ごあいさつ

知多半島フットケアサポート会 代表 

長利 麻衣子

◆知多半島から足の切断を無くしたい

「痛い」「もうこの足を切って」「生きているのがつらい」

私が総合病院で手術室勤務をしていた時、術後訪問にお伺いした時の患者様のお言葉です。


足の血流が乏しく、手術で何度も血管を広げる治療や黒くなった皮膚を何度も削り、毎日の点滴・内服、リハビリ、長期間の入院や夜間痛に悩まされる患者様。


私は患者様を目の前に、話をお聞きすることしかできない自分に苛立っていました。

自分には、何ができるだろうか。自分の手は何のためにあるのか。


毎日自問自答していた時、医師より血管診療技師の資格取得を勧められ、興味をもち、2016年に資格を取得しました。


「知識・技術があれば、足の切断患者を救える!」そう思っていました。

◆現実は甘くない

資格を取得し、病院内や全国で看護師教育、手術室マニュアル整備、フットケア外来での血流評価導入、市民への足の血流チェックなど、医療機関や関係者に様々な活動を行ってきました。


しかし、足の切断は減りませんでした。それはなぜか。


とにかく、皆、まず足の異変に気が付かないのです。

病院に受診に来るときは、足に痛みがでたり、足の色が赤黒かったり、黒くなってからみえます。

そして、皆「もっと早く病院にこればよかった」とおっしゃるのです。


その言葉を聞いて、

病院の中で患者様を待っていてはいけない。症状が出た時にはもう遅いのだ!

と感じたのです。

◆仲間との出会いと決意

自分一人では患者様を救えない。足の切断も減らない!

どうしたらいいのかわからず、悩んでいたところ、知多半島のフットケア指導士さんがお声をかけてくださったのです。


悩みを打ち明けたところ、なんと、悩みは一緒でした。まるで新美南吉の「でんでんむしのかなしみ」の話のように、悲しみを共有できる仲間がいたのです。


「かなしみは、だれでも もって いるのだ。わたしばかりではないのだ。わたしは、わたしの かなしみを、こらえて いかなきゃ ならない。」

 そして、この でんでんむしは、もう、なげくのを やめたので あります。

知多半島の住民の足をみて、足を守って、足を強くする。

一人一人にあった足のケア方法を皆様にご提供していきたい。


足には血管やリンパ、骨、筋肉、腱、関節、皮膚、爪、毛があり、それらは生まれてきた環境によって、また、生まれもった形によって十人十色です。

一人一人の顔が違うように、足も違います。

そして、足はその人のくらしを支える大事な体の一部分です。


今一度、足の健康について考えていきましょう。


私の生まれ故郷、知多半島。

半島に暮らす住民の、足に悩む悲しみを無くすために、

知多半島の未来を背負う子供たちに悲しみを繰り返さないために、

私たちフットケアサポート会は、足を救う仲間を増やし、大好きな知多半島の皆様の足を救いたいと思っております。


知多半島フットケアサポート会の活動にご理解・ご協力をよろしくお願い申し上げます。


2021年10月1日

知多半島フットケアサポート会

代表 長利麻衣子

でんでんむしのかなしみ

作:新美南吉


一ぴきの でんでんむしが ありました。

 ある ひ、その でんでんむしは、たいへんな ことに きが つきました。


「わたしは いままで、うっかりして いたけれど、わたしの せなかの からの なかには、かなしみが いっぱい つまって いるではないか。」


 この かなしみは、どう したら よいでしょう。

 でんでんむしは、おともだちの でんでんむしの ところに やっていきました。

「わたしは もう、いきて いられません。」

と、その でんでんむしは、おともだちに いいました。

「なんですか。」

と、おともだちの でんでんむしは ききました。

「わたしは、なんと いう、ふしあわせな ものでしょう。わたしの せなかの からの なかには、かなしみが、いっぱい つまって いるのです。」

と、はじめの でんでんむしが、はなしました。

 すると、おともだちの でんでんむしは いいました。

「あなたばかりでは ありません。わたしの せなかにも、かなしみは いっぱいです。」


 それじゃ しかたないと おもって、はじめの でんでんむしは、べつの おともだちの ところへ いきました。

 すると、その おともだちも いいました。

「あなたばかりじゃ ありません。わたしの せなかにも、かなしみはいっぱいです。」

 そこで、はじめの でんでんむしは、また べつの、おともだちの ところへ いきました。

 こうして、おともだちを じゅんじゅんに たずねて いきましたが、どの ともだちも、おなじ ことを いうので ありました。

 とうとう、はじめの でんでんむしは、きが つきました。

「かなしみは、だれでも もって いるのだ。わたしばかりではないのだ。わたしは、わたしの かなしみを、こらえて いかなきゃ ならない。」

 そして、この でんでんむしは、もう、なげくのを やめたので あります。

新美南吉

誕生 1913年7月30日 愛知県知多郡半田町(現・半田市

別名 新美 正八(本名)

死没 1943年3月22日(29歳没)

職業 作家教師

ジャンル 児童文学童謡

代表作 『窓』『ごん狐』(1932年)『デンデンムシノカナシミ』(1935年おぢいさんのランプ』(1942年)『牛をつないだ椿の木』(1943年)『手袋を買いに』(1943年)