte der mit sechzig Jahren am 3. Dezember 1931 verschiedene Franciscus Etsudo Otake 1928 den Heiland lebensgroß dargestellt. Verklärt erscheint der Auferstandene, blaßrote und schwarze Gewandlinien lassen vor dem hellen Grund das herrliche Antlitz des Gottmenschen besonders vortreten. Das Bild ist für den europäischen Betrachter nicht leicht zu verstehen, weil es die charakteristischen Merkmale der japanischen Malerei enthält und weil weiterhin das Christusgesicht in der äußeren Wiedergabe vielleicht an europäische Auffassungen erinnern und damit als eine Anlehnung an westliche Kunst weniger beachtenswert erscheinen mag. Man muß versuchen, gleichsam von der japanischen Seele dieses Bildes auszugehen, um seinen wahren Geist und seine echte Größe zu fühlen. Mit dem ostasiatischen Auge muß man den einzelnen Pinselstrichen nachgehen und über eine äußere scheinbare Flüchtigkeit einzudringen suchen in das innere Leben und die tiefe Schau des Malers. Als Europäer soll man bedenken, daß die ostasiatische Kunst nicht jene in Europa übliche Art einer der Natur abgelauschten und auf die Illusion von Körperlichkeit gerichteten plastischen Wirkung erstrebt. Das hier mit reichem Faltenwurf und schönem Lichtspiel bis in Kleinigkeiten ausgearbeitete Gewand des Herren wird dort aus einer Art Vision des Künstlers seiner ganzen Erdennähe und Erdenschwere enthoben und geistig gesehen. Gleich der für ihre Entstehung entscheidenden chinesischen Malerei will die japanische Kunst niemals die Natur als solche wiedergeben, sie sucht sie vielmehr auszudeuten. Der persönliche Stil eines Künstlers geht daher nicht aus einem Vergleich mit der Natur, sondern nur aus einer inneren Schau derselben hervor. In zarten Umrissen, in klaren Farben und einem bestimmten Ausdruck ist jedes Kunstwerk des Ostens erlebt und aus diesem Erlebnis wiedergegeben. Mit Bewunderung und Rührung hört man von dem bedeutenden japanischen Bildhauer Kōbō-Daishi, der knieend am Bilde einer Gottheit schuf, während er jeden Meißelschlag mit Gebet begleitete. Daß auch Otake diese tiefe Schau des ostasiatischen Künstlers und zugleich die religiöse Geistigkeit des christlichen Menschen besaß, das beweist sein Bild „Resurrexit“. Schlichte Linien umrahmen auf hellem Grundton den Körper des Gottmenschen und deuten seine überirdische Schönheit treffend an. Charakteristisch ostasiatisch ist die Rahmenlosigkeit der weiten Bildfläche, die nur äußerlich von schmukkem Seidenbrokat begrenzt, in Wahrheit weit über das Rollbild hinaus über die Wand des japanischen Hauses gezogen erscheint. Von der Weite dieser Fläche schweift das Auge über die unaufdringlich zurückgehaltenen Einzelheiten der Gestalt mit ihren zart angedeuteten Füßen, Händen und dem duftigen Gewand, um in dem strahlenden Antlitz zu ruhen. Alles konzentriert sich auf dieses vergeistigte und zugleich irdische Gesicht, das nicht westlichen christlichen, vielmehr östlichen buddhistischen Kunstwerken nachempfunden wurde. Diese Ableitung erinnert an die Entstehung des Christusbildes in der frühen christlichen Malerei, da die Katakombenmaler nicht etwa eine damals noch lebendige historische Erinnerung, sondern Darstellungen römischer Gottheiten für die Christusvorstellung übernahmen. Wie sich dort Helios, Orpheus und Hermes zum Christustyp wandelten, so spiegelt sich der gleiche Vorgang der Verchristlichung alter Idealbilder in Japan. Obwohl sich Etsudo Otake an die Wiedergaben des Hotokesama-Buddha anlehnt, obwohl er damit eine dem europäischen Betrachter fremde Auffassung übernimmt, spricht auch für das abendländische Empfinden der ganze Adel christlicher Vorstellungskraft aus seiner Schöpfung. Ein echt japanischer und darüber hinaus auch wahrhaft allgemeiner Christustyp ist hier von einem Menschen festgelegt, dessen ganzes Leben vielleicht ein Suchen nach der Wahrheit war und dessen Aufnahme in die Kirche kurz vor dem Tode einen letzten und höchsten künstlerischen Ausdruck fand. Otake hat die erste Ausstellung und den folgenden Aufstieg der christlich-japanischen Künstlervereinigung nicht erlebt. Aber sein einziges christliches Werk fand durch die erste Veranstaltung dieses Kreises eine verdiente Herausstellung und Anerkennung; es mag daher an den Anfang dieser erstaunlich schnell und hoffnungsvoll aufgeblühten neuen Kunstrichtung gestellt werden.
出典:Sepp Schüller, Neue christliche Malerei in Japan, Freiburg im Breisgau: Verlag Herder, 1939, S.12-15
本記事の更新情報
2025年12月21日作成
2025年12月28日更新
2026年3月1日更新