当方が、制作・公開を行っている東武東上線のデータに関して
※ダウンロードページへのリンクはこのページ最下部にあります。
下記文章は2022.4執筆当時の内容・情報です。
シミュレーター製作/運転を通じた、東上線沿線風景/雰囲気の保存・共有・発信
雰囲気重視、自分が好きな箇所のみ拘った完全自己満足作品です。
ターミナルの池袋を経由する営団有楽町線開業により、東上線の最混雑区間である和光市~池袋間の複々線ルートが事実上完成したために、成増~池袋の都内区間は昭和中頃から平成にかけて、輸送力増強等の大きな線路・施設の改良がなされずに残りました。この独特の昭和感を漂わせる都内区間の、いかにも「私鉄沿線」な雰囲気が個人的にお気に入りだったのですが、池袋駅周辺の再開発、大山駅付近の高架化(2030年頃完成)などなどが予定されており、この徐々に変わっていくであろう沿線風景を保存・運転したかったということが一番の制作動機であります。
撮りためた沿線風景写真はそれだけでもいずれ大切な記録になりますが、それらをbveデーターとして取り込んでしまい、より雰囲気を追体験できるようにしてしまおうという趣向であります。当方が楽しめることが大前提のデータですが、価値観を共有できる方に、あの頃の東上線を共に懐かしみ、楽しんでいただければと思い、公開しております。
都内区間の完成に伴い、営団線直通開業・宅地開発等により、大きく沿線風景を変えた埼玉県内の制作も併せて行いました。
2016年頃より製作開始し、現在に至りますが、そのうち実働は約3年ほどです。
公開区間:池袋~川越市(池袋起点31.4キロ)
再現時期:ATS時代最末期(2010~2014年目安、場所によって個人的に好きな時代を反映しています)、季節は春~初夏をイメージ。
保線レベルも2013年頃を基準とし、ロングレール区間でありながらもアツ~ナリの右カーブ、アサ~アイの左カーブ、ツル~ミノの右カーブなどでは定尺レール相当の走行音/揺れがしており、データでの走行音設定も準じております。
急曲線部における塗油器については、東上線では遅くとも2011年頃には運用廃止となっているため、タンクや配管だけが一部残っている状態になります(作動音なし)。
平成25年3月16日改正は、副都心線と東横線がつながり、東武・西武・東京メトロ・東急・横浜高速の5社による相互直通運転が開始された改正になります。
東上線では新種別の「快速」が運行を開始した改正です。種別色は本改正にて準急:紺→緑、快急:緑→青へ変更されました。
※上記以外のダイヤ等を作成する計画は未定です。また、個別のご要望には、お問い合わせいただいても一切お答えいたしかねますので、予めご了承下さい。
ATC化や沿線風景・ダイヤ等の現代化は、懐古主義の私には興味薄いので、今後も再現いたしません。
また、川越市以北への延伸は今後行いません。
線形や沿線風景等の再現に関して
初回公開(2020.3.28)の都内区間については、曲線開始位置や曲線延長に若干の誤差があろうかと思いますが、延伸区間(成増~川越市)については全ての曲線標(東武の曲線標にはキロ程記載あり)を現物確認しております。ですので、打ち込みミスがない限り、R半径/カント、勾配率は当然ながら、自線の曲線開始/終了位置(キロ程)、本曲線/緩和曲線の曲線長においては現実との差異は1mもありません(曲線半径の現実数値代入ではどうしても辻褄の合わない1か所を除く)。
その上で、全ての架線柱位置/間隔もGoogleEarthPro等で測定し設置(Repeter構文設置の架線柱は1つもありません)。さらにそこから閉塞境界、勾配位置、地上子配置(公開区間にあるすべての地上子は位置測定済み)、踏切位置等割り出しておりますので、鉄道関連設備の設置位置の誤差も最小限にとどめられていると思慮します。
沿線風景もこれらを基準として、再現可能な範囲で現実に近いイメージ(色、大きさ、構造、築年数etc...)で設置しております。例えば、大きな構造物(マンションなど)の高さは基本的に測定し、現実に合わせて設置しています。
また再現時期と取材時期の違い等により、放送内容や沿線風景などで大きく相違がある箇所があります。放送関連にはあまり興味がないので適当な再現になります。
ダウンロードページへのリンクはこのページの最下部にありますが、
制作目的の通り、沿線概況への理解無く運転しても、本データを楽しむことは出来ませんので、
例の如くこちらで本路線の特徴、公開区間の沿線紹介をさせていただきます。※写真が少々古いのは、強固な趣味的志向です。ご了承下さい。
Google Map等を開きながら、写真とおおよその場所をシンクロさせていくと、地理感が掴み易く、運転がより楽しめるでしょう。
東京都豊島区「池袋」をターミナルとして、埼玉県は首都圏屈指の観光スポット小江戸「川越」を経て、秩父への玄関口となる、埼玉県大里郡寄居町 「寄居」へ至る、全長75キロの路線です。途中の坂戸からは、関東三大梅林の1つとして有名な「越生梅林」を有す越生町へと至る、東武越生線(10.9キロ)を支線として有します。
正しく路線分類すると、東武東上線(85.9キロ)=東上本線(池袋~寄居:75キロ)+越生線(坂戸~越生:10.9キロ)となります。
車内放送や沿線住民から「東上本線」と呼ばれることはまずなく、「東上線」呼ばれ親しまれています。
※当サイトでも、特段の場合を除き「東上本線」という表現は用いません。国土地理院地図をもとに、当方にて加工・編集
「浅草」をターミナルとして、日光・鬼怒川、あるいは伊勢崎方面と向かう、スカイツリーラインなどの所謂「東武本線」とは独立しており、1914年の開業時は「東上鉄道」と呼ばれる別の鉄道会社でした。東上線の「東」は東京、「上」は上州で現群馬県の渋川を意図し、ひいては上越国境を越えた新潟・長岡への路線計画がありました。この計画は実現なりませんでしたが、東上線+八高線+上越線として、ほぼ同じルートで、同じ鉄路としてつながったのは大変感慨深いです。
1920年に東上鉄道は東武鉄道に合併されたものの、その後も東武鉄道内における東上線の独立色は大変強く、直近2015年までは別会社の如く「東上業務部」なるものが池袋に存在していました。使用車両・列車種別・放送・サインなど、別会社とまでは言わないものの、今でも本線とは大きく異なる雰囲気を醸し出しています。
※「東上業務部」の後継とも捉えられる「東上営業支社」を含む各エリアごとの営業支社も、2022.4.1付で廃止となります(2022.3.23リリース)。
東武鉄道と言えば、私鉄最長の複々線かつ高架の線路を、日光・鬼怒川・伊勢崎方面へ向かう特急スペーシア・リバティ・りょうもうが、颯爽と走っているイメージを思い浮かべる方も多いかと思いますが、東上線池袋駅の乗降客数は東武鉄道で1位、営業係数も約60という全国的に見ても良好な数値、東武鉄道全線では1位となっています。また、沿線戦略として重要なJR山手線との接続駅「池袋」を、東武鉄道で唯一有します。本線系統が観光要素もある中距離都市間輸送を担うのに対し、東上線は「純通勤路線」と言えるでしょう。因みに定期・定期外輸送の比率は定期が約65%、定期外が約35%です。
総じて、特急用車両も無い地味な通勤路線ではありますが、東武グループの根幹をなす重要なドル箱路線、そして1日平均100万人弱が利用する、埼玉県西部民の重要な足として機能しております。
池袋から12キロ地点の埼玉県・和光市では、東京メトロ有楽町線・副都心線と、その先東急東横線・みなとみらい線との相互直通運転を実施。そのため、埼玉県側からは池袋だけではなく、池袋~市ヶ谷~有楽町~豊洲~新木場、池袋~新宿~渋谷~自由が丘~武蔵小杉~横浜~元町中華街の各方面へも、乗換不要で行くことが出来ます。全長75キロのうち池袋から64キロ先の小川町までは、東急・メトロからの直通車一部を除き、全列車10両編成の大量輸送体系となっており、都心と郊外・ベッドタウンを繋ぐ通勤路線として機能しています。その他の線区(東上線小川町~寄居、越生線)ではワンマン対応8000系4両編成によるワンマン運転が行われています。
近年では、首都圏着席ライナーブームのパイオニア的存在、「TJライナー」にも使用されるL/Cカー=50090系による無料クロスシート特急、「川越特急」が2019年に新設。川越ひいてはその先、沿線小学校定番の遠足先、国営公園「森林公園」、和紙(細川紙)がユネスコの無形文化遺産に登録されていることで有名な小川町、登山等のレジャーが盛んな寄居・秩父方面へのインバウンド・行楽需要を積極的に取り込み、観光色を強めようと画策しているようです。休日朝下りの快速急行などには、山靴を履いたハイカーや折り畳み自転車、ゴルフクラブケースなど持った旅客が多く見られます。
※当サイト記載の利用実績等の数値は、特筆箇所を除き、すべてコロナ前のものです。但し、テレワーク等が普及した現在の社会情勢を鑑みると、今後この数値を上回ることはないでしょう。
赤字路線を多く抱える本線系統では急速な系統分断、ワンマン化が進行していますが、東上線も決して例外ではないかと思います。近い将来、例えば森林公園などでの系統分断/ワンマン区間の拡大、両数・本数削減など、「輸送の適正化」が間違いなく行われるでしょう。
高度経済成長期に宅地開発・営団有楽町線直通等により、大きく沿線風景を変えた成増以北とは対照的に、
東上線の都内区間は、輸送力の増強等がなされず、昭和の頃から大きく街並みを変えずに今に至ります。
前述のとおり、池袋~和光市間の輸送力増強は営団有楽町線が担うことになったためです。
上板橋と成増を除いて駅舎の橋上化はされておらず、高度経済成長期に手が加えられた成増以北に比べ、鉄道関連施設は東上線内で断トツで古いです。
急曲線に古いホーム、多くの小さな踏切、線路際まで迫る建物のなかを10両の通勤車がゆく、
どこか現代離れした、JRなどの他社では味わえない、鉄道と街とで境目がない、一体感で包まれた、
昭和の「私鉄沿線」の香りを存分に感じられる区間です。
普通を除くすべての列車は、都内最外方駅である成増まで停まりません。
この種別設定により池袋発の下りは、近距離(都内)利用客→普通、遠方(成増以北、埼玉)利用客→優等と差別化され、優等種別への混雑集中が避けられています。
東上線利用者の約40%が、全長75キロのうちの約10キロの都内区間ユーザーとなります。
「関東大手私鉄、各停のみ停車・他路線接続無し駅」での利用客数のランク(出典:東洋経済)では、
1位~12位の間に大山(8位)、ときわ台(12位)、上板橋(7位)、東武練馬(2位)の4駅がランクインするなど、利用客は昼夜問わず大変多いです。
沿線自治体:東京都豊島区 板橋区 練馬区
東洋経済オンラインより、[東武東上線「北池袋~中板橋/ときわ台~下赤塚には何があるか]
池袋―成増間 「普通しか停まらない駅」の持ち味、「地下鉄と直通しない区間」の底力
と題した、東上線の都内区間を特集した記事が2弾に分かれて掲載されました。
東武池袋管区長をはじめ、各駅長の言葉を交え、東上線都内区間の魅力や特徴、歴史が紹介されております。より理解を深めたい方、ぜひご覧いただくと良いでしょう。
第1弾:池袋/北池袋から中板橋→クリックで記事へ (https://toyokeizai.net/articles/-/454743)
第2弾:ときわ台から下赤塚/成増→クリックで記事へ (https://toyokeizai.net/articles/-/455272)
※当サイト記載の写真は、全て当方の撮影によるものであり、当方が著作権を有します。
その使用用途を問わず、無断使用・無断転載等は固くお断りいたします。
(上)池袋2番3番ホーム(着線2番)に進入する、10030系。
東武唯一の山手線接続駅の池袋の乗降人員は48万人、勿論東武鉄道一を誇ります。
コロナ前営業係数は60台前半を刻む、東武グループのドル箱路線の始発駅です。
有楽町線・副都心線も池袋を経由し、和光市で東上線に乗り入れます。
(上)池袋の象徴「サンシャイン60」展望台より、東上線8000系。
東上線は池袋の西口側から出発します。西口に東武、東口に西武があるのは有名な話。
(左)サンシャイン60より望む、池袋・東上線方面全体像
各線・各主要街道・高速が複雑怪奇に入り混じります。
山手線は池袋を出ると右へ大きくカーブし、大塚・上野方面へ向かいます。
JR埼京線(赤羽線)は、北池袋駅付近まで東上線と1キロ以上並走します。北池袋駅手前にはJRの車庫があります。
池袋駅(着線1番)を出る、準急森林公園行き10030系。
東武百貨店のビルの下、限られた用地の中に東上線の池袋駅は直結してあります。
写真左後ろに写るビルは、最近所沢より移転してきた西武HDの本社ビルで、直下を西武池袋線が走ります。レジャー/ホテル事業のセグメントが大きいことから、コロナからの回復が大きく遅れ、資産圧縮も進む西武HDの行く末はいかに。。。
池袋大橋より望む、池袋を出発するフライング東上51092F。
池袋西口は再開発計画があり、ここも10~20年後には大きく景色が変わるでしょう。
※直近2022.3.23に東武鉄道より発表、日経人事にも出ていましたが、「池袋開発準備室」なる部署も新設されるようで、いよいよ本格始動といったところでしょうか。
北池袋を通過する下り急行10030系と上り30000系。
北池袋を過ぎるとすぐに、R305の第二種制限55キロの急曲線に入り、東上線はJR線埼京線から左に大きく逸れていきます。私鉄でよく見る光景ですね。
他社ではだいぶ少なくなったように感じる、前照灯白熱灯、幕車、界磁チョッパ制御、肉声放送車ですが、東上線では10000系列未修繕車がまだまだ主力です!あと10年は見られるでしょう?
用地買収が進むJR共用の第3号踏切そば、北池袋駅改札より 2022.3
ここは現在推進中の補助73号線の整備箇所に当たり、写真に写る第3号踏切はアンダーパス化され踏切廃止となります。ここ1年で買収/解体が一気に進みました。
JRと共用であることから当然遮断時間も長く、4線分あるため横断にも時間を要するため、危険な踏切です。迂回となる地下道も整備済みで、かなり利用されてはいますが、渡り切れずに駅員さんなどが防護を出し安全確認を行うケースも珍しくありません。抜本的な改善がいよいよ進みます。
下板橋駅を通過する上りの8000系。
北池袋からの左カーブR417の途中、すぐに下板橋駅に到着です。池袋への進入用地が認められていなかった東上線開業時、当駅が起点駅でした。下り方には下板橋留置線があり、日中は多くの列車が待機しています。その付近に東上線0キロポストや記念碑があります。
黄昏時、下板橋通りの桜並木と第8号踏切を行く東上線8000系
ここに写る下板橋下り方1つ目の第8号踏切は、現在推進中の補助73/82号線の整備箇所に当たり、3号踏切同様に車道のアンダーパス化がなされます。踏切も廃止でしょうか。
大山駅付近連続立体交差化事業により、あと10年ほどで見納めとなる東上線、大山地上駅周辺の写真ギャラリー。
下板橋~大山間の山手通り(環状6号)より、大山方面を望む。行き交う上りの10030系と下り9000系。2030年以降にはこの辺りから急こう配を上り高架区間に入ります。沿線風景は大き変わるでしょう。
この山手通りの更に上層階は、ちょうど首都高速5号池袋線と中央環状線、板橋JCTと熊野町JCT間(通称:いたくま)に位置し、首都高伝説の4車線平面交差区間です。飛び交うウインカー光線、進路争奪戦は戦国時代を彷彿とさせます。
駅掲示板に掲示される、「連続立体交差事業 推進中」の案内。2021.11
大山カーブを抜けて、上りの30000系。
建物密集地帯を行く
大山駅に進入する下り10030系。
R417、R347の急曲線上にホームがあります。列車とホームの間が危険なため、全列車に駅員の立ち会いがあり、特に下りは専用の監視台から、駅員さんが発車ブザー鳴動→戸閉合図→発車合図/再開閉指示を行います。東上線ツーマン区間で唯一発車メロディーが導入されていません。
朝ラッシュ時の上りホームには、計3名の駅員立会があります。
大山駅から望む、駅下り方の15号踏切。
踏切の左側に「ハッピーロード大山」、右側に「遊座大山」という名の、シャッター商店街とは程遠い、人通りの絶えない商店街に挟まれ、いつも多くの人で賑わいます。高架化により当然踏切廃止となります。
夏のゲリラにも負けず、大山駅を通過する上り10000系。
大山の乗降人員は大変多く、6万人を越えます。
サンドウィッチマンも上京時に住んでいたとか。
至る所に、ホームの隙間に関する警告があります。中でも古そうなサイン。
15号踏切、アーケードが線路際際に迫る。
ハッピーロード大山のアーケード街とブルーバード。
ハッピーロード大山より、15号踏切を通過する東上線を望む。下り8000系。
アーケード内はかなりの時間帯で自動車通行不可になります。
こちらは遊座大山方面から、上りの8000系、お馴染みの11F。
商店街真横、R347の急曲線上の15号踏切を通過する姿はなかなかの迫力です。
公道の占有、いかにも昭和っぽい沿線風景。
こちらは板橋警察/東武鉄道連名、自称「事故防止モデル踏切」、第16号踏切。
この道路が「都道420号(補助26号)鮫洲大山線」の狭隘箇所です。高架化と共に16号踏切~川越街道まで道路拡張が計画されており、付近は用地買収が進んでいます。鮫洲とはもちろん免許センターのあるあの京急鮫洲です。最近東急戸越公園~大井町手前の狭隘区間が、「ふたばトンネル」、「豊トンネル」開通により解消されましたね。
絶賛用地買収中の16号踏切脇、鮫洲大山線。
背後に聳えるのは、東京都の健康長寿医療センター。
環状6号線=山手通り(下板橋~大山で交差)と環状7号(中板橋~ときわ台で交差)の間にあることから、タモリ倶楽部などでは「環状6.5号」と呼ばれることもあります。
最後に、、、基本中の基本、徹底事項です。
鉄道は、特に通勤路線は、ファンに愛されるために走っているわけではありません。交通インフラです。鉄道ファン以外の、一般旅客からの収益をもって成り立つもの=ファンの微々たる売上など経営に関係ありません。我々は世間から見れば異端児、少数派であることを常に自覚し、各方面への配慮を忘れてはなりません。
夜、ホームの光を浴び、定尺レールのジョイント響かせ、大山構内を通過する列車は最高にカッコ良いですね。この写真を見れば簡単にその光景が脳裏に甦ります。
「大山から未来へ」
来たる高架化、そして100周年へむけ、
大山の賑わいが、事業計画の通りさらに増すことを切に願います。
なかいた商店街を横目に、下り8000系。
しっかりとした駅前ロータリーが整備されている駅はときわ台と成増のみで、
駅からダイレクトで、賑やかな商店街などが繋がっている、
鉄道と街との一体感が都内区間の魅力であり、
失われつつある昭和の「私鉄沿線」だと思います。
中板橋副本線を出発する、下り普通8000系。
写真の位置付近で、春は桜が大変綺麗な石神井川、続いて環状7号線(環七)の上を東上線は通過します。
中板橋~ときわ台間の距離は500m程度しか離れておらず、寄居~玉淀間の次に駅間距離が短い箇所です。
中板橋駅下り本線停車中の30000系。
古レールを使った跨線橋が特徴的です。駅舎を含めて非常に古く、歴史を感じます。2面4線構造で、普通列車の優等の通過待ちが頻繁に行われます。
ときわ台に停車中の下り30000系。
駅舎は近年、開業当時の姿にリニューアルされました。
駅の北側には「クルドサック」が有名な、東武鉄道の分譲地が広がります。もともとは東武本線の西新井~東上線の上板橋を結ぶ、西板線の計画用地として取得した土地でしたが、関東大震災の影響等もあり、一気に計画頓挫。その後、路線予定地で東武が開発を行いました。この未成線の一部が、現在の大師線(西新井~大師前間の一区間)です。
同じように、東急電鉄により開発がなされた大田区「田園調布」と比べられ、「板橋の田園調布」という名で呼ばれることもあります。
東武鉄道の分譲地、常盤台のクルドサック
分譲地開発には、海外の都市計画を意識したものが多く取り込まれました。その最たる例は、上写真のクルドサックとよばれるもので、日本語では袋小道と言うそうです。道路末端に円状Uターン路を設け、居住者以外の車を進入させず、静かな住まいを確保するというわけであります。クルドサックの先には、避難路兼歩行者用通路として、細い道が設けられています。円の中心は植栽と街灯がありますが、ごみ収集所として利用されている箇所も多いです。
常盤台のプロムナード
駅前ロータリーから放射線状に道路が広がります。上写真は分譲地を一周するようにある、プロムナード。道路中央には木が植えられています。地価は板橋区内では最も高いそうです。
東京都や自治体により、景観保持のための建築制限等、ガイドラインが設けられており、各々の住宅には規定を満たす塀や植栽が写真の通り設けられています。田園調布には「田園調布憲章」がありますね。
上板橋~東武練馬 環状8号線直上の歩道橋より、30000系
上板橋~東武練馬間で東京都道311号 環状8号線が線路下をトンネル(北町若木トンネル、延長475m、平成18年5月開通)で通過しています。
ここは環八の最終開通区間にあたり、併せて写真に写る道路なども、平成20年頃にかけて区画整理等が行われ、この写真を撮影した歩道橋もその際に整備されました。
この歩道橋~ときわ台あたりにかけては、乾燥した晴天の日には東武グループの象徴、本社も足下にあるスカイツリーが正面に見えます。
東武練馬に滑り込む10030系
写真背後に写る水色の塔は、環八トンネルの換気塔「北町若木換気塔」です。
トンネル内の排気ガスなどに含まれる浮遊粒子状物を、換気所にて除去・低減した後、地上45mのこの換気塔より、大気中に放出されます。
付近には区立の「電車の見える公園」も本事業に合わせて平成20年に整備・開園され、家族連れでいつも賑わっています。
東武練馬、上り8000系。
東武練馬の乗降客数は5万人を越え、各駅のみ停車&乗換路線なしの関東大手私鉄駅では、竹ノ塚に次ぎ2位の乗降客数を誇ります。急行停車駅の成増よりも多いです。
東武練馬40号踏切、下り8000系。
夏祭りで賑わう商店街を横目に。
東武練馬~上板橋、桜並木バックに上り8000系。
東武練馬~下赤塚、下り10000系と上り10030系。
都内区間では貴重なロングストレートです。区間制限も都内最高の90キロです。
下赤塚駅手前の桜を横目に、下り30000系。
30000系は東上線で単独形式としては最多の15編成150両所属(2022年現在)する、東上線の主力です。個人的に今の東上線で一番好きです。減速性能も東上線では抜群に良いです。
東上線仕様の30000系データ制作・公開、心よりお待ちしております。
→23/2/9 A7様より公開いただきました。ありがとうございます!
カーブを描きながら下赤塚に進入する下り8000系。
下赤塚駅北口 改札のすぐ先にホームがある光景
都内区間で橋上駅舎化された駅は、上板橋と成増のみです。
小雨の下赤塚
下赤塚を出ると小さな踏切が連続します。
ホーム下り方は、無理矢理延伸したのが丸出しの、激狭ホームです。
下赤塚停車中の10000型
下町情緒あり
成増~下赤塚、上り30000系と下り50000系。
下赤塚駅先の右カーブを抜けると、成増~和光市間、東京埼玉県境の白子川まで、下りの長いストレートが続きます。
成増で並ぶ東武マールン勢
池袋から優等で1駅10分、各停で20分、都内最終駅、板橋区成増に到着します。
各駅停車は、当駅での折り返し列車が数多く設定されています。
成増引き上げ線。上り折り返し出発待機中の8000系と下り50090系。
成増の構内配線は特殊で、駅の和光市方に上り折り返し用の引き上げ線があります。一度下り本線に合流後すぐに再度離線し、引き上げ線に入ります。
成増下り本線を逆走し、
上り中線に入換中の折り返しエアポート普通 池袋行き、50000系。
折り返しの据え付けは、同様に下本線を一部逆走する形で入換が行われます。下りは当然出発できませんが、上り列車は本線への同時進入が可能です。
御存知、モスバーガーの1号店は成増駅下り副本線のすぐそば!モスの歴史はここ「なりもす」から!
期間限定でモスバーガーのHMを付けた51003Fと広告
丁度列車と看板の間から見える商店街にモス1号店があります。看板裏の更地は直近まで古屋がありましたが、今年に入って?解体されました。このイベントを見越しての解体か?と思わせるほど好タイミングでした。土地の登記見てませんが、現所有が東武鉄道であれば確信犯かなと思いますが、真相や如何に?
駅名も期間限定で「なりもす」に変更
写真左下、成増駅南口を出たすぐの商店街の中に1号店が見えます。
奥のビル屋上広告や商店街の垂れ幕もなりもす仕様で、モス生誕50周年を地域総出で祝っています。
ホーム上の駅名板もすべて「なりもす」仕様に
老若男女、多くの人がこの駅名板や駅舎を撮影しておりました。
地域に愛されている証拠でしょう。
「なりもす」上り本線に進入する51003Fなりもす号
成増は下り線側の1号店だけでなく、上り線側=北口にも西友の中にモスがあります。とんねるずの石橋さんが一時期成増にに住んでいたそうで、東上線含めて時々ネタにしてますね。
都内区間とは対照的に、高度経済成長期の営団有楽町線相互乗り入れ、宅地開発に伴い、鉄道施設だけでなく沿線風景も大きく様変わりしました。
いかにも首都圏のベッドタウンといった様相を呈しています。
地下鉄乗り入れ開始駅である和光市から志木までの約5キロは、営団直通に際して複々線となりました(営団側との取り決め事項)。
準急は成増以降各停になります。
複々線化により沿線含めて大きく風景は変わりましたが、
朝霞台駅手前の黒目川付近などでは広大な畑が見え、志木駅の手前には雑木林が残るなど、
この区間以北は、失われつつあるとなりのトトロの世界観の舞台、「武蔵野」の情景の残像をほのかに感じ取ることができます。
沿線自治体:東京都板橋区~埼玉県和光市 朝霞市 新座(にいざ)市
こちらの区間についても、東洋経済オンラインより、
[東武東上線「和光市~ふじみ野には何があるか] 複々線でにぎわう駅、昔ながらの団地・商店街も と題した記事が直近で出ています。
ぜひご覧いただくと良いでしょう。
和光市からふじみ野→クリックで記事へ (https://toyokeizai.net/articles/-/540292)
この感じですと、ふじみ野以降も出そうですので、出ましたら別途リンク追記します。
成増(東京都板橋区)~和光市(埼玉県和光市)、下り8000系。
東京と埼玉県境の白子川を渡る手前から、地下鉄有楽/副都心線が地下から顔を出し並走します。埼玉に入ると、環八から分かれた笹目通り、東京外環自動車道(通称:外環)と立体交差し、和光市駅に到着します。
和光市は、地下鉄有楽町線および副都心線→東急東横線→横浜高速みなとみらい線との直通乗り入れ駅です。
和光市は、西武練馬、京王笹塚、小田急代々木上原、東急中目黒的ポジションを担いますが、上記4駅は全て東京都であり、相互直通先が池袋~和光市間12.5キロにも渡って競合するという本例は異例でした。というのも、営団線直通前までの東上線の乗車率は、200%を裕に超す(1965年:262%)大変厳しい輸送状況であり、都心直通による沿線利便性向上も併せて、地下鉄直通は急務でありました。当初上板橋での都営三田線乗り入れ開始なども検討されましたが、都内寄りの上板橋では埼玉側からの逼迫する需要を支えることは難しく、より埼玉寄りでの乗り入れが求められ、最終的に埼玉は和光市まで延伸・乗り入れることとなりました。
有名な話ですが、三田線延伸案に関しては、都営側は乗り入れの為に路線規格や保安装置までもを揃え、駅も整備(新高島平駅)するなど実現寸前でした。
しかしながら、東上線→都心のルートとして三田線は遠回りであること、東武の一大ターミナルである池袋の開発に資さないことなどから、東武と他東急の意向により突如破談し、営団直通となりました。
和光市に滑り込む、下り8000系急行。
都営乗り入れでの免許取得が1964年12月、営団乗り入れに変更決定が1972年3月。8年にも満たない期間での乗り入れ先の変更決定、今思えば今日の首都圏私鉄網、そして東上線の命運を大きく左右する期間だったと言えるでしょう。本件については、覚書等も交わすレベルで3社間で話が進んでいたこともあり、交通局は東急/東武両社に対して抗議を行ったようですが、覆ることはありませんでした。
高度経済成長期、首都圏で急速に進む宅地開発の中で、社の存続を懸けた壮絶な覇権争いが繰り広げられていたことが容易に伺えます。
1987年、営団直通により、志木~和光市~池袋の事実上の複々線化が達成。2008年には副都心線も開業・直通し、東上線からアクセス可能な池袋は、駅名は同じ池袋でもホームも路線名も異なる3つの池袋、混雑は大きく解消されました。現在の乗車率は140%弱と、首都圏ではかなり朝の混雑が平和な路線です。
営団直通前まで、和光市は駅前も畑だけのようでしたが、今現在では理化学研究所、本田技研などもあり、埼玉の住みたいまちランキングでも顔を出すような、有数の大きな街になりました。
最近では駅直結で東武のホテルがオープン(OP時期がコロナ真っただ中でしたので大きく苦しんでいるでしょうが。。。)するなど、駅関連事業など力を入れてているようです。BVEの再現時期にはもちろんありませんでした。
和光市~朝霞、下り内線8000系。
カントで車体を傾け、朝霞カーブ内線を行く下りの8000系。曲線制限は85キロです。和光市から地下鉄が合流し、営団直通時の取決めにより志木まで複々線になります。
複々線区間は原則として内線:普通列車(+現在は地下鉄直通車の急行)、外線:準急以上の優等種別として、走行線路が振り分けられています。
大きなカーブを描きながら朝霞外線に到着する、下りの8000系。
朝霞は準急以下停車駅ですが、急行停車駅の成増よりも乗降客は多いです。
朝霞は陸上自衛隊の朝霞駐屯地があまりにも有名ですね。
朝霞~朝霞台、下り10030系と並走する営団7000系。
複々線区間での並走は、実際のところそこまで多くは見られません。
内線の地下鉄7000系は8両編成です。地下鉄直通車の一部で、和光市~志木間に限り8両編成の列車があります。東上線の池袋~小川町間は全列車10両編成です。
朝霞台~朝霞、上り8000系。
朝霞を通過すると、黒目川の浸食をうけた低地へ向け、長い下り勾配が続きます。東上線は勾配緩和の為、掘割と築堤区間に入ります。
ですから、下りは掘割を抜けると一気に築堤上に出て、展望が開けます。
朝霞~朝霞台、下り10030系。
黒目川付近の築堤を行く、下り列車。
春は写真の通り桜が大変綺麗に咲き誇ります。河川周辺の低地は依然畑が多く残っていますが、写真奥の通り新たなマンションが徐々に侵攻を開始しており。。。
朝霞~朝霞台、下り8000系。
黒目川の桜並木&菜の花畑を横目に、下り列車はまもなく朝霞台への制動を開始します。ここの菜の花畑は、近年全く咲かない、というより植えられていません。10年ぐらい前は毎年綺麗に咲いていたのですが。
朝霞~朝霞台、黒目川の築堤をゆく下り8000系。
冬晴れ、雲一つない快晴。
このような風景には、白に青ライン、威風堂々たる10連8000系が映えます。
8000系自体は、東上線の末端区間や越生線、野田線、本線各支線で見れますが、10連運用は東上線池袋口からの撤退をもって消滅しました。
朝霞台、下り8000系快速急行。
朝焼け、黒目川からの川霧の中、朝霞台下り外線を通過する快速急行。
朝霞台を通過する列車は、通勤急行(2016改正で廃止)、快速急行とTJライナーのみです。
朝霞台、下り10030系。
JR武蔵野線205系と交差する東上線。朝霞台はJR武蔵野線「北朝霞」への乗換駅です。
朝霞台の次は志木ですが、志木は志木市ではなく新座市に所在します。
どうでもいいですが、北越北線の「しんざ」駅は漢字表記の地名は「新座」ですが、ここJR武蔵野線の「新座(にいざ)」駅と区別するために平仮名表記にしたそうです。
朝霞台~志木、上り30000系。
朝霞台~志木には開業当初からあるであろう雑木林が残ります。戦後間もない頃の東上線の写真でも、ここの雑木林は大変シンボリックに映っています。「武蔵野」の象徴です。大手デべによる買収&マンション開発がなされないことを祈ります。
開発断固反対!守ろう!美しき武蔵野の自然を。
和光市からの複々線は志木までで終わります。志木以降は、約40キロ以上先の「嵐山信号所」まで複線となります。
この区間も和光市~志木間同様、高度経済成長期以降に分譲地開発、大型団地・マンション建設が進み、急速にベッドタウン化が進行しました。
沿線開発に伴い、1970年代後半に「柳瀬川」、「みずほ台」、平成に入っても急行停車駅「ふじみ野」といった新駅が開業するなど、現在もなお開発が進んでいます。
駅周辺を除くと畑以外何もない、かつての情景を想像するのは難しいですが、
それでも随所で緑や畑を目にすることができ、ほのかに残る「武蔵野」の香りと、人間の営みが調和した、東上線ベッドタウンの象徴的な区間でありましょう。
志木以降は、一路「小江戸川越」へ向けほとんど一直線で進みます。制限速度も高く、急行以上の優等種別は常時高速走行を行います。
一方で中小規模の河川が多いため、アップダウンは激しく、築堤や掘割を殆どで用いなければならないほどで、GLを走れる区間はかなり限られているのが特徴です。
日本一広大な関東平野のベッドタウンを、フラットの音・振動を関東ローム層(赤土)の地中奥深くへ叩き込むように爆走する優等は、
これぞ「東武電車」(個人的イメージ)といった運転になります。
通過沿線自治体:新座(にいざ)市 志木市 富士見市 ふじみ野市 川越市
柳瀬川、下り50090系急行と詰まる上り列車。
志木以降は再び複線になります。
停止現示のP2地上子を踏むと厄介ですので、後続は徐行で駅を通過します。
柳瀬川、下り8000系準急。
駅の西口方面には、「志木ニュータウン」の団地が立ち並びます。
1970~80年代に鹿島建設により開発が行われ、駅もその際に開業しました。
柳瀬川、下り8000系急行。
柳瀬川は駅前にサミットが聳えます。廃車間際の嘗てのヒーロー8108Fと。
柳瀬川、下り営団7000系。
サミット横の駐輪場には、柳瀬川をイメージしたであろう?壁画があります。
(少なくとも駅のあるこんな下流の絵ではない、西武ドーム脇付近でもこんな風景にはならないが?どこ?)
夏の柳瀬川橋梁を渡る、下りの8000系。
夏は釣り、BBQ客などで河川敷は賑わいます。
春の柳瀬川、10030系。
春は桜並木が大変有名です。屋台も多数出店し、大変な「密」になります。
柳瀬川、下り8000系。
榎町の大きなマンションを横目に、冬の低光線を浴びて。
初夏の柳瀬川と池袋・川越アートトレインを、富士見橋から望む
柳瀬川を越えると志木市から富士見市に入ります。名前の通り富士山が良く見え、この写真の撮影場所も「富士見橋」からです。
冬の柳瀬川橋梁から望む富士山と東上線
冬は乾燥していますので、朝は晴れていればまず富士山は見えます。
通勤時にも車窓に目を向ける方もかなり多いです。
柳瀬川~みずほ台、下り8000系。
秋晴れ、実りの秋。河川敷周辺の低地は、広大な田園風景が広がります。
みずほ台を通過する、下り8000系急行。
柳瀬川~みずほ台は、区間制限速度が、下りの急行以上に限り、初めて100キロになります。
みずほ台、下りの8000系。
降りしきる雨の中、柳瀬川からの長い上り坂を駆け上がる。
みずほ台は名前の通り高台にあります。
鶴瀬、下り8000系急行と上り50090系快速急行。
8000系は1963年登場、50090系は2007年登場で、その差44歳です。
※8506Fは1965年製造グループです。
鶴瀬~ふじみ野、雑木林の横をゆく8000系。
風景画はやはり8000に限ります。
ステンレス・アルミ車は自然に埋もれてしまい、絵になりません。
富士見市 鶴瀬西配水場
鶴瀬の先にある、下りの進行方向左側に見える建造物は、給水塔です。
建設当時は上部の室内から灯台のごとく光が出ていましたが、UFOと誤認する等の近隣苦情があり、現在点灯することはありません。
鶴瀬~ふじみ野、上り50070系と下り9000系。
下りはこのカーブを抜けると、ふじみ野まで長い下り坂となります。
50070系と9000系列(9101Fを除く)は、地下鉄直通乗り入れ対応車両です。
地下直限定ではなく、東上線地上車運用に就くことも多くあります。
鶴瀬~ふじみ野、セイコーモータースクールの横を行く下り50000系。
東上線の車内広告等でもよく見る、ユーザーお馴染みの自動車教習所です。
市境にあり、西側半分がふじみ野市、東側半分が富士見市となっています。
教習所では松田セイコーの「渚のバルコニー」が流れます。教習車もマツダです。
ふじみ野、下り8000系準急。
S字を描き、ふじみ野下り本線に到着する8000系。
ツルミノの下り坂を気持ちよくかっ飛ばしてると、すぐに駅ですので、制動が遅れないように気を付けましょう。ふじみ野には、日本初の所謂アウトレットモール「リズム」(現在は運営会社が変わり「ソヨカ」と改称)があります。
上福岡、下り10000系急行。
上福岡駅からはふじみ野駅が見え、後続のTJライナーが急行を猛追しています。
ATS時代は上り線の信号が綺麗でしたが、今は何もなくなってしまいました。
新河岸を通過する、下り50090系快速。
新河岸は「しんがし」と読み、近年駅舎の橋上化が行われました。
後ろに写る「東武ストア」も橋上化と併せて、解体・建て直しされました。
上福岡、下り8000系急行。
ふじみ野からの上り勾配を駆け上がり、ノッチオフ!
S字を描きながら、高速で上福岡を通過します。
上福岡は学校や病院、商業施設、高層マンションが集い、いつでも賑やかです。
新河岸、上り10030系快速と下り30000系快速。
志木以降は勾配は多いものの、ほぼストレートが続きます。急行以上はひたすらかっ飛ばします。
新河岸~川越間では、新河岸川を渡ります。後述、川越の繁栄の歴史を語るうえで欠かすことの出来ない、「ブラタモリ」でも存分に扱われた河川になります。
新河岸~川越、下り30000系快速。川越へ向けてラストスパート。
川越街道と国道16号(東京環状道路)の合流点、新宿町(北)交差点付近で、池袋~北池袋では隣を走っていたJR埼京・川越線と交差します。川越線は既に単線となっており、ここまでの所要時間も東上線の倍程度かかります。
右奥の高層マンションは、ふじみ野、上福岡駅付近のマンションです。
川越に進入する下り臨時普通坂戸行き50000系と上り30000系。
池袋から急行でおよそ30分、川越に到着です。
首都圏の観光地として知名度も高く、東武川越の乗降人員は12万人を超えます。
蔵造りの街並みや、喜多院、水曜どうでしょう「対決列島」関東大会の開催地である菓子屋横丁などが有名です。
川越、上りの8000系。
江戸時代、新河岸川の水運を用いた、江戸への農産品等の供給拠点として繁栄するなど、江戸/幕府との関わりが非常に深いことから、「小江戸川越」と呼ばれています。
構内側壁なども、蔵造りの街並みを意識したデザインが用いられております。
(上)川越を出発する、下り50000系。
(左)[合成]川越~川越市、集う3社3路線
川越~川越市で、東上線は川越線と並走しながら西武新宿線の上を越えます。
写真の奥方に西武新宿線の終点本川越駅があります。この本川越が蔵造りの街並みのあるエリアに最も近く、ある意味駅名の通りマジな川越かもしれません。西武新宿線は、所沢を経由して西武新宿へ向かいます。
西武は新宿から川越へ向かう、特急車レッドアローによる有料特急「小江戸」を運行していますが、東上線は池袋から30分程度で着いてしまうため、長らく川越輸送を主眼とした特急は走らせていませんでした。しかし、東武も遂に2019年のダイヤ改正から、看過できない川越観光ニーズの高まりに応えるべく、50090系クロスシートモードによる無料特急「川越特急」の運行を開始しました。池袋→川越を27分で結びます。とりわけ、種別「特急」の復活は、2008年以来11年振りでした。
西武線は、東上線と川越線の橋脚があるために、この本川越駅の場内一部だけ単線になっています。名鉄岐阜的な光景です。
川越線は、この橋を超えると大きく東上線から左へ逸れ高麗川、その先八高線に直通して拝島を通り、八王子へ至ります。川越線は4両編成です。
川越市に到着する、当駅止まりの下り準急10030系。
西武新宿線の上を鉄橋で越えると、すぐに川越市に到着です。
駅構内の進行方向左側にあるのは、武州ガスの「ガスホルダー」です。
ガスホルダーには「小江戸川越」の文字と、蔵造りの建物の絵が描かれており、この地のシンボルとして、武州ガス本社敷地内にありました。
残念ながら2012年ごろに解体され、現在は社用車置き場となっております。
川越市に集う、メトロ10000系、30000系、9000系。
下り列車の半分程度は川越市止まりとなり、川越市以北は本数が大きく減ります。現在は、上りのTJライナー以外全ての列車が停まります。
2020年に検査業務廃止となりましたが、川越工場が駅に隣接(写真左)してあります。最近まで8000系以外の検査業務は、この川越工場にて行われていました。
西武新宿線本川越駅への乗り換えが可能で、現在は徒歩5分程度で乗り換えできます。
川越市副本線、上り始発有楽町線の新木場行7000系と、当駅止まり下り50070系。
蔵造りの街並みなどがある観光スポットは、川越よりも川越市の方が近いですが、川越駅が街の中心であり、バス等も川越からがメインです。乗降客も川越の1/3程度の4万人強程度です。
川越市の副本線は、当駅止まり/始発列車の発着の他、緩急接続にも使われます。
川越市引上げ線から、上り副本線へ入換中の8000系。
川越市止まりの列車は、一度下り方の引き上げた後、上り線に転線し、折り返し普通/準急の東上池袋行/地下鉄直通となります。
駅構内には乗務管区があり、上下線ほぼ全ての列車は、当駅で乗務員の交代・引き継ぎが行われます。
東上線全長75キロのうち、輸送人員の2/3以上(内訳:池袋~成増間40%、和光市~川越市間約45%)が、この池袋~川越市間の31.4キロに集中しています。
東上線=東武鉄道のドル箱路線の、核心的な区間と言えるでしょう。
常に変化のある多彩な沿線風景、人間の営み・歴史・自然、そしてその輸送を支える多種多様な車両たち、その組み合わせが織りなすハーモニーが、
唯一無二の東武東上線なのでありましょう。
簡単に公開区間外(川越市以北)の沿線風景を紹介し、路線紹介を終わります。
池袋を出た10両の列車が、そのままの姿で田園風景を駆け抜け、やがては森の中の単線を行く。これもまたひとつの東上線の特徴的な魅力でありましょう。
Bve東上線を正しく運転するためには、下記【BVE Trainsim 運転関連情報】の頁への理解が必須です。また走行雑音の有効化の手順も同頁にて説明いたします。
運転の際は記載の運転規則を確実に順守してください。
↓↓
大変お待たせいたしました。
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参考文献
鉄道ピクトリアルNo.880 2013.10 [特集]東武鉄道東上線
東武鉄道100年史